九十六話 闘技場
山頂にある王国の宮殿は、非常に広大かつ壮麗であった。
白い岩で建てられた宮殿は帝国の神殿を思わせるもので、壁の各所に歴代の王の立派な彫像などが彫られている。
上空から見ればコの字型の建物の周辺には色とりどりの花が埋められた庭園が広がり、騒がしい市街地とはまるで別の空間だ。
その一室……使用人と同じ一階に、ユリアの部屋はある。
王女にしては飾り気のない内装……必要最低限の家具と、あとは山のような本や書類ばかりが積まれているのが見える。
俺はユリアに連れられ、その部屋に来ていた。
「……とすると、三十階にちょうど山の中央があると」
ユリアは部屋中央にある机の上の地図を見ながら、俺に頷く。
「ええ……巨大な円形の空間。中央の丸い床を囲うように観客席があることから、”闘技場”なんて呼ばれ方もしてたそうね」
「闘技場……戦いを娯楽として見せる剣闘士の試合を行う場所ですね」
「そう。大陸東部ではまだ剣闘士試合も行われているようだけど、この国では全く流行らなかった。だから闘技場と呼ばれる場所は、ここにしかないのよ」
「なるほど。しかし三十階となると、階段でも行ける場所。問題なくいけそうですね」
「そう思うでしょ。でも、この闘技場までの道は、王都建設後すぐに崩落して塞がれてしまっている。地下都市で唯一の崩落事故でね」
「唯一ですか……」
そんな偶然があるだろうか?
俺が見た限り地下都市の壁には、巨大な石材が綺麗に積まれていた。
恐らくは今も最下層で働く魔物の技術でつくられたもの……簡単に崩落しないのは、崩落事件が一件だけというのが証明している。
それが、一か所だけ崩落するとはとても考えづらい。
ユリアも俺と同じ違和感を覚えたようだ。
「ええ。唯一、ね。ヴィンダーボルト……彼が最下層への道を隠すため、崩落させたのかもしれないわ」
「たしかに偶然とはなかなか考えづらいですね。しかし、困った……取り除いては駄目なのでしょうか?」
「周辺は道が狭く、最近では少なからず住民も住んでいるようね……工事をすれば、他の部分が崩落しないとも限らない。彼らを危険な目に遭わせるわけにはいかないわ」
俺の魔法であれば、崩落させずに取り除くことは容易い。
しかし、ユリアや住民の前で魔法は見せられない。
【透明化】等で隠れて道を元に戻すにしても、秘密の通路を通るにはユリアの助けが必要だから、道が綺麗になった理由を考えなければならないだろう。
とはいえ、それしか方法がない。
簡単に取り除けたでもいいかもしれない。
俺が悩んでいると、ユリアは何かを閃いたような顔になる。
「……地下闘技場では珍しい魔物が戦わされていた記憶があったわね。たしか彼らが捕まっていた場所があって……」
「魔物、ですか……」
人を戦わせていたかは分からないが、少なくとも魔物は戦わせていたようだ。
最下層では魔物を騙して働かせ……やはり狡猾な男だったようだな。
死んだ者をこれ以上、どうこう言うつもりはない。
が、少なくとも最下層の魔物には事実を伝えてやる必要がありそうだ。
ユリアは手元にあった本を読み返すと、声を上げた。
「あった! 十八階の閉ざされた扉。この向こうに闘技場で戦わされていた魔物の牢獄があるわ」
「そこなら、三十階に上がれると?」
「恐らくね……一般人と同じ階段ではなく、魔物は牢獄から伸びた専用の階段を使っていた」
反乱や脱走の可能性を考えれば、客と闘士の通路を別にしておくのは当然か。
だが、ユリアは何かを気が付いたようにこう続ける。
「……でも、問題は今まで誰もこの扉を開けたという報告がないということね」
「しかも、十八階ですからね……階段でいける場所は二十階までなので、冒険者もあまり行かないのでしょう」
「……難しそう?」
ユリアは心配そうに俺に訊ねた。
手っ取り早いのは、やはり三十階の崩落した通路をなんとかすることだろう。
しかし、魔物の牢獄というのも気になるな。
「そうですね……確かに難しいかもしれませんが、そこしか通路がないなら他に選択肢はありません」
俺はそう答えるが、ユリアは不安そうに言った。
「でも、二十階以下はアンデッドが多くて、冒険者もうかつに近づけないって聞くわ。そんな場所にあなたを……」
また無理難題を俺に頼むことに、ユリアは罪悪感を感じているようだ。
「ですが、殿下。我々はリュアック殿下の先を行かなければなりません。リュアック殿下がどこまで情報を持っているかは分かりませんが、こちらも急ぐ必要があるでしょう」
「……そうね」
ユリアは俺の言葉に、ゆっくり頷いた。
「だけど、あなた達だけに行かせるのは危険。もっと冒険者を集めて、ロストン達にも同行を頼んで、私もついていくわ」
それは困る、というのが俺の本音だ。
ユリアが通路まで一緒に来るのは仕方がないが、最下層に行かせるにしても、まずは俺だけが先行し賢帝として魔物と話してみてからにしたい。
魔物がユリアや人間を見てどう反応するか分からないし、俺が賢帝だという話を秘密にしてもらいたいのだ。
まあ、それは抜きにしても単純に狭い通路を大人数で移動するのは危険が伴う。
トラップの類もあるだろう。
「殿下……お言葉ですが、地下都市には平野のような場所がありません。大人数での行動は却って危険かと。まずは私とルーン、マリナ、ネールで偵察に行かせてください」
「……分かった。でも、無理は禁物よ。あとは私の方も冒険者に声を掛けておくから」
「ありがとうございます。それでは早速、明日にでも地下都市に向かいます。殿下もむやみに外を歩かれないよう」
「分かった……お願いします」
ユリアは俺に綺麗に頭を下げた。
俺もそれに返すように深くお辞儀をして、振り返る。
「る、ルディス」
だが、ユリアが俺を呼び止める。
振り返ると、少し恥ずかしそうにするユリアが。
「……? なんでしょう、殿下?」
「そ、その……今日は遅いし、泊っていったらどうかしら? そこの隣の部屋、空いているから」
「し、しかし。ルーン達も心配してるでしょうから」
「そ、そう……そうよね」
ユリアは残念そうな顔で、視線を落とした。
暗殺されそうになったこともあって、不安なのかな?
だが、さすがにリュアックでも、王宮内で何かできるとは思えない。
ロストン達もいるし、重武装の近衛兵やそこそこの魔力を持った魔術師が至る所で立哨している。
加えて昼の暗殺が失敗したばかり。
暗殺計画は結構な準備期間が掛かるはずだ。雇った冒険者は捕まってしまったし、【透明化】を使っていたあの暗殺者も今は俺が操作している。
その暗殺者に、俺は今から会いに行かなければいけないのだ。
俺は頭を下げて「失礼します」と言い、部屋の扉に向かった。
しかし、扉を開けるとロストンが笑顔で俺を通せんぼした。
「ロストンさん?」
「ルディス。この時間は王族とその護衛、使用人以外、王宮を歩いてはいけないことになってる」
「え? そんな決まりが?」
確かにもう夜だから、部外者を歩かせるのはまずいのかもしれない
しかし、まだ夜になったばかり。しかもそんな決まりがあるなら、先に言っておいてほしかったものだが……
ロストンはにっこりと笑いながら、ユリアに声を掛ける。
「ですよね、殿下?」
「え、ええ! そうね! もうそんな時間だったわ! ルディス、仕方ないから泊っていきなさい」
……この子、あまり演技は得意でないみたいだな。
ロストンも俺がいたほうが安全と踏んだのだろう。
ふむ。まあ万が一もあるから、ユリアを護衛するのはいいが……暗殺者はどうするべきか?
そういえば、護衛のヘルハウンドを一体呼んでいたな。
外の魔力を探ると、すでにヘルハウンドは来てくれていたようだ。
……彼にルーンへ連絡を頼むか。
暗殺者への尋問は、ルーンに任せるとしよう。
ルーンであれば、俺が知りたい情報も聞き出しておいてくれるだろう。手荒い真似もしないはずだ。
俺は【思念】でヘルハウンドに、ルーンへの連絡を頼んだ。今日は王宮で泊まる事、尋問を任せることを。
「分かりました……それでしたら、今夜は部屋をお借りしたいと存じます」
俺が言うと、ユリアは顔を明るくした。
「もちろんよ! じゃあ、ごはんも一緒に食べましょ! あ、あと魔法について聞きたいことがあったの!」
こうして俺は、ユリアの部屋とつながった小部屋に泊まることになった。
だがそこは本ばかりで、ユリアの部屋にベッドを持ち込み寝ることになるのであった。




