船上の乱戦
――少し時は戻り、ノアクルが落ちた直後のゴールデン・リンクス。
船上は絶望感漂うも、状況は逼迫していた。
「う、海に殿下が落ちて……今すぐ助けに行かないと……!」
「そうはいかないど。オデ、おまえ喰う」
鬼牙がゴールデン・リンクスの甲板に飛び乗ってきたのだ。
その巨体ゆえにズシンと船が揺れた。
「やわらかいメスのガキは美味そうだでぇ~!」
「ひっ」
巨体の割りに素早く、たるんだ腹以外は全身が筋肉だとわかる。
一瞬でローズの眼前に迫った。
「わ、わたくしだって……戦場にいるのなら……!」
ローズは短い詠唱を呟き、その手の平に魔力を凝縮させていった。
多才なローズの特技の一つである魔術だ。
この年齢で、ここまで手堅く魔術を使える人間も少ないだろう。
「――ディバイン・イグナイト!」
聖なる炎が渦を巻き、鬼牙を包み込んだ。
常人が食らえば全身が大火傷で戦闘不能となるだろう。
「す、少し可哀想なことをしましたわ……」
「んん~? めくらましかぁ~?」
「そ、そんな……まったく効いてない……!?」
一般人ならともかく、戦場に身を置くような存在は常に魔力で全身を強化しているのだ。
貴族であるローズが習った魔術というのは、そういう存在に対してはお遊戯でしかない。
あくまで護身用なのだ。
「いいことおもいついた! ぶつぎりにしたあと、やいて喰う! おまえ、美味そう!」
鬼牙はヨダレを振り撒きながら、遙か頭上に掲げた二刀流を振り下ろす。
「ひっ」
ローズは死を覚悟した。
己の思い上がりを後悔した。
殿下たちはこんな過酷な戦場でいつも戦っていた――そう気が付いたときはもう遅いのだ。
ローズの柔らかい肉に刀が食い込み――。
「そうはさせねぇさ……」
否、表皮に触れようとした瞬間に刀は、別の巨大な刀によって弾かれていた。
それはフラつきながらも、まだ眼をしっかりと見開いているダイギンジョーであった。
「ローズの嬢ちゃん、後ろに下がりな」
「おめぇ、喰うところすくなそうだから、お鍋がよさそうだど」
「料理猫が鍋にされるのは落語じゃあるめぇし……御免被りやすぜ。たぶん肉質的に美味くもねぇ」
「じゃあ、いらぬぇ」
金属音、火花。
すぐに刀と刀が打ち合われた。
体格が大きい割りにスピードもある鬼牙に対して、眠気が取れないダイギンジョーは苦戦を強いられていた。
それを旗艦エデンの甲板から眺めていたクジャームは、妖艶な笑みを浮かべた。
「あらぁ、美形がいたらアタイにも残しておいて欲しいわねぇ。物理的には食べないけど。行くわよ、ダスト兵たち」
クジャームの背後に大量の兵士がやってきた。
それは人の形をしているのだが、生身の存在ではない。
ゴミを寄せ集めて作られたような、歪な人形に近いものだった。
クジャームは、そのダスト兵たちと共にゴールデン・リンクスの甲板へと乗り移った。
「マズイにゃ……。船員は全員寝ていて、気合いで起きている少数もまともに戦える状態じゃ……」
ジーニャスは眠気に襲われつつも戦況を眺めて分析していたが、どう見ても敗戦濃厚だ。
しかも、ダスト兵と呼ばれた存在は人間よりも力が強く、スパルタクスとレティアリウスが応戦しているのだが、かなり厄介そうだ。
「だ、大丈夫……なんとかなる……!」
「足止めできない相手じゃないけどねぇ……でも……これはちょっとピンチね」
殴ってダスト兵の首を飛ばしたのだが、すぐにくっついて平然と立ち上がってくるのだ。
これでは倒すことができない。
「やべぇぜジーニャス!! 早く何とかして撤退しないと――」
焦るトラキアだが、近くにクジャームが来ていたことに気が付いていなかった。
「あらぁ、こういうタイプの獣人くんを虜にするのも悪くないわねぇ」
クジャームが派手な羽を広げ、トラキアに投げキッスをした。
不思議なことに目に見えるハート型の投げキッスで、それがトラキアに当たってポップに弾けた。
「うひょー!! クジャームちゃんサイコー!! オレ様はクジャームちゃんの味方だぜ!!」
「ちょ、ちょっとトラキアさん、何をしてるにゃー!?」
急に敵に寝返ったトラキア。
混乱している状況の中で、さらに混乱するようなことが起きてジーニャスは頭がパンクしそうだった。
今はダイギンジョー、スパルタクス、レティアリウスが何とか持ちこたえているが、それも長くは持たないだろう。
そして撤退しようにも、船員たちは不思議な力で眠っているので船を動かすこともできない。
ジーニャス自体も眠気で行動することができないのだが、それでも理解してしまっていることが一つある。
完全に詰んでいる。
しかし――。
「ぎゃっ!?」
「眠気が……解けた?」
天から光の弾……いや、輝く羽が弾のように振ってきて、シープ・ビューティーに当たっていたのだ。
「くそっ、何者だよ!?」
遙か頭上にいるため、相手の姿は見えない。
それと同時に王都の方で爆発が起きていた。
離れた位置の甲板上からでも確認できるので、かなりの規模だろう。
さらに海からも轟音。
「もうなんなのよ!?」
遠くから何隻かの謎の船がやってきて、旗艦エデンへ威嚇射撃を行ってきていた。
「ふむ、これは優先順位を変えなければな」
そう冷静に判断するジウスドラに対して、優位な剣戟を続けていた鬼牙は激怒していた。
「オデ、まだ喰ってねぇ!」
「目の前のどうにでもなるゴミ共を食うより、ここで無駄な時間を食ってランドフォルに何かあったら一大事だろう?」
「うっ」
鬼牙は後ろへ大きく飛びのき、二刀流を収めた。
「つぎ、おまえらぜったいに喰ってやるど」
クジャームも納得できないといった表情で引き下がる。
「クァーッ!! アタイ以外が空を飛んで羽を飛ばしてくるだなんて、気に食わないじゃない!! いつか叩き落として、この色気の虜にしてあげるわ!!」
クジャームとダスト兵は旗艦エデンへと戻った。
そして、艦は王都の方へと転進して去って行ってしまった。
「な、何とか窮地を脱出したにゃ……。でも、空からの謎の援護に、謎の船……。どうなってるのにゃ……」
「で、殿下を救助しなければ……」
「あっ、そうだったにゃ! ノアクル様の救助を最優先にするにゃ!!」
しかし、ノアクルは発見できずにお通夜ムードが漂ってしまうのであった。





