五十一話 サキュバスの実力
隠れ里を出たこの日、すでにあたりは夕暮れ始めていた。
途中までアヴェルが案内してくれたことも有り、フィストは牧羊を営むイプス村を超えて、エルペンまでもう一日半というところまで来ていた。
フィストはバイコーンなので普通の馬の倍の速度で走れる。
しかも、疲れを感じないので、休息の必要もなかった。
俺の方もただ馬車に乗っているだけ。疲れることはないと思っていたが……
「ねえねえ、ルディス様はどんな女の子が好きなの?!」
「ルディス様は何人子供が欲しい? 私は百人は欲しいかなー!」
ネールの質問攻めに、俺はほとほと疲れ果てていた。
俺は回答をはぐらかすが、その度にルーンが、
「ルディス様のタイプは、私のこの姿のような女性です!!」
「ルディス様はサキュバスと子供は作れません!!」
と、俺を間に挟んで、ネールに強い口調で返していた。
「ルディス様、怖いよー!」
そしてこうやって、ネールが引っ付いてくる。
「お前、ルディス様から離れろ!!」
ルーンも簡単に釣られ、ネールと取っ組み合いになる。
俺はほとほと呆れているが、マリナの方は興味深そうに二人の喧嘩を見ていた。
ずっとこれでは敵わない……
それにもう日は沈んでいる。馬車の上で寝ても良いと思ったが、これでは到底眠れそうにない。
ここは俺が態度をはっきりさせる必要が有りそうだ。
「……こほん! 二人とも主人の俺の前ということをくれぐれも……うん?」
俺は馬車の進行方向から魔力の反応を感じた。
魔力の剣のおかげで、常時【魔法壁】と【探知】ぐらいは発動できるようになっている。
目を街道の先に向けると、そこには青白い光の球が浮遊していた。
ウィスプ…… 死者の怨霊ともいうべき存在で、魔力の集合体だ。
知性は失われており、生者を見境なく襲うことで知られる。
使える魔力は生前のものを引き継ぐようで、その量から予想するとこの霊達の正体は……ゴブリンか。
神殿の神官が言うには、ウィスプはこの世に未練を残した者の成れの果てだそうだ。
俺や冒険者達が葬ったゴブリン達……戦わざるを得なかったとはいえ、ロイツの話によれば彼らも故郷を追われ南下してきた者達。
彼らの魂を安らかなるものにするのは、せめてもの慰霊だろう。
ただ……非常に数が多い。
五十……いや、百以上か……
ここは一度馬車を止めて、高位魔法でよく狙うとしよう。
騒ぐ二人とマリナもウィスプに気が付き、顔を街道の先に向ける。
俺の聖魔法を見れば、ネールもそれに興味を持ってくれるかもしれない。
「フィスト! 目の前のウィスプが分かるな? 足を止めてくれ! ……フィスト?」
俺の呼びかけに沈黙するフィスト。
一向に走るのをやめようとしない。
このままでは、馬車はウィスプの集団の中に突っ込んでしまうだろう。
「フィスト、どうしたんだ?!」
俺の呼びかけに、フィストではなくマリナが答えた。
「ルディス様! フィストさんなら先程……失恋中の俺になんてものを見せるんだ?! 俺はもう寝る! ……と言っておられました!」
「新参者の癖に何という怠慢!! フィスト! 起きなさい!!」
ルーンは怒り声で起こそうとするが、走ったまま寝れるということの方が、俺には衝撃的だった。
フィストは尚も起きそうもない。
ここは、中位魔法で徐々に……
俺がそう思い、手をウィスプに向けた時だった。
視界の隅を横切るように、馬車から黒い影が飛び出す。
「ルディス様、お任せを!!」
黒い影の正体はネールだ。
先程の人間の姿から、翼と尾を生やしたサキュバス本来の姿となっている。
ネールは次々と闇魔法を手から放っていく。
【闇炎】に【闇球】…… 一体ずつ的確にウィスプへ当てていった。
本来、ウィスプに闇魔法はあまり相性が良くない。
だが、ネールの魔法は威力があり、ウィスプ達は一発で倒されていった。
俺はしばらくネールの実力を確かめることにした。
しかし、ルーンはネールに負けじと、聖魔法でウィスプを攻撃していく。
マリナも初動が遅れたが、それに続いた。
ウィスプ達は、ほんの数分で全滅した。
俺が見る限り、ネールはウィスプの大半、七十体は倒しただろう。
一方のルーンは六十体。
マリナは十体程か。
マリナはまだまだこれからとして、ルーンとネールで討伐数に差がついたのは理由がある。
ネールはサキュバスが得意とする闇魔法を使ったので、連射できた。
だが、ルーンをはじめとするスライムは本来、聖魔法を使わない。
なので、ルーンが聖魔法を連続で使う際は、水魔法などと比べるとどうしても速度が落ちるのだろう。
鼻歌交じりに馬車へ戻るネール。
俺の前に立つと、どうだと言う顔でルーンを一瞥する。
「ルディス様、見てくれた?! そんなスライムよりも何倍も強いし……夜も退屈させませんよ?」
魔法の腕……特に戦闘魔法はさすが黒翼の戦斧団といったところか。
「私はウィスプ達を苦しみなく逝かせようと、聖魔法を使ったのです! 水魔法だったら、あなた等敵ではありません!!」
ルーンのやったことは俺のやろうとしたことだ。
こういったアンデッドには聖魔法で、苦しみなく浄化する……人間の価値観だが、死者への敬意でもある。
だが、ネールはそれを鼻で笑った。
「正直に言ったほうがいいですよー? 負けて悔しいって?」
「お前!! もう我慢なりません! ルディス様、この小娘を一度ぎったんぎったんに!」
ルーンは怒り声を上げる。
俺はまあまあとそれを手でなだめ、ネールに言った。
「ネール、お前の実力は確かだな」
「本当ですか?! 私、嬉しい!!」
「だが…… ただ戦いで敵を多く倒す事だけが強さじゃない。ルーンの言うような慈しみも、場合によっては強みになるんだ」
「……慈しみ?」
ネールはちょっと頬を膨らませて、そう聞き返してきた。
「まあ、魔王もそれはよくわからないようだったが……これから人間の社会に行くんだ。どうせなら、魔王領以外の事もよく見聞きしてもらいたい」
「それはまあ…… とにかく、ルディス様はもっと私を褒めてください!!」
再び引っ付くネール。
まるで子供のようだが、どうせ一緒に旅をするなら、色々人間の事を知ってほしい。
それが、いつか人間と魔王軍双方の理解につながるのでは、と俺はネールとルーンの言い争いを聞きながら思うのであった。




