【第11話】
成美は自分でも気が付かないうちに、大きなストレスを抱えていた。
それが、本当に父や母に対してだけのものなのか、確信は無い。
ただ、誰かに側にいて欲しいという気持ちは確かなのだ。
夜な夜な街を徘徊する事もしない彼女にはその解消法が判らなかった。
幸か不幸か、成美が最も親しい友人の佳代も美鈴も倫理的で、大抵は親の決めた門限通りに帰宅する。
援交や万引で憂さを晴らす娘もいるのだろうが、彼女の周囲、身近なところにはそういった行為をしている娘がいなかった。
同じクラスにもいるのかも知れないが、係わり合いも無く、縁も無かった。
彼氏とはセックスをする。しかし、知らないオヤジとそう言う事をしてお金を貰う行為に興味が無かったし、それで心が癒されるとは到底思えない。
ましてや万引で店に損害を与えるような行動もしたくないし、捕まって停学になるのもシャレにならない。
そんな彼女の生真面目な性格が、よりストレスを拡大させているのだろう。
せいぜい友達同士でカラオケに行くのが一番のストレス解消だと自分では思っていたが、本当の解消はリストカットによって行われている事に本人は気付かない。
* * * * * *
何処からとも無く聞こえる金属が共鳴するような荒んだ音は、心臓の鼓動に合わせて音量が波打って、直接脳髄を刺激する。
耳をふさいでもそれは鳴り止む事は無く、永遠に続くタナトスのように彼女の心を深い闇へと導いていく。
ここにある肉体の苦痛から逃れる為に、彼女の精神は時折遠くの山々を駆け巡る。
見た事も無い緑の森に囲まれた湖の辺に佇む自分を、もう一人の成美が眺めている。
そこには、一ミリの苦痛も無く、ただ暖かい風が優しく吹き抜けていくだけなのだ。
しかし、もう一人の成美がここにいてはいけないと腕を掴んで彼女を連れ戻す。
そして苦痛が山盛りに詰まった肉体へ再び戻って来る。
それは、一回瞬きをした瞬間の出来事に過ぎない。
「成美、なんか顔色悪いけど大丈夫?」
休み時間中、一方的に喋っていた会話の途中で、佳代が言った。
成美には、その理由が判っていた。
昨日、博明との事で深夜にしこたま瀉血したせいだ。
「うん。ちょっとフラフラって感じ」
成美は、リストカットでの瀉血により、時折激しい貧血に見廻れた。今日はそれに加えてひどい耳鳴りがする。
直ぐ横で話している佳代の声が、やたら遠くに聞こえた。
周りのざわめきが、大浴場にでもいるかのように柔らかいエコーが掛かって、耳の中でバウンドする。
「保健室行った方がいいよ」
佳代の進めで成美はよたよたと立ち上がって保健室へ行った。
「あら、安ニ崎さん、また貧血?顔色悪いわね」
成美は学校の保健室の常連顔だったので、保健の先生にはスグに状態が判ってしまう。
「ちゃんとご飯食べてる?栄養のあるもの食べないとだめよ」
成美は保健室が好きだった。
先生が優しくしてくれるからだ。
家では殆ど一人の彼女にとって、日常に人の優しさを明確に感じる事の出きる空間かもしれない。
「一度、病院に行って見たら?」
「はぁ」
保健の先生は頻繁に貧血を起こす成美を心配して言ったが、彼女はベッドの上で気の無い返事をした。
保健の鈴宮は「内臓から出血でもしていたら大変よ」と言って心配するが、そんな事は無いだろうと成美は判っていた。
成美本人が、自分の身体から血液を抜き取っているのだから。
成美は保健室に行く前には必ず、薬を飲む。
この日もエバミールを2錠飲んでいた。
保健室でニ、三時間ほど休むと大抵は気分も良くなり、教室へ戻る。
教室へ帰ると、普段あまり話をしない娘からも「大丈夫?」と言う労わりの声が掛かる事が少しだけ嬉しかったりもする。




