白髭のお茶会
――一方その頃、幸せの街ガンダーの領主屋敷。
ジーニャスは奥の部屋に通され、そこで緊張していた。
「お、お招きいただきありがとうございますにゃ……」
それもそのはず。
周囲には執事やメイドたちが並び、見た事もないような綺麗な食器で、高そうなお茶やお菓子をセッティングしてくれているのだ。
お菓子を各階層に積んである、名前のわからない〝金属タワー〟など初めて見た。
「ティースタンドからも自由にお菓子を取っていいよ、知らんけど」
横に座っているドロシーが言うには、謎の金属タワーはティースタンドという名前らしい。
テーブル横に控えている品の良い老執事が、ニコリと笑みを浮かべながら近付いてきた。
「ジーニャス様、仰っていただければお皿に取り分けますよ」
「は、はい!! そのときは是非お願いしますにゃ!!」
初めてのセレブなお茶会にドキドキしてしまう。
そして、それらのやり取りを和やかに見守っていたテーブルの向かい側の人物――。
「本日はお越し頂き、ありがとうございます。娘から聞いていた通り、とても可愛らしいお嬢さんですね。おっと、紹介が遅れました。私はキリィ・カウントと申します。伯爵という意味のカウントとかぶっていて、娘にはよく笑われてしまいますが……」
白い髭を蓄えた中年男性、キリィ伯爵。
喋り方、仕草、言動からしてとても温厚そうで、人の善さそうな人物だ。
この幸せの街ガンダーの領主であるわけで、それを体現したかのような存在。
きっと誰からも信頼されているのだろう。
「は、初めましてですにゃ! ジーニャス・ジニアスですにゃ!」
「ジーニャス……ジニアス……良い名前ですね」
「ドロシーさんには大変お世話になっていて……」
横に座っているドロシーが、ムッとした表情をしてきた。
「さん、はいらないって言ったっしょ」
「こ、こんな立派なお父さんの前でいきなり呼び捨てはハードル高いですにゃ」
「パパもあーしを愛してるし、じにゃぴもあーしを愛してるから大丈夫っしょ! ほら、やり直し!」
「えぇ……!? えーっと、ドロシー……には大変お世話になっていて……」
「うんうん、二人とも幸せそうで何よりですね!」
キリィ伯爵は満面過ぎる笑みで大喜びのようだ。
ドロシーはよっぽどの愛娘なのかもしれない。
「さぁ、お茶とお菓子を頂きながら、幸せなお喋りをしましょう」
何か違和感を覚える。
そうやって少しだけ戸惑いを見せていたら、横のドロシーがこちらの紅茶とお菓子を少しずつ口に入れていた。
毒味というやつだ。
「ほらほら、毒なんて入ってないから警戒しなくて良いっしょ。パパも喜びすぎてテンションが高すぎ~!」
「ははは、つい嬉しくなってしまって申し訳ない。娘が幸せそうなのは喜ばしいし、そのお友達が幸せそうなのも良いことです」
何かお茶を飲まないといけない雰囲気になってきたので、ティーカップ横のハンドルをつまみ上げて一口飲むことにした。
猫舌のジーニャス向けに少し冷まされていて、丁度飲みやすい温度になっている。
甘いお菓子に合うように、砂糖は入っていない。
紅茶本来の渋みと香りを楽しんだあと、最初から用意されていたお菓子にフォークを差し込む。
ただの焼き菓子だと思ったのだが、甘くて美味しそうな真っ白いクリームがたっぷりと詰まっていた。
口に運ぶと、紅茶とベストマッチして思わず笑みが漏れてしまう。
「うんうん、私は他者の幸せが大好きなのです。そういう表情を見せてくれる人が、世界中に広まってくれることを願うばかりです」
「とても崇高な考えを持った方ですにゃ~……」
「誰かが幸せだと、私もすごく幸せなことをできるのです。つまり、私のためでもあるのですよ」
それを聞いていたジーニャスは、前に母も同じようなことを言っていたのを思い出した。
「うちのお母さんも、似たような考えで貧しい人を助けたりしていましたにゃ~」
「そう、ジニコ・ドラさん」
「……え? お母さんの名前をなんで……」
「私は彼女に感銘を受け、彼女を殺し、彼女の思想を奪い取ったのです。海賊の権利として」
瞬間、ジーニャスは不味い状況だと気が付いた。
「改めまして、白髭キリィ・カウントと自己紹介した方がよろしかったでしょうか」
目の前にいるのは敵だ。
その敵の屋敷の中で、当然のように使用人も敵だろう。
しかも、真横にいるドロシーも敵なら、いつから敵として狙ってきていたのか。
ドロシーの邪悪な笑顔が、視界の片隅に映る。
ゾワッと身の毛がよだつ。
人生で初めて、ここまでの用意周到な悪意に晒されてしまったのだ。
直接的に殴られるような悪意ではない、精神を握り潰すような計画的な悪意。
逃げなければ、と判断をする。
視線を動かし、脱出経路を探る。
ガラス窓が横にあった。
そこからすぐに――。
「……あれ……急に眠たく……」
身体を動かすことができない。
飲食物に薬を盛られたか?
いや、ドロシーも口にしたはずだ。
それならなぜ?
「この感覚は二度目……まさか……」
「じゃじゃーん、メイドに変装していたウチ――シープ・ビューティーでした~!」
それはゴールデン・リンクスの戦いで全員に対して【睡眠欲】のスキルを使ってきた幼い少女だった。
うかつなことに、メイド服を着ていたので気が付かなかったのだ。
明確な敵の登場により、現在の危険度を把握した。
「私を……人質にでもする気かにゃ……? 白髭……キリィ・カウント……」
「ああ、失敬。たしかに殺さずに捕らえたのなら、そう思われてしまうのも仕方ありませんよね」
キリィは仕立ての良いスーツの内側から、刃こぼれした片手斧を取り出した。
「違います、違います。そんな野蛮なことは致しませんよ。私はただの人殺しではない。きちんと手順を踏み、信念に則った人殺しですから。話せば長くなりますが――」
「そ、そんなこと別に聞きたくないにゃ……」
瞬間、横にいたドロシーが顔を鷲掴みにして、お互いの顔がくっつくかという距離に引き寄せてきた。
「じにゃぴ、パパの話キャンセル界隈しちゃ~だめっしょ」
その表情は、優しかったドロシーのままだ。
狂気を感じる。
「お恥ずかしながらこの白髭、昔はただ単に殺しを楽しんでいました。しかし、トレジャン君の家族を殺したときに気が付いたのです。幸せな者を殺すと、私も幸せになれると。不幸せなものを殺すのとは殺人の純度が違うのです」
「トレジャンのおじちゃんの家族まで……お前は……」
「ですが、幸せな者を探して殺すというのも手間がかかる。幸せだと偽っている者を殺してしまったときは、まるで腐った果実を口に入れたかのような悍ましさがありました」
「じ、自分勝手すぎる……」
「ええ、自分勝手です。とても反省しています。そこでジニコさんの素晴らしいお考えを聞き、全人類を幸せにして差し上げれば、誰を殺しても濃密な果実の味を楽しめるのではないかと考えたのです。たはは、さすがにいきなり全人類は無理なので、まずは街からですが」
「狂ってる……狂ってるにゃ……」
「とんでもない、私はいつでも正気です」
目の前のキリィは、まったく邪気のない笑顔を見せてきている。
本当に、心底、きちんと考えて行動をしているのだ。
腕力ではない、歪んだ恐ろしさ――思想というのを初めて経験して震えが来てしまう。
「とても良い表情です。幸せだった者が見せてくれる、天から地へ落ちた感じ……。天使の堕天というのはこういうことを言うのでしょうか。ああ、私程度の語彙ではうまく表現できない。やはり筆舌に尽くしがたい……。早く目で、手で、耳で、心で死の味を確かめたい……」
キリィは刃こぼれした斧を、ジーニャスの額にコツンと当ててきた。
思わず悲鳴が漏れてしまう。
「おっと、逸る気持ちを抑えなければ……。まずは右腕を切断して楽しみましょう。それも錆びた斧なので、なかなか斬れずに何度も楽しめます。その次は左腕。もうこの頃にはだいぶ痛みに慣れてきているかもですが、お付き合い頂ければ幸いです。そして、右脚、左脚……この頃には血液を失いすぎて、意識が希薄になってきているでしょう。最後に頭部です。ああ、想像してしまうだけで悲しい……この幸せが終わってしまうなんて……」
「ねぇねぇ、意識を保たせる調節をしながらって大変だから、早くしてよ」
「すみませんね、シープ・ビューティーさん。では――濃厚なる果実の一口目、右腕から斬り落としましょう」
片手斧が高く掲げられた。
鈍く光を反射する。
恐怖しかない。
他に何も考えられない。
自らの身体が削られていき、それを下衆に愉しまれ、最後は結局殺されるのだ。
いや、最後に一つだけ気持ちが浮かび上がってきた。
この白髭は、母親のカタキだったのだ。
悔しい、悔しすぎる。
仇を討ちたい。
きっと、自らの家族と、親友だったジニコを殺された〝あの人〟もそう思っていたのだろう。
無情にも振り下ろされる片手斧。
「よいしょーっと……――ん?」
ガキンッと金属音。
間一髪、ジーニャスは無傷だった。
白髭の片手斧は、目の前に差し出された見覚えのある義手によって受け止められていた。
「あなたは――トレジャン君じゃありませんか。お久しぶりですね」
「見つけたぞ……白髭……。もう二度と殺らせねぇ」
そこには窓をぶち破って入ってきた、黒髭のトレジャンが立っていた。





