聖剣をもつもの
私はと言えば、やればいいじゃないかと思っていた。もしかしたら森が半分消えるかもしれないが、そうしたらレイに無理を言う貴族たちも減るのではないか。一生懸命瘴気を浄化している神官や、森の恵みを受けている近隣の農民のことは考えないのかって?
もちろん考える。森がなくなったら取り返しがつかないけれど、それは私が王都に戻ってから宰相に交渉して、補償を出してもらうことでなんとかするしかない。そもそも、そんなリーサルウェポンを私に付けて寄こした宰相が悪いのだから。
「やっちゃったらいいよ」
私の言葉に驚いたようにレイは振り返り、またほんの少し目元を緩ませた。
「アヤカ、右のほうお願いできる?」
「うん。瘴気が飛散したらすぐに浄化だよね」
「そう。私は左のほうを警戒するね」
目の前にある瘴気だまりは、大きさにして駐車場車五台分くらいだろうか。谷一つを飲み込んだ魔王と化した瘴気だまりよりはだいぶ小さいけれど、滅多に見ない大きさではあった。
「おそらくはこれがあったから、他の瘴気も活性化し、王都から神官を招く羽目になった」
レイの分析が正しいのだろう。
「これを倒そうと思えば、アヤカの言う通り森が半分消える。だから私はこれを倒さない」
レイの言葉はわかりにくく、私は首を傾げた。
「吹き飛ばそうと思うから、ついでに森も吹き飛ぶ。私はこれを切り分けようと思う」
「切り分ける?」
私は良くわからないまま繰り返した。
「一つを二つ。二つを四つ。四つを八つ。そのくらいに分けたら、神官でも浄化できないか」
「できる。できるよ、きっと」
私は後ろを振り向いた。神官たちがニコッと笑って頷いた。
「瘴気が里に散らないよう、こちら側に散開!」
神官たちは瘴気だまりの里側に広がって待機した。
本当は私とアヤカと神官たちで、肉まん、いや聖なる力をぽいぽいと放り込めばいいだけのような気がするが、レイが何やら思いついたようなのでそれを精一杯支えたい。神官たちも、それをわかっていて協力してくれたような気がする。
「ミカン」
「ミカン?」
なにゆえミカンなのかわからず、レイのつぶやいた言葉を思わず繰り返してしまったが、レイはまるでケーキを切るかように瘴気だまりに上から剣をすっと載せた、ように見えた。
「二つ」
瘴気はまるで剣を避けるかのように左右に分かれた。そしてレイが剣を上げると、仲間を求めるかのようにまた寄り集まっていく。レイは素早く左側に移動すると、また剣を下ろした。
「三つ」
それから四つに分かれたあたりで、はっと気が付いた神官が二人がかりで、車一台分くらいの大きさの瘴気に聖なる力を放り込んだ。私も自分の前に切り分けられた瘴気を指さして浄化していく。
大きい瘴気は肉まん一つくらいでは消えてくれず、たぷんとたゆたうように揺れ動き、ときにコップから水があふれるように瘴気を飛ばす。それを近くにいる神官や私が急いで始末していく。
状況に追われるように後始末しているうちに、大きな瘴気だまりはいつの間にかなくなっていた。
レイは瘴気だまりのあったところを静かに見渡すと、剣を鞘にすっと納め、こちらに振り向いた。
「コトネ」
「うん」
そのまま二歩三歩と私に歩み寄ったレイと顔を合わせるには、見上げなければならないのが告白の時のことを思い出させ、少し切なくなった。けれどレイはもう、あの時のように困った顔はしていない。普段あまり表情の動かない口元がほんのりと上がっているところに、喜びというよりはほっとした雰囲気が感じられた。もっと喜んでもいいのに。
「初めて自分で工夫した」
「うん。すごかったね」
「もっと強く、もっと大きく。それ以外のことは求められたことがなかった」
魔王と言われるほどの最大規模の瘴気を倒さなければならないのだから、それは当然のことなのだろう。
「コトネは当たり前だったことをいつも工夫して変えていくだろう。そういうところを私は尊敬している。コトネ、私は」
しかしレイの言葉は賑やかな声にさえぎられた。
「やあやあお二人とも、私たちの活躍を見てくれました? コトネ様から学んだ流行りの浄化法をたった一日で! 完全にものにした私と、その仲間たちを」
私はほっとしたような残念なような複雑な気持ちでその声の主のほうを向き、重々しく頷いた。
「シャイルズの神官の皆さんは、本当に素晴らしいと思います」
「そうですか。いやあ、まいったな」
昨日から一緒だった神官は照れながらもニコニコと私の誉め言葉を受け取った。
「それにしても疲れましたねえ。それでも今日はずいぶん瘴気を祓いました、明日は大きな瘴気だまりがないかどうかだけ確かめてもらって、明後日からは私たちだけで何とかなりそうです」
一週間はかかると思っていた私はその言葉に呆気に取られたが、確かに今日の進み具合を考えたら、そのくらいで済むかもしれない。
「それなら早く切り上げて途中の町を観光できないですかね、姉さん」
「御者と護衛を説得できればなんとか?」
だが馬車に乗せられた初日の様子から見て、それは難しいような気がした。
領主館に戻り、領主の相手にげんなりした顔のハワードに今日の報告をすると、当たり前だがとても驚かれた。
「切り分けるって、レイ、お前、そんな微調整ができたのか」
「こう、剣を置くと、瘴気が逃げる」
レイが鞘ごと剣を置く真似をしてみせると、ハワードはあきれたように首を横に振った。
「いや、俺たちがやっても逃げないぞ。剣の勢いで二つに跳ね飛ばしたものを神官に浄化してもらうんだ」
私はアヤカと顔を見合わせた。
「瘴気は跳ね飛ばなかったし、剣を避けるように逃げてたよ?」
「これが勇者の力か、それとも聖剣の力か」
私は焦ってレイの剣を見た。
「聖剣なんて魔王退治が終わったらお城の宝物庫にしまうものじゃないの?」
「勇者しか使えないのにそれこそ宝の持ち腐れだろう」
ハワードにあきれられたけど、そもそも勇者が聖剣を持っていたのも、そんなたいそうなものを腰に下げていたのも知らなかったのだ。
まじまじと剣を見る私にレイは少し怒ったような目を向けた。
「聖剣は聖剣だ。見ても何も変わらない。それよりも私のほうを見てくれないか」
旅に出てからぐいぐい来るよね。