ツァラストとジウスドラ
私が目を覚ましたとき、何も覚えていなかった。
正確には言語くらいは覚えていたが、身体の動かし方や、この世界の知識もなかった。
衣服を着ていないらしく、寒くてブルッと身震いしてしまう。
目を開けても霞んでいるような視界の中、いるかもわからない誰かに問い掛けた。
「今はAD何年ですか……? ここはどこですか……?」
口から出た言葉は定型文のようなもので、実際にそれを知りたいというわけではない。
そもそもADとは何かもわからない。
「ツァラスト……そこにいるの……?」
「ステラ……」
記憶はないが直感でわかった。
呼びかけてきたのは大切な双子の片割れ――ステラだ。
思い出した、自分の名前はツァラスト。
「おい、いたぞ! 今の内に拘束して閉じ込めておけ!!」
自分たちよりもずっと大人の男性たちが、私たち双子に手錠を嵌めて連れていこうとしていた。
上手く身体を動かせないので抵抗もできない。
霞んだ視界の中、自分たちがいた場所が見えた――そこには途方もなく巨大な〝黒い何か〟がいた。
牢屋に移されたあと、視力が戻ってきてステラのことを見ることができた。
黒く長い艶やかな髪、輝くような緑色の瞳、張りのある褐色の肌、痩せ細った子供の薄い身体。
水桶に映る自分の姿と一緒だった。
ステラの方も同じように視線を動かしていたので、同じように思っていることだろう。
それなら次に口にすることは――。
「どっちが姉か決めましょう」「どっちが姉か決めよう」
――だった。
さすが双子だ。
考える事は同じなようだ。
「でも、どうやって決めましょうか……」
早く目が覚めた方が姉とかでもよかったのだが、たぶん同時らしい。
他に決める手段というものがわからない。
「ほう、お前らが……」
丁度、牢屋の前に意味深で悪そうな笑みを浮かべる金髪少年がやってきたので聞くことにした。
「ねぇ、アナタ。どっちが姉か決めたいのですが、どうやって決めたら良いと思いますか?」
「ふむ? それならジャンケンはどうだ。余も兄弟喧嘩の時はこれで決めることが多かった」
「ジャンケン? それを教えてくださいな」
金髪少年は意味深で悪そうな笑みを貼り付けたまま、親切にジャンケンのやり方を教えてくれた。
「ありがとう、そんなアナタを愛してます」
「なるほど、そういう性質か」
よくわからないことを言われてしまったが、今は姉の座を賭けた勝負の時だ。
「それじゃあ……ジャンケン……えいっ!」
「勝ったー!!」
負けてしまったので私が妹になってしまった。
ちょっと残念。
その表情を見たのか、金髪少年は初めて笑いながら言ってきた。
「妹は嫌か?」
「何か守られる側って感じがして嫌です」
「そうか、余も弟だから少しわかる」
無邪気にそう言ってくる彼に一目惚れしてしまった。
同じ立場で共感されたのが初めてだったからだろうか。
理由はよくわからない。
先ほどと同じように愛していると告げようとするも、言葉が詰まって出てきてくれない。 彼が去ったあとに、もっと彼のことを聞いておけば良かったと思った。
自分のことすら知らないのに。
それから彼は会いに来てくれず、別の優しくない人間たちが検査などを行うようになった。
私たちは服も着せてもらえず、下卑た視線に晒されながら魔術的な数値などを計られた。
姉の方は『役に立たない』と言われすぐに牢屋に戻されたが、私の方は過酷な検査が続いた。
死なない程度に焼いたり、斬ったり、殴ったり、魔術で攻撃したり、汚染された魔力を流したり。
それでも一生懸命、探求しようとしている彼らが無条件で愛おしかった。
「ああ、痛い……辛い……愛してる……」
「何だコイツ、気持ち悪いな。予備の実験体だから窒息しない程度に口を塞いでおけ」
「愛し――……」
それらが毎日続けられ、身体はさらに痩せ細り、髪は真っ白になってしまった。
一日の終わりに牢屋に戻されるのだが、いつもステラが心配してくれる。
「許せない……あいつらツァラストをこんな……!!」
「大丈夫、ツァラストはあの人たちのことも愛していますから……」
「悔しい……ステラに力があれば……!!」
「力があったら、代わりにステラが酷いことをされちゃいますよ。ステラは力がなくてよかったです」
「くそ……くそぉぉおおお!!」
ステラは獣のような叫びをあげながら、地面を叩き始めた。
痛そうだったので手で止めようとしたのだが、思った以上に握力が弱くなっていてどうしようもできなかった。
そのとき、それに気が付いたステラは絶望的な表情をしていた。
「愛してますよ、ステラ……」
「……ッ」
声をあげないで泣かれていた、困った。
次の日、ジャンケンを教えてくれた金髪少年が久しぶりにやってきた。
そこで開口一番言ってきたのだ。
「兄上がいなくなったから、ツァラストがランドフォルの次の生贄に決定した」
「兄上って誰だよ!? 何でソイツがいなくなったら、ツァラストが生贄にならないといけないんだよ!!」
「さて、こんなところから出て余の許嫁になってもらおうか」
「何だよ!! 意味がわからねぇよ!!」
叫ぶステラは相手にされず、私は金髪少年――いや、もう年月が経って青年の年齢になった彼に手を引かれた。
悪そうな表情や口調とは違い、こちらを気遣う優しいエスコートだった。
別の部屋に待機していた侍女に仕立ての良いドレスを着せられ、長い通路などを通って、彼の寝室へとやってきた。
「下がれ、また女性の手が必要になったら呼ぶ」
「畏まりました」
侍女は去り、部屋の中にいるのは私と彼だけだ。
たぶん、その気になれば、発現している私のスキルでどうにかできそうだが、その警戒心はないのだろうか?
「さて、ここは監視はない。椅子に座ったり、ベッドで休んだりしてもいいぞ」
「あの、私はアナタの許嫁になるらしいのですが」
「まぁ、そうだな。余の許嫁というポジションがランドフォルの奴にとって都合が良い」
こんなときだが、私を愛してるから許嫁にしたのではないと知って少しガッカリしてしまった。
「他に色々と聞きたいこともあるだろうが、その前に決断をしろ」
「決断……ですか?」
「これから余の言いなりになれば、姉のステラは『ハプニングが起きて牢屋から逃げ出して、信頼できる人間に保護してもらう』ということが偶然にも発生すると約束しよう。もし、断るのなら――」
「交渉成立です」
「……この先を聞いて考えなくても良いのか? どんなことを要求するのかもわからぬのだぞ?」
「ステラは大事な存在ですから。私がどうなろうと、どうでもいいのです」
金髪青年は眉間に皺を寄せて言ってきた。
「そんなことを言ったら姉妹が悲しむだろう、もっと自分を大切にしろ。……余が説教できる立場ではないがな」
気付いてしまった。
この人は何か宿命を抱えていて、それを表に出すことが許されない優しい人間なのだと。
孤独でひとりぼっちだ。
「私の……私の許嫁の名前はなんと仰るのですか?」
「許嫁の名前……? ああ、余の名前はジウスドラだ。ジウスドラ・ズィーガ・アルケイン」
「では、ジウスドラ。盟約に従い、今から私はジウスドラ・ズィーガ・アルケインと契りを交わしましょう」
すると金髪青年――ジウスドラは頬を赤らめて慌てた。
「ち、契りだと!? そんなハレンチな行為は余は望んでいない!! あくまで形だけの許嫁で良い!! そういうのは本当に愛する者としろ!!」
「ジウスドラ様、ただの約束事という意味ですが……?」
「そ、それならよし……」
その日から私とジウスドラ様は協力関係を結んで、仮初めの許嫁となった。
それからジウスドラ様から色々と伝えられた。
それによりまだ少年の頃から誰にも伝えず、一人で道化を演じ続け、ランドフォルを倒すための機を窺っていたというのを知る。
兄であるノアクル様には、信頼できる者を付けているので安心らしい。
なるべく巻き込みたくないという。
さて、ランドフォルという裏の顔を持つレメク王はかなり強敵のようだ。
王としての地位を持つのはもちろんのこと、どうやら存在しないはずの〝アルケインの海神〟の力を使って、他者に〝欲〟に関するスキルを与えたりできる。
その者たちがアルケイン王国で幅を利かせ始め、事態は急を要すると考えたらしい。
それと少年の頃から道化を演じてランドフォルのことを調べたのだが、普通の攻撃では倒せない。
魔力以上の性質を持つ、神気というモノがなければ攻撃自体がほぼ無力化されるという。
ノアクル様に付けている者もその類らしいが、別のところでランドフォルとは相性が悪いらしい。
そこで私――ツァラストが選ばれた。
ランドフォルの生贄とやらに選ばれるだけあって、同じような性質の力を持つ。
スキル方向もそんな感じだ。
それを使って、ジウスドラ様と二人で暗殺すれば可能性自体はあるという。
だが、ジウスドラ様は用心深く、もう一つの力を探し出していた。
それが死と再生の海神ディロスリヴから禁忌スキルを得た黒髭――トレジャンさんだ。
最初は拘束して無理やり従わせる方針だったが、宿敵である白髭の情報を与えることと、トレジャン海賊団船員の保護を約束したら協力関係が築けた。
これで私、ジウスドラ様、トレジャンさんの三人でランドフォル暗殺を決行することになる。
目標周囲にいる〝欲〟のスキルを持つ者たちは厄介だが、何とかするしかない。
外部で協力してもらっているアルヴァさんが率いるようになった王国軍もいるのだが、彼らではダスト兵を押さえるので精一杯だ。
その代わりに王都でランドフォルと私たちが戦う時に、〝湿った道〟を通ってもらって国民の避難を促してもらう役目を担ってもらう。
かなり分の悪い賭けだとジウスドラ様は言っていたが、私はどこまでも付いて行くつもりだ。
それがディロスリヴがいる死の世界だとしても。
そのタイミングで最悪の情報を得てしまう。
ランドフォルの力の源は、王都に封印されているアルケインの海神だというのだ。
それをどうにかしなければランドフォルは海神のような力を得ていて、殺しても復活する可能性が大きい。
アルケインの海神から力を吸い取っているらしき魔力装置――仮に封印装置と呼ぶ――は四ヶ所あり、大体の時間は〝欲〟たちが各箇所で守りを固めている。
その封印装置を破壊したことに気付いてランドフォルに逃げられては暗殺失敗だ。
つまり四ヶ所の封印装置をほぼ同時に壊し、しかもランドフォルに逃げられる前に倒せる戦力数が必要になる――つまり五ヶ所同時攻撃。
不可能だ。
こちらは三人、多くて四人――しかも〝欲〟は手強く一対一で私は勝てるかどうか怪しい。
さすがのジウスドラでも、これをどうにかする方法は思いつかなかった。
ランドフォルに勝てないのは確定だ。
絶望しかなかった。
――だが、状況が変わった。
突然、ランドフォルが『世界を七日後に滅ぼす』などと世界に向けて言い放ったのだ。
その意図は不明だが、彼の方針的にそんなことを実際にするはずがない。
しかも、それに吸い寄せられるかのようにお義兄さんがアルケイン王国へやって来てしまう。
ジウスドラ様は巻き込まないように必死に追い返そうとするが、結局は参戦する形になった。
そこからはさらにメチャクチャな状況へ進んでいく。
海上国家ノア勢力を警戒して、〝欲〟たちはランドフォルの近くを離れて、しかもお義兄さんによって各個撃破されていくという信じられない事態が起きていた。
だが、これで勝機が出てきた。
封印装置の防衛に新たな人員を配置されても、海上国家ノアの助力があれば突破できる。
私が懸念していた、ジウスドラ様とランドフォルが差し違えるということも回避できる可能性が高い。
必死にジウスドラ様を説得して、お義兄さんもこちらの戦力として引き込むことにしたのだ。
それに戦力だけでなく――姉妹が仲良い方が良いように、兄弟も仲良くなってほしかったというのもある。
監視されていないときのジウスドラ様は、お義兄さんのことを話すときにとても楽しそうだったから。





