ちゃんと話そう
「アヤカに先を越されたが、つまりそういうことになってしまった」
「そうですか」
アヤカの後を追うように宰相が付いてきていたのには気が付いていた。年齢の割にはフットワークが軽い。というか、アヤカは気が付いていなかったが部屋の入口でずっとアヤカと私の様子を眺めていたからね。
「運命の相手と言うのはそんなに簡単に召喚し直せるものなんですか?」
答えはごまかされるだろうなと思ったが、宰相からはちゃんと返事が返って来た。
「過去に例がある。既に恋人のいた人で、勇者であってもどうしても無理だったとか、いろいろだ」
私はぽかんと口を開けた。
「いろいろって、つまり一人じゃないってことですよね」
「そうだな」
「だったら、私の時だってすぐにやり直したらよかったじゃないですか!」
宰相は気まずそうに顔をそむけた。
「なんとかなるだろうと思われたんだ。今だって、時間をかければなんとかなるだろうと私は思っている。召喚など何度もやるものではない」
つまり、宰相は運命の相手の再召喚に賛成していないということになる。
「それってつまり召喚されるのは実は運命の相手ではないってことではないですか」
アヤカの指摘に、今度は宰相は黙り込んだ。
「聖女の召喚陣には、聖なる力の大きい、係累のない若い女性という条件が組み込んであると聞きました」
アヤカの声は震えていたと思う。確かにアヤカも私も身内の縁が薄い。
「勇者の運命の相手の召喚陣に組み込んでいる条件ってなんですか」
実は私はあまり疑問に思っていなかった。瘴気だとか聖なる力のある変な国だから、召喚とかそんな不思議現象もあるのだろうとあっさり受け入れていたのだ。
「それは」
宰相の言葉をさえぎるように扉がバーンと開いた。
「コトネ! 逃げよう!」
「レイ……?」
レイは何も目に入らないかのように必死な顔でつかつかと私の前に進むと、私の手首をつかんだ。
「運命の相手はここにいる。もう他に誰も必要ない!」
「レイ、待って、落ち着いて」
「その通りだ。少し落ち着け」
焦る私を引っ張って部屋から出ようとしたレイの動きを妨げるように、宰相がドアの前に立っていた。
「勇者レイよ。その手は何のためにある」
私の手をつかんでいたレイの手がびくっと震えた。
「民のため、聖剣を握るためにあるのではないのか」
それはそうだけど、レイが出るほどの瘴気は今はないのだから、好きな人の手くらい握っていたっていいじゃないと私の反発心が心で叫ぶが、表には出さないだけの経験を最近積んだばかりの私は黙っていた。
「逃げてどうなる。万が一、また勇者でなければ倒せない瘴気が発生したら、その時お前はどうするつもりだ」
「くっ」
レイにつかまれた手首が痛い。少年の頃から勇者として民のために尽くせと言われてきたのだ。もう一度運命の相手を召喚すると言われてとっさにこちらに来てしまったのだろうが、まさかの時のことを言われたら、何もかも捨てて逃げ出すことなんてできないだろう。
だが、レイは絞り出すようにこうつぶやいた。
「でも、私はコトネがいい」
もしかしたら、もう一度召喚の儀をするのが面倒なだけかもしれない。一度運命の相手と刷り込まれたから、書き換えられないだけかもしれない。恋愛と言うより、ただの執着なのかもしれない。
でも、それこそが私の本当に聞きたかった言葉だった。心からの言葉に聞こえたから、もうそれだけでいい。いままでの私のわだかまりが、その一言ですっと消えてしまったような気がした。
「本当にそんな女がいいのか。こんな真剣な場で、ニヤリと不敵に笑っているような女だぞ」
嬉しさで微笑んでいたつもりであり、そんな顔をしているわけがないのだが。
「コトネ?」
レイが不安に表情を曇らせて私のほうを振り返った。ニヤリとしていたらしい顔を見たら、レイの恋も冷めるかと思わないでもなかったが、これが私なのだから仕方がない、
レイは私の顔を見るとほっとしたようにくしゃりと笑ったから、気持ちは変わらなかったようだ。私もニコリと笑みを返した。決してニヤリではない。
「今、逃げてどうなるって聞きましたよね?」
私は宰相に向き合った。
「ああ。逃げたからとて、追手もかかる。コトネを平穏に暮らさせることなどできないぞ」
レイに対してそっち方面から攻めてくるとは、さすが宰相だ。
私は宰相の言葉にちょっとひるんでいるレイの手をポンポンと叩いた。私の手を握っているほうの手だ。レイはハッとして手を離したので、私は自分からレイと手をつないだ。神殿を見に行った時と同じように。そしてレイの隣に並んで宰相に向き直った。
「いいですか」
私は宰相だけでなく扉の外にいる誰かにも聞こえるようにはっきりした声で話し始めた。
「そもそも逃げること、つまり城から離れることと、まさかの時に備えるのは何ら矛盾しません」
「何を言っている」
宰相が呆気に取られたような顔をしているが、私は気にせず続けた。
「そもそもが勇者が必要とされるほどの瘴気が発生した時、それは一日や二日の準備でなんとかなるものですか? この間だって、何か月もかけたじゃないですか」
魔王討伐はまだまだ記憶に新しい。
「もし勇者が必要な事態が生じたら、呼び出せばいいだけのことです。そもそもこの国ならどんなに辺境でも急げば一か月以内には往復できますよね?」
私は念を押すように問いかけた。実はあまり地理はよく知らない。
「どこにいてもレイは勇者で、民のために戦うことにためらう人ではありません。その勇者の意に添わぬことをして、城から逃げ出したいと思わせることのほうが罪が大きいんじゃないですか」
「口ではかなわぬわ。まったくお前は」
宰相はどこかあきれたようにそう言い放つと、踵を返して部屋を出ていこうとしたが、ふと足を止めた。
「いいか、いまさら何を言おうと、運命の相手の再召喚は決まったことだ。覆せぬ」
つないだレイの手がゆらりと揺れた。
「レイ。そうだとしても、コトネの立場は私が不利なようにはしない。だからそれがいやなら、逃げ出さず、立ち向かえ」
レイのための召喚なのに、レイに立ち向かえと言うのもおかしなことだ。ふっと皮肉な笑みを浮かべた私に、宰相も皮肉な笑みを浮かべた。
「こうなったのは、最初に召喚された相手が断ったせいだということを都合よく忘れている女がいるようだがな」
宰相の言葉はさすがにクリティカルヒットだったよね。