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バニラ  作者: 徳次郎
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【第25話】

 夕明かりの灯す空の下で、彼女は椎名町の駅を降りた。

 商店街を過ぎて住宅街に入った時には、辺りは闇に包まれ、蛍光灯式の暗い街灯だけが路地を照らしていた。

 暗闇の玄関先には喪中と書かれた行燈が二つ、灯を灯して浮び上っていた。

さっき三軒手前の角を曲がった時、既に線香の匂いが漂ってきて、その先が喪中である事が嫌でも判った。

 成美は博明の家の前に来ていた。

 昨日、たまたま池袋で会った博明と同じ学校の智香は以前何度か一緒に遊んだ事があった。


「成美じゃん。久しぶり」

 彼女と遊んだのは、博明と一緒にいた時の事なので成美はあまり会いたい相手ではなかった。

だから、軽く手を上げて微笑んで、終わりにしようと思った。

ところが、智香は成美に駆け寄って来た。

「ねぇ、博明とは別れたんでしょ」

 成美はその言葉に少し俯いた。今更そんな話題はごめんだった。

「あいつ、死んだの知ってる」

「えっ・・・」

 成美は思わず彼女の顔に向き直った。

「あいつ、女癖悪かったでしょ。それで、渋谷の何とかって有名な奴と、女の事でトラブったみたい。鉄パイプで頭殴られたらしいよ」

 成美は、ただ呆然として智香の話を聞いていた。

 同世代の知り合いが「死」と言うものに関係している事が、何処か現実離れしていた。自分が時々思う「死」と既に死んでしまった「死」は、明らかに違うものだった。

「でも、自業自得ってやつだよね。あんたと付き合ってる間にも随分ヤッてたみたいだし。昨日葬儀だったって」

 智香はその話が、まるでワイドショーで観た、知らない誰かの事のように笑って淡々と話していた。


 成美は博明の家の前で立ち止まった。焼香に来ていたらしき喪服の男性が二人、家の中から出てきたのを見て、彼女はただの通行人を装う。

「本当に死んじゃったんだ・・・・馬鹿なやつ・・・・」

 成美の瞳から涙が一粒、頬を伝った。

 あんな奴に対してどうして涙が出るのか、彼女自身不思議だった。

 確かに女癖の悪い男であったが、同時にただ一人、彼女にとって肌の温もりを知っている男でもあった。

 そんな男の末路を哀れんでいるのだろうか。

「鉄パイプで殴られたら、痛いんだろうな・・・・」

 彼女はそう呟きながら門の前で手を合わせると、そのまま彼の家の前から立ち去った。



   * * * * *



「だからさ、あれは違うんだよ。あいつが勝手に上がりこんで来たんだ」

「そう。勝手に上がり込んでお風呂入っちゃう仲なんだ」

 書類を片手に雪絵は廊下を足早に歩いてエレベーターに向かい、寺澤はそれを追いかけるように話し掛けていた。

「そうじゃないって・・・・」

 二人はエレベーターに乗ったので、一端話は中断した。

 中には、他のオフィスの人が二人乗っていた。

「そうじゃないんだよ」

 エレベーターが10階に着いて扉が開き、二人で出ると、寺澤は再び話し出した。

「まぁ、いいわ。どうでも」

 雪絵はそう言ってオフィスに入った。

 この時点で、この話はもう出来なかった。

 寺澤も小さく溜息をついて、自分のデスクに着いた。

「どうしたの、雪絵、なんか怖い顔」

 営業の和美が声を掛けて来た。

「えっ、そう?」

 雪絵は慌てて作り笑いを浮かべた。

「ま、あんたも年中笑顔じゃ疲れるもんね」

 和美は笑って雪絵の肩を叩いた。

 雪絵は何時になくむしゃくしゃしていた。寺澤とはまだ付き合っているとは言えない。その境界線が何処にあるかは人それぞれだが、少なくとも雪絵はそう思っている。

 告白があれば、身体の関係が無くても、付き合っている事になるのだろう。しかし、大人になるにつれ、はっきりとした告白など期待は出来ない。

 自然の流れで身体の関係になり、そこから始まるのを待つ事も少なくは無いだろう。

 しかし、寺澤と雪絵は今の所そのどちらでも無いのだ。ましてや、雪絵は寺澤の事が好きなのだと言う確信も無い。

 おそらく、寺澤の方も似たような気持ちかもしれない。


 その日は、秋物の企画会議が押した為、会社の在るビルを出たのが10時を過ぎていた。

 雪絵はまだ怒っているのか、寺澤には声も掛けずに、外まで出た。

 寺澤は、同じエレベーターだったが、他の社員がいたこともあり、声を掛けそびれていた。

 通用口には警備員が立っていて「お疲れ様です」

 と、声を掛けて来た。

 雪絵は後ろに寺澤がいる事を知って、わざと足早にビルを出た。

どちらにしても、同じ駅を使うのだ。

 寺澤はビルを出ると、雪絵に追いつこうと足を速めた。

 その時、歩道沿いに止まっていた紺色のアウディから男が出てきて

雪絵の腕を掴んだ。

「ちょっと!」

 雪絵は驚いて、とっさに身を引いたが、男の強い力には敵わない。

 男は彼女の顔にハンカチを当てると、雪絵はちょうど車の中へ倒れ込むようにグッタリと力を失った。

 寺澤は、目の前の出来事に呆然とした。

 とっさに何が起きたのか理解できない場合、人は立ちすくんでしまうのだ。

「拉致だ!」

 寺澤の頭がようやく事態を把握した。

 既に紺色のアウディは走り出そうとして、走行車線にウインカーを出している。

 寺澤は辺りを見渡した。

「山下、そのバイク貸せ」

 ビルの横で自分のバイクに跨ろうとしていた、後輩の山下が驚いて振り向いた。

「どうしたんすか?」

「理由は後だ。お前、電車で帰れ!」

 寺澤は既にエンジンの掛かった山下のバイクに跨って、歩道から車道に飛び出した。

 山下は何が何だか判らず、呆然と立ち尽くし

「先輩、メット・・・」

 と呟いた。



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