会敵
「さて、もうそろそろ懐かしのアルケイン王国に到着か」
ゴールデン・リンクスの船上でノアクルが呟いた。
ここ二日間、何をやっていたかというと暇すぎたので各自の修行に付き合っていた。
本を持ち込んでいなかったので座学から逃げられたのは幸いだ。
「それにしても臭いな……」
「アルケイン王国がきな臭い?」
横にいたアスピが聞き返してきたが、そういう意味ではない。
「いや、物理的に臭い」
ゴミ流しの刑が行われた海域はさらにゴミが増えていて、臭いもきつくなっていた。
あれからさらにアルケイン王国は無駄に資源を浪費し続け、ゴミを増やしていったのだろう。
無限とも思える資源を与えれば、人間はこうも堕落してしまうものなのか。
船旅の景色が台無しだ。
「ワシは亀じゃから臭いは気にならんのぉ。……それにしてもノアクルと出会った海域、懐かしいのぉ。見た目はさらに酷くなってしまったが」
「まさかここまでになっているとはな。アルケイン王国に何があったんだ……」
「ワシは嫌な予感しかせんぞ……」
「アスピがいれば何とかなるだろ」
そのとき、マストに登っていた見張りの海賊が報告してきた。
「船長、12時の方向に巨大な船が待ち構えています! 船上に一人で誰か立っているな……王様? 違う、そういう雰囲気はあるけどもっと若い金髪の……」
「ノアクル様、どうしますにゃ?」
警戒して船上に上がっていたジーニャスが指示を仰いできた。
「ジウスか。相手が撃ってこないようなら近付いて話してみたい」
無謀とも思えるような選択だが、今までノアクルに従って生き残ってきた者たちだ。
海賊を含め、全員が命を共にする覚悟がある。
「絶対に嫌な予感がするがのぉ……ワシの第六感が告げておる……」
――例外的にアスピのような者もいるが。
そのまま微速前進で進むと、互いに声が届くような距離になった。
それはすぐに白兵戦が出来てしまうということでもあり、船内に緊張が走る。
「久しぶりだな、ジウス」
相手の船の上にいたのは見間違いようもない、懐かしい弟の姿だ。
別れたときから少し貫禄が出ている気もする。
男になった、とでもいう感じだろうか。
ジウスドラの後ろに控えていた兵士が、ノアクルの言葉に激怒してきた。
「貴様!! ゴミ流しにされた罪人のくせにジウスドラ殿下を呼び捨てに――」
「黙れ、余は兄上と話をしたいのだ」
「し、しかし……」
それでも兵士はノアクルを警戒しているのか、今すぐに攻撃した方がいいと言わんばかりの険しい表情だ。
ある意味、主君を守るために苦言を呈する者に見えてしまう。
そんな兵士の頭を、巨大な手で鷲掴みにして持ち上げる巨漢がいた。
「オデ、腹減った。ジャマならコイヅ、喰ってもいい?」
「ひっ!?」
兵士は暴れるが、巨漢の男の力が強いのか抜け出すことができない。
それもそのはず、頭に二本のツノが生えた赤銅色の存在――鬼だからだ。
だらしなく出ている腹を揺らしながら、鋭い牙の隙間からヨダレを垂らしている。
「止めろ、余の船でそのような行為は許さん」
「あ? この〝食欲〟の鬼牙さまに……めいれいすんのか?」
鬼牙と名乗った食人鬼は兵士を投げ捨てると、二振りの刀を左右の手で構えた。
まさに一触即発の状態だ。
介入した方がいいか? と思ったが――。
「余計なことはするな。ランドフォルに報告してもいいんだぞ?」
「……ちっ」
そのランドフォルという名前を出した瞬間、鬼牙は黙って引き下がってしまった。
「さて、お久しぶりです兄上。話をしましょう」
「本当は思い出話に花を咲かせたいのだが、先に色々と訊きたいことがある。父上が七日後に世界を滅ぼすと言っていたが、アレは何なんだ?」
「答えられません」
「この海域のゴミの増えっぷりはなんだ?」
「答えられません」
「その横にいる胡散臭い奴らはなんだ?」
「あぁ? オデたちのことか?」
先ほどの鬼牙を含め、異様な雰囲気の存在が二人ほどいた。
一人はスパルタクスほどの大きさがある巨女で、派手なクジャクの羽を付けている。
もう一人は羊のパジャマを着た幼女で、このような場にいるのは場違いすぎる。
アルケイン王国にいたときは見たことが無い奴らだ。
そして、ムルとトレジャンの姿は見えない。
「答えられません」
「……そうか」
すべての質問に対して答えられないと返してくる。
「ノアクル、お主死ぬほど嫌われているのでは?」
「ふむ……」
アスピはそう言ってくるが、ノアクルとしては何か理由があるのだと推測してしまう。
ただ弟に対して甘いだけなのかもしれないが、ゴミ流しの刑などの酷い仕打ちを受けてもそう思えてしまうのだ。
そのことから、ムルのことや、トレジャンのこと、フランシスのことは訊かないでおいた。
それは〝もしもの可能性〟を考えてだ。
「それじゃあ、ジウス。お前が俺に話したいことはなんだ?」
「何も聞かずにこちらの傘下に入ってください」
「却下だ」
「即答ですね」
ジウスドラはその返事がわかっていたかのように冷静だ。
「当たり前だろ。俺はジウスの仲間にはなってもいいが、父上や、その横にいるわけのわからない奴らの仲間になる気はないぞ」
「そうですか、残念です。そのままお帰りくださ――」
交渉決裂しても、戦闘には突入しない雰囲気だった。
しかし、陸――アルケイン王国の方からどす黒い魔術……いや、その上位である魔法の塊が人型の影として見えたのだ。
この距離から見えるということは異常なほどの力だというのを察してしまう。
チカッと黒い輝きが瞬く。
超長距離から何かが発射された。
一瞬で迫る死の気配。
「マズい……!」
「だから嫌な予感がすると言ったじゃろおおおお!!」
絶叫しながらアスピが魔力障壁を貼るのと同時に、巨大なエネルギーの奔流がゴールデン・リンクスを襲う。
嵐に放り出されたかのような衝撃と揺れ。
ギリギリのところで魔力障壁が少しだけ攻撃を逸らして、船ではなく海を蒸発させているのが見えた。
一瞬だが底の地面が見えて、モーゼの十戒のようになっている。
直撃したらひとたまりもないだろう。
「ほら、アスピがいればどうにかなっただろう?」
「なぜか相手の攻撃の特性を理解できて、紙一重で逸らせただけなんじゃがー!?」
「よくわからないが、ヨシ!」
さすがアスピである。
「止めろランドフォル! 仲間にすれば、結果は同じだろう!!」
ジウスの叫びが届いたのか、遠くに見えていた黒い影は霧散していった。
「それじゃあ、アタイの力を使うかい? コッコッコッコ、クァーッ!! 興奮してきたねぇー!!」
「クジャーム、お前では適さない相手もいるだろう」
「ミャオー……」
クジャームと呼ばれた巨女は、派手は羽を広げていたのだが、つまらなさそうにして羽を収納してしまった。
「じゃあ、ウチの力かぁ? 今回は理にかなってるし、鬼牙やクジャームのように止めたらそれこそランドフォル様の意に反するからなぁ!」
「……好きにしろ、シープ・ビューティー」
渋々承知するようなジウスドラ。
それを納得させたのは、シープ・ビューティーと呼ばれた十歳にも満たないような女児だ。
目の下にクマがあり、羊のようなパジャマを着ている。
目付きの悪い凶悪な笑みを浮かべながら、両手を前にバッと出した。
「羊が一匹……」
人差し指だけを出して、1を表現しているようだ。
さすがに冗談かと思ったが、すぐ違和感に気が付いた。
「これは……精神攻撃系スキルか……」
心に直接触られている感覚があるのだ。
「羊が二匹……羊が三匹……」
周囲にいた船員が倒れ始めた。
どうやら彼らは眠ってしまったようだ。
相手の船ではこの現象は起きていないので対象を選べるか、指向性の範囲指定なのかもしれない。
非常にマズい。
精神を強く持てばギリギリ耐えられるが――。
「で、殿下……」
「ローズ!!」
運悪く甲板に出てきていたローズが眠気でフラつき、海に落ちようとしていた。
それをギリギリのタイミングで掴み、引き上げられた。
助けられてホッとした。
「しまった」
その気の緩みが精神攻撃に対して隙を作り、急激な眠気に襲われてしまう。
「……くそっ」
「殿下!!」
今度はローズが逆に手を掴もうとしてきたが、敢えて掴まなかった。
掴んでしまったらローズが体重を支えられなくて海に引きずり込んでしまう形になるので、これでよかったのだ。
そう思いながら、ノアクルは懐かしのゴミ流しの刑の海へ落ちていった。
***
「ここは……」
「気が付きましたか」
目を開けると、どこかの海岸の砂浜が見えた。
どうやら流されたあとに、声の主に助けられたようだ。
お礼を言うために声がした方向へ視線を向けると、そこには懐かしい顔が――いや、二度と見たくなかった顔があった。
「げぇっ!! シュレド!!」





