【第9話】
「その娘、生霊らしいんだ・・・・」
そのとたん、飲みかけたサワーのグラスが雪絵の手から抜け落ちて、テーブルの上に落下した。
まだ半分残っていたりんごサワーが、氷と一緒にテーブル一面に薄く流れた。
「ああぁぁっ」
雪絵は、慌てておしぼりを掴んで、真っ先に自分の膝に零れた液体を拭き取った。
「あんたが変な事言うから・・・・もう」
寺澤も、テーブルの上にこぼれた氷を拾いながら、おしぼりで拭いた。離れたテーブルに座ったお客までが、何事かとこちらを覗いている。
「冗談じゃないんだよ。マジで困ってんの」
「うそ。本当の話なの?」
雪絵は一瞬手が止まって、寺澤を凝視した。
「しかも、触れるんだ・・・」
「・・・やらしい・・・」
雪絵は目を細めた視線で寺澤に言った。
従業員が駆け寄ってきて、テーブルを拭いてくれた後、新しいおしぼりをくれた。
「何言ってんだ。こっちは真面目に困ってるんだぞ」
「ゴメン、ゴメン。真面目に聞くよ」
寺澤は、最初に成美と出会った時からの事を一通り話した。
雪絵は真剣に話を聞いていたが
「ふーん。生霊と添い寝ね・・・」
口元が笑っている。
「だから、そこはどうでもいいんだよ」
「はいはい」
雪絵は新しいおしぼりで、淡いエンジ色のミニスカートの沁みを丹念に拭きながら応えた。
「で、どう思う」
「どうって?」
「だから、どうして、その娘は俺に付きまとうんだと思う」
「うーん。寺澤君の事が、好きなんじゃない」
寺澤は、怒った顔をして、声に出そうとしたが、雪絵は話続けた。
「冗談じゃなく、幽霊に惚れられた話だってあるんだよ。それか、何かあなたに関係している事があるんじゃない」
「もともと見たことも無い娘だぞ」
「じゃぁ、波長が合うのかも」
「波長?」
寺澤は、ラッキーストライクメンソールを一本取り出して、火をつけた。
「だって、霊感が強いとかって言うのも、霊波を沢山感じたり、波長の同調がし易い人だって、何かで読んだよ」
雪絵は、寺澤のタバコから出た煙が自分の方へ来ないように、手で仰ぎながら言った。
「だいたい、本当にその娘は生霊なの?」
「本人がそう言ってたよ」
「息遣いも、体温もあるのに?」
雪絵の言葉に、寺澤も一瞬黙るが
「そんな事、俺がし知るか」
「寺澤君、何か別のもんに獲り付かれたんじゃないの?」
雪絵は少し、心配そうな顔をした。
寺澤は溜息をつきながら、雪絵に掛からないように横を向いてタバコの煙を吐き出した。
夜更けの住宅街に二人の足音が響いていた。
半分に欠けた月が、ゆっくりと流れる雲に見え隠れしている。
「っていうか、本当にウチ来るの?」
雪絵は、寺澤の家に現れる少女をひと目見ようと、一緒に西武線に乗って大泉学園の駅で降りた。
「だって、見てみない事には何とも言えないでしょ」
雪絵は少し張り切ったような笑顔で言った。
南口の階段を下りて、パチンコ店の在る右側の路地を入り、住宅街を15分ほど歩くと寺澤のアパートが在った。
「駅から遠いのね」
「駅周辺は家賃が高いんだよ」
駅の階段を降りたときには数え切れないほどの人が周りにいた筈なのに、チリジリに住宅街へ消えていくと、自分達の前後には殆ど誰もいなくなる。
夜の9時を過ぎるとなおさらの事だった。
「烏龍茶しか無いけど、いいだろ」
寺澤は、雪絵を部屋に上げると、冷蔵庫から烏龍茶の小さなペットボトルを取り出してテーブルの上に置いた。
「何にも無いのね・・・・」
ソファに腰掛けた雪絵が、部屋を見渡して言った。
彼女は、出された烏龍茶のボトルのキャップを小気味良い音を立てて開けると、一口飲んだ。
「彼女が現れるのは、遅い時間だよ。大丈夫かい」
「帰りは送って行ってね」
雪絵は、初めから帰りは寺澤に送ってもらうつもりでいたらしい。
「毎日現れるわけでもないし」
「いいわ、別に。帰っても何時も暇だし」
彼女は楽しげに笑って、そう言った。
二人は時間つぶしに、DVDで映画を見ていた。
何も無い彼の部屋にも映画のDVDはラックにビッシリと並んでいる。100本は在るだろうか。
「まるで、レンタル屋さんね」
雪絵はそう言いながら、ラックを眺めて
「あ、これ、面白いのよね」
そう言って、スパイアクションものの映画を一つ取り出した。
クライマックスのアクションシーンに見入っていた雪絵が、フッと後を振り返った。
背中に何か、気配を感じたのだ。
「それ」を見た雪絵は、ソファの下に座る寺澤の肩を、思わず強く叩いた。




