平民いじめ③
オルフェオが医師から絶対安静を命じられてから、二週間目に入り始めると、オルフェオは雑用係になり果てていた。訓練には出席はするが、参加は禁じられているため、騎士たちにタオルや水分の手渡したり、審判などのサポートに回っている。訓練が終わった今は管理室でヨーゼフの作業の手伝いをしてるのだ。
自主練を終えた騎士が帰ってくる時間になってもオルフェオは黙々と作業をしていた。
「おー、雑用係! お似合いじゃねぇか! そっちの方が向いてんじゃねぇのか?」
騎士たちは管理室の前を通りがかりにオルフェオに話しかけると、返事を聞く気もなくゲラゲラと笑って去っていく。
「おい、お前らいい加減にしろ!」
ヨーゼフが去っていく騎士たちを怒鳴っても騎士たちは笑って去っていくだけだった。ヨーゼフはオルフェオに視線を向けるが、当の本人は何事もなかったかのように作業を続けている。ヨーゼフに見られていることに気付いたオルフェオは困ったように笑ってため息をつく。
「言わせときゃいいんだよ。あーいうのは言えば満足するんだから」
「言い返す権利はあると思うぞ」
「あんなのに言い返してたらキリないじゃん。変に刺激するだけだよ」
当然のように言うオルフェオの言葉にヨーゼフはため息をつく。どうしてこうも彼は自分のことに興味がないのか。
「とにかく時間も時間だし今日は終わるぞ」
はーい、と返事をして、オルフェオは片づけ始める。この一週間、片付けまでずっと手伝いをしていたためどこに何を片付けるのか覚えてしまったらしく、流れ作業のように片づけている。
(すっかり定着してやがる)
オルフェオの様子を見て、ヨーゼフは苦笑いを浮かべてしまう。
オルフェオは片付けるべきものを全て片付けると、一部の書類をそろえて、持ち上げるとヨーゼフに見せてきた。
「ねえヨーゼフさん、これ医務室もっていかなきゃいけないんじゃ……」
「ん? あ、ほんとだ。埋もれてたか」
「じゃあ、オレ届けてくるよ。ちょうど今日行く約束してたから」
じゃ、お疲れ様です、と言いながら、オルフェオはそそくさと管理室を出ていってしまう。
「逃げるように帰りやがった」
置いていかれたヨーゼフはまたため息を漏らす。
訓練に出られないとなってから、オルフェオに対する地味ないじめが目に見えて増えていった。元々オルフェオが自主練をサボることで有名だったため、今回の訓練についても色々想像豊かな噂が流れているようだ。ヨーゼフはオルフェオを心配して気にかけているだけのつもりなのだが、それがオルフェオには居心地が悪いらしくその話になりそうになると話をかえられたり逃げられてしまうのだ。
ヨーゼフはオルフェオの前では止めていた煙草に火をつけて煙を吐いた。
「ったくよ、あの書類もこの時のために隠してたんだろうな」
ーーーーーー
管理室から逃げるように出たオルフェオは医務室に向かう。医務室まで行くには一回寮の外に出て外から入る方が早いため、一度外に出て向かうことにした。
ふとオルフェオは足を止めて、視線を空に向ける。
(この間までこの時間だと日が沈んでたのに……)
日の暮れの違いに時期の変化を感じる。
絶対に入らないと言っていた騎士団に入って、やっぱり合わないと思うことが多いけど怪我をする前は訓練には徐々についていけるようになってきていたし、新しい環境にも慣れ始めていた。それに最近では寮の職員とは仲良くできているし、ユーリやリュト、ハーマンとも親しくしてもらっている。自主練にはまだついていけるような体力もないし、毎日する気はないという考えは一生変わらないとは思うが。
(少しずつ馴染んでいこう)
止めていた足を動かして歩き始めると、上の方からカタッと物音がした。気になって上を向くと、大量の水が落ちてきてもろに被る。何が起きたのか一瞬分からなくて呆然としてしまう。髪からぽたぽたと水が滴る。
「まじか」
あまりにも予想外のこと過ぎて思考が停止してしまう。
「……あっ、しまった、書類!!」
書類を見るともちろん完全に濡れて、滲んで読めなくなってしまっている。あちゃーと声を漏らしながら、紙の端をつまんで乾かそうとするが無駄である。
「なんでこんな分かりやすい嫌がらせしてくれるかな。……めんど」
少し暖かくなってきたとはいえ、まだ夜は冷え込む。少し風が吹くと、寒気がしてくしゃみが出てきた。鼻をすすりながら、服を一旦脱いで絞る。その服で顔や上半身の水を拭けるだけ拭いて、着なおし、一旦管理室に戻ることにした。
何故か管理室に戻ってきたオルフェオの姿を見て、椅子に座ってくつろいでいたヨーゼフは椅子が倒れる勢いで立ち上がる。びしょ濡れなのに平たい笑顔を浮かべるオルフェオとびしょ濡れの書類を見せられたヨーゼフは肩を落とし、ここ数年で一番大きなため息をついた。
「なんか、すみません」
「お前が謝ることじゃないだろ」
オルフェオと関わるようになってため息をつく頻度と頭を搔く頻度が上がった気がする。それなのに当の本人が平たい笑顔を歪ませることがないというのが釈然としない。その笑顔を見るとまた息が漏れそうになる。
「とりあえず、さすがにこれはハーマンに報告せざるを得ない。いいな」
「すみません」
「だから、謝るなっての。お前、とりあえずシャワー浴びて体温めてこい」
はーい、と張りがない声で返事をして、オルフェオはシャワーを浴びる準備に向かった。
ヨーゼフに背を向けると、オルフェオは少し不機嫌になる。別にいたずらをされることは正直どうでもいい。しかし、揶揄を飛ばされたり証拠に残らないものならヨーゼフも見逃してくれたが、こうも証拠を残されるとヨーゼフは報告せざるを得なくなるのが分かっていた。報告されると何かしら上が動いてしまう。それが何だか気に入らないのだ。
(ほんっとめんどくさいなー、もう)
タオルや着替えを持ってシャワー室に行ったがちょうど自主練を終えた者が多いようでほとんど満室だった。ドアを開けた瞬間、騎士たちの汗とシャワーの湯気でむっとした熱気が襲ってきてオルフェオは手で払う。
(わっ、さすが、男くさい)
すでにびしょ濡れになっているオルフェオが入ってくるとつい騎士たちはオルフェオを目で追ってしまう。視線に慣れてしまったオルフェオは気にせず、服を脱ぐ。少し薄くなっているとはいえ、まだ赤黒く変色している打撲傷がおおっぴらになる。騎士たちの中から息をのむ音が聞こえた。訓練に出られないという理由が分かったとともに、ひどい傷にも関わらず、顔を歪ませないオルフェオの様子は異様な光景でしかなかった。
シャワーを浴びて少し体が温まってきても、寒気がしてくしゃみが出る。
(あー、これは風邪ひいたかもしれないな)
オルフェオは鼻をすすり、ため息を漏らした。
ーーーーー
自主練を終わらせたキーランドは、一人で食堂に向かう。少しずつ平民出身の者をいじめる取り巻きたちから距離を置くようにしようと思い、自分のことは自分でするようにし一人で行動するようにしているのだ。食堂につくと、ユーリの姿が見えた。オルフェオが怪我をしてから、オルフェオとユーリが共に食事をするようになったようだが、今日はユーリしかいない。少し前だと、ユーリが一人でいるとキーランドの取り巻きがちょっかいをかいたりしていたのだが、今の彼らはユーリに興味もないようだ。それにもかかわらず、ユーリは鋭い目つきでキーランドを睨んでくる。
(何だ?)
オルフェオに大怪我を負わせてしまってから、キーランドはピタリといじめをやめた。最近で睨まれるようなことをした覚えがない。まあずっといじめてきたから睨まれても、仕方ないとも思うが。
戸惑いながら食堂の受付から料理を受け取り、席に座るとキーランドの隣、向かいに取り巻きが駆け寄り座ってきた。
「やってやりましたよ、キーランド様! あの雑用係に大量の水をかけてやりました!」
「もう、あの驚いた顔といったら……」
取り巻きたちは腹を抱えながらも堪えるようにして笑う。雑用係というのは最近オルフェオが騎士たちの間でよく呼ばれるようになった呼び名だ。どうやらこの者たちにオルフェオは水をかけられてしまったらしい。まさか自分が近くいないときに、そんなくだらないことを続けるとは思わなかったが、そういうことかとキーランドはユーリの視線のわけを納得し、ため息をつく。
「そういうのもう止めろ」
「え……」
周りが静かになるのが分かるが、キーランドは平然なフリをして口に物を運ぶ。この言葉をいうのが今まで怖くてたまらなかったのに、今はすんなりと言えてしまった。ずっと言いたかったことがやっと口にして言えたことで、キーランドは少し心の荷が降りた気がした。
取り巻きたちはお互いを見合わせ、戸惑いを見せている。
「なんすか、オルフェオにチクられてビビってんですか?」
「そんなんじゃねぇよ。くだらねぇって思っただけだ」
「何を言って……階段から落ちて頭でも打ちました?」
取り巻きたちは冗談を言って、ぎこちない笑いをする。キーランドからしたらなにも面白くない。しかし、確かに階段から落ちて傷を負った時の取り巻きたちとオルフェオの反応の違いを見て、目が覚めたような気がしたのは確かだ。
キーランドはフッと笑みを浮かべる。
「そうかもしれんな」
「は?」
取り巻きたちは顔を引きつらせる。キーランドはご機嫌に食事を続ける。
キーランドは良かれと思って言ったことだったが、のち騎士たちにとって苦々しい出来事を引き起こすきっかけとなるのだった。
ーーーーーー
キーランドの取り巻きの一人の騎士は親指の爪を噛む。
キーランドが最近どうもおかしい。キーランドといえば、入団前から身の回りのことは他人にやらせ、取り巻きも多く、プライドが高くて庶民をバカにしているということで有名だった。この前まで庶民どもを進んで痛めつけていたし、その噂は嘘ではないと思っていた。だからやめろと言い出すなんて夢にも思わなかったのだ。
せっかくキーランドに気に入られるために入団当初から媚びを売ってやっとキーランドの隣に立つことができるようになり、ベルトルト家と繋がりができたと思ったのにここで全てを無駄にするわけにはいかない。
取り巻きの騎士はギリリと歯ぎしりをする。
その時、オルフェオが朝食を取るために部屋から出てくる姿が目に映る。
(そうだ。コイツと何か話してから、キーランドの様子がおかしくなった)
オルフェオを集団で殴りつけた次の日、キーランドはオルフェオを連れ出し余計なことをしないように脅したはずだった。しかし、何があったのか、あの後から話しかけても、キーランドはうわの空で何か考え込んでいるように見えた。その状態のまま階段からも落ち、今までキーランドがそんなミスをすることがなかったため、かなり驚いた。
(絶対アイツのせいでキーランドがおかしくなったんだ)
そう思うと、オルフェオが憎たらしくてたまらなかった。元々気に入らないヤツだった。庶民のクセに貴族を敬う態度など見たことないし、貴族出身でもなかなか近づけず遠い存在のハーマンにも失礼な態度を取り続けているオルフェオは憎い存在だった。その上、今までの自分の努力をたった一人のせいで、しかも庶民に台無しにされたのに、憎悪を隠すなんてできるはずもない。
オルフェオが目の前を歩くタイミングに合わせて思いっきり足を引っ掛ける。いつものオルフェオなら避けられそうなものだったが、今日のオルフェオはまんまと引っかかり派手に転んだ。
(ざまぁみろ)
派手に転ぶ姿は無様で、フッと笑ってしまう。満足してオルフェオに背を向けてその場を離れる。しかし、後ろから声が聞こえて振り向いてしまう。
「おい、大丈夫か!?」
心配するような声でオルフェオに駆け寄ったのはキーランドだった。目を疑う。どうして、キーランドがオルフェオに駆け寄っているのか。
キーランドはオルフェオを立たせようと身体に触れるとぎょっと目を開く。
「熱あるじゃないか! 医務室に行くか?」
オルフェオに寄り添うキーランドの姿を見て舌打ちをする。腹が立つ。今までどんなに面倒なことも名乗りでて媚びを売って売りまくって築いてきたものをこんなにも簡単に崩されたことが許せなかった。
(オルフェオ、絶対許さない)
踵を返し、キーランドに背を向けてその場を離れることにした。オルフェオへの憎しみはふつふつと湧き上がっていった。
「あー、やっぱ熱あったか。頭痛いし、ふわふわすると思った」
オルフェオはキーランドの手を借りて立ち上がる。そして、くしゃみが出る。
オルフェオは顔が火照っており、少し涙目になっている。加えてくしゃみと鼻水が出るというこの様子はどう見ても風邪だ。
「医務室に行こう」
「いいよいいよ、朝ごはん食べたら風邪薬を飲むつもりだから」
「いや、ちゃんと休んだ方が……」
「訓練に参加するならともかく、怪我で訓練に参加出来ない上に、風邪で出席すらできませんなんて流石に言えないって」
体がだるいのかいつもより控えめな笑顔を向けられる。節々痛てぇ、と年寄りくさいような事を言いながら歩くオルフェオを追うように、キーランドは歩く。
「あの」
オルフェオの隣に行くと、声をかけてみる。オルフェオはちゃんと返事をしてくれる。
「この前は急に手を上げてしまってすまなかった。あと、昨日、俺の……友人がお前に水をかけたらしくて、その、悪い。それで体調が」
「……そっか」
許すとかいいよという言葉をくれることはなかったが、怒りもぶつけずキーランドが隣を歩くことを拒否しないオルフェオは心が広いと思った。
食堂につくとユーリが既にいて、オルフェオとキーランドが一緒に来たところを見て目を見開いた。しかし、すぐにキーランドに鋭い視線を送ってくる。この反応が普通で、オルフェオが異常なのだ。
「お前の分も持ってくるから、座っててくれ」
「うん、分かった」
キーランドはわざわざユーリの隣の椅子を引いて座らせてくれる。オルフェオは座ると、はあーと息を吐く。ユーリはオルフェオの顔をまじまじと見て首を傾げた。
「……もしかしてオルフェオさん、熱あります?」
「計ってはないけどねー」
オルフェオは目を開けるのもだるいのか、目をつむって俯いている。どれどれとユーリは自分の額とオルフェオの額に手を当てて、体温を見ようとするが触った時点で明白だった。
「高熱じゃないでっうぐ! んーー!」
ユーリの口を塞いで、シーと人差し指をたてる。
「声が大きいよ。薬飲むから大丈夫」
「っぷは! オルフェオさんの言うことは信用なりませんよ!」
頬をふくらませてオルフェオを睨むが、今日だけと小声でお願いされると威勢が緩んでしまう。
昨日水をかぶったことと環境が変わったことによるストレスなど色々条件が重なってしまったことには自覚があった。だからこそ、休むことに抵抗がある。
オルフェオの席に料理がおかれる。
「待たせたな。少し食べやすいものに変えてもらえたぞ」
「わあ、ありがとー。助かるー」
今日の朝食はハムとソーセージにサラダ、丸いフランスパンとロールパンにスープというものだったが、肉類をスクランブルエッグに帰られており、少しフルーツも入れてくれていた。食欲がなく、おかずを食べられなくてもフルーツなら食べられそうだ。
キーランドはオルフェオの隣に自分の分を置き、座ると。
「っ、何故そこに座る」
ユーリがキーランドに聞こえるか聞こえないか程度の声で苦々しく呟く。
「オルフェオ、一緒に食べてもいいか?」
「? もちろん」
「……にゃろう。オルフェオさんを利用しやがった」
ユーリが眉を釣りあげてキーランドを睨みつけ、キーランドは優越感に浸った表情でユーリを見下ろす。二人の視線がバチバチとぶつかっていることには気づいていたが、オルフェオはめんどくさいから放置して食事を取ることにした。
食事を食べ終わると、どっちがオルフェオの食器を片付けるか言い争いをしたのは言うまでもない。
訓練に参加できないオルフェオは列には並ばず、少し群から離れたところで集合時間を迎える。オルフェオはユーリとキーランドに励ましの声をかけてから、離れた。
「オルフェオー! 昼食も一緒に食おうなー!」
「お断りします!!」
「お前には言ってねぇ!!」
そんな言い争いをしながらも、ユーリとキーランドは一緒に集合場所に向かっていった。その様子を遠巻きに恨みのこもった眼差しで睨みつける集団があることに、オルフェオは気づいたが、とりあえず様子を見ることにした。