愚者を演じたジウスドラ
王都フィロストンにある王城、その王の間に今日は珍しく主が鎮座していた。
玉座にいるのはアルケイン王国、国王レメク・ズィーガ・アルケインだ。
身長は182と大柄で、息子達と同じような金髪碧眼をしている。
深い皺が刻まれた顔は達観した老人のようでもあり、血を求める若武者のようでもある。
「外が騒がしいな」
レメク王は、横に立つ息子のジウスドラに話しかけていた。
「父上、何かあってもダスト兵が始末してくれるでしょう」
「父上……か」
レメク王――いや、レメク王の顔をした何かは顔を歪ませ猟奇的な笑みを浮かべる。
「二人きりだ。我のことはもう一つの名で呼ぶがよい。レメク王の自我もようやく消し去ったしな」
ジウスドラはそれを聞いても何も思わない。
思ってはいけないのだ。
「了解した、ランドフォル」
心に思ってしまったら表情に、視線に、身体の動作に、呼吸に出てしまう可能性がある。
この家族を殺したランドフォルという存在を倒すために、幼少期からずっとそうしてきた。
今日、その念願が果たされるのだ。
これまで永かった――。
***
ジウスドラ・ズィーガ・アルケインは、王の息子として生まれた。
だが、王になるのは兄上の方だろうと思っていた。
小さい頃からずっと一緒だったのでわかる。
兄上には王の器が備わっていると。
一方、自分はというと……人の顔色ばかり窺い、自分の強い意志を持てない小物だ。
こんな人間では王には向いていないだろう。
せいぜいサポートする役に回るしかない。
だが、別にそれでも良いと思っている。
適材適所で、カリスマ性がある兄上に王を任せれば良いのだ。
そんな将来を考えていた幼少期だった。
あの頃が一番幸せだったのかもしれない。
真実を知ってしまう前だったから。
――キッカケは母上を毒殺されたときだった。
父上から送られたという偽物の誕生日プレゼントに、毒が仕込まれていたのだ。
兄上は『父上が誕生日にいてくれれば、偽物だとすぐにわかって母上は死ななかったのに!!』と激怒していた。
自分も口には出さなかったが、同じ気持ちだった。
兄上の直情的に怒る姿を見て、少しだけ冷静でいられたと思う。
ゆえに状況に違和感を覚えたのだ。
プレゼントの選び方、包装の仕方などが父上の無骨なセンスそのものだ。
偽物を送った相手はここまで父上のプライベートを理解していたのか?
そこでもう一つの可能性が思い浮かんだ。
もし、父上本人が実際に毒が仕込まれたプレゼントを贈っていたら――というものだ。
だが、その場合は父上が、なぜ母上を殺すのか?
動機がない。
こんな行動はデメリットしかないのだ。
単に自分がショックを受けすぎて頭がおかしくなっているのかとも思ったが、父上の近くの人間も少し顔色がおかしい気がするのだ。
実際に顔が青くなったりはしないが、ほんの少しの仕草や、端々の言動が数ミリずれているような感覚。
もし父上が乱心していて、本当に母上を殺したのなら糾弾して王の座から降ろすのが良いだろう。
護衛の兵を二人連れて、父上がよく籠もっている部屋へと押し入った。
絶対に入るなと言われていたが、何かあるのだろうと感じ、そこで問い詰めることにした。
「父上、あなたは母上を殺したのですか!?」
部屋に籠もっている父上の姿は初めて見たが、雰囲気がいつもとは違った。
この世のすべてを知っているかのような達観と、この世のすべてを憎むような眼をしている。
直感でわかった。
人間ではない。
急に背後のドアがバタンと閉まり、驚いて振り向いた瞬間に護衛の兵士二人は頭の穴のすべてから血を噴き出しながら死んでいた。
その状況に驚愕し、部屋にいる父上に何か言おうとするが声が出ない。
「ああ、我が殺した。それがどうかしたか?」
嫌な汗が噴き出し、急な寒気と暑さが混同するような感覚。
この一瞬で理解した。
勝てない。
少なくとも、今この場で勝てるという可能性だけは絶対にない。
「ああ、そうか。人間からすれば母親が殺されたら嫌なのか。レメクの奴が、お前の母ビテノシエルを殺したときに一気に抵抗力を失ってくれたのと一緒だな」
どういうことだ? とは言わない。
少なくとも、この父上の姿をしたバケモノは、そんな言葉は望んでいないだろう。
相手の望むことを言わなければ、同じように殺される。
考えろ、顔色を窺い、生き残れ。
そうしないと母上のカタキは取れない。
まだ生きてる兄上まで危険に晒すことになる。
「父上の顔をした何か。母上をあなたが殺したことは、僕にとってはバレバレでしたよ」
「ほう? それなら、次にお前を殺せば済むのではないか?」
「そうして殺したことが、また誰かにバレたらどうするのですか? さらにそこから殺してバレて……と無限に広がって取り返しが付かなくなります」
「ふむ、なるほどな。殺し過ぎても不都合がある」
「僭越ながら、もっと上手く立ち回れるように僕に協力させてくれませんか?」
そいつは、明らかに興味がありそうな表情をしていた。
「お前の母親を殺した相手だぞ? 今の時代の人間は、それでも協力するものなのか?」
「僕の目的は、いつか王になることですから。母上は必要ありません。むしろ兄上も目障りで邪魔です。それより求めるのはあなたの力です」
「我の力を求める、か……」
「あなたは力はあっても、何らかの理由で正体を公にしたくないようだ。それなら王の息子である僕を利用した方がやりやすい。僕の方のメリットとしては、いつか父上の代わりに王の座を譲ってくれれば良い」
「なるほど、今の時代の人間であるお前は、そのような〝欲〟で動いているのか……面白い。その〝欲〟気に入ったぞ。せいぜい楽しませろ、我の名は――」
それから、父上の中にいる何か――ランドフォルに協力することになった。
兄上や世間を欺き、冷酷で、悪辣で、自分本位の愚者として人生を演じる。
それがこのランドフォルを倒すための唯一の手段だ。
ランドフォルは、たまにレメク王の人格が戻るのだが、そのとき刺客に心臓を貫かれたことがある。
だが、それでも死ぬことは無い。
不死身だ。
拘束して海に沈めたりして封印することも考えたが、異常なスキルを持っていてその状態に持ち込むことすら不可能だ。
不死身で、しかも通常戦力で拘束すらできないという厄介な相手。
どうにかして不死身である秘密を解き明かし、同時に倒せる戦力を整えなければならない。
それに厄介なことに、兄上が成長したらその身体を乗っ取ろうとしているのだ。
そんなことをさせるわけにはいかない。
不死身、戦力、兄上。
その三つをどうにかしなければならない。
しかも、他の誰にも知られずだ。
あんなバケモノ相手に……無理に決まっている。
そう挫けそうになると、懐かしい母上の顔が浮かんでくる。
歯を食いしばり、ランドフォルを欺き、暗中模索の日々を過ごす。
ランドフォルの当分の行動方針は、この国を欲望塗れにすることらしい。
そのため無限の資源を与え、国民の欲望を満たしている。
国としては資源のおかげで強国となったが、欲に溺れて腐敗の一途を辿ることになる。
シュレド大臣や、ウォッシャ大佐、人買い領主ゴルドーのような愚劣な行いも見えていたが、ここで自分がどうにかするわけにはいかない。
それどころか兄上がゴミ問題や、資源の出所指摘などで正しいことを言ってきても、否定しなければいけない立場なのだ。
演じているとはいえ、最低最悪の愚者王子だ。
そんな弟の姿を兄上は非難してくると思ったが、そんなことはせずにただ黙々と自分でできることをしようとしていた。
民や国から、ようするに周りすべてからゴミ扱いされても――だ。
やはり、自分がすべての悪行を背負ってでも、ランドフォルを倒して兄上へ玉座を渡さなければならない。
自分の人生を愚者の仮面で覆い隠し続け、ランドフォルの懐へ入り込むことによって様々な情報を得ることができた。
1、ランドフォルは強欲の魔人と呼ばれる生命体。自らの肉体を持たず、今は父上の身体に寄生しているらしい。徐々に父上の自我を侵食してランドフォルとなっていく。
2、ランドフォルはもっと適性が高い身体を探していた。一番適性が高いのが兄上で、他の〝念のための予備〟は使い捨てても良いので実験を繰り返しているという。
3、地下に封印されしアルケインの海神が居り、ランドフォルはその研究もしている。
4、ランドフォルは〝欲〟という言葉をよく使い、その〝欲〟が強い人間に対してスキルを与えて暗躍させている。
ある程度の情報は集まってきたが、未だに戦力方面がどうにもならない。
何か理由を付けて王国軍や、他国の力を借りてランドフォルを倒すか?
いや、この不死身の相手を倒すのは普通の戦力では無理だ。
数万人の屍を積み上げるだけだろう。
頭をかきむしりたい気分だが、そんな動作すら誰かに見られているかもしれない。
ただゴミで溢れてしまった海を、一人で海岸から眺める。
祖父の時代は海が信仰されていたというが、今では陸からのゴミで見る影もない。
母上は別のところから嫁いできたので、陸も海も尊いと言っていたが、こんなところで生まれ育ってしまってはわからない感覚だ。
一体、母上はどんなところで育ったのだろうか。
最後まで結局話してくれなかった。
もっと話したかった、きっと兄上も同じ気持ちだった。
「……鳥か?」
そのとき、大きな影が空に何かいることを知らせていた。
鳥にしては大きく、翼はあるが人のようなシルエットもあったのだ。
それは六枚の翼をはためかせながら、天使のように舞い降りてきた。
「その翼……鳥のような猛禽の足……ハーピーか」
初めて見た幻想生物だが、ランドフォルに比べたら可愛いものだ。
妙に落ち着いた気持ちで話しかけてしまう。
「オレを殺しに来たのか?」
「ううん、違うよ~」
そのハーピーは眠たげな目で、優しく笑っていた。
「やっと見つけた~。ビテノシエル様の子~」
母上のことを知っているのか? と聞きたかったが、いつものように愚者を演じなければならない。
この相手が悪意を持っているかもわからないのだから。
「母上、ああ。あの邪魔な女か! 毒殺されてスカッとしたな! フハハ!!」
「ん~? どうして心にもないことを言っているの~?」
心臓が早鐘を打つが、表情に出してはいけない。
こちらの嘘を本当に見抜いているか、ただのフェイクかわからない。
「お前は……何者だ……」
「アタシの名前はムル・シグ~。ビテノシエル様には以前お世話になっていたの~」
母上がこの国に来る前の知り合い。
それが本当なら、もしかしたら協力者になってくれるかもしれない。
だが、もし……。
疑いに疑い、愚者の仮面は外れてくれない。
「アタシはその人に悪意があるかどうかわかるの~。なんで、あなたはそんな自分を傷付けるような嘘を吐いているの~? 周囲には誰もいないし、話してくれてもいいよ~?」
「すべてお見通しか……。だが、話せばお前を巻き込むことになる」
「別にいいよ~」
「なぜ即答できる……?」
「だって、あなたたち人間が大好きなんだもん~」
屈託のない絵顔で言われてしまった。
どこか母上を思い出すような感覚だ。
心の弱いところを掴まれ、泣き言を吐露してしまいそうになったがグッと我慢した。
「ふっ、ムル。お前は一人目の共犯者になってもらおう。こちらの事情としては――」
心強い仲間を得たのだが、どうやら話してみるとランドフォルと直接ムルが戦うのは避けた方がいいらしい。
ハーピーとランドフォルとはとても相性が悪く、むしろいない方が良い状態になってしまう可能性すらあるらしい。
そのため、ムルがしてくれるのはランドフォル以外の戦力との戦いなどだ。
最近〝欲〟スキルを持つ奴の手下が増えてきているので、それはそれで助かるが。
それでもまだ戦力が足りない。
ランドフォルを倒せる戦力。
だが、そんなものは本当にいるのか?
兄上のスキル【リサイクル】は相性が良さそうだが、今の状態では絶対に勝てない。
それに兄上が裏の事情を知ったらすぐにランドフォルに戦いを挑んで、無駄死にしてしまうだろう。
そこで思いついた。
ランドフォルが求める予備の実験体、その存在を味方にできたら何とかなるのでは?
分の悪い賭けだが、元々手段が少ないので仕方がない。
封印されし海神付近から『特殊な実験体二体を得た』と情報を聞いたので、牢屋に会いに行ったのだが――。
「どっちが姉か決めましょう」「どっちが姉か決めよう」
それがツァラストとステラと呼ばれる実験体双子の第一声だった。
一糸まとわぬ姿に動揺してしまうというか、それ以前に寒そうで可哀想だと思ってしまった。
しかし、ここで優しい声や、マントを掛けてやるわけにもいかない。
その二人の様子などを見て、少しだけ話し、いったん引き上げることにした。
そして月日が経ち、ついにランドフォルが成長したノアクルの身体を依代として奪おうとする動きが見えてきた。
そのカウンターとして、ノアクルをゴミ流しの刑として遠ざけることにした。
条件は整っている。
ランドフォルの天敵となりうるスキル【リサイクル】を以前から〝不吉〟として使わせないようにしていたのもあり、国民感情や大臣たちは刑の実行には反対しないだろう。
悪感情を利用できる。
それに兄上が死なないように、海上でムルに助けてもらう段取りになっていた。
国外の離れた陸地にセーフハウスを用意していて、兄上にはそこで王国の問題が解決するまで暮らしてもらう予定だ。
ランドフォルから、なぜ兄上を殺したのか問われたが『兄上が生きていたら、オレが王になる約束を破棄されるかもしれないだろ。オレは欲深いんだ』と愚者を演じておいた。
これによってランドフォルに不審がられるかもしれないが仕方がない。
兄上がいなくなったことにより、ランドフォルは予備の依代を使う方針になった。
あの双子の妹――ツァラストだ。
姉妹の〝境遇〟はおぞましいことになっていた。
悪いが利用させてもらう。
久しぶりに牢屋に行くと、妹の方は実験で髪の色が真っ白になり、痩せ細っていて、もはや姉とは外見が違いすぎて双子とは思えないほどだ。
見るに堪えないが、人でなしの愚者を演じる。
「兄上がいなくなったから、ツァラストがランドフォルの次の生贄に決定した」
「兄上って誰だよ!? 何でソイツがいなくなったら、ツァラストが生贄にならないといけないんだよ!!」
姉のステラが、まるで獣のように咆えてきた。
それほど妹が大事なのだろう。
懐かしい気持ちになってしまう。
そこから目標である、妹のツァラストを連れ出して寝室で二人になった。
「さて、ここは監視はない。椅子に座ったり、ベッドで休んだりしてもいいぞ」
「あの、私はアナタの許嫁になるらしいのですが」
「まぁ、そうだな。余の許嫁というポジションがランドフォルの奴にとって都合が良い」
そこから妹のステラの安全を取り引きに使い、こちらに協力してもらうという我ながらゲスな選択を迫った。
もちろん、姉妹仲が良いのだからイエスしか選択肢がない。
「では、ジウスドラ。盟約に従い、今から私はジウスドラ・ズィーガ・アルケインと契りを交わしましょう」
その言葉に動揺してしまった。
監視がないというのもあり、ストレートにハレンチ行為を否定した。
ツァラストは姉想いの善い人間で、過酷な実験の影響があっても未だ見目麗しく、こんな汚れた自分を相手にして穢れてよい存在ではない。
あくまで仮初めの許嫁で、表面だけの関係というのをことある毎に念押しする事態となった。
そして、とてつもなく予想外のことが起きていた。
それは兄上だ。
なぜか自力でゴミ流しの刑から脱出していたというのだ。
しかも、時々送られてくるムルからの連絡によれば次々と〝非凡な才〟を持った――もとい兄上からしたら〝使えるゴミたち〟を集めて、海上国家を作っているという。
正直なところ意味がわからないが、ムルや海賊経由で情報を送って、動いてもらったりもしたのだが……さすがにランドフォルと直接対決はさせたくない。
ムルの報告でトレジャンという海賊が、対ランドフォルの切り札になりそうだったので奪取して、決戦に挑むことにした。
だが、そのタイミングで最悪の事態が発覚してしまう。
なんとランドフォルは、王都地下に封印されている海神から無限とも思われる神力を得ていたのだ。
それをどうにかしなければならないのだが、四つある封印装置は〝欲〟のスキルを持つメンバーが常駐していて、明らかにこちらの人数が足りない。
打つ手無しとなったところだったが、なぜかランドフォルは世界を七日後に滅ぼすと宣言して注目を集めた。
そのせいで兄上がやってきてしまった。
追い返そうとしたのだが、〝欲〟のメンバーの前だ。
しかも、兄上はこういうときに察しが悪い。
済し崩しに戦闘になり、巻き込み、結局はツァラストに説得されて兄上と協力体制を取ることになった。
業腹だが、たしかにそれしかランドフォル討伐を成功させる方法は無いのだ。
そこからはさらに予想外の展開となった。
兄上が目立って〝欲〟のメンバーを王都から引き離してくれただけでなく、なんと各個撃破までしてしまったのだ。
〝睡眠欲〟シープ・ビューティー、〝食欲〟鬼牙、〝殺傷欲〟キリィ・カウント、〝愛情欲〟ドロシー・カウント――。
これら事前情報もなく倒してしまうとはさすがだ。
航海が兄上を強くしたのかもしれない。
そのおかげでこちらも随分と動きやすくなった。
〝乾いた道〟を破壊させるための偽装工作で油断させることもできたし、ツァラストを直接向こうに寄越して妹と会わせてやることもできた。
そして、アルケイン王国の伝承である賢者の石作成方法に準えた〝乾いた道〟と〝湿った道〟という準備済みのトンネルを使った作戦を練った。
元々は王国軍を使って王都の民を避難させるためだったのだが、それに追加で兄上たちの勢力を引き入れる。
それによって王都フィロストンの海神封印装置を破壊して、同時にランドフォルを討つ。
永かった。
母上を殺され、父上を奪われ、兄上との仲も引き裂かれた無様な弟王子の悲願が今叶うのだ。
***
横にいるランドフォルに気取られないように、ジウスドラは待った。
あとは海神封印装置の破壊を待ってから、ノアクルと合流してランドフォルを討つだけだ。
そう思った瞬間、ランドフォルが口を開いた。
それも朝食のメニューを聞くような口調で。
「ところでジウスドラ、我を倒す計画は順調か?」





