コトネがよかったと言われたい
世界を救った勇者の運命の相手が逃げ出すなんて前代未聞のことだ。
そしてそれが許されるわけがなかった。
大事なのは私でも私の心でもなく、この国を救った勇者なのだから。
私の旅は、隣町までの定期馬車乗り場で終わり、そのまま城内にとどめられ、現在はドレスを着つけられて、お城の庭園の美しく飾り付けられたテーブルでお茶を飲み続けている。お手洗いが心配ではあるが、そうでもしなければ場がもたないからだ。ドレスなんて魔王討伐に出る前だって帰って来た後だって着せられたことはなかったのにという気持ちは心の底に押し込んでおく。
そして私の向かいでは、勇者レイがくつろいだ様子で座っている。少し離れたところにはご丁寧に侍女が数人と騎士がいて、私たちを監視、いや、見守ってくれている。
「女の子は甘いものが好きだというけれど、コトネはあまり食べないんだね」
「そんなことないよ。甘いものは大好きだけど」
友だちとのお茶ならいくらでもいただいていたことだろう。だが、振られたとはいえ、胸をときめかせていた人が目の前にいて、しかも監視状態でもりもりと食べられる人がいたらお目にかかりたいものだ。いや、振られたのではなく振ったことになっているのか。面倒くさい。
私はこっそりとため息をついた。せっかく一日泣きわめいてあきらめたのに、次の日に運命の人だなんて言われて納得できるはずがないではないか。それなのに、周りの人はレイが私と結婚するものと決めて大騒ぎだ。
正直なところ、好きな人と結ばれるならいいではないかと思わないでもなかった。だが、引っ掛かったのは目の前の人のこの態度なのだ。
いつも通り。
自然体。
周りに人がいても何も気にせずくつろいでいる。当然、運命の相手のはずの私がいてもくつろいでいる。
諦めたとはいえレイが好きだった私は、こうして向かい合って座っていてもお菓子も食べられないほどに緊張しているというのに、レイは魔王と戦う日の朝と同じように自然体でいる。そもそもそれも不自然ではあったのだけれども。
とにかくこのごたごたが嫌で、レイと向き合うことを避けてきた私だが、こうなったらはっきり聞いてみようと思う。
「レイはさ、運命の相手についてどう思っているの?」
レイはほんの少し首を傾げた。それがまるで無邪気な子犬のように見えてしまうところが、私の恋心の名残なのだろう。悔しいけど胸がきゅんとした。
「コトネ」
「それは運命の相手そのものでしょ。そうじゃなくて、なんていうか、好きな人を自分の意思じゃないところで決められるのは嫌じゃないのっていう話」
運命の相手はいつでも勇者にふさわしい、美しくしとやかな人だったと宰相が言ったのは私に対する皮肉だろうと思う。それにしても好みじゃないとか、実はおとなしい人よりも活発な人のほうが好きだったとかいろいろあると思うのだ。
勇者だけではない。突然運命の人だと決めつけられて王都に召喚された運命の相手の人たちだって、好きな人がいたかもしれないではないか。
「いやじゃない。小さい頃からやれと言われたことはやってきたけれど、いよいよ魔王討伐の時になってやっとほっとしたんだ。魔王を倒して、運命の人が現れたら、私がやることはようやっとなくなるんだよ」
「だから」
どうにもかみ合わない会話だが、勇者の闇をのぞきこんだみたいにうそ寒い気持ちもする。私はこの少しずれた人にどういったらわかってもらえるのか頭を悩ませた。
「運命の人って、これからずっと一緒にいる人って意味よね?」
「ああ。私はこれから一生一人にならずにすむ」
「くっ」
私は思わず唇を噛んだ。どうしてこの人はちょいちょい心を揺さぶってくるのだろう。
「でもそれは誰でもいいってことでしょ? 例えばあの場に全く知らない人が呼ばれても、でなかったらアヤカが呼ばれても、レイはその人と一緒になるんでしょ。だったら私じゃなくてもいいじゃない」
「それは」
なぜ今までそのことに気が付かなかったというような顔をするのだ。そして私はわかってしまった。
私だって、結局は、コトネが運命の人だったらいいと思っていたとか、コトネでよかったとか、そういう甘ったるいことを言ってほしいだけではないか。レイのことを心配しているような話をしながら、結局は自分勝手なのだ。
「確かに、もしアヤカが呼び出されても、運命の人として向き合ったとは思う。誰か知らない人が来ても同じだ。だけど」
だけどの先が聞きたいような気もするし、聞きたくないような気もして私は膝の上で手を握り締めていた。
「呼び出されたのがコトネで、本当によかったと思ったんだ」
はい、来ました、殺し文句です。まさに私が聞きたかった言葉だ。ねえ、もう私も意地を張らずにレイにうんと頷いてもいいですか。伏せた目に思わず涙がにじんだ。
「だって、思い人のいる人が来たら、その人が傷ついてしまうからね」
これがレイなのだ。品行方正で公平な、魔王討伐の勇者様。
私は握り締めていた手をほどくと、膝の上のナプキンを丁寧にたたみ、テーブルの上にそっと置いた。
「知らない人の心を傷つけてはいけないと思うのに、私は傷つけてもよかったんだ」
コトネは強い子だから、頑張れるでしょ。あの子は傷つきやすいんだから、コトネが我慢しなさい。小さい頃から何度も聞いた言葉だ。
私が我慢すれば、年下のアヤカを助けてあげられるから。嫌なことを言われても、私が頑張ればきっと命が助かる人もいるから。不満ばかり言う人たちの中で、魔王討伐の私の頑張りを曇りなく公平に見てくれたのがレイだった。それがレイの素敵なところだ。
「レイも同じだ。私なら頑張れるから、傷つけてもよかったんだ」
「それは違う!」
「違わないよ!」
私は立ち上がっていた。本当はレイの言う通りなのだ。恋愛においては、傷ついたも傷つかないもない。恋愛でやってはいけないのは、傷つかないようにと、嘘をついて心を偽ることなのだ。だから、私を振ったレイは正しい。それがたとえ私を傷つけたとしても。
でも、その次の日からのレイは間違っている。本当は私のことなどなんとも思っていないのに、私の恋心を利用したから。
「部屋に戻ります」
「コトネ!」
「付いてこないで」
レイが運命の相手を召喚してもらうと知っていて告白した私は、レイを傷つけなかったと本当に言えるのだろうか。うしろめたさに足が速くなる。
その夜、私は入念に準備をして、窓から逃げ出した。
そして捕まった。
窓にも見張り、いや、護衛がついているとはさすがに思わなかったよね。
明日も更新あります。