推しとすごす一日
トレースの町につくと、おばあちゃんが家に泊めてくれるという。おばあちゃんは王都の娘のところに遊びに行っていたらしく、おじいちゃんが馬車で迎えに来ていた。
「旅の神官さんか。まあまあ、仕事はともかくとしてうちに泊まりな。子どもたちが巣立ったから部屋は余ってるのさ」
夕暮れのトレースの町で、とりあえず成人男子が食べそうな総菜を片っ端から買って、おじいちゃんの馬車の荷台に乗り込んだ私たちである。
馬車は町を出ると、少し走って止まった。
「家は山のふもとにあるんだよ」
山というよりなだらかな丘にはミカンの木々が整然と並び、その麓である馬車の止まった平地には、白くて大きな家が建っていた。少し離れたところに作業用の小屋と馬小屋もある。まるでおとぎ話のような景色に私は少しはしゃいでいたかもしれない。
「町長の屋敷の使用人部屋とか、庭とかには泊まったことはあるけど、普通の人の家に泊まるのは初めて」
思わず正直な気持ちが漏れてしまっていた。
「姉さん……」
「他の下働きの人も皆そうだったよ。騎士も神官も。ごめん、余計なことを言った」
私の他の三人は客人として優遇される立場だったが、二百人以上の一行すべてを客室になんてそもそも無理な話なのだ。
話をごまかすように、家に招き入れてもらい、今の季節は使っていないという大きな暖炉を感心して眺め、今でも時々泊まりに来る娘さんの部屋のかわいいベッドやベッドカバーにはしゃぎ、大きなテーブルに並べられた、自家製のハムやシチューに舌鼓を打ち、町で買ってきた屋台の総菜をわいわいと食べた。
もちろん、魔王討伐の旅の間も大人数で食事をとったが、私は下働きか神官のところにいて、アヤカやレイとはほとんど一緒に食事をとったことはなかった。レイが気になるようになってからも、遠くから眺めていることがほとんどだったから、一緒の食卓について楽しかったけれども、とても緊張した。
食事が終わって後片付けを手伝い、部屋に戻ると私はほうっとため息をついた。
「姉さん、さすがに疲れましたねえ。とても楽しかったですけど」
同じ部屋のアヤカがベッドの上にポスっとうつぶせた。
「うん。でも嬉しかったな」
私はそうつぶやくと、開いている窓に向かい、手を合わせた。正直に言おう。
「この世界に私たちを引っ張ってきた神様じゃなくて、地球の神様。今日はありがとう。今日一日、レイと一緒にいられて幸せでした」
「ちょっと姉さん、私もいましたよ?」
アヤカの突っ込みはとりあえず無視する。
「レイのちょっとはにかんだ姿や、ミカンを食べてすっぱい顔をしたところや、おばあさんを優しい顔で見ていたところや、それから」
「はい、そこまで!」
アヤカに止められてしぶしぶ途中でやめたが、こんなにいろいろな表情のレイを見られて至福の一日だった。
「そんなに好きなら、なんであきらめるんですか」
「だってさ」
だって、なんだろう。私はアヤカの隣に腰かけて自分の心を覗き込んだ。
「自信が、ないからかな」
「自分から告白する勇気はあったのに?」
「それは、だって」
まただって、だ。だって、だって。なんだというのだろう。
私はうつむいたまま、床に話しかけた。
「どうせ振られると思っていたから」
玉砕するとわかっていたから告白できた。ひどい話だ。
だから、この恋が叶うかもしれないとなったら、焦って逃げ出した。そういうことなのだろう。
「でも好き」
「わかりますよう。なんで私がこの旅に付いてきたと思ってるんですか」
「うん。知ってる」
私を心配してでも、命令だからでもない。
「ハワードがいるから」
「ですです。レイと相談して裏から手を回すのが大変だったんですから」
「手を回したんだ」
私はガクリとうなだれた。でも納得もした。
アヤカには行動力がある。
「でもそれならついてくるのアヤカだけでもよかったじゃない」
「じゃあレイがいないほうがよかったんですか?」
「うう」
私は頭を抱えた。
嬉しくない。心がざわめいて、そんな自分から逃げ出したくなるから。
嬉しい。少しでもたくさんレイと一緒にいられるから。
「私は姉さんがライバルなんですから。蹴落とすためには策は必要です」
「ライバルではないと思うけれど」
ハワードは気楽な友だちだ。というか、友だちですらなく、知り合いレベルだと思う。
私のほうを見たアヤカの目には、真剣な色しかなかった。
「でも、だからと言って私はコトネ姉さんにレイを押し付けたりはしませんよ。ただ、状況は整えました」
「状況?」
「ええ。姉さんにレイを見てもらう状況です」
私はアヤカの言ってることがわからなくて首を傾げた。
「どういうこと?」
「私たち、つまり私とレイとハワード、そして神官と王子は旅の間いやおうなしに一緒だったけれど、姉さんは違った。それを何ともできなかった自分もふがいないけれど、だからこそ姉さんには見えてないものがあると思うんです」
「見えていないもの……」
確かに私がレイを好きになったのは、遠くから見て感じたレイの人柄だ。次第に距離が近くなっていくと、不器用な優しさにどんどん惹かれていったのだけれど、確かにこれほど身近に過ごしたことはないかもしれない。
「今はレイを近くで見るだけで楽しいかもしれないけど、そのうちわかってくることがあると思います。姉さんにはそれを知ってからいろいろ決めてほしいの」
「う、うん?」
決めるも何も、私はレイと生涯を共にすることをきちんと断ったはずだ。後は遠くから消息を聞きながら、自然に恋心が消えていくのを待つ予定だった。
現実にはめちゃくちゃ近くで見てるよね。