イオンの休憩椅子に一日中座っている老人の正体 (9000]
「あのセーターかわいい!」
「ちょうどタイムセールやってるじゃん!」
娘たちは歓声を上げながら、ファストファッションの店に駆け込んでいく。
「セーターなら去年買って、全然着てないのが何枚もあるじゃないか。」
私は娘たちに注意するが完全にスルーされてしまう。
妻も興奮した様子で、【最大80%オフ】と書かれたコート売り場に吸い込まれていく。
こりゃ当分店から出てこないな。あきらめた私は妻の後ろ姿に声を掛ける。
「その辺の椅子に座って待ってるからね!」
やれやれ、どうして世の女性達はセールに目がないのだろう。
ここはイオンモール。娘二人に妻と一緒に買い物に来たのだが、クリスマスに年末セールも重なったこの時期は、大勢の買い物客とその熱気で溢れかえっている。
買い物に全く興味のない私は、ため息をつくと休憩椅子を探した。そしてようやく空きを見つけて腰を下ろしたのだが、向かいの老人を見てちょっと驚く。それは数時間前にも、そこに座っていた老人だったのだ。
開店してすぐなのにもう休んでる人がいる。不思議に思った分、強く印象に残っていた。
年齢は70代後半。うす薄汚れた服装は、着飾ったほかの買い物客に比べてかなりの不釣り合い。足元には大きめの背負いカバン、目をつむり眠るような姿勢で休憩椅子に身を預ける様子は、周囲からも浮いている。
”誰かと一緒なんだろうか?”
“そもそも買い物もしないのに、何しに来たんだろう?”
気になり出したら、老人から目が離せなくなった。
と突然、老人はゆっくりと私の方に顔を向ける。期せずしてその顔を正面からとらえることになった私だが、その目を見て寒気を覚える。
目の中には何も表情が無かった。ただ無の空間が広がっているだけだった。
私は薄気味悪さを感じ目をそらそうとするが、なぜか視線を外すことができない。
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「おじちゃん、ママがいなくなっちゃたんだ。」
1人の男の子が突然話しかけてきた。5才くらいであろうか?
今にも泣き出しそうな顔で、私の服の袖をしきりに引っ張っている。
「お母さんとは、どこではぐれたんだい?」
緊張感から解放された私は、ほっとして男の子と話し始める。
「おもちゃ屋でサンタさんに頼むプレゼントを探してたんだ。プレゼントが決まったんでママに教えてあげようと思ったら、ママがいなくなっちゃって。あちこち探しているの。」
男の子はまた泣きそうな顔になる。
母親は男の子がおもちゃ選びに夢中なうちに、自分の買物にでも行ったのだろう。
「ママはおもちゃ屋さんに戻っていると思うよ。おじさんが連れて行ってあげるよ。」
「本当、ありがとう!」
おもちゃ屋はモールの反対側で、しかもフロアが違う。迷うといけないので、私は子供をおもちゃ屋まで連れていくことにした。本当はあの老人から離れたかっただけなのだが。
モール内は混雑しており、しかもおもちゃ屋は思ったより遠かった。想像以上に時間が掛かってしまったのだが、ようやくエスカレーターを昇りおもちゃ屋が見えた時、男の子が叫ぶ。
「あっママだ!」
「おじさんありがとう、ここでいいよ。バイバイ!」
男の子は駆けて行ってしまった。もう少し感謝してくれてもいいんじゃないか。そう思いつつも、母親に会えたことにほっとする。
ところで、妻と娘たちはどこにいるんだろう?すっかり別行動になってしまった。今頃は私のことを探し回っているかな?
そう思った時、向かいの雑貨屋から3人が出てくるのが見えた。皆大きな紙袋を抱えている。
「ごめんごめん。迷子の子供を見つけて大変だったんだよ。」
ようやく3人に追いついた私が謝罪の言葉を口にした時だった。妻の携帯電話の呼び出し音が鳴り響く。3人に緊張感が走る。
「はい分かりました。すぐ向かいます。」
短い会話を終えた妻が娘たちに伝える。
「お父さん容体が急変したらしいよ。危険な状態だから、今すぐ病院に来てくれって。」
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そうか私は死ぬのか。
薄々とは気づいていた。妻と娘達には私の姿が見えていないことも。妻がやたらと携帯電話の着信を気にしていることも。数日前バイクにはねられて、ずっと意識が戻っていないことも。
でも良かった。最後に家族でショッピングなんかできて。神様がくれたクリスマスプレゼントかもしれない。
神様か、、、その存在に思いをはせる時、私にある考えが浮かぶ。
休憩椅子に一日中座っている老人の正体。あれは死神なのだ。死期が近づいた人間を見つけその魂を連れていくため、あそこで待っているのだ。だとしたら、老人の元に行かねばならない。
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休憩椅子に戻った時、老人は椅子から立ち上がっていた。
小さな子供の手をひき、モールの反対側へと歩いて行くところだった。
私は後ろ姿に向かって声を掛ける。
「待ってくれ。その子を連れて行かないでくれ。次は私の番なのだから。」
私の声を聞いて子供が振り返る。それは母親を探していたあの男の子だった。
もっと早く気付くべきだった。私の姿が見えていたということは、この男の子にも死が近づいているのだ。
でもこんなに小さな子を急いで連れていく必要はない。私が先に行く。
「おじさん、僕を心配してくれてありがとう。」
「でも安心して。死神は僕だから。」
男の子は続ける。
「このモールには、現世の未練を断ち切ったお年寄りが集まって来るんだ。そして一日中椅子に座って、自分の順番が来るのを待ち続ける。」
「今日はこの人の番なんだ。でも、おじさんの番はずいぶん先まで来ないよ。うっかり死神待ちの目を覗き込んでしまったから、少しあちらの世界に引っぱられただけだよ。」
そして男の子は手にした小さな鎌を振り上げる。
「おじさん、僕に優しくしてくれてありがとう。」
「僕が昔人間だった時、買い物中に迷子になったことがあったんだ。本当に怖かった。だから今日おじさんが助けてくれて嬉しかった。」
男の子が鎌を振り下ろす。徐々に遠のいていく私の意識。
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「お父さんが目を開けた!」
「あなた助かったのね!」
次に目が覚めた時、私は病院のベットの上だった。
目の前には喜び泣き崩れる家族と、信じられないという表情をした医者の姿。
それから数日後に私は退院した。これといった後遺症もなく体調は良好である。
イオンモールには今でも買い物に行くことがある。あの男の子に会うことは無かったが、休憩椅子に長時間座り込んでいる老人達は時折見かける。
だが彼らには近づかないようにしている。彼らはあの場所に座り死神を待っているのだから。