ラーメン
「この旅で私のいいところをじっくりアピールするつもりだったのに、台無しですよ、ほんとに」
アヤカが落ち込んでいるが、どう慰めたものか悩む。
「でも、とりあえずこれで意識してもらえたのでは? 第一歩というか」
「そうですかねえ。小動物枠から出ていない気もするんですが」
ハワードには、アヤカのことはかわいいが、俺みたいなくたびれた奴より将来性のある若い奴はたくさんいると言われたそうだ。
「たかだか32歳で年上ぶって。アヤカに謝れ!」
私はそう怒ってアヤカを笑わせることに成功したが、人の心はままならないものだ。結局アヤカとハワードの件も、私とレイの件もうやむやになったまま、他の人のミカン山も浄化を続けることになった。
「小さい瘴気を細切れにする意味はないから剣士は役に立たなくても仕方ないけど、アヤカの場合、広い範囲を一度に浄化するとかできないの?」
それだと私みたいにちまちまと浄化をしなくていいから楽なような気がする。
「全力を出すので一日一回しか使えない上に、取りこぼしができるんです。だから魔王を倒した時も、その後、皆で後始末をしたじゃないですか」
確かにあの時、神官総出で小さい瘴気を祓って回ったのを思い出した。
「レイのもそうです。巨大な瘴気はレイの一撃であらかた消滅しますが、レイの剣戟は物理で強すぎてすべてを破壊してしまうから……」
「確かに森の木々は粉々だったね。つまりミカン山で力を発揮したら」
「ミカンの木どころか、山が消滅するかもしれません」
「なるほど」
ほいほいと後を付いて行っているだけの私は勇者と聖女がそんな融通の利かないものだということでさえ知らなかったのだ。ただ単に、勇者とは特別に強い人、聖女とは浄化の力が強い人という認識しかなかった。
「そりゃ、今後の身の振り方に困っちゃうね……」
「そうなんですよ。たった一度の成果で一生かしずかれて暮らすってどうなんです? 少なくとも、私は嫌です」
アヤカが嫌だというのが、働かないことなのか、それともかしずかれることなのかがちょっとわかりにくいけれど、私は神妙に頷いた。
「お金があったら一生働かないか、って聞かれたら、私は働くと思う。つまり、アヤカの言っていることはそれに近い?」
「姉さんは少し社畜っぽいですよね。仕事中毒と言うか」
「うっ。膝に矢を受けたかも」
「そこは心臓ですよね。一人逃げるのは許しませんよ」
アヤカが私に厳しい気がするのだが。
「ちょっと違うんですよ。私は働きたいのではなくて、まさかの時のために飼い殺しにされるのが嫌なんです」
「どんなに贅沢な暮らしをしても、自由のない牢獄と同じ」
「そう! それです。耐えられます? コトネ姉さんなら」
私は首を横に振った。
「この世界でどんなに贅沢をさせてもらっても、ゆるーい部屋着を着ておやつを食べながら動画を見たり、好きな本や漫画を見たり、ゲームしたりすることに勝るものはないんです。お茶会のどんな高級なお菓子だってポテチにはかなわないし、どんな素敵なドレスだってジャージのほうが結局は楽なんですよ。ラーメン食べたい!」
私は今度は激しく頷いた。
「ラーメン食べたいね」
今度は二人で大きなため息をついてしまった。だがアヤカは強かった。
「でもそんなことを言っても仕方がないので。身の振り方はよく考えてみることにします。要は国の危機に駆け付けられればいいわけだから。交渉次第でしょう」
「えらいよ、アヤカ」
「はい。とりあえず大事なことは一つ。ハワードはゲットする」
「お、おう」
そしてなんとなくすべてがうやむやのまま、私たちはミカン山の浄化を終えて、本来の目的地である南のシャイルズに向かうことになった。
「まあ、あれよね、少なくとも座り心地はいいよね」
「そうですねえ、姉さん。監視付きですけどね」
そうなのである。小手先の技で寄り道したが、しょせんはこっそり定期便に乗り込んだだけのこと。あっという間に行き先を特定され、馬車と御者、それに護衛が一人、追いかけてきたのだ。それはもちろん、彼らにだって私たちをシャイルズに連れていくという仕事があるので仕方がない。結局ほぼ丸二日の自由で終わってしまったが、ないよりはましだ。
「できればもう少し西に寄り道してみるとかどうかしら。日程とか別に言われてないし」
私は馬車の窓から御者の人に呼び掛けてみた。
「私たちは言われています。既に二日遅れているので、これ以上のわがままは通りませんよ」
神官は人手不足だというし、仕方がないのだろうと、私はシャイルズの町までの景色を楽しむことにした。しかし遅れを取り戻そうというのか、休憩がほとんどなく、途中からは私もアヤカも疲れてしまって外を見るどころではなかった。
「コトネ。コトネ」
「うーん、ラーメン」
「ラーメン?」
「え? はっ」
私ははっと目を覚ますと慌てて口元をぬぐった。どうやら居眠りをしていたようで、よだれなど垂れていなかっただろうかと不安になったのだ。
「ラーメンとは」
レイのテノールの声でラーメンと言われると戸惑ってしまうが、私は別のことに気が付き、それどころではなくなってしまった。
私はもしかして、レイに寄りかかって寝てしまっていたのではないか。
「うーん、ラーメン」
現に今向かいの座席でアヤカがハワードに寄りかかって寝言を言っているではないか。
「ら、ラーメンとは」
私はしどろもどろに説明をした。
「超絶おいしい私の国の食べ物です」
「だからアヤカも寝言でまで言うんだな」
アヤカが寄りかかっているのと反対の手で、ハワードがアヤカの頬にかかる髪をそっと耳にかけた。その優しい表情をアヤカに見せてあげたかった。
「コトネ」
「ふぁ!」
しかし、二人の姿はいきなりレイの顔でさえぎられた。いきなりレイの青い瞳が目の前に来た私は固まるしかない。レイは私の顔にそっと手を伸ばすと、なにかをつまんで後ろに移動させる仕草をした。
「髪がかかっていた」
「かかってねえし」
レイの後ろでハワードが何か言っていたが内容が頭に入ってこなかった。
「うん、これでいつものコトネだ」
「あ、ありがとう?」
「ああ」
ニコリと微笑むと、レイは私の隣に体を戻した。
「俺じゃなくてアヤカを見てたんだろ? コトネ」
「うーん。見てたってほどじゃないけどね」
ハワードはにやにやとレイのほうを見ていたが、ふと真顔に戻ると、アヤカをそっと揺すり始めた。
「馬車の速度が落ちてきた。そろそろシャイルズ到着だな」
「うーん、ラーメーン」
その後ラーメンがどんなにおいしいか説明する羽目になったよね。