三十九話 羊の治療
「というわけで、もう安心して下さい」
俺がそう伝えても、目の前の中年男性は信用できないのか、訝しむような顔をしていた。
ユニコーン達は常に魔物との戦いを求め移動するので、あの場に留まる可能性は低い。また、彼らは俺みたいな異端中の異端でなければ、人間を襲うことはない。
加えて、人を見て襲ったバイコーンのフィストはすでに、俺が禁止を聞かせられる範囲にある。安全と言っていい状況だ。
とはいえ、若造の俺達を見れば、追い払ったなんて報告を疑うのも無理もないか……だが、証明する手立ては、彼ら自身の目で確認してもらうしかないだろう。
俺としてもユニコーンらがまだ周辺にいるかも分からないし、アヴェルをここで待たねばならない。
男性に脅威が去ったのを確認してもらうまでは、ここに留まりますよと伝えた。
ブロンズ級という最底辺の冒険者とはいえ、剣と鎧を身に着けている者もいる……
いないよりはましかと思ったのだろう、男性は空き家の一つを自由に使って良いと言ってくれた。
俺達はその空き家の近くにフィストを留め、家の中で休むことにした。
その前に、俺はフィストにパンを食わせてやり、水を飲ませてやる。
結構な食べっぷりを見ると、人間の食事は普通に好物のようだ。
「っふう……お腹いっぱいっす…… 旦那、俺ちょっと寝ますぜ」
「ああ。ゆっくり休んでくれ」
フィストは疲れていたのか、食べ終わるとあくびを上げて、倒れるようにすぐ寝てしまった。
ルーンは礼もなしに寝るとはとたたき起こそうとするので、俺はそれをなだめる。
バイコーンを従魔にしたことはなかったので寝るとは知らなかったが、食事を欲するのだからゴブリンやサイクロプスと変わらないのだろう。
なんにしろ、失恋のショックもあるはずだ。今日はこのまま寝かせてやろう。
「さて……まだ日暮れまでは結構な時間が有るが、今日はもう俺達も休むとするか。どちらにしろ、アヴェルとは夜にならないと会えないからな」
「はい、ルディス様! 本当に今日はお疲れになられたでしょう。このルーンが、ルディス様を精一杯癒しします!」
「私も!」
ルーンに続くようにマリナも手を挙げる。
俺はそんな二人に手で背中を押されながら、小屋に連れていかれる……ところで、隣の家の前にいた少年と羊に気が付く。
少年は何やら憂色を漂わせ、地面に座り込む豊かな毛を蓄えた羊の顔を覗き込んでいる。
気になった俺はルーンとマリナから逃れるように、それに向かった。
「どうした?」
俺の声に、羊のようにうねった白い短髪の少年は意気消沈とした顔で振り向く。
「旅人さん? こいつ……元気ないんだ…… 体にも足にも変なところないのに……」
「炎症はないんだな……とすると、怪我じゃないってことか?」
「うん、昨日の朝までは元気だったし、それにこいつまだまだ若いんだ。でも、こいつ何も食べなくて……このままだと、こいつを皆から離して殺すしかないって、父ちゃんが……」
他の群れに病をうつさないための当然の処置だ。
このような農村では何も珍しくないが……
「どれ、俺に見せてくれ」
俺は少年の隣にどっしりと腰を落として、体調を確認するため、羊に【状態診断】を掛けた。
これは……
「どうだい、兄ちゃん?」
「恐らくだが、毒に冒されているな。食べている草の中に、毒を持ったものが含まれていたのかもしれない……」
呪毒を作り出すための素材にもなる強力な物のはずだ……
精製されていないので効果はゆっくりだが、放っておけばすぐにでも死んでしまうだろう。
更に心配そうな顔をする少年を励ますため、俺は即答する。
「これぐらいならすぐに治せるよ」
「本当?!」
「ああ、簡単だよ。任せといてくれ」
俺は【浄化】を羊に掛け、同時に【治癒】で体力の回復もしてみた。
白い光を浴びた羊は何事もなかったように立ち上がり、少年の胸に頭を摺り寄せる。
「うそ?! もう治ったの?!」
少年はすっかり元気になった羊に目を丸くして訊ねた。
「うん、もう大丈夫だ。普通に歩けるはずだし、餌も食べるはずだよ」
「ありがとう……ありがとう! こいつ、俺が初めて毛刈りを任された羊で……良かった」
涙ながらに驚喜する少年は、そのまま餌を与えるとかで、畜舎へと羊を連れ帰るのであった。
少年は何度もありがとうと頭を下げるので、俺達は手を振って見送る。
「さ、俺達も家に入るか」
「「はい!」」
俺達はその後家に入り、鎧や剣などを外していく。
着替え終えた俺は、一足先にベッドへ深く腰掛けた。
古いベッドなのかぎしぎしと音が鳴るが、布団自体は手入れが届いた綺麗な状態だ。
空き家だが、街道をゆく人達に宿の代わりとして貸し出しているのだろう。
鎧を脱ぎ終えたルーンが、俺に声を掛ける。
「ルディス様、先程はお見事でした」
「何も特別な事じゃない。ルーンも【状態診断】で、羊を見たか?」
「呪毒のような効果でしたね。この近くに素材となる毒草でも生えてるんでしょうか?」
「可能性はあるな…… ゴブリンがユリアに使っていたのを見るに、割とどこでも生えているのかもしれない」
俺とルーンの話に、マリナも加わる。
「ルディス様は誰に対しても優しいのですね……」
「いや……ただ」
何故無報酬で助けたかと聞かれれば、少年の悲しむ顔を何とかしたいと思ったから……とは何だか恥ずかしくて言えない。
それ以上に、スライムのマリナにそういった人間の心情が理解できるだろうか。
「こうやって善行を重ねれば、人からの評判も良くなる。今後冒険者としてやってくなら、良い噂が立っていた方が良い」
「つまり、恩を……売るということですね」
「ま、そういうことかな……」
正直少年相手にそのような見返りは求めてはいないが、魔物達に実践させていくのなら合理的な理由が有ったほうが良いだろう。
だが、ルーンが、
「マリナ…… 人間は時に利益を考えない行動をするものなのです。そういうことも分かって、ようやく人間を知ったことになる。人間の大人が子供を助けようとするのは、必ずしも見返りを求めている訳ではないのですよ」
たまに……は失礼かもしれないが、度々ルーンは俺の言いたいことを代弁してくれるので、さすがだ。
「ルーン…… ま、そういうことだ。今のは俺の助けてやりたいっていう欲からそうしたわけで。実の所、理由なんてないんだよ」
俺は観念したように、マリナに言い聞かせた。
「……なるほど! 何となくわかった気がします! でも、そもそも私はルディス様の言う事であれば、理由などなくとも、何でも従います!」
「よくぞ言いました、マリナ! それでこそ、従魔です」
ルーンは自分の教育の賜物と思ったのか、やけに鼻が高そうだ。
色々と言いたいことはあるが、少しずつ教えていくとしよう。
俺には前世と比べれば、無限にも思える膨大な時間がある。
少し早いが横になろうと思ったその時、扉を叩く音が響くのであった。




