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聖職の碑 76年

2023年8/16〜8/17タブレット端末にて執筆し脱稿 即日投稿

なお登山再開した理由はそれだけでは無く特亜大陸の内戦劇化と徴兵制度見越しての要素も入る 体力頑健だと生きて戻れる可能性上がるからね

【 健全な精神は健全な肉体にこそ宿る……言い出しっぺなギリシャの詩人はそんなご都合主義は絶対有り得ないと全否定してますが 優生学に悪用され明らかに解釈間違ってる脳筋論に染まった当時の教育理論により背中押される形で強行された1913年8月26日出発し翌27日に帰投する筈だった木曽駒ケ岳一泊二日集団登山研修 中学二年生の少年25名と校長に2人の教師+青年会ボランティア総勢38名を待ち受けていたのは双子台風直撃と今で言うDQNにより放火され廃墟と化した避難小屋 犠牲者11名を出した大惨事の記録遺すに辺り何故"遭難記念碑"になったのか? そんな経緯を生存者が居る内に可能な限り正確に再現しようとした物語 】


★執筆に辺り当時63歳の原作者&20代の担当編集者コンビで生還者や遺族等に直接会い取材 実際に3000mの山登りルート追体験した記録付き 私はぶっちゃけ当時の人々の異質な価値観より此方の方が面白かった 本編ぶっちしても此方は読んどいた方が良いかと


日本 歴史文学小説

新田(にった)次郎(じろう)

講談社 刊 1980年文庫化

❖1978年東宝にて鶴田浩二さん主演で映画化

内容もさる事ながらスター・ウォーズ相手にするのは無謀でした

なおレンタルDVDは見た事すら有りませんが通販で買えるらしい

軽く5000円越えるけど(汗)


 令和5年8月16日 人死にはどうにか抑えたものの和歌山に京都そして鳥取に深刻なダメージ残し日本海を北上してる台風7号 被災された方々には謹んで御見舞申し上げますが ちょっといや滅茶苦茶腹立った事が いやね、新幹線や旅客機も運休してるレベルの台風の最中にだ 何故Tシャツ短パンサンダル姿で富士登山するアホウがこうも大量に居るんだい? その大半が特亜を筆頭に外国人観光客らしいのだけど山小屋の宿泊料高いからテント持ち込み ゴミバラ撒きながら登山道でバーベキューに排泄行為 挙げ句の果てにそもそも日帰り予定で何も持ってないから山小屋の下に潜り込みタバコ吸ったり焚き火やって暖を取る …………正直言いましょうか ■ねとさえ思いましたよ、ええ 


此れは富士登山に限った話という訳でも無いそうで 登山道の途中に設けた公共トイレを滅茶苦茶にしたり ルート間違えたら遭難確実な場所に設置された道標の向き変える或いは落書きしたり投げ捨てる ゴミを持ち帰らず辺り1面に撒き散らして知らんぷり等々 最近、食事はコンビニで済ませ民泊とやらでらんちき騒ぎ 最上階のベランダから歩行者目掛けて酒瓶投げ付ける特亜系観光客が滅茶苦茶増えた此処沖縄のビーチや公園なんかもそうなってますがね 害獣以下の輩は記録残して二度と入国するなと処置するべきかと 静岡県知事同様に習近平首領様詣で欠かさない電球ハゲの県知事は公平に沖縄に来る観光客相手に迷惑料兼ねた宿泊税取ろうなんて寝言抜かして既にホテル業界敵に回してますが シンガポールみたいにゴミ捨てたらむち打ちで マレーシアやベトナムみたいに麻薬持ち込んだら死刑ぐらいのことはやらないと屑は掣肘不可能  


という訳でタイミング良く図書館に○○年振りに本作の文庫版寄贈されてたのでレンタル まるで狙ったかのようなタイミングに毒気抜かれたのは言うまでもありません 小学生の頃、父の書斎に"八甲田山死の彷徨"と共に新書版で置いてあった本作ですが白樺派実践思想って何? 大体何故慰霊碑や鎮魂碑ではなく記念碑になったんだ? 経緯なんて分かる筈もなく 高校時代に再チャレンジしたけどやっぱりちんぷんかんぷん そもそもこの物語が史実であったことすら偶々YouTubeで明後日の方向に責任転嫁してたゆっくり動画見るまで知らなかったんだよ 勿論、映画化の帯付いてたからその内テレビで放映するんだろうなと期待してたんですが 同じ頃に劇場公開されたらしい同作者の"アラスカ物語"同様、地上波未放映のまま 何か不祥事でも有ったのかな 



【 長野県では今でも義務教育の1環で一泊二日の学生登山が開催されるそうですがノリは此処沖縄で言う所の渡嘉敷島宿泊研修かマラソン大会のアレだそう とは言え幾ら昔とは違い避難所あちこちに有ったとしても高度2000m〜3000m級の山々を登るって嫌過ぎる(苦笑) 私等精々炎天下に自販機も水飲み場も存在しないアスファルトの道をジャージ姿で7km海まで 飲み物はゴール地点で配られたサンキストのパックジュース1個のみ 後はカヌー漕がされヘロヘロ状態で帰りだけバスだったね 多分地区によって全く違うと思うけど 本当に地獄だったのは行きと帰りのカーフェリーで体験する延々3時間の船酔いタイム 偶々近くを台風ニアミスし海は荒れ放題 吐くの無いと悲惨だよ胃液で喉傷めるし 】


★勿論昭和末期頃の体験だから今は違うかと ちなみにこの映画 長野県では当時体育館で全員視聴だったとか 私等は何故か毎年"はだしのゲン"だったなあ


 霧が稜線を覆い尽くし数m先の視界もおぼつかない 3000mを越える駒ケ岳の尾根 1976年8月 あの惨劇から60年が経過しても自然石に刻み込まれた遭難記念碑と記された其れと11人の共殪者(きょうえいしゃ)の名ははっきりと読み取れる なお令和5年現在は流石に名前まで鮮やかにとは行かずその横に追加で遭難犠牲者の氏名が記された小さな碑が追加された 何故あの惨劇を記念碑として遺したのか 物語は一気に時を遡り1913年=大正2年8月へ リアルタイムであの時代に少年期を過ごした世代でも無ければ理解不能な明治時代の硬直した臣民を作る教育体制から"人道主義、理想主義、個性を尊重"し 堅苦しい教科書は参考程度で構わないと考えた"白樺派"へと若手教師陣は移り変わりつつ有ったらしい 


まぁその結果、反動的に誕生したのはある種の全体主義とか大東亜共栄圏を構築して欧米列強の植民地支配に対抗しようなんてモノに成り果てた訳だが 此れ娯楽作品として、しかも上映時間は最長でも2時間半じゃ無いと観客がダレる映画にしちゃいけない様な気がします で、"八甲田山"再びと鶴田浩二さんや北大路欣也さんに若手は三浦友和さんに田中建さんと錚々たるメンバー揃えたにも関わらず やっぱり映画は大コケする訳ですが 其れはさて置き この物語の前半戦の主人公で中箕輪(なかみのわ)尋常高等小学校(今の中学校相当) 赤羽(あかば)長重(ながしげ)校長は、若手ホープの樋口(ひぐち)祐一(ゆういち)教諭による実際に見て触り悠久の物語として歴史の流れを生徒に感じさせる授業を見学したり 樋口の理解者で主任訓導《教頭先生相当》の有賀(ありが)喜一(きいち)教諭から白樺派が発行してる機関誌を紐解いてみたりと時代の趨勢を理解しようと努力したり 今の親御さん同様に名門高等学校にただ受かる為の受験勉強に専念してくれというクレームから彼等を庇いつつ 教育県長野の名に恥じない生徒を共に育て上げようと奮闘中 


毎年恒例の一泊二日の学生登山は文部省が予算くれず 今年はプロの案内人も無しな今で言う学校OBをメインとした青年会メンバー10名と赤羽校長に征矢(そや)隆得(たかえ)訓導 当初は樋口教諭を引率役に抜擢する筈だったが奉公人の水野(みずの)春子(はるこ)との身分違いの絡む恋の橋渡し頼まれた赤羽は悩んだ末に樋口を今回外し 彼同様に白樺派に傾倒してるもう1人の若手のホープ清水(しみず)政活(まさかつ)准訓導を引率メンバーに加える ちなみに白樺派の教諭には女性の伊吹かなえも居るが登山参加する生徒達25名も含めメンバーは体力頑健な男子のみ なんせ登るのは標高3000m越える駒ケ岳だし今と違って途中休憩出来る建物もないし夏の炎天下だから色々ハードル高過ぎる 留守を任された有賀主任訓導は鍛錬主義にも程が有り天候激変の予測不可能だと 今とは比べものにならないレベルの危険と背中合わせな学校登山に批判的だが冒険を楽しみにしてる生徒達や青年会を押し留めるのは流石に不可能 気象状況伺いながら始まった学生登山は多少のタイムラグは発生したものの途中までは順調に 


だが彼等の予測を遥かに上回る双子台風が長野全域を席巻 暴風雨の中ずぶ濡れとなりながらも今更引返す方が遭難リスクが高い 駒ケ岳の稜線に辿り着ければ暖かい山小屋で身体乾かしながら台風をやり過ごす事が出来る だが山小屋は愚かな登山客により放火され放置されており残されたのは崩れかけた石垣だけ とにかく嵐が収まるまで動くのは危険だ 有り合わせの装備とかき集めた瓦礫等で夜を明かそうと奮闘する中、低体温症で生徒の1人古屋時松が死亡 他に2人が意識不明となる中で元々体力に余裕の有る青年会メンバーのある人物がパニック起こし麓へ逃げ出し 其れに釣られる形で生徒も残る青年会メンバーも数人が其々違う方向へ飛び出した 其々意識不明の生徒を背中に背負った赤羽校長と清水准訓導 征矢訓導達麓の村へ向かわせ救援を要請し残る生徒を連れ暴風雨が吹き付ける稜線から風避けとなってくれる樹木が並ぶ森を目指す主人公達だったが低体温症で次々と死者が続出 征矢訓導率いる青年会メンバー7名と生徒10名は麓へ辿り着き救援要請 3人で逃げ出し独り逸れた状態で村に辿り着いた生徒 唐沢可作 瀕死の三平を託された清水准訓導の文字通りギリギリの生還 


数百人を越える捜索活動により残る生存者も救出されたが 赤羽校長/古屋時松/掘峯/唐沢武男/小平芳造/有賀邦美/有賀直治/北川秀吉/平井実の計10名の遺体が回収され 生徒の1人唐澤圭吾だけが遺体すらも見付からす行方不明なまま年月が流れる 史実では38名が遭難したのだが映画も小説も遭難者は37名 パニック起こし惨劇にトドメ刺した人物が誰だったのかは生存者は誰1人語らない 救出直後から始まった青年会メンバーや生き残った2人の教諭に対するバッシング 其れは生還した生徒や1人でも多くの生徒救おうとして10人の生徒と共に命落とした赤羽校長やその遺族にも向けられた 唯一の味方だった赤羽校長の庇護を失った樋口教諭と水野春子の入水自殺は彼等の親族による強要 征矢訓導と清水准訓導と共に教職員や生徒達の立ち直り目指し始まった有賀喜一主任訓導の苦難の道 


リアリストな有賀主任訓導だけは此れから学生登山がどうなるか確信していた 人間は皆、喉元過ぎれば熱さを忘れる 駒ケ岳は此れから山小屋や避難所に登山道の徹底的な見直しと整備再建が始まるだろう 其れは二度とこの様な犠牲者を出さない為の布石だが恐らく十数年で中箕輪尋常高等小学校のみならず長野県の多くの高等小学校で慰霊だの安全性が確認されただのと学生登山が再開される 赤羽校長と行方不明者含む10人の悲劇を忘却の彼方に消し去りたくない我々は何を為すべきなのか 多くの遺族に悪し様に罵られながらも有賀が慰霊碑ではなく敢えて自称正義の味方を逆上させる記念碑建設のメドが付いたのは大正3年6月下旬 文字通り心身を擦り減らした有賀喜一が32年の短い生涯を終えたのは程なくの事 勿論遺族達は此れが慰霊碑ではなく記念碑で有る事に反発 征矢隆得や清水政治に清水茂樹等、故赤羽校長派と目された訓導や教諭達が懲罰的人事で尋常高等小学校から転勤を余儀なくされる中で始まった学校改革は都心部から送り込まれた自称白樺派を名乗る愚かな教諭達と生徒達や保護者の対立により学校そのものが崩壊 


大正11年に中箕輪村長に就任した中坪鞆治(なかつぼともじ)により始まった学校改革 翌12年に新たに中箕輪尋常高等小学校に送り込まれた高橋慎一郎校長により教諭及び生徒の意識改革が進められた結果 13年振りに学生登山の行事は再開される 唐沢圭吾の遺体が発見されたのは登山再開の翌日 その時不可解な出来事が起きていたらしいが小説では敢えて其れを語らない



❖学生登山の背景に有るのが当時の教諭達の平均年齢 女性教諭はごく僅かで男性教諭は日清戦争&日露戦争経験者 校長や教頭(主任訓導)クラスでも30代〜40代だから下手すると生徒の親御さんよりも若かった ノリは欧米のボーイスカウトの其れだと考えると理解出来るかも


❖自然派から白樺派へ 今回改めて再読し果てはウィキ等で検索したが何がどう違うのかやっぱり私にはイマイチ理解出来てないかも とは言え大正時代に尋常高等小学校に居た年代って今じゃ100歳越えてるだろうし聞き様が有りません……黒柳徹子さん体験者だったよ(笑) 今母が見てた金スマ見てて引いた(2023年11/10追記)


★ウィキによると日本の自然界ではこの季節に有り得ない白兎が登山者誘い込み遺体発見させたらしいけど真相は…………

★そういや"聖職"ってこの小説と映画が語源らしいのですが (其れまでは名誉職) 沖縄でもこの間発覚したように教諭の権威はかなり失墜 今じゃ神父同様"性職"だよなこれ


2023年8/21 暫定11話 ナニカアル 10年 新規割込み投稿

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