五十二話 エルペンへの帰還
「旦那! 旦那、あれがエルペンですかい?! 見えてきましたぜ!」
フィストの声が聞こえる。答えなければという事は分かっている。
だが、体が動かないのだ。
隠れ里を出て二晩が明けた。
そしてこの時まで全くというほど寝れなかった。
原因は俺の前で言い争いをする、ルーンとネール。
マリナだけが気を利かせて、二人にやめるよう言ってくれる。
しかし、二人の睨みにはマリナもそれ以上何も言えなかった。
俺の肩を揉み解しているマリナが、こう問うてきた。
「ルディス様、ママがすいません。フィストさんにそろそろ止まってもらうよう言いますね」
俺は無言で、こくっと頷く。
マリナの声にフィストは速度を落としていく。
人間の視線が多くなる中、あまりに速いと不思議がられるからだ。
バイコーンが持つ特有の羊のような二本角は、スライムゼリーを塗る事で角だけに【擬態】を掛けてある。
二本角は辺りの景色と同化し、透明になっているのだ。
馬車はエルペン入り口の厩に面した小さな広場に止まる。
ここは馬や馬車を自由に停留させることができ、商人が良く集まるエリアだ。
もちろん、あの強欲な領主がここの使用に税金を掛けないわけもなく……他の街と比べても高額な使用料を払わなければいけなかった……のはもう昔の話だ。
領主はエルペンや付近の街や村に、適正な税金や使用料を定めるようになった。
商人からはすでに関税を得ているので、ここの使用料は現状無料にしている。
個人的には良い判断だと思う。関税はないと財政が立ち行かないだろうし、かといって商人は呼び込みたい。
ある程度、ここで商売をする魅力は必要だ。
フィストは「到着しやした!!」と言って、あたりをきょろきょろと見渡し始めた。
どうやら他の雌馬をまるで品定めをするかのように見ているようだ……
そのフィストに、ルーンが一喝する。
「フィスト! ちゃんと馬車の見張り頼みましたよ!!」
「へ、へい!! 皆さんも気を付けて!」
このルーンの発言に、またもやネールが口を出した。
「ルーン先輩、怖っ!」
「何か言いましたか、ネール?」
せっかく収まったかと思うとまたこれだ。
俺はマリナに支えられながら、ゆっくりと馬車を降りた。
その時、聞き覚えのある声が響く。
「お、ルディスじゃん! というか……すっごく疲れてそうね?」
「これは……エイリスさん。ちょっと張り切り過ぎたようで」
「私が頼んだ依頼のせい? そういえば村からギルドに、冒険者ルディス一行が問題の馬を追い払ったって報告があったそうよ。お手柄じゃない! 私も任せた先輩として、何とも鼻が高いわー」
「はは、先輩の期待に応えられて嬉しいです。でも、後で報告書を出しに行かないといけませんね」
「ちょっと休んでからでいいじゃない。にしても、また随分立派な馬を手に入れたわねぇ」
エイリスはフィストをまじまじと見つめる。
フィストはそれが嬉しいのか、誇らしげに嘶いてみせた。
バイコーンは馬よりも立派な体格を持っているので、角さえなければフィストは大きく壮健な馬に見えるはずだ。
先程から、通り過ぎる商人達がフィストを見ていくのも、エイリスと同じように見えるのだろう。
「それに……まーた可愛い子連れちゃって。もしギルドなんかに連れて行ったら、男達がまたぶーぶー言うわよ」
「それは困りましたね……この子は俺の村の者なのですが、冒険者を始めるつもりでここまで来たので」
「あら、あなたも冒険者に?」
エイリスの問いかけに、ネールは元気よく答える。
「はいっ! 私、ルディス様の将来の婚約者で、ずっとルディス様のお近くにいたいと思って、村を飛び出てきたんです!!」
「ね、ネール?! 何を?!」
人間であるのを偽装するために俺の言葉に合わせるように言ったが……とんでもない設定を付け加えてきた。
狼狽えたのは俺だけじゃない。
ルーンが大きな声で、透かさず続けた。
「る、ルディス君は私の婚約者です!!」
ルディス様、と言わないようにというのは覚えていたようだ。
だが、ルーンがまさかこんなに感情的になるとは……
「いいえ、違う! ルディス様の婚約者は私!!」
「違いません! あなたなんかに、ルディス君との結婚は無理!!」
エスカレートする二人に、エイリスは何かを察したように俺の肩を叩いた。
「いやあ……色男ってのもきついわね……どっちも傷つけちゃだめよ」
「エイリスさん、俺は本当にそんなこと! って……エイリスさん、その袋は?」
二人をぎゃあぎゃあと騒がせる中で、俺はエイリスが片手で持つ長細い袋に気付いた。
「ああ、これ? あんた達に馬の捜索をお願いしている間に、私とノール、カッセルで大き目のワイルドボアを狩っていたのよ」
「猪のような魔物ですね……肉が高く売れるのでしょうか?」
「そうね。でも、それよりもっと高く売れて、肉みたいに腐らないのがこれ」
エイリスは袋から、剣のような長さの角を取り出した。
「軽くて丈夫なワイルドボアの角。バリスタってあるでしょ? 王都の軍は、これをそのバリスタの矢じりに使うのよ」
バリスタというのは、いうなれば大きなクロスボウ。
木造の建物や集団に対して、大きな威力を発揮する。
「では、これを王都に?」
「そ、王都との交易商人にこれを売りつけるの。一本三十デル。なかなかでしょ?」
「そんなに! 俺達にも是非、狩場を教えてくれませんか?」
「うーん、どうしよっかなー」
「そこをどうにか! あ、でもバリスタの矢なんてそうそう使うもんじゃないでしょうし、あまり市場に出回ると困りますよね……」
「それは心配いらないわ。だって…… これは私も王都の商人から聞いた話だけど……」
エイリスは俺に耳打ちするかのような小声で言った。
「……せ、戦争?」
聞きなれたはずのその言葉に、俺はどこか落胆するのであった。




