第一話 色がない日常の終わり
紙名白は手を付けていないBLTサンドと無糖コーヒーを放置して、自分が好んで座る特等席のテーブルで肘をついて窓を眺める。
「…………世界って、なんであるんだろう」
ぽつりと自分が囁いた今の言葉を聞いて「大丈夫?」なんて聞いてくるような幼馴染や親友は私にはなく、優雅で孤高の大学生活を謳歌している。
こんなことを考えるのは、中二病……いいや大二病か? まだ、大学一年生だけど。
気まぐれに食堂で聞こえてくる人々の声に耳を傾けながらコーヒーを一口飲む。
今日も課題が面倒だと嘆く女同士で慰め合ったりする人たちや、好きなゲームの発売日間近で楽しそうに男同士で語り合ってる人たちがいる。
その中で、意外な話が耳に入ってきた。
「ねぇ、聞いた? 失踪事件の犯人、まだ見つかってないんだって」
「ああ、他の大学の人もでしょ。休学してることになってるらしいけど、知り合いが全然連絡取れないらしいし」
「怖いよね……」
「ねぇ……」
……失踪事件、か。
まあ、失踪した人の両親とかが警察に探してもらっているんだろうし、自分には関係ない。
講義に遅れないために、くだらない戯言を無視するため飲み物を飲み干す。
一口だけパンを食べた形跡を残し返却口に返してから荒切先生の教室に向かった。
今日も、特別色のないモノトーンな日常を始めるか。
◇ ◇ ◇
講義が終わって、今日も私のルーティーンである写真部に向かう。
扉を開けて部室に入るとこじんまりとした部屋だなと再認識する。
部員の写真が撮ってあるコルクボードを目にしてから、見慣れた人物に目を止める。
両耳にピアスをしている威圧感のある白の先輩である入部信彦はイスに座っていてカメラをいじっている。
今日もスルーされて、何事もない日常を送りたくてたまらないが……?
ドアの開閉音に気付くと、チャラいほうの先輩が私に手を振る。
「お、白紙ちゃん。やっほー」
「紙名白です土御門先輩。紙切れになった覚えはありません」
「えーいいじゃん。白紙ちゃんは二次元系女子なんだからー」
「意味が不明です」
からかい交じりで話しかけてきたこのクズチャラ男は土御門千也先輩。
耳だけピアスをしている入部先輩とは違い、色々なところにピアスをつけている男だ。
なぜクズなのかと問われたらセフレがいることとか、性格がクズだということもある。
彼が私たちと同じ部でないことだけは安堵したい。
「名前に白い紙って入ってんなら、誰だってそういうあだ名が浮かぶだろ」
私達のやり取りを見ていたのか、カメラに視線を向けたまま話しかけてくる部活での先輩である入部先輩の言葉に素直に答える。
「そうかもしれませんが、入部先輩もからかわないでください」
「今度からカンヌキと呼ぶことを辞さないつもりで言ってもいいんだぞ」
「優しい先輩を持った私は嬉しいです、信彦先輩」
「わかればいい」
「白紙ちゃんが嫌ならハクビジンちゃんにする?」
「うるさいですよ、クズミカド先輩」
「え!? 実は白紙ちゃん、そんなあだ名付けるってことは俺のこと好きだったりするぅ? 脈あり?」
「ありません。愛の告白のように聞こえたなら耳鼻科をおススメします」
「ガガーン!! 釣れなぁい! お兄さん泣いちゃうぅ!」
おいおいと顔を隠して嘘泣きを始める土御門先輩にイラつきを覚える。
言葉に棘がある言い方をあまりしないようにしている自分でも、ウザイと思うのは普通だと思う。
「勝手に泣いてください。けど私の近くで泣かないでください」
「理由聞いてもい?」
「面倒だからです」
「白紙ちゃんやっさしー、俺惚れちゃーう」
嘘泣きから笑顔に変わったり顔が忙しい人。
というか人の話聞いてないのか、この男は。
「変態とクズが移るのは断じて却下ですので、とっととお引き取り願います」
「はは、ばぁーい」
彼が愉快そうに扉が閉められた音とともに嵐が去った静けさにも似た空気が部室を包む。
「なぁ、紙名。噂話って信じるか」
静寂を破ったのは、信彦先輩だった。
「……絶対ではないですが、内容にもよります」
「最近、この大学で部員が行方不明になってる奴等がいるのは知ってるだろ」
「てっきり休学してるのかと思っていましたが、それがどうかしたんですか」
ぼっちな自分でも、確かにその違和感はだいぶ前から感じていた。
食堂でもそのことを気にしている女子たちの噂話なんて、嫌にでも耳に入ってくるのだから。カメラをスポーツマンチックな鞄に入れてから、信彦先輩は私に命令する。
「お前調べて来い」
「……ふざけてます?」
「いたって真面目だ。俺もだいぶ前から調べてるし、大丈夫だろ」
「警察とか、そう言うレベルの話じゃないですか……」
「手伝え」
真っ直ぐに私の目を射抜く信彦先輩のたったその一言で、私の天秤はYESに傾く。
いや、強制に近いが先輩には恩があるし断りづらいというのが正確か。
というか、断ったら精神的なボコ殴りをされそう……考えただけで寒気が走ってきた。
私は少しの沈黙の後大きなため息を吐く。
「……わかりました」
「よし、じゃあ行くか」
「現場にですか?」
「警察が邪魔だから無理だろ、当てはある」
信彦先輩は立ち上がって、上着を着る。
声のトーンに本気なのだと憶測しなくても理解できた。
「俺が調べた内容はスマホに送る。別行動するぞ」
「はぁ……わかりました」
信彦先輩は背を向けながらスマホをちらつかせるとドアノブに触れて外に行った。
勝手に先に行かれたことは、まあ置いといて。
今日この日、私はおそらく人生で忘れられない日になる。
そして、私は先輩の言葉に従ったことでモノトーンの日常が虹色に染まっていくことを私は知らなかったのだ。