勇者の恋した人は
レイは何を言われたのかわからないような顔をして困ったように微笑んだままだ。
私はレイから視線を離して周りをうかがった。このよくわからない状況の中でも、レイの運命の相手の儀式だと瞬時に理解し、適切な判断を下した私、けっこうすごいと思う。だが今は自画自賛している場合ではない。
「では、所用がありますので」
じゃっ、と手を上げてさっさと歩き始めた。もちろん、この部屋を出るためである。皆が呆然としている隙にさっさと旅に出てしまうに限る。
「ま、待ちなさい」
「チッ」
私の舌打ちに、近くにいた誰かがぎょっとしたような顔をしたが、かまうものか。最初に正気を取り戻したのは案の定宰相である。充分な褒賞をくれるといったくせに、いざ旅から帰ってきたら、節約しないと数年しか暮らせない程度の褒賞しかくれなかった相手だ。通行証を出す際に渋ったのもこの人だが、わずかでも聖女の力を持つ私がこの国にいないほうがいいでしょうとほのめかすと、あっという間に通行証を用意してくれた人でもある。利にさといに決まっている。
待ちなさいと言われただけなら立ち止まらなかったが、その声で正気に戻った騎士たちが私の前に立ちふさがったので、止まらざるを得なくなった。
それでも進もうとすると、私の肩に手をかけて押さえようとする。
「仮にも私は勇者一行なんですけれども。救国の英雄の一人に手をかける気?」
そう言ったらひるんだので、その隙にドアのほうに強引に進んだ。勇者一行といっても立場としては英雄ではなく下働きだったけれど、そんなことは言わなければわからない。
「待てよ」
「ハワード。どいて」
伸びすぎのくすんだ金髪にヘイゼルの瞳。神聖な儀式だろうに無精ひげを残したままの大柄な男が私を止めた。この男は、勇者一行のつまり剣士だ。どこかに神官と王子もいるに違いない。
「どかねえよ。お前がいなくなったら誰がこの場をおさめるんだよ」
「宰相様がなんとかするでしょ」
私は顔を上げてきっとハワードをにらんだ。
「私はね、無理やり自分の国からさらわれて、苦しい魔王討伐の旅に同行させられた。それなのに褒賞として一千万ギルだけ手渡されて、用済みだから好きにしろってぽいっと放り出された身なの。家族も頼るものもいない知らない世界で、これから生活費を稼いで生きていかなければならない。こんな茶番に付き合っている暇はないの。そこをどいて」
一千万ギルとは、日本円にしてそのまま一千万円ということだ。多そうに感じるけれど、もりもり仕事をしていた自分なら二年で稼いでいた金額だ。
「お前、あれだけの仕事をしていてたったそれだけって」
ハワードは呆気にとられた顔をした。
「それに城下にそれぞれが家をもらっただろう」
「もらってないもの」
城の人たちにとっては、私が遠征先でどう働いたかは見えていなかったし、実際どうでもよかったのだろう。城から出るときにそう思われていた、おまけの下働きのままなのだ。だから少なくないお金をやったんだから感謝しろという態度だった。アヤカが両手で口を覆ったのが見えた。これはアヤカにも話していないことだったから、ショックを受けたのだろう。ごめんね。でも、私のことでアヤカを悩ませたくなかったのだ。
「ゴホン。なぜお前のようなものが勇者の運命の相手なのかはわからぬが、これから勇者に養ってもらうのだから問題はなかろう」
宰相があきれたような声を出した。私はくるりと振り向き、ぴしゃりと言った。
「レイの褒賞は、レイが稼いだお金です。宰相と言えど、あなたが勝手に使い道を決める権利はありません」
なぜ私が勇者に養われる前提になっているのだ。
「でもよ、お前レイのことが」
「黙れ」
もはやかぶっていた猫はすべて脱ぎ捨てた。私の心を、誰かが代わりに語らないで。
私の迫力に押されたのか、誰ももう何も言わなかった。私は今度こそ部屋のドアに向かって歩き始めた。
「待ってくれ」
今度私の肩をつかんだのはレイだった。振り向いて目を合わせると、すこし困ったような、そして少し傷ついたような目をしていた。こんな時でもかっこいい。思わず胸がきゅんとしたが仕方ないと思う。だって大好きだったんだもの。
「昨日の君の言葉は、嘘だったのか、コトネ」
私は首を横に振った。嘘で付き合ってほしいなど言えるわけはない。どれだけ勇気を振り絞ったことだろう。レイの顔が途端に明るくなった。
「それなら」
「ねえ、レイ」
私はレイをさえぎった。
「昨日のあなたの言葉は、嘘だったの?」
レイの言葉をそのまま返した。
このままうんと言ってしまえと、私のなかの恋心が身もだえする。これから大好きなレイと、生活の不安もなく幸せに暮らせるのだと語り掛けてくる。
「嘘ではない。だが、運命の相手はコトネだった」
宰相と同じようなことを言うのだと、少しおかしくなった。確かに問題ないのかもしれない。好きな人の運命が自分だったなんて、こんな運のいいことがあるだろうか。
でも昨日の私がささやくのだ。
レイが好きなのは私なの? それとも運命の相手なの?
答えなど決まっている。レイが好きなのは運命の相手なのだ。
「私が好きだったのは、昨日までのレイです。そしてレイのことが好きだった私の心は、昨日レイに振られて砕け散ったの」
運命の相手でなかったら、レイとはもう一生会うこともなかった。少しは好意を持ってくれていたとしても、私がこれからどうするかひとつも気にかけてはくれなかったではないか。
「あなたが大事なのは運命の人であって、私ではありません。レイ、私はそんなあなたが相手では幸せになれないと思う」
転がって手に入って来た幸運を受け止め離すなと、恋心が胸を締め付けるけれど、私はきりりと顔を引き締めた。
「では皆さん、さようなら」
そこからは部屋を出るまで、止める人は誰もいなかった。
まあ、部屋を出たところで確保されたよね。
明日も朝6時に更新です。