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どうも、乙女ゲームの案内モブです。……たぶん

作者: あまNatu

「やあ、今日もセレナはかわいいね。え? デリック殿下なら裏庭にいたよ」





 通算何回目の言葉だろうかと、ルナはため息をつく。

 毎回毎回毎回、放課後のこの時間に、ルナはこの中庭を見下ろせる二階の廊下にある窓際で、この物語の主人公であるセレナから、攻略対象の今いる場所を聞かれ答えるというのを繰り返している。

 ルナの役割はある意味、それだけなのだ。

 主人公の友人というポジションはあるものの、やることはただそれだけ。

 まあある意味楽かと、走り去っていくセレナの後ろ姿を見ながら思う。

 ここまで言えばわかるだろう。

 これはとある乙女ゲームの世界でのことである。

 タイトルがなんだったかは忘れたが、ヒロインであり主人公であるセレナ・マクベスと攻略対象が愛だの恋だのを繰り広げていく学園ストーリーなのだ。

 物語の最後は卒業式後のパーティー。

 そこで断罪イベントというものが起こり、ヒロインをいじめ続けていた悪役令嬢がその罪を白日の元に晒されてこの物語は終わるらしい。

 断罪イベントが最大の見せ場なこのゲームの中で、そんな終わりのためにもルナはここで己の任務を全うすればいいだけだ。

 セレナが行ってしまったらあとは暇だなぁ、なんて中庭で語らう生徒たちを眺めていると、ふと横から見知った女性が目元に涙を浮かべながらやってきた。


「――クリスタ侯爵令嬢」


「――っ! あ、あなた、なぜここに……っ」


 慌てて涙に濡れる目元を拭いつつも近づいてきたのは、攻略対象であるデリック王太子殿下の婚約者であり、さらにはこのゲームの悪役、クリスタ・マクラーレン侯爵令嬢である。

 彼女は目元を赤くしつつもつんっと顔を横に背けた。


「こんなところでなにをなさっているのかしら。……まさか、わたくしを笑い物にしようとでも?」


「…………すごい卑屈だなぁ。クリスタ侯爵令嬢は人に笑われるようなこと、なに一つないでしょう。美しく気高い。あなたは理想的な御令嬢だ」


「――…………は、はぁ!?」


 泣いてたと思ったら今度は赤くなって、そしてまた顔を背けた。

 まあ見えている耳が赤いため、なに一つ隠せていないのだが。

 気高く、そして誇り高い侯爵令嬢は思ったよりも可愛らしい人なのかもしれない。

 クリスタはちらちらとこちらを見た後、なぜか隣へとやってきた。


「……わたくし、あなたのこと勝手にマクベス男爵令嬢の味方なのだと思っていましたわ」


 マクベス男爵令嬢とは、ヒロインであるセレナのことだ。

 まあ確かにルナはセレナの友人として力になれる時はなるが、だからと言って別に全面的にセレナの味方というわけではない。

 時折おや? と思う時はある。

 ゲームとはいえ婚約者のいる相手を狙うのはどうなのか、とか。


「マクベス男爵令嬢はなぜ、デリック様に近づくのかしら? ……やはり、彼女はデリック様のことを――」


 まあ気になるのはそこだよなと、ルナは前を向いた。

 窓の外、その先にある裏庭では今頃、デリックとセレナは仲を深めているのだろう。

 婚約者であるクリスタを忘れて。

 流石にこの世界で生きてきたルナにとって、婚約というのがどれほど大切なものかはわかっている。

 お互いの未来を決めるそれは、当人同士の問題だけでは済まされない。

 実際クリスタとデリックが婚約破棄したら、その余波を受けるのは当人たちだけではないだろう。

 クリスタの家を支持するものたちも、かなりの痛手を負うはずだ。

 それがわかっているからそこ、なるべくならセレナには別の人を選んで欲しいのだが……。

 しょせん自分は居場所を伝えるだけのモブでしかない。

 物語に干渉することなんてほぼ不可能だ。

 だからこそここでこうして人々の動向を監視する日々だったのだが。

 思えばこれはイレギュラーだ。

 ヒロインの友人でありながらもモブであるルナが、悪役令嬢であるクリスタとこんな話をするなんて。


「セレナがデリック殿下を好きかどうかは、あまり関係ないのでは? どちらかというとデリック殿下とクリスタ嬢の気持ちの問題なのでは?」


「…………気持ち? わたくしと、デリック様の?」


「そうでしょう? 二人が愛し合っているのなら、セレナがデリック殿下のことを好きでも関係ないですよ」


 まあ多少は嫌な思いはするかもしれないが、お互いの気持ちが通い合っているのならなにも問題はないはずだ。

 ……もちろん、この後の展開を知っているルナからすれば、それが難しいことなのだと理解している。

 実際、クリスタとデリックの仲は正直よくないらしい。

 だからこそ突然現れたセレナにデリックは目を引かれ、クリスタはそんなデリックに不信感を持っているのだろう。

 うまくいかないものだなと思っていると、隣にいるクリスタが大きく目を見開きながらぼそぼそと呟き始めた。


「…………好き? ……いえ、……そんなことは…………でもっ」


「どうかしました?」


「――! な、なんでもありませんわ」


 ふいっと顔を背けたクリスタは、しかし思うところがあるのかそのまましばし考えるように顎に手を当て、そして思いついたようにルナの方を振り返った。


「――……」


「な、なんですか?」


「…………わたくし、デリック様のこと、好きなのかしら?」


「…………えぇぇ」


 どういうことだ。

 てっきりクリスタはデリックに好意を持っていると思っていたのに。

 まさかの返答にルナは思わず頬を引き攣らせた。


「いやいや! 好きなんじゃないんですか? だからセレナが嫌だったのでは!?」


「……今思うと、婚約者のいる男性に言い寄るという非常識な行動に怒りを覚えはいましたし、そんな彼女を許すデリック様にも同様の感情を抱いてはおりましたが……。二人が仲睦まじくしている姿を見てもなんとも……」


「なんとも……って」


 つまり二人があまりにも非常識だったから怒りをあらわにしただけで、冷静になって考えてみればそれ以外に二人に突っかかる理由はないと……。

 それってかなり不味くないか? とルナは顔を青くする。

 だって本来のストーリーなら、クリスタはデリックを愛するがあまりセレナに嫌がらせをして、それが原因で卒業式の日に断罪されるのだ。

 このままではストーリー通りにいかなくなってしまう。

 それってとてもまずくないだろうか?


「え、で、でもお二人は将来結婚するんですよね? なら……」


「結婚……するのでしょうか?」


「いやするんですよね!? だって婚約なさってますし!」


「……婚約…………。デリック様がマクベス令嬢をお好きなら、わたくしは身を引いた方がいいのでしょうね…………。ええ、そうね。そうですわね!」


 なにかを思いついたように手を叩いたセレナは、そのまま何度も頷いた。

 まるで憑き物が落ちたかのようにすっきりとした顔で、彼女はルナへと体を向ける。


「ありがとう、メルーナ伯爵令嬢。あなたのおかげで自分のことがわかった気がするわ! またお話に来てもいいかしら?」


「え? ええ、まあ……。私は放課後だいたいここにいるので」


「じゃあまたここにきますわ。本当にありがとう。あなたのおかげで、わたくしの人生が変わる気がします」


 にこにこと微笑んだクリスタは嬉しそうにこの場を後にした。

 その足取りは軽やかで、彼女の中でなにか重いものから解き放たれたのだろう。

 それはよかった。

 よかったのだが……。


「……だ、大丈夫なのか?」


 この世界にある絶対的な物語。

 そこから外れてしまう気がして、ルナは一人青ざめたのだった。






「やあ、今日もセレナはかわいいね。え? アッシュ・ルーベル子爵なら修練場にいたよ」


 今日も今日とて同じセリフ。

 楽しそうに去っていくセレナの後ろ姿を確認した後、ルナはいつものように中庭を眺める。

 どうせこれしか役目がないのなら、これで解放してくれたらいいのに。

 展開によっては一日に二度三度とやってくるセレナのため、ここで待ち続けなくてはならないのだ。

 まあ日に当たってぼーっとするのは嫌いじゃないのでいいかと、大きくため息をついた。


「……今日はアッシュか」


 どうやらセレナは順調に攻略キャラと仲を深めているようだ。

 一人と仲を深めているような様子もないため、みんなと仲良くする大団円か、はたまた修羅場逆ハーレムルートのどちらかを狙っているのだろうか?

 どちらにしても卒業式後のパーティーで、断罪イベントを見たらそれで終わりだ。

 早くこの退屈な日々から解放されたいと思っていると、またしても招かれざる客がやってきた。


「やあ、ルナ。元気かい?」


「――これは。デリック王太子殿下にご挨拶申し上げます」


「やめてくれ。そんなふうにかしこまる必要はないさ」


 やってきたのはまさかの相手。

 ルナたちが暮らすこの王国の次期国王。

 王太子であるデリックだ。

 彼はルナの隣にやってくると、窓に手を置き頬を撫でる風を楽しむ。


「君がそうやってかしこまるから、なんだか簡単に会いに来てはいけないように思えたんだ」


「……実際そうですよ。私はただの伯爵令嬢。殿下の友人としては不釣り合いです」


「……幼馴染でも?」


「父が国王陛下より恩恵を賜っているだけで、私が殿下と親しくする理由にはなりません。……それに、十を過ぎる頃にはお会いする機会もなかったではないですか」


「それは……っ、」


 そう、デリックが十歳になる頃、クリスタとの婚約が発表された。

 父であるメルーナ伯爵は、ルナとデリックが変な噂の的になることを危惧し会うことを禁止したのだ。

 だからこの学園にやってくるまで、その後会うこともなかった。

 学園で再会しても相手は王太子。

 そばには婚約者である侯爵令嬢や地位の高い子息たちがいて、近づくこともできなかった。

 いや、近づこうともしなかったのだ。

 だって彼は、攻略対象だから。


「……クリスタと話したんだろう? 彼女の口から君の名前を聞いて…………ずるいなって思ってさ。私だってずっと……君と話したかった」


 どうしてクリスタといいデリックといい、こんなモブ的存在を気にするのだろうか?

 そもそもだ。

 そもそもモブであるルナに、王太子と幼なじみなんて盛大なバックボーンをつける必要なかったのではないか?

 謎だ、と思いつつもルナははぁ、とため息をついた。


「クリスタ令嬢は本当にたまたまですよ。それより……彼女とのこと、真剣に考えたほうがいいですよ。……お節介なのは重々承知しているので、無視していただいても構いませんので……」


「無視なんてしないよ。君と一緒にいれるのなら、耳の痛い話でも受け入れる」


「……そう、ですか」


 なんだか調子が狂う。

 彼はなぜここまでルナに注目するのだろうか?

 まあ幼馴染でありながら、過去予期せぬ形で決別した友と話せる機会があるのなら、こうなってもおかしくないかと納得することにした。


「なら、参考までに。クリスタ令嬢と結婚する気があるのなら、よそに目を向けるべきではないですし、他の人を想うのなら、クリスタ令嬢とは話をつけるべきです。……難しいのは理解してますが、このままでは誰も幸せになれないかと」


 ああ、本当に余計なことを言っているなと、口にしつつも後悔する。

 ここでルナがなにを言っても物語は変わらないはずなのに、お節介の極みだ。

 彼は間違いなくセレナを選ぶ。

 そしてクリスタを断罪し、幸せな未来を掴むはずなのに。

 少しでも関わってしまったクリスタが、むやみやたらに傷つくところは見たくない。

 モブがなにしてるんだと軽く頭を振ると、デリックはそんなルナを見てからそっと顔を伏せた。


「……他の人を想うなら、か。…………確かにその通りだ。私は、ずっと…………」


「………………殿下?」


 なんだろうか?

 なにかを言おうとしていたのに、言葉を止めた感じだ。

 ここにはルナとデリックの二人しかいないのだから、なんだって言ってくれて構わないというのに。

 大丈夫だろうかとデリックを見ていると、彼は勢いよく顔を上げた。


「――っ、そうだ。君の言うとおりだ! なんとかしなきゃ……。ありがとう、覚悟が決まったよ」


「そ、そうですか」


 やはり余計なことをしてしまっただろうかとひっそり慌てていると、そんなルナをデリックはじっと見つめてきた。


「……もし、もしさ。ルナが私と同じ立場だったら……どうする?」


「殿下と同じ立場、ですか?」


「うん……。婚約者がいるのに、他の人のことを好きになったら……君ならどうする?」


 ということはやはり、デリックはセレナのことが好きなのだろう。

 一体セレナは何人の男を落としているのだろうかと頭の片隅で考えつつも、彼からの問いに答えるため束の間思考を恋愛方向に向けた。


「…………まあ、私なら婚約者には頭を下げてでも破棄しますかね? だってそうでもしないと婚約者にも想い人にも誠実じゃないでしょ? 私自身誠実じゃない人って苦手なので」


「――そ、うか…………」


 なんだか傷ついたような顔をしたデリックは数秒ののち、深く息を吸い込みゆっくりと吐き出した。


「わかった。ちゃんとするよ。……君に嫌われたくはないからね」


 デリックはそれだけいうと踵を返し、廊下を後にした。

 なにやら吹っ切れたような背中を見つつ、ルナはゆっくりと首を傾げる。


「いや、私は関係ないんじゃ……?」




 


「やあ、今日もセレナはかわいいね。え? レオナルド・ガーヴェル男爵なら庭園にいたよ」


 そろそろ慣れすぎてこのセリフもなんとも思わなくなってきたな、なんて考えながら今日もまた青々とした空を眺める。

 今日はレオか。

 前回のアッシュとは一体どうなったのだろうか?

 やはりこのまま大団円ルートに行くのだろうかと考えていると、またしても予期せぬ来客が訪れた。


「こんなところにいたのか」


「――アッシュ」


 そう、そこにいたのはついさっきまで頭に思い浮かべていた相手。

 攻略対象者であるアッシュ・ルーベルだ。

 彼は不機嫌な顔を隠しもせず、近づいてきた。


「お前、なぜ訓練場に顔を出さない。俺をバカにしているのか?」


「そんなわけないだろう? そもそも私はただの令嬢だぞ? そんなところに行けるわけがないだろう」


「――やはり俺をバカにしているんだなっ。お前に負けた俺を!」


 熱を帯びてきた彼の様子に、ルナはたまらずため息をついた。

 この学園にきてからというもの時折こうして絡まれているのだが、面倒なことこの上ない。

 そもそも彼が負けたのだって、もう五年以上前の話だ。

 そんなことを根に持ってもらっては困ると、彼の目の前に手のひらを突き出してやった。


「見てみろ。まめも薄く痕が残っているくらいで、この数年木剣すらまともに握っていない手だ。筋力だって落ちた。今では棒切れもまともに振れないさ」


 子どものころのルナは、騎士になりたかった。

 父に連れられ王宮に行っていたとき、王族を警護する騎士のかっこよさに憧れたのだ。

 凛と立ち常に目を光らせ、大切な誰かを守ろうとするその姿が今でもこの目に焼き付いている。

 だから剣を握った。

 いつか彼らのようになれると信じて。

 ――でも現実は残酷で。

 どれほど剣の才能があろうとも、この身が女であるだけで未来はない。

 何人もの男を倒したけれど、それは幼い頃の話。

 十をすぎる頃には身長も体格もどんどん突き放されて、気がついたときにはもう遅かった。

 父からもいい加減淑女としての自覚を持てとこの学園に送られたのだ。

 ここでは女性が剣を振るうことは許されないから。

 でもいい機会だった。

 これで諦められると思ったのだ。

 けれどどこかでその夢はまだ残っていて……。

 だから髪も伸ばすことができないのだと、短い髪とともにうなじをそっと撫でた。

 アッシュとはその時からの仲で、ときおり共に訓練をしていたのだ。

 もちろんルナの全勝。

 当時の彼は悔しそうに尻もちをつき、ルナを恨めしそうに睨みつけてきていた。

 まああのまま勝ち逃げのようになってしまったので、彼の不完全燃焼は納得できるが、だからといってもう相手をすることもできない。

 諦めてくれと伝えようと手のひらを見せたのだが、その手を瞳に写した彼の顔は今にも泣き出しそうだった。


「――……お前は、それでいいのか? 夢だったんじゃないのか? ……俺は、お前と一緒に…………っ」


「…………夢は夢だ。私は令嬢として、いつか誰かに嫁ぐことになるだろう。家のためにも、そうするより他にない」


 もう完全に諦められたのだ。

 だからほっといてくれとそう伝えれば、アッシュの瞳が大きく見開かれた。


「…………嫁ぐ? お前が?」


「言っただろう? 私だって令嬢だ。そりゃ髪も短いし背も高い。この学園でも男のように扱われているが……。父から髪を伸ばすよう言われた。あと数年もしたら多少見れるようになるから、その時にでも――」


 もう一度髪に触れようとしたその手を突然アッシュが掴む。

 急に触れられたことに驚き慌てて振り払おうとするが、力が強く彼の腕はびくともしなかった。


「いるのか、結婚相手」


「はぁ!? 今の話聞いてたかい? 後数年したらって……」


「婚約者は!?」


「――い、いないよ。私のような男みたいな女の婚約者になってくれる人なんていないさ。だから髪を伸ばせって父が……」


「必要ない」


「君が決めることじゃないだろ」


 なんなんだこの男は。

 なぜルナの結婚事情に首を突っ込んでくるのか、まったくもって理解できない。

 もう一度勢いよく腕を振り払えば、今度こそ思ったよりも簡単に解けた。


「じゃあ君は、私が行き遅れればいいと言うんだね? なんてひどいやつなんだ」


 そんなに憎いか、と唇を尖らせつつ顔を背ければ、アッシュはルナの腕を掴んでいた方の手のひらをじっと見つめていた。

 人の話を聞いているのか? と怒りに拳を握りしめていると、アッシュの瞳がゆっくりとルナを写す。


「…………女、なんだな」


「…………………………は?」


 なんだその発言は。

 確かに女に見えないかもしれない。

 学園でも女子に人気があるけれど、だからって今この発言はどういう意味なのだ。

 やはりこの男は殴っても怒られないのでは? と拳を振り上げたその時。

 アッシュはただまっすぐ、ルナを真剣な眼差しで見つめてきた。


「髪を伸ばすのはやめろ。そんな無駄なことをするな」


「ねぇ。これやっぱり殴っても怒られないよね?」


 失礼すぎる。

 なにもルナだって好き好んでやるわけではないのに、なんでそんなことを言われなくてはならないのか。

 もういい。

 あとで父からお叱りの手紙がこようが知ったことか。

 もう一度腕を振り上げたが遅く、その頃にはアッシュは踵を返していた。


「俺は髪の長い女は好かん」


「………………はぁ?」


 それだけ言うとアッシュはその場を後にした。

 一体彼の言動にはどんな意味があったのか、全くもってわからない。

 なんなのだあの男はと、その場には怒りに震え拳を握りしめるルナだけが残された。


「…………髪の短い女がこの国のどこにいるっていうんだ」





 


「やあ、今日もセレナはかわいいね。え? デリック殿下なら教室にいたよ」


 どうやら一周したらしい。

 今のところ誰か一人と親しくしている、という噂を聞いていないため、やはり大団円ルートにいくのだろうかといつも通り空を見ながら思う。

 なんだかよくわかっていないうちに物語に変に干渉していないといいのだが……。

 まあヒロインであり主人公であるセレナが上手いことやるだろうと、楽観的に考えることにした。

 さて今日も暇な放課後を過ごそうと、頬を撫でる風を楽しんでいると横から声がかけられた。


「姉様! こんなところにいらっしゃったんですね!」


「レオ。久しぶりだね」


 やってきたのはレオナルド・ガーヴェル男爵。

 ルナの遠縁にあたる一つ年下の男の子であり、攻略対象の一人だ。

 彼はルナに懐いてくれているようで同じ学園にやってきてから、時折こうして会いに来てくれる。

 そんな彼がセレナとどうなっているのか気になるところではあるが、あまり根掘り葉掘り他人が聞くべきではないのだろうなと、にこにこ笑う彼の顔を見ながら思う。


「今日はどうしたんだい?」


「……最近、姉様の周りをうろちょろしてるやつがいるって聞いて心配で……」


 うろちょろ?

 どういうことだろうかと眉を顰めると、同じように難しい顔をしたレオがむっつりと口を開いた。


「王太子殿下に、ルーベル子爵。それにマクラーレン侯爵令嬢まで! 姉様に近づいたとお聞きしました! ……僕ですら、あまり姉様のおそばにいられないというのに……」


 小さいころから怖がりで、騎士を目指していたルナをいつだってキラキラした目で見ていたレオ。

 しかし彼もまた攻略対象だ。

 そんなレオがルナにべったりとしていては、セレナと上手くいくものもいかなくなってしまう。

 だからこそ距離を置こうと伝えていたのだが、どうやらそれが裏目に出てしまったらしい。

 学園で遠巻きに見るレオとは打って変わり、昔から変わらない幼い子供のように唇を尖らせている。


「別にうろちょろなんてしてないよ。少し話をしたくらいさ。……ちょっとびっくりしたけど」


 ただのモブであるはずの自分と、物語の核になる彼らが今まで以上に接点を持つなんて思ってもいなかった。

 あまり下手に関係値を持ってしまうのはよくないなと思いつつも、ここから離れられない身ゆえいたし方ないかとも思う。


「だから別にレオが気にするようなことはなにもないさ」


「………………でも」


「それよりレオ……あの……さ、実はちょっとだけ、気になることがあって…………聞いても、いいかい?」


「気になること? ええ、姉様からのお話なら喜んでお答えしますけれど」


 本当はこの話をすることがよくないことなのは理解している。

 けれどどうしても気になるのだ。

 ――セレナとの関係が!

 誰と今恋人同士になっているのか。

 はたまたいい雰囲気なのか。

 レオはセレナにもう恋をしているのか。

 どうしても、気になるのだ!


「あの……さ、あの。レオは、そのっ、セレナとはどんな関係なのかな……?」


「セレナさん、ですか?」


「そう! 可愛いセレナとは、どうなんだい? この間セレナがレオを探してたから」


「ああ、なるほど!」


 最初は怪訝そうな顔をしていたけれど、ルナの言葉を聞いてすぐに納得したように頷いたレオは、しかしどこか浮かない顔をしていた。


「どう……と言われましても…………。セレナさんとは確かにお話はしますがそれくらいで……」


「――え?」


 どういうことだろうか?

 まさかセレナはレオを対象としていないのだろうか?

 なら狙いは大団円ではなく個人ルート?

 それなら相手は誰だろうか……と顎に手を当て考えていると、そんなルナを見てレオはまたしても唇を尖らせた。


「せっかく姉様と久しぶりに会えたのに……セレナさんが気になるんですね」


「え? いや、セレナが気になるのもあるけど、レオも最近どうしてるのか気にしてたんだよ」


「…………僕も?」


「もちろん。セレナも大切だけれど、レオも私にとっては大切な人だ。だから気になっただけだよ。気を悪くしたのならごめんね」


「そ、そんなっ、僕の方こそすいません! 変なこと言って……」


 ぶんぶんと首と手を振ったレオは、なにやら表情もどこか明るくなったように感じられた。

 機嫌がよくなったらしく、口端をあげ嬉しそうにしている。


「さっきも言いましたが、セレナさんとはお話を軽くするくらいで、姉様が気にされるような関係ではありません」


「……そうなんだ」


 ではやはり、レオ以外のどちらかとの個人ルートに向かうつもりなのだろうか?

 それともまだレオの好感度が低いだけ……?

 どちらにしてもレオとセレナの仲はまだ深まっていないようだ。

 果たして今後どうなっていくのかと考えていると、学園の終わりを伝える鐘の音が鳴り響いた。


「おや、早く寮に帰らないと。せっかくだからレオ、一緒に帰ろうか」


「――い、いいんですか!? やった! 姉様行きましょう!」


 レオの手が手首に触れ引っ張られる。

 その時になってはじめて気がついたけれど、彼の手は大きく温かかった。

 あんなに小さくて、子どもの頃はルナのほうが泣いている彼を連れ回していたというのに。

 彼の成長を感じることに喜びを感じるとともに、少しだけ物悲しさも感じてしまう。

 きっともう少ししたら、この場所に立つのは自分ではない。

 それこそセレナか、はたまた別の人か。

 どちらにしろ、モブの自分には無関係なのだろう。


「……レオ、大きくなったね」


「なんですか急に。あたりまえですよ! 僕は姉様を守るためにいるんですから!」





 


「やあ、今日もセレナはかわいいね。え? アッシュ・ルーベル子爵なら馬小屋にいたよ」


 やはり本命はアッシュなのかと、今日も走って去っていくセレナの背中を見ながら思う。

 まあデリカシーというものを母親のお腹に忘れたような男ではあるが、惚れた女なら絶対に守り抜く気概はあるはずなので、なんだかんだオススメな人ではある。

 まあそれはデリックもレオも変わらないのだが。

 みないい人なので幸せになってほしいとは思いながらも、最終的に結ばれるのは一人なんだよなと世界の厳しさに打ちひしがれる。

 セレナはいい子だ。

 かわいいし優しい。

 そんな子を好きになる気持ちはわかるけれど、彼らのうち最低でも二人はフラれるわけで……。

 想像しただけで悲しくなったので即座に考えることをやめた。

 自分はしょせんモブだ。

 これ以上関わるのはやめようと決め頷いていると、またしても来客が訪れた。


「ごきげんよう、メルーナ伯爵令嬢。お元気かしら?」


「――これは、クリスタ侯爵令嬢。ごきげんよう。ありがとうございます、元気ですよ」


 まさかまたここで会うことになろうとは。

 このゲームの悪役であるはずのデリック王太子の婚約者、クリスタ・マクラーレンが美しい髪をなびかせやってくる。

 彼女は慣れたように隣に立つと、外を見るルナとは反対を向きながら背中を窓枠へと預けた。


「あなたに話したいことがあったのだけれど……あなたって人気者なのですね? 昨日も一昨日も殿方といらっしゃったでしょう?」


「昨日も一昨日も会いに来てくださったんですか? ありがとうございます。そしてご足労をおかけしたようで申し訳ない。気にせず声をかけてくださったらよかったのに」


「…………そこまで無粋ではありませんわ」


 実際別に声をかけてくれて大丈夫だったのだが、はたから見たら大切な話をしているように映っていたのだろうか?

 気をつけなくてはと思っていると、クリスタがちらちらとルナのことを見てきた。

 彼女は視線をあちこちへと向けたあと、今度は己の手元を見つつ口を開く。


「とはいえ話したいことは確かにありますので、隙を見て話しかけさせていただきますわ。……恋人、というわけではないのでしょう?」


「え? もちろん。昔からの知り合いと従兄弟ですよ。残念ながら恋人はいません」


 肩をすくめつつ答えればクリスタは不思議そうに小首をかしげた。


「婚約者もいらっしゃらないの?」


「いません。私のような者を婚約者にしたいなんて変わり者、そうそういないですよ」


 婚約者を探すにしても、まずは髪が伸びないと話にならない。

 ほぼ無意識に伸びた手が襟足を撫でる。

 それを横目で見ていたクリスタが、なぜか不服そうに腕を組む。


「あなたのそれは個性でしょう。だいたい女性は髪を伸ばさなきゃいけないなんて法律はありませんわ。そんなあなたもまるっと受け入れる殿方を見つけるべきです。わざわざ埋もれる必要はございませんわ」


 なぜか怒ったように言うクリスタは、鼻をふんふんと鳴らしている。

 いつも人々の手本となるように完璧な笑みを浮かべていた令嬢と一緒とは思えない様子に、ルナは思わず笑ってしまう。

 まさか彼女のそんな姿が見れるなんて嬉しくて、ルナはくすくすと笑いながらも少しだけ顔を斜めにし、クリスタを見つめる。


「あなたは優しいですね。じゃあもし、そんな男性が現れなかったら、あなたが名乗り出てくださいますか?」


「――…………は、はあ!? な、なにを言っていますの!? わ、わたくしは、べ、べつにそんなっ!」


 顔を真っ赤にして慌てるクリスタの様子が可愛らしくて、ルナはもっと笑ってしまう。

 あたふたしているクリスタをもっと見ていたいと思うけれど、流石にこれ以上はかわいそうだと口を開いた。


「冗談ですよ。クリスタ嬢は未来の王太子妃なのですから」


「――…………どうかしら。最近はいろいろ考えるの。本当にこのままでいいのかしら、って」


「…………」


 上手くいっていないのか、とデリックのことを思い浮かべる。

 彼はクリスタとの婚約を解消しようとしているようだが、そのことについて彼女はどう思うのか。

 できるなら傷ついては欲しくないのだが、難しいよなと目を細めた。


「……クリスタ嬢は、デリック殿下のこと」


「以前も言いましたけれど、最近ちゃんと考えて気がつきましたの。デリック様のこと友人としての気持ちはありますがそこに愛や恋はない気がします。……ですので、デリック様がマクベス男爵令嬢を好きならば、わたくしは大人しく身を引きますわ」


「…………そうですか」


 どうやらルナの心配は無意味だったらしい。

 どことなくスッキリしたような表情をするクリスタを、ルナもまた似たような顔で見つめた。


「クリスタ嬢は見た目も中身もお美しい。あなたのような人に愛される人はきっと幸せでしょうね」


「……そう、思いますか?」


「ええ。けれど相手だけを幸せにするのはダメですよ。二人で……あなたも幸せになるべきです。まあクリスタ嬢は神に愛されているので、きっと幸せになれますよ」


 悪役令嬢なんてとんでもない運命を押し付けられたのだから、その後の人生くらいは幸せにしてもらわないと困る。

 この世界に神がいるのならどうか、彼女の今後は幸せにしてほしい……と願った時にあれ? と思う。

 これってもしかして、クリスタとデリックは卒業式パーティーでは婚約破棄をしない可能性がでてきていないか?

 つまり断罪イベントは起きないわけで……。


「あなたって本当に面白い人ですわね。そんなふうに言われるなんて、なんだかとってもむず痒いですわ。……でも、ありがとうございます」


 そうと決まれば有言実行、と両手を強く握って頷くクリスタをルナは呆然と見つめた。

 もしかしてこれ、かなりまずいのでは……?





 


「こんにちは、ルナ」


「やあ、今日もセレナはかわいいね。…………え?」


 いつも通りの日常。

 毎日の繰り返し。

 そう思って口を開いたのだが、なんとも言えない違和感に思わず声を上げていた。

 そう、いつもと同じ繰り返しなはずなのに、それはいつもとは違うものになっていた。

 セレナはいつもここにきてこう言う。


「こんにちは、ルナ。デリック様がどこにいるか知らない?」


 と。

 それにルナは応える。


「やあ、今日もセレナはかわいいね。え? デリック王太子殿下になら音楽室にいたよ」


 と。

 なのに今の彼女は誰かの居場所を問うことはしなかった。

 つまり彼女がここに来たのは攻略対象に会うためじゃない。

 ルナに会うために、やってきたのだ――。


「……セ、レナ? 今日は、誰に会いに行くつもりだい?」


「あら、今日はルナに会いにきたのよ?」


「…………そっか。嬉しいな! 君が私に会いにきてくれるなんて、こんなに光栄なことはないよ!」


 にこにこしながらも、内心はとても焦っている。

 背中に嫌な汗が流れているほどだ。

 だってこんなこと、本来ならありえない。

 セレナがルナの元を訪ねるとき、それは攻略対象を探しているときだけだ。

 だというのにセレナはなんてことないようにルナに近づくと、他の人と同じように隣に立った。


「ふふ。ルナはいつだって私が嬉しくなることを言ってくれるのね」


「もちろん。可愛いセレナが喜んでくれることが私の喜びだからね」


「そうよね。ルナってそういう人よね」


 ふわりと花綻ぶように微笑むセレナは、本当に美しくそして愛らしい。

 胸の奥をぎゅっと掴むような、そんな魅力的な微笑みにルナはやはり彼女が主人公であることを改めて認識した。

 誰からも愛される優しく尊い女性。

 セレナ・マクベス。


「ならなんで私のものに色目使うのよ」


 その偶像は、脆くも崩れ去った。


「…………え?」


「あなたはモブ。私の友人で攻略対象の場所を言うだけの存在。それをちゃんと理解してるのかしら?」


 優しい笑みは消え失せて、ルナを見上げる目元はひどく冷たい。

 憎い相手を睨むように見られて、たまらず上半身を少しだけ後ろに反らした。


「――してないわよね? してたらあんなことしないものね? あなたが邪魔をするから、攻略が全然上手くいかないじゃない」


 とんっと胸に彼女の小さくて可愛らしい桜色の爪が刺さる。


「いい? あなたは私を案内するだけのモブなの。余計なことしてしゃしゃり出てこないでよ」


「……セレナ、私は――」


「モブはモブらしくしてて。主役は私よ」


 セレナはそれだけいうと踵を返し去っていく。

 甘くも爽やかな花の香りだけを残して。

 そんなセレナの後ろ姿を、ルナは震える瞳でじっと見つめた。

 まさかこんなことになるなんて。

 頭が痛い。

 上手く思考が回らない。

 セレナに説明しなくてはと焦る気持ちとは裏腹に、先ほどから体がうまく動いてくれないのだ。

 ツキツキと痛む頭を抑えつつも、ルナはうるさく騒ぐ心臓を抑えるため、深く息を吸い込む。

 セレナの甘い、香水の香りと共に。




 


 あれからセレナは、あの日のことなんてなかったかのようにルナの元を訪れた。


「こんにちは、ルナ。レオナルドがどこにいるか知らない?」


「やあ、今日もセレナはかわいいね。え? レオナルド・ガーヴェル男爵なら音楽室にいたよ」


「ありがと!」


 嬉しそうに去っていくセレナの後ろ姿を、仮面のような笑顔で見送る。

 大丈夫。

 だい丈夫。

 だいじょうぶ。

 いつも通りの日常を。

 今までと変わらぬ日々を。

 ただ淡々と、そう、淡々とこなせばいい。


「…………ルナ? 大丈夫かい? 顔色が……」


 大丈夫。


「お前……なんて顔してんだ…………」


 大丈夫。


「姉様……? どうしたんですか? 何かあったんですか……?」


 大丈夫。


「なんでもないよ! 大丈夫さ」


 そう、大丈夫。

 なんてことはない。

 別になにかされたわけじゃない。

 ただ少し、釘を刺されただけだ。

 己の責務を全うせよと。

 そう、言われただけだ。

 本当にその通りだと思う。

 ルナはただセレナと攻略対象を繋ぐ役目。

 それを、こなせばいいだけの存在だ。


「な……んて、顔してますの!?」


「――…………クリスタ嬢?」


「あなたっ、一旦座りなさい! そこ! ほら!」


「へ? え、あ、はい……」


 なんだろうか?

 というかいつのまにクリスタが隣に来たのだろう。

 全然気が付かなかった。

 これは思ったよりもダメージを受けているのだなと、クリスタに支えられながら座り込む。


「なにがありましたの? そんな、この世の終わりみたいな顔をして……」


「……そんなひどい顔してました?」


「とっても!」


 なぜか怒っている様子のクリスタは、ルナの隣に腰を下ろすとむっと唇をへの字に曲げた。


「なぜそんな顔をしてますの? 説明願いますわ」


「ええ……っと」


 流石にあんな話はできないなと、思わず言い淀んでしまう。

 セレナの言い方的にも、やはりルナがイレギュラーすぎるのだ。

 これ以上動いて物語を変えてしまっては、自分もどうなるかわからない。

 黙り込むルナを見て、クリスタは眉間に皺を寄せた。


「……話したくないのでしたらかまいませんわ。ですがあなたを心配する者がいること、忘れないでほしいですわ。……デリック様がわざわざわたくしに話かけてきましたのよ。あなたが心配だと」


「……そういえば、会ったような気がするな」


「会っていたんです。それなのに気がついていないなんて……。どうせあなたは大丈夫かと聞いても、大丈夫と答えるのでしょう?」


 ならそんなふうに聞いても無駄だとため息をつくクリスタに、瞳を何度も瞬かせた。

 確かに覚えている。

 デリック、アッシュ、レオ。

 彼らが会いにきてくれて、とても心配していたことを。

 そのたびにルナは心配かけまいと『大丈夫』と彼らに伝えていて……。


「――」


「見るからに大丈夫ではないのに大丈夫と答えられると、それ以上なにも聞けなくなってしまいますから言いませんわ。大丈夫でないことくらい顔を見れば一目瞭然ですもの」


 クリスタとの縁はおかしなもので、本来ならある意味敵に近い立場であったはずなのだ。

 ルナは主人公セレナの友達で、クリスタはそんなセレナをいじめ最後には自滅する悪役。

 関わったのだってほんの数日。

 片手の指で数える程度なのに。


「…………あははっ! まさか君の口からそんな言葉が聞けるとは思わなかったよ」


「…………な、なんですの?」


 腹を抱えて笑い出したルナに、クリスタはおかしなものを見るような目を向けてくる。

 だがそんなもの気にならないくらい気分がよかったのだ。

 だって嬉しいじゃないか。

 こんな数日。

 それも放課後のこのひととき。

 ルナにとっては毎日の繰り返しの中で起こったイレギュラー。

 そこで得た、自分自身をただまっすぐ見てくれる人。

 こんな人がいたんだと、ルナは笑う。

 腹を抱え膝を叩き、乱れた髪をさっとかき上げた。


「ありがとう。クリスタが私を見てくれているのがよくわかったよ。こんなに嬉しいことはない。君は私にとって、救いの女神かなにかなのかな?」


「…………なにを言いたいのか全く持って理解できませんが、本調子になったことだけはわかりましたわ」


 ほら。

 たったこれだけの会話でクリスタはルナが元気になったことを理解してくれた。

 すぐにいつも通りの対応に戻るところも、ルナにとってはとても好印象だ。

 素晴らしい友人を持てたと、ルナは肩から力を抜いた。


「……少し、嫌なことがあっただけだよ。でももう大丈夫。クリスタのおかげで元気になった。ありがとう」


「――べ、別になにもしてませんわ。わたくしはただ……、というかあなた、わたくしのこと」


「大切な人のことは名前で呼びたいんだ。無礼にあたるかな? それなら控えるけれど……」


「…………たいせつ、…………っ、そ、そういうことでしたら、許して差し上げますわ。ただし、わたくしも、……る、ルナと、呼びますわ!」


「もちろん、喜んで」


 この嬉しいやりとりをしつつも、なんだか疲れたなと後頭部を壁につけた。

 どうもあのセレナとのやりとりのあとから気持ち的に余裕がなくて、うまく笑えていなかった気がする。

 あとでデリックたちにも謝っておかないと、と思っていると隣に座っていたクリスタがルナの顔を覗き込んできた。


「…………本当にもう大丈夫そうですわね。ですが無理をしてはダメですわよ? あなたを心配する人、案外多いんですから。なにかありましたら必ず相談してください。…………わたくしじゃなくても……まあ、いいですから」


 そう言いながらも唇を尖らせるあたり、クリスタの素直じゃないところがよくわかる。

 くすりと鼻を鳴らしたルナは、クリスタの美しく長い髪にほんの少しだけ触れた。


「必ず。クリスタに相談しますね」


「――…………そう。そうしたいのならそうなさい」


 ぷいっと顔を背けたクリスタの垣間見える耳が赤くなっていて、やはり素直じゃないなと思ったのは内緒だ。

 彼女と一緒にいるのは居心地がいい。

 放課後の少し騒がしい学生たちの声と、優しく頬を撫でる風。

 その全てが気持ちよくてそっと目を閉じた時だ。

 クリスタが意を決したように口を開いた。


「……このようなタイミングで言うのはどうかと思うのですが、あなたには報告しておかなくてはと思いましたので、お伝えしますわ。――わたくしとデリック様の婚約、無事に破棄できそうですわ」


「――、」


 ひゅっと喉が鳴ったのは不可抗力だった。

 だってまさかこんなところでそんな話を聞くことになるなんて思わないじゃないか。

 目を見開きつつクリスタを見れば、彼女はどこか晴れやかな顔をしていた。


「喜んでくださいね。わたくしもデリック様も望んでいたことなのですから」


「…………いいんだね? 本当に」


 詳しくは知らないけれど、きっと大変だったことだろう。

 婚約は家同士のこと。

 さらには王太子の婚約者を辞めるなんて、下手をしたら信用が落ち家が潰れてもおかしくはない。

 クリスタもわかっているのだろう。

 ルナの問いに深く頷いた。


「実は元々秘密裏に進めてました兄と王女殿下の婚姻がうまくいきそうなんです。だから家的にはそこまでのダメージはないみたいです」


「……侯爵家はすごい野心モリモリなんだね」


「父がそうなんです。わたくしも兄もあまり興味はないんですが……。ですのでかなり叱られましたけれど、結果はかなりいい方ですわ。なぜならデリック様はわたくしに負い目を感じておりますので!」


 胸を張りつつクリスタは大きく鼻を鳴らしながら深く頷いた。


「今後なにかあったら手助けしていただくことになっておりますの! 未来の国王の手助けなんて、最高の切り札ですわ!」


「それはそう」


 そんな強い切り札他にないだろう。

 なるほどさすがは野心高い侯爵家の娘だ。

 素晴らしい手際に素直に拍手を送った。


「すごいなぁ。クリスタとならたとえ辺境の地でも生きてけそうだ」


「なんですそれ。人のことを図太い人間だとおっしゃっていますの?」


「いやいや。クリスタとなら楽しそうだなって」


「…………自慢ではありませんが虫などは大丈夫ですので、案外やっていけるかもしれませんわ」


「それは心強い」


 ふと考える。

 家、結婚、この世の理。

 そんな面倒なことを全て手放して、いっそ辺境の地で隠居生活でもできたらいいのに。

 野菜とか育ててのんびりと。

 そんな幸せな未来が待っていたら……。


「クリスタも自由になるなら、一緒に田舎で隠居生活でもする?」


「なんです急に。今は自由でもすぐに雁字搦めになりますわ。……我々にそんな自由なんて」


「なれたら、の話だよ」


 そう、なれたらいいなの夢物語。

 結局最後にはゲームのシナリオ通りになってしまうかもしれない。

 だからこれはただのありえないお話。


「一緒に来てくれる……? 自由気ままな隠居生活!」


「…………そういえば言ってましたわね。お相手が現れなかったら自分をもらってくれって」


「そういえば言ったね」


 髪の短い自分をもらってくれる人なんてそうそういないだろうと、冗談まじりに言ったのだが覚えていたらしい。

 クリスタは呆れたようにため息をつきつつも、どことなく楽しそうに口端を上げた。


「ならもらって差し上げますわ。あなたを連れて侯爵家の別邸で余生を過ごすのもいいかもしれませんわね」


「……それは最高だね! いつかそれが、叶うといいなぁ」


 きっとそれは、ただの夢に終わるだろうけれど。




 


 一つ心に決めたことがある。

 それは『自分をもう少しだけ大切にする』ということだ。

 言葉にするとひどく簡単で、誰にだってできることだと思うかもしれない。

 けれどそれが想像よりも、ずっと難しいことだと気がついた。

 特にルナは、自分がこの世界でのモブであると知っているから。

 ただの案内人で、セレナがうまくいくように動く円滑剤。

 そんな存在が自分を大切にしようなんて、少し前までは想像もできなかった。

 ただいくつかの思い出が、ルナに勇気を与えてくれたのだ。


『よかった。いつものルナに戻ったんだね。君の笑顔が見れて、私はとても嬉しいよ』


『二度とあんなツラするんじゃねぇぞ。……俺が二度とさせねぇ』


『姉様……。悔しいな。姉様に笑顔を戻すのは、僕でありたかったのに』


 


『わたくしのものになるのですから、それくらい堂々となさいませ』


 

 心は決まった。

 緊張はしているけれど、でもどこか晴れやかな気持ちもある。

 毎日同じ景色、同じ人、同じ言葉で。


「こんにちは、ルナ。デリック様がどこにいるか知らない?」


「やあ、今日もセレナはかわいいね。でもごめん。これからは自分で探してくれるかい?」


「――…………いま、なんて?」


 大きく見開かれた瞳に射抜かれながらも、ルナは自信に満ちた笑みを浮かべる。

 大丈夫。

 もう、大丈夫だ。


「明日から私はここにはこないよ。だから、君が自分で見つけるんだ。運命の相手を、ね」


「……どうなってるの? あなたはただのモブで、私を助ける――」


「私はルナ・メルーナ。モブじゃない」


「………………」


 思えばおかしいところばかりだった。

 セレナの言うとおりルナがただのモブであるのなら、なぜルナの過去に攻略対象との接点をもたせたのか。

 なぜ自分は、ここがゲームであるという知識を持っているのか。

 そして――。


「……後悔するわよ。物語を変えたら、なにが起こるかわからないもの」


「そもそも変だと思わないかい? なぜ君はそのことを知っている? 本来の主人公なら、ルナがただのモブだなんて知らないはずだ」


「それは私が、」


「そう。君と私は、たぶん同じところから来たんだ」


 ただ与えられた知識だと思っていた。

 あの場所でセレナのために行動するために必要だったから。

 でもそれだとおかしいのだ。

 明らかにルナに必要のない、パーティーでの断罪イベントの知識があるなんて。

 ルナは軽く首をかしげつつも、不思議そうに口を開いた。


「これは本当にただの一説だから、本気にしないでほしいんだけれど……。ルナって、モブにしては設定がちゃんとしていると思わないかい?」


 伯爵家の娘で、王太子と幼馴染で、アッシュとは腕を競った中で、レオナルドとは親戚で。

 まるで物語の主人公のような設定の盛られ方に、ルナ自身違和感を感じていた。


「まるで私にもなにか他の役割があるんじゃないかって思えるような……」

 

 それは見方を変えれば、いつでもルナを主人公に物語を作り上げることができると言っているような……。


「――なにが、言いたいの?」


「……別に。ただのたわごとだよ。気にしないで」


 そう、これはただのたわごと。

 ルナの一意見であり、真相はきっとこの世界の誰も知らない。

 けれどそれでいいのだ。

 これこそが本来の、世界のありかたなのだから。

 セレナは強く強く、ルナを睨みつける。

 その瞳は射抜くような力強さがあったけれど、ルナは決して怯むことはしなかった。


「――私が、この物語の、主人公よ」


「そうだね。だから伝えに来たんだ。がんばって、って」


 ルナはそれだけいうと、そっと足を動かした。

 そこにいなくてはならない。

 動いてはいけないと思っていたその足は、なんてことないように簡単に動いた。

 毎日毎日、そこで暮らしていた日々とも、もうおさらばだ。


「それじゃ、セレナ。さようならだ」


「ただじゃすまないわよ!? ただのモブが物語を変えようとするなんて!」


 ルナは振り返る。

 その顔に一つの恐怖も後悔もなく。


「もう変わってるんだよ。私と……セレナ、君がいる時点で」




 



「なんだかすっきりした顔をしてますわね」


「うーん……まあ、そうだね。でもちょっと気にしてもいる。余計なこと言ったかなって」


「よくわかりませんが……。その程度で終わる縁ならそれまでですわ」


「さすが潔い。そういうところ好きだな」


「あなたはまたっ! そういうことばかりっ!」


 またしてもぷんぷん怒りはじめたクリスタに謝りつつ、ルナはゆっくりと足を進めた。

 なんだか立ち止まっていたくないのだ。

 今は一歩でもいいから前に進みたい。


「いやぁ……それにしてもこれからどうなるのか。ある意味この世界の神的な? 存在に喧嘩売ったわけだし」


「……意味が全くわかりませんわ」


「気にしない気にしない」


 まあ今後がどうなるか。

 それがわからなのが面白いのだと頷いていると、どこからともなくデリック、アッシュ、レオナルドが走り寄ってきた。


「ルナ! 大丈夫かい? なんだか胸騒ぎがして……」


「なんでいつものところいねぇんだよ!」


「探しました。姉様……、ご無事でなによりです」


 ルナの身になにが起こったのか彼らは知らないはずなのに。

 この世界に生きるものとして、なにかいいしれぬものでも感じとったのか、三人はとても不安そうに見つめてくる。

 どうやら心配をかけてしまったらしく、ルナは首を振った。


「大丈夫、なにもないよ。今日は気分を変えてみたのさ」


「なら先言ってからにしろよ。びっくりしたじゃねぇか!」


 どうやら本当に心配をかけてしまったらしい。

 アッシュからそんな言葉がかけられるなんて意外で、ここは素直に謝っておこうと口を開いたルナに変わり、クリスタがルナの腕に抱きつきつつ答えた。


「なぜあなたに言わなくてはならないんですの? どこに行こうがルナの自由だと思いますわ」


「――あ? なんだこの女」


「クリスタ・マクラーレンと申します。侯爵家の者ですわ」


「知ってるわ! なんでお前にそんなこと言われなきゃならねぇんだよ」


「ルナがわたくしのものだからです」


「「「――」」」


 大きく見開かれた瞳六つに射抜かれながらも、ルナはまあ間違ってないからなと否定することはしない。

 一瞬時の止まった三人だったが、すぐにクリスタとアッシュの言い合いが始まった。


「ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ!」


「なにもふざけてませんわ。二人で一緒に田舎で暮らすと約束しましたもの」


「姉様……、本当、ですか? そんな……」


「……………………ルナ?」


 三者三様の反応に、しかしルナは軽く肩をすくめるだけで足を進めた。

 否定も肯定もしない。

 これからさきどうなるか、ルナも楽しみなのだ。

 だから伝えられるのはただこの一言。


「明日も楽しみだねぇ」


「「「「なにが!?」」」」

ここまでお読みくださりありがとうございます。

もし気に入っていただけましたら評価やブクマしていただけますと作者のやる気につながります。

短編書くのは初めてで楽しかったですが、まだまだ書けそうで危うく長編になりかけました。

向いてないのかもしれません。

主人公を一番イケメンに書きたかった。

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― 新着の感想 ―
主人公がかっこいいですね!こんなナビが居る乙女ゲームなら何回も居場所を聞きに行ってしまいそうです。行きたいです。 誰と結ばれるのか、はたまた友情EDなのかとても気になります。個人的には殿下推しですが、…
えっ、嘘!?続きないんですか!? 謎も謎のままで、まさか、あんなところで終わってしまうなんて…(´;ω;`) これはクリスタルートを妄想して気持ちを慰めるしかない。
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