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バニラ  作者: 徳次郎
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【第2話】

 目覚まし時計の電子音が鳴り響いていた。

 赤色とオレンジのチェック柄の掛け布団を押し上げて、安ニ崎成美は起き上ると、目覚まし時計のアラームスイッチをOFFにした。

 カーテンの隙間から、細い光が部屋を照らしていた。

 ベッドから出ようとした時に左手に何か硬いモノがあたって、彼女が視線を向けると、烏龍茶の500ミリのペットボトルが布団の中に転がっていた。

「何これ・・・」

 成美はまったく覚えの無い烏龍茶のボトルを手に取って呟いた。


 彼女は制服に着替えて1階のダイニングへ行き、髪の毛の寝癖もまだ直さずに一人で朝食のパンを口に入れながらコーヒーを飲んだ。


 父親は大きな証券会社の幹部で、仕事が忙しいと言いながら殆ど家には帰って来ない。しかし、成美は知っていた。

 自分の父親が若い女と付き合っている事も、世田谷にマンションを借りている事も。

 母親は、表参道でブティックを経営していて、やはり家にいる時間が異常に少なかった。近々、代官山に二号店を出すらしい。

 きっと母は、父にも、自分にもあまり会いたくないのだと彼女は思っていた。

 成美は中学二年生の頃から、朝も夜も、ずっと一人で食事をしていた。唯一友達と食べる昼ご飯が、彼女にとって少しだけ楽しかったりする。

 非行に走ることは無かった。反抗期はあったが、それは、少ししか顔を会わせる事の無い両親には気が付かない程度のモノだった。

 しかし、彼女にも両親には言えない秘密がある。

 それは、既に初体験を済ませているとか、週に何度か彼氏の家でセックスをしているとか、そんな事ではない。


 石神井公園のスグ横を通る道路沿いに成美の家はある。

 高くて白い塀で囲われ、庭に敷かれた芝生は綺麗に刈り揃えられているような、割と大きい立派な見栄えの家だ。

 レンガの敷かれた大きなガレージには、父親のベンツも母親のボルボも、たまにしか停まっている事が無い。

 成美は何時もこの石神井公園の、草木の生い茂った柵沿いの道を通って駅へと向かう。

 季節の移り変りを間近で感じられるこの公園は、今の生活で彼女が気に入っている唯一の情景だ。



「ねぇねぇ、聞いてよ、今朝起きたらさ、あたしの布団の中に烏龍茶のボトルがあったんだよ。全然覚えが無いんだよね」

 学校へ向かう電車の中で、友人の西村佳代に向かって成美が言った。毎朝彼女と一緒と言う訳ではないが、今日はたまたま同じ電車に乗り合わせた。

「寝る前に飲もうと思ってたんじゃないの」

 浅い二重目蓋がコンプレックスの佳代は、今日もマスカラ2度塗りで登校する。

「あたし、普段あんまり烏龍茶、飲まないし」

「何それ。あんたもしかして夢遊病?」

 佳代は小さな口を命一杯開けて笑った。

 成美は少し膨れっ面を見せて、それでもつい一緒になって笑う。

「今度ケンジのバンドが横浜でライブやるんだって」

「へぇー。凄いじゃん」

 ケンジとは、プロを目指してバンド活動をしている佳代の男友達だ。

「そのうちデビューできるんじゃないの」

「なんかね、CD1枚や2枚くらい出しても、今の借金は消えないって言ってた」

「へぇー。大変なんだね」


 サラリーマンの臭いとOLの香水の香が入り混じった、咽るような朝の満員電車の中で、彼女達の話は尽きなかった。




 外を通る小学生の元気な笑い声で、寺澤は目を覚ました。

 見上げた天井は、何時もの天上では無かった。

 いや、寺澤の部屋には違いないのだが、毎朝見る天上の位置とは違っていたので、一瞬そう感じたのだ

 彼はしばらくの間、その天上を見上げていた。

「あっ」

 どうしてソファに自分が寝ていたのか、昨晩の事を思い出して、寺澤はソファから跳び起きた。

 ベッドを見ると、そこに少女の姿は無かった。

 布団が人型に膨れていたので、寺澤はそれをはいで見たがやはり彼女はいなかった。

「帰ったんだな」

 寺澤はそう呟いたて、やれやれと思った。

 ベッドの上には、ほんのりとバニラのような甘い残り香が漂っていた。



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