12歳から15歳へ
自宅のドアを閉め、外の景色をシャットアウトする。閉じた空間に籠ると、悔しさと情けなさに襲われた。化粧台の引き出しから、ペンダントを取り出す。
怖いか怖くないかで言えば、怖い。それでも諦めたくないのは、手の中のペンダントが理由だ。このペンダントをくれた父は、アッサムが9歳の時に魔物に大けがを負わされ、それが原因で亡くなってしまった。父が亡くなる間際、彼の持ち物だったペンダントをアッサムに手渡した。そして、強く生きろ、と云った。きっと、自分の命が間もなく尽きることを悟っていたのだろう。数日後に、幼いアッサムを残して逝ってしまった。
生まれた時から母はおらず、父が男手一つでアッサムを育ててくれた。その父がいなくなり、9歳で天涯孤独になってしまったのだ。もともと好戦的でないアッサムが、父が鍛錬のために振っていた鉄の剣を握ったのは、それから三ヵ月ほど経過した後だった。父の墓を前に涙し、誰の慰めも耳に入って来ない無色の日々を過ごしていたある日、父が夢枕に立った。
――強く生きろ、アッサム。
遺言にも等しい最後の言葉を、また掛けられた。ベッドから起き上がったアッサムは、涙の跡を拭い、決意した。父がくれた言葉の通りに生きよう、と。
それからは、小柄な体格であることを言い訳にせず、身体と心を鍛えた。父の無二の親友で、この村の村長であるカーネルを目標にした。その背中を追っていれば、父に届く気がした。
それなのに――。
小便を漏らして逃げ出し、放心し、大人に助けてもらうという醜態を晒してしまった。強く生きると誓ったのに。父なら、相手が強敵だったら、諦めただろうか。魔王だったら、逃げただろうか。
「ごめん、父さん。でも、僕あきらめないから」
そう言って、ペンダントをもとの場所に仕舞った。夢枕に立たず、ゆっくり眠れるように、次こそ吉報を伝えられるように。
その日は一睡もできなかったが、無理やり瞼を閉じ、身体を休めた。翌朝、太陽が顔を出す前に、アッサムは起きた。昨日と同じく冷たい水で顔を洗い、置いてきてしまった鉄の剣の代わりにサバイバルナイフを装備し、誰もいない村をひっそりと出て行った。
濃い藍色に覆われた世界の中を、口を結んで歩みを進めた。
昨日と同じ場所に、彼女はいた。やはり泉の上に立って、呪詛のような言葉をつぶやいている。背中を向けているため、こちらには気づいていなさそうだ。今のうちに、昨日落とした鉄の剣を回収したいところだ。アッサムは忍び足で、キョロキョロと目的の品を探す。枯れ葉がなくてよかった。これなら、足音で気づかれるおそれはない。そう思っていたのだが。
「ずいぶん早起きなのね」
明らかに自分に向けて、声をかけられた。びくり、と身を震わせて、建て付けの悪い扉のようにがくがくと顔を泉に向けると、見事に目が合った。
「寝込みを襲うつもりで来たなら、お生憎様ね。アタシは、人間みたいに一日の三分の一を無駄にするような睡眠は取らないのよ」
驚きで動けないアッサムに対して、魔王がつかつかと歩み寄ってくる。水の上を、そして、土の上を。
ボール遊びをするには近すぎ、ままごとをするには遠すぎる距離で、彼女は立ち止まった。強い眼力に晒され、蛇に睨まれた蛙にも等しい状況で、アッサムのなけなしの勇気がすり減る。
――落ち着け、落ち着け。僕は何のためにここに来たんだ。隙を突けば、いくら魔王だって。
アッサムの思考は、魔王の行動によって中断された。
「これ、アンタのよね?」
魔王の手にあるのは、アッサムが落とした鉄の剣。先回りして回収されていた。
「か、返せ!」
精一杯、声を絞り出した。魔王ともあろうものが、武器を奪って戦う術を奪うなど、卑怯だ。
「アンタのかって訊いてんだけど」
強まる圧に、下半身の力が抜けそうになる。それでも、昨日の二の舞にならないように、そして、父が使っていた剣を取り戻すために、ぐっと拳を握った。
「それは僕のだ! 返せよ!」
「そう。なら、いいわ」
なんと、魔王は剣をアッサムに放り投げた。綺麗な放物線を描いたそれは、真っすぐアッサムの両腕の位置に到着した。慌てて剣を両手でキャッチしたが、今の出来事が理解できなかった。
「アンタの物なら、アンタがちゃんと管理しなさい」
声の距離感が変化した。充分にあったはずの間合いが一瞬のうちになくなり、瞬間移動したかのようにすら見えた。そして、言い終わると同時に、アッサムにデコピンした。
「いづっ……」
それ以上は声にならなかった。脳震盪の一歩手前に陥る衝撃が額の奥まで響き、うずくまる以外できなかった。
「はい、アタシの勝ちね。試練失敗、お疲れ様」
魔王は去っていったが、それどころではなかった。頭に穴が空いたのではないかというくらいの楚痛で涙が出てくる。そして、圧倒的な力の差を見せつけられ、心も大怪我を負った。
少し経つと、我慢できる程度の鈍い痛みになった。反比例して心の傷は広がるが、折れないように、誰もいなくなった泉に向かって叫んだ。
「初めてが魔王だなんて、ふざけんなああああ!」
それから三年。アッサムは15歳になり、身長が伸び、線が細いながらも筋肉もついた。この三年の間、毎日毎日、何度も何度も、魔王に挑み続けた。負けて帰っては鍛錬に励み、今回こそはと鼻息荒く突っ込んでいっては、デコピンされてまた帰るの繰り返し。この日々が幸いしてか、アッサムの戦闘力は三年前と比べ物にならないくらいに成長し、村のまわりの魔物を苦も無く成敗できるほどになっていた。
チュートリアルで足止めを食らっているアッサムは剣士にはなれていないが、別に魔物と闘ってはいけないわけではない(推奨もされていないが)。ただ、剣士と名乗ることや、冒険者として一人旅をすることが認められないだけだ。
剣士となったウバーと、魔法使いになったダジリンの二人は、二年前に村を出た。それぞれの師匠とともに、広い世界に旅立ったのだ。幼馴染三人の中で、アッサムだけが村に残ることになってしまった。剣士と名乗るに足る実力を身に付けておきながら、剣士でもなく、旅にも行けない。悶々とした感情を抱えながら、怒りとも嘆きともとれないその感情を、剣に乗せて魔王にぶつけていたのだった。
一日の中で、魔王と闘う回数も徐々に増えた。最初は、明朝に出かけて、返り討ちに遭ったら、その日はもう動く気力がなかった。それが、一日に二回、一日に三回と挑む回数が上がっていき、一番多い時には十回も戦闘を仕掛けた。
そして、15歳の誕生日を迎えた日。
この日八回目となる魔王への挑戦をし、顎ピンをされて大の字になっていた。完全に伸びているアッサムの顔に、水の玉が落ちてきた。
「ぶはっ!」
「早く起きなさい。そんな所に寝てると、魔物に食われるわよ」
お前も魔物だろうが、という指摘は、頭の中で留まった。眩暈がして喋るどころではなかったのだ。起き上がったアッサムの目の前で、美少女魔王が抱え膝座りしていた。
「ぼんやりしてそうだけど、まあそれ位まで覚醒すれば問題ないわね。今日はもう来るんじゃないわよ」
「ちくしょう……。何でお前にそんなこと……」
「これで何回目だと思ってんのよ。これだけお遊びに付き合ってやってるのに、接近禁止にしないだけありがたいと思いなさい。ストーカーぼうず」
「その呼び方やめろ!」
いったいこの女に何度辱められれば良いのか。チュートリアルで最初に出会ったのがこの女でなければ、アッサムだって三年も挑んだりしていない。憤慨するアッサムに背を向け、歩き去っていく。苦虫を嚙み潰したような顔でその姿を見送っていたが、彼女は立ち止まり、顔だけをこちらに向けた。
「いちおう言っておくわ。誕生日おめでとう」
彼女は闇に溶けて消えていった。誕生日プレゼントは、通算五千回目の敗戦だった。