闇夜の殺人鬼
ガンダーの街の暗い夜道。
朝は賑やかな街なのだが、夜になると静けさのギャップもあって不気味さを感じてしまう。
空気を響かせるのは、固い地面に靴がコツコツと当たる音だけだ。
今日は不思議とすれ違う人も見ない。
歩いていると背後に気配を感じてハッと振り向いてしまう。
「……!?」
そこには誰もいない。
気のせいか……と思い直して歩く。
道を照らすのは月明かりのみ。
月は狂気の象徴とも言われるが、この暗い夜道を歩いているとその理由もわかってくる。
見上げた月の表情は、まるで地上の人間たちが怖がるのを愉悦しているかのように思えてしまう。
強大な月という存在に対して、人間というものは何と無力なのだろう。
皿の上に載せられた料理、オママゴトの土塊人形、地面を這う蟻。
自分は今、そういう存在なのだと実感してしまう。
確率は低いが転んだだけで頭部を打って死ぬこともあるだろうし、それこそ隕石が落ちてきて死ぬ可能性だってある。
理不尽な死など、どこにでも転がっているのだ。
普段はそれを見ないようにしているが、月が照らす狂気の輝きは真実を映し出す。
自分もそのありふれた〝死〟の対象になることがあるのだ、と。
ヒタヒタ……背後から何か音が聞こえる気がする。
普段聞かないような音なので、空耳かもしれない。
暗い夜道と月の光で狂気に誘われ、ありもしない妄想をしてしまっているだけ。
先ほどのように振り返っても何もないはずだ。
しかし、振り返って本当にいたらどうする?
いや、本当にいたら、とは〝何を〟示しているのだろうか。
ただ同じ道を歩いている通行人かもしれないじゃないか。
ちょっと振り向いてそれを確認して、目が合って気まずくなってしまって終わりだろう。
ここは非現実の世界ではない、その程度のことしか起きないはずだ。
振り返った。
「……ひっ」
思わず悲鳴を上げてしまった。
まず見えたのは斧だ。
木こりが使うような無骨な片手持ちの斧。
もう片方の手には装飾の施された杖。
黒い人影は目も合わせず、ヒタヒタと歩いてくる。
こちらに向かってくる。
避けようともせず、一直線に向かってくる。
恐怖を感じた。
あの斧は何をするために持っているのか。
なぜこちらに向かってくるのか。
狂気の月が斧をギラリと照らす。
研がれていないのか、刃は朽ちてボロボロだ。
木を切るには心もとない。
では、何を切るのか?
『幸せの街ガンダーへようこそ』
***
「にゃーっ!?」
ジーニャスはベッドから飛び起きた。
両手を見る。
大丈夫だ、平気だ。
先ほどまでは夢だったと、息を整えながら認識した。
「た、たしか昨日……ドロシーにオススメされた宿に到着して、そこで宿の人から闇夜の殺人鬼の噂を聞いて……」
寝起きの頭だが、ぼんやりと思い出してきた。
幸せの街ガンダーは、その名の通りに誰もが幸せに暮らす街なのだが、恐ろしいことが一つだけあると。
それは夜間に殺人鬼が出現するというのだ。
夜に出るという条件以外は神出鬼没で、期間や場所、被害者もバラバラだ。
しかし、なぜ共通点がない中で〝闇夜の殺人鬼〟という一人がやっていると断定されているか?
それは殺し方にあった。
切れ味の鈍い斧のような刃物で、力任せに四肢を切断された死体ばかりだからだ。
しかも、生きながらにして、手早く、正確にその状態にされたらしい。
異常性が高く、それを模倣しようにも手慣れすぎていて、やったのが本人だとすぐにわかる。
そんな話を聞けば悪夢の一つや二つ見てもおかしくはないだろう。
「寝汗をめちょかいてるっしょ……。ってドロシーの口癖が移ったにゃ」
ジーニャスは苦笑いしながら、部屋に備え付けられているシャワーを浴びることにした。
値段もお手頃なのに、ここまで設備が揃っているというのは紹介してくれたドロシーに感謝するしかない。
手早く服を脱いで、シャワーのお湯を浴び始めたのだが――。
「うぅ……何か怖い話を聞いたあとって変な気配を感じてしまうにゃ……。聞かなきゃよかったにゃー!!」
そのとき、突然シャワー室の扉が外からガチャッと開けられた。
「ぎにゃー!! 出たにゃー!! ……って、あなたはジュエリン?」
そこにいたのは元フランシス海賊団の古株でもあり、今はトレジャン海賊団幹部のおねぇ系男子ジュエリンだった。
「あらぁ、人の美しい顔面を見てお化けでも出たようなリアクション、失礼しちゃうわね」
「な、なんでこんなところにいるにゃ……」
「んもー、恥ずかしがって身体を隠しちゃって。アタイはジーニャスちゃんのおしめを替えたことだってあるのよ? 見たい身体はイケオジ、イケメン……ノアクルちゃんならガン見しちゃうんだけどねぇ~。……って、そうそう、話があるから、早く服を着て出てきなさいよ」
とりあえず、敵意はないようだった。





