九十七話 暗殺者
「……そうしてルディスは、皇帝という存在がもう不要になったと、自ら死を選んだの」
机を挟んで向こう側に座るユリアは、そこまで言って、俺に視線を送る。
ユリアは今、いつものきっちりとした青い貴族のドレスとは違い、だぼっとした白い寝間着。
普段は大人びて見えるユリアだが、今は年相応の女の子に見える。
風呂に入った後ということもあり、花の良い香りも漂っていた。
「どう、ルディス? とっても、悲しい話でしょ?」
「そ、そうですね……」
ユリアの部屋で護衛として一夜を過ごすことになった俺は、ユリアと食事をし、魔法についてなど話した。
しかし、その時間は一時間にも満たなかったと思う。その後は、賢帝ルディスの話を二時間近くも聞かされている。
俺が賢帝ルディスについて知っていることは、この時代の一般の人達と同じぐらい、とユリアは思っている。
なので、ユリアは俺に賢帝の生まれからその死まで、懇切丁寧に語ってくれたというわけだ。
当然俺の前世なのだから、俺からすれば既に知っていること、恥ずかしいことも聞かされた。事実でないこともあったが、だいたいは好意的に誇張されたような話であった。
ユリアは俺に頷き、目を輝かせながら呟く。
「……大切な従魔と離れてでも平和をもたらそうとした。ああ、やっぱりルディス程の為政者はいないわね」
俺は「そうですね」と無難に頷くも、内心は複雑だ。
俺のやったことが少なくとも数百年の平和にはなった。それは俺も満足している。
しかし、その離れた従魔達には……
「でも、従魔と別れる時……彼は死ぬよりもつらかったでしょうね」
寂しそうな表情で語るユリアの声に、俺も無言で小さく頷いた。
死ぬよりつらい、か……
ちゃんとした別れを経た後なら、死もつらくなかっただろうな。
「ふゎあ……あっ、ごめんなさい」
あくびが出てしまったことを、ユリアは口を手で押さえて俺に詫びた。
「殿下。今日はもう遅いですし、お話はまたの機会に聞かせて頂ければ」
「……そうね、そうさせてもらうわ……」
ユリアはそう言って、ベッドに入り込む。
だが、俺が椅子から微動だにしないことに、首を傾げた。
「あなたは寝ないの? そこにベッドを持ってきたのに」
隣の部屋があまりに本だらけなので、ユリアは自分の部屋にベッドを持ってこさせた。
「ありがとうございます、殿下。でも、俺はもう少し外を見張ってますよ」
「そんなこと気にしなくても、この王宮には誰も入ってこれないわよ」
「図書館もそうだったのでしょう。であれば、王宮内でも油断は大敵です。ルディスも暗殺者に狙われており、常に従魔に見張らせていたのはご存知でしょう?」
「そ、それは……」
「お体を壊しては大変です。ごゆっくり、おやすみください」
「分かったわ……それじゃあ、また明日」
ユリアはそう言って、すやすやと眠りについた。
……寝たいときに寝れるんだな。
それにしても男を同じ部屋に連れて、なんと不用心な。
それだけ俺を信用してくれてるのかもしれないが。
あるいはお人好し過ぎて、人を疑うことを知らないのかもしれないな。
いずれにせよ、俺もユリアをどうこうなどという気はない。
同じ部屋ということで気まずさもない。今は大事なことが控えているのだ。
「さて……」
俺は椅子の向きを変え、王宮の窓を見れるように座る。
向こうに広がるのは照明に照らされた庭園。衛兵がたまに巡回してるだけで、静かすぎるほどに静かだ。
この王宮には誰も入ってこれない、か。
一国の王が住まう王宮なのだから、それも当然だ。
だが、ルーン……この程度なら、抜け出してくるのは造作もないだろう?
そう思った時、俺の前に三つの反応が現れた。
丸い反応はスライムのルーン。四足歩行の者はユリアを護衛するためのヘルハウンド。
そして人型の者は、図書館で昼、ユリアを襲った者か……
窓の近くで立ち止まったルーンは、人型の者に俺へと跪かせる。
二人とも【透明化】と【隠密】で姿も気配も消しているので、近くを通りかかる衛兵が気が付くことはない。
(ルディス様、お待たせいたしました! 例の者を尋問の上、連れてきました!)
(ご苦労)
ルーンとヘルハウンドを労い、早速俺は昼の暗殺者に注意を向ける。
姿は見えない。だが、人型の生物なのは確かだ。
またこの魔力……フィストほどはあるだろうか。昼は中位魔法である【透明化】も使っていたし、暗殺向けの魔法を習得しているようだな。
が、足音や魔力を隠す【隠密】は習得できてないか。
帝国の暗殺者であれば、【隠密】は覚えておくものだったが。
それでも【透明化】を覚えているのは、この時代では珍しいはずだ。
また昼見たこいつの足の速さ……とても人間のものとは思えなかった。
跳躍力も尋常ではない。
人型でそういった生物となると……
(……お前は、コボルトだな?)
(……分かりません)
俺の声に、暗殺者はそう答えた。
【操心】でこの暗殺者は俺、または俺に近しい者には逆らえない。
つまりは嘘を吐くこともできなくなるはずなのだが……
すでに尋問を済ませたであろうルーンがこの者はと説明しようとするが、俺は自分で聞くと答えた。
(ほう、自分が何者なのか分からないのか。名前は?)
(……はい。名はミュリス。リュアック殿下の奴隷です)
(ミュリスか。……ミュリスはいつから奴隷なのだ?)
(恐らく……生まれてからずっと、です)
(そうか……)
恐らく親と会ったことすらないのかもしれない。
(先程の魔法、【透明化】はどこで覚えた?)
(物心がつく前には覚えてました)
(それからは、魔法を教わったか?)
(いえ、全く)
ふむ……確証はないが、コボルトの暗殺者なら心当たりはあるな。
帝国の諜報機関シュテ……
それに所属する者は、生まれてすぐ【隠密】を教わっていた。
そしてシュテの構成員は皆、身のこなしの早いコボルトで構成されていたのだ。
コボルトは人型の魔物。もちろん、帝国では忌避される存在であった。
しかし、歴代皇帝は魔物を忌避する一方、人々の目に届かない場所では魔物を働かせていたのだ。
その場所がシュテ……帝国の諜報機関だ。
俺も皇子時代より、このシュテのメンバーには命を狙われていた。
皇帝になることで、支配下に置けたが……
俺自身は暗殺をあまり好まない。しかも従魔にそういった諜報任務に向いた者がいたので、シュテにはほとんど国外の情報収集を任せていた。
俺が死ぬ前、彼らの存在を議会に継承させるかは迷ったが、俺は彼らを解放することにした。
もともと奴隷として無理やり働かされていた者達だ。
南の山奥に土地を与え、金や食料、【魔法壁】を展開できる道具を授けた、平和に暮らせるようにした。
ミュリスはそのシュテに所属する者の末裔である可能性があるな。
だが、幼少のときに親と何らかの理由で離れ、リュアックに良いように使われていると。
【隠密】が使えなくても、姿を消す【透明化】を使えるだけで、暗殺に向いている。
魔法が衰退したこの時代、しかも人間相手ならそれなりに脅威にはなりそうだ。
俺がそんなことを考えていると、ルーンが尋問の結果をまとめて伝えてくれた。
(リュアックなる小童はやはりユリア殿下を殺害し、それを明言はせずも自分のせいと思わせることで、宮殿内へ力を示そうと思っていたそうです)
(愚かな。だが、今までやらなかったのに今日やるということは……)
(はい。リュアックは地下都市の最下層への手がかりを、僅かですが掴んでいるそうです)
当然、その手がかりを調べないルーンではない。俺はすぐに訊ねる。
(それが何かは分かったか?)
(ミュリスが言うには、宮殿の古い宝物庫から地図のようなものを得たそうです。そしてここに来る前、彼の部屋を探りましたが……)
(見つからない、か)
(はい。リュアックはぐうぐうと寝てましたが、それらしきものは)
(消費するかたちの魔法地図である可能性もあるな。地図はすでにリュアックの頭の中かもしれないな……)
(彼も【操心】で口を割らせますか?)
(いや、【操心】が通じるやつとは思えない。欲深い奴ほど、通じないからな)
(ならば力づくで……)
(それもなしだ。ユリアとの一件もある。ここで彼を刺激したくはない)
それに魔法地図を知っているということは、他の魔法の道具を持っている可能性もある。
(すでに最下層への手掛かりは得た。明日、こちらは正攻法で向かえばいい)
(かしこまりました! では、こちらはどうしましょう)
ルーンはミュリスに体を向ける。
【操心】の効果は一日持てばいいほど。
明日にはまたリュアックのもとへ戻ってしまうだろう。
(ふむ……ミュリスよ。お前はリュアックをどう思っている?)
(……食事を与えてくださり、命令を下さる方です。失敗をすれば、”制裁”をいただきます)
そう答えるミュリスは、体が震えているように見えた。
此度の暗殺失敗は、リュアックから”制裁”の対象になるのだろう。
その内容は、見てられない痛ましいもののはずだ。
(制裁、か……ミュリス。お前は今の立場をどう思っている?)
(……分かりません)
物心ついた時から、ミュリスはずっと今と同じ扱いを受けていたのだろう。
だから、比較対象がないのだ。
(そうか……ならば、お前に選択肢を与えたい。ミュリス、俺の従魔になってみないか?)
(従、魔?)
(ああ。もう”制裁”を受ける必要はない。お前が自由に生きていくため、一度俺の従魔になってみるんだ)
(自由……)
よく分からない言葉に、ミュリスは困惑しているようだ。
(ともかくだ。”制裁”が嫌なのだろう? 俺の従魔になれば、それから解放しよう)
ミュリスは沈黙した。
【操心】は魔法をかけるものの意志がなければ、命令にならない。
このように本人の気持ちを訊ねる質問は、本人の意志で答えられる。
やがてミュリスは、こくっと頷く様な仕草を見せた。
(決まりだな)
こうしてコボルトの暗殺者ミュリスは、俺の従魔となるのであった。




