現状把握は大切かも
まあ、ぐいぐい来られても困るのだが、ハワードはともかく、やはり領主は、明日には瘴気の浄化が終わりそうだという報告に渋い態度を見せた。
「もちろん、浄化が終わりそうだということも、わが町の神官だけでもなんとかなりそうだということも嬉しい報告です。ですがそれだけのゆとりがあるのならばなおさら、勇者レイ殿と聖女アヤカ殿だけでもゆっくり滞在を伸ばしてくれませんか」
これがもし日本なら、「世界を救った勇者が語る人生」みたいに、各地を回る講演料と出版だけで生きていけるのではないかとぼんやり思った私だったが、そんな場合ではない。
本人たちが残りたいのならともかく、二人ともはっきりと断っているのだから、ここは譲るべきではないだろう。
「申し訳ありませんが、明日仕事を終えたら、明後日には戻ろうと思います。もう一日お世話になりますね」
私は代表としてにこやかにお断りしておいた。
「無理を言ってコトネ姉さんに付いてきましたけど、姉さんに迷惑をかけるばかりでしたねえ」
アヤカとは別々に部屋を与えられていたが、私の部屋にそっと忍んできたアヤカがしょんぼりしている。
「何言ってるの? 聖なる力の使い方を工夫できただけでも来たかいがあるってもんでしょう」
私は驚いてアヤカをベッドの隣に座るように誘った。
「でも、結局は魔王討伐の旅の時と一緒で、私やレイばかり注目されて、姉さんは軽視されてるでしょう。本当は姉さんが仕事で来たはずなのに、しかも予定より早く瘴気を浄化してありがたいはずなのに、私たちの来訪に浮かれて、感謝されるどころか苛立ちを向けられてるじゃないですか」
私はアヤカの膝をポンポンと叩いた。
「それはアヤカのせいじゃないし、アヤカが気にするところでもないよ。仕事に来てるから、私に合わせるんだって、ちゃんとご領主に言ってくれてたじゃない。私は改めて現実を理解できたし、特に問題ないよ」
「現実、ですか?」
私は頷いて、ベッドに座って足をぶらぶらと動かした。どう説明したものだろうか。
「うん。頑張れば残業代が出て、次の年には少しはお給料と仕事の権限が上がって、そういう環境でずっと仕事してきてたからさ。どんな環境だって、成果を出せばこれからの自分はよくなるんだって思ってた。けど、それ、この世界では危険だなって」
「危険?」
今回の町の神殿はすごくいいところだった。神官長もいい人だし、そのせいなのか神官たちも素直に意見を聞いてくれたが、騎士や王宮の人よりはましとはいえ、魔王討伐の旅の神官には最初のほうは私のやり方に反発も大きかった。大きな問題にならなかった理由は、私が相手を批判せず、自分の工夫も押し付けなかったからだと思う。
でも、今回のことが評判になって、おまけ聖女の新しいやり方を取り入れようなどという動きになったら、きっと反発のほうが大きくなる。そしてそうは思っていなくても、私の存在が悪いということになる。
アヤカの言う通り、シャイルズの領主の中での私の評価は、仕事を早く終わらせた神官というものではなく、聖女と同郷なのを鼻にかけている生意気なおまけ聖女と言ったところだろう。
「今みたいなやり方であちこち瘴気を浄化して回れば回るほど、私の評判は落ちて、邪魔者扱いされることになりそうな気がする」
「それなら、いったい姉さんはどうしたらいいんです?」
「逃げたいけど、他の国がこの国よりましだという保証はないんだよねえ。この国を改革しようなんて気もさらさらないし。それこそ命を狙われちゃいかねないなって」
最初からわかっていたことだったけど、本当は自分の心など押し殺し、アヤカにだけ行き先を告げてそっとこの国を出て、他国で素性を隠して暮らすのが一番よかったのだ。
「自分の気持ちを告げたかったのも本当だし、レイが態度を変えたことに傷ついたのも本当。でも、自分の心に正直だっただけで、先のことをあんまり考えていなかったなあ」
誰が味方かいまだによくわからない国で、思うままに行動すべきではなかったのかもしれない。
「この国の、王都から離れた田舎に引っ込ませてもらって、神官として地味に働きながらスローライフをするのがちょうどいいのかもね」
「姉さんの場合はそれが許されるかどうかですよ。なにしろ勇者の運命の相手なわけですし」
私はしぶしぶそれを認めざるを得なかった。
「結局私が断ったことは、城ではなかったことになってるもんね」
「ですねえ。それで、レイはどうですか?」
「どうですかって」
旅に出てからグイグイ来るなとは思っていたが。
「普通の人は、ただ待っていれば結婚相手が来るなんてことはない。お相手として自分が魅力的だとちゃんと認めてもらわなきゃいけないんだって、旅の前に話したんですけど」
「確かにアピールしてくるよね」
レイなりに努力してくれていたと知って、心がほんわりとしてしまうのはどうしようもない。
「でも、何かずれてますよねえ、レイは」
「うん」
お買い得商品を押し売りされているような微妙なアピールの仕方なのだ。
その時、トントンとドアを叩く音がした。
「姉さん、私が」
さっと片手で私を制して、ドアにすたすた歩くアヤカがかっこいい。
「ここは神官コトネ様の部屋ですが、どなたですか、こんな遅くに」
ドア越しにぴしりと言っているのもかっこいい。
「レイだが、ちょっといいだろうか」
アヤカがびっくりして目を大きくしたまま私のほうを振り向いたので、私は首を横に振った。アヤカは神妙に頷いてドアに向かってこう言い、鍵を開けた。
「アヤカですが、私も一緒ならいいそうです」
「ちがっ」
しかしドアは開いてしまった。ベッドに座っていた私は、アヤカを裏切り者と非難する間もなく慌てて立ち上がったが、レイにはその慌て方にふっと微笑まれてしまっただけだった。
「二人の邪魔はしない。少しだけいいか」
私はお腹の前で無意味に両手を組んだりしながら首を縦に振った。外では普通に話せるのに部屋の中だと緊張するのはなぜだろう。
「明後日、ここを発つことになるが、途中の町で一日観光をしないか?」
話に入らないように端っこによけていたアヤカの目がきらっと輝いた。
「したいけど、馬車の人たちがいいって言わない気がするんだよね」
シャイルズにも休憩ほとんどなしに連れてこられたし。
「それは私が何とかする。私がそうしたいと言えば断れないだろうから」
私はちょっと言葉に詰まった。おそらく、アヤカなりレイなりが強く言えば、何でもかなえられるのはわかっていた。でも、強い立場にあるものはわがままを言うべきではないという、私たち四人の良心がそれを押しとどめていたのだ。
「いいのかなあ」
「いい。一日観光すらできない勇者に何の価値がある」
レイが冗談を言うなんてと、思わずもじもじとそらせていた目を合わせたら、レイの目は本気だった。
「むしろ今までコトネだけに交渉の負担をかけていてすまなかった」
「ううん。私の受けたお仕事だから、別に」
別になんて言ったが、本当は嬉しかったことは認めざるを得ない。
「では、よい夢を」
すっと身をひるがえして部屋を出ていったレイに、なぜかアヤカが見悶えている。
「姉さん見ました?」
「え? 何を?」
見たのはレイのかっこいい後ろ姿だけだ。
「私のことなんて、まるで部屋にいないかのように一回も見ませんでしたよ。見ていたのはコトネ姉さんだけ」
「なっ」
ニヤニヤするアヤカを部屋から押し出して、赤くなった顔をパタパタさせた私は、観光という言葉をどうやら理解していなかったようだ。
「アヤカとハワードは?」
「さあ。どこかにはいるだろう」
無事にシャイルズを発った次の日、なぜかレイと二人きりで出かけることになっていたよね。