三十八話 交渉
ユニコーン達を振り切って、もう十分は経っただろうか。
「ううっ…… ううっ!」
「フィスト、もう大丈夫だ。どこかで止まってくれ」
フィストは相変わらず号泣しながらも、俺の言う通りに足を止めた。
見渡せば、元来た道にあたる森の中だった。
もう少しで村に帰れる、といったところだ。
だが、このまま村に帰るわけにはいかない。俺達はフィストから降りた。
ルーンとマリナは鎧を付け直し始める。
一方で号泣するフィスト…… 一応励ましてやるか。
「フィスト……気持ちは分かるが、これが現実だ」
ぽんぽんと背中を叩いてやるも、フィストは泣きじゃくるだけだ。
こうなった以上、もうアイシャに近づくことはないかもしれないが、野放しにして人間にやつ当たりなんてことをされても困る。現に、こいつが俺や夫婦を襲おうとしていた。
ここは従魔の話を切り出して…… 俺があれこれ考えていると、着替え終えたルーンがフィストの目前で、声を上げた。
「ルディス様の手を煩わせて、今また何も答えないとは、何と無礼な!」
「ルーン、何も今言わなくても」
「いいえ、ルディス様! ルディス様はあまりにも人が良すぎます! ……それにルディス様がいなければ、あなたは死んでいたのかもしれないのですよ!?」
ルーンの言葉にフィストは、顔を上げ、怒り声で答えた。
「し、死んでた方がましだった! 余計な事をしたのは、あんた達っすよ!」
「なら、今ここで消し炭にしてやりましょうか? 馬の肉ぐらい、報酬があっても良いはずです」
手をかざし【爆炎】を放とうとするルーン。
フィストは先ほども見たルーンの魔法が怖いのか、体を震わせた。
ルーンとしてはやはり怒りを感じているのだろう。
半ば脅して強制的に従魔にすることも考えているはずだ。
だが、それは俺のやり方ではない。ここは任せてもらおう。
俺はルーンの肩を叩いて、フィストへ語り掛ける。
「まあ、落ち着け…… フィスト、まだ希望を捨てるな。生きていればアイシャと結ばれる可能性だって、やってくるかもしれない」
「で、でも、聖獣は……魔物を憎んでいるんだろう?」
「今はそうかもしれないな……だが、いずれはアイシャも気持ちを変えるかもしれん。もちろん、お前が変えさせることだって、出来るかもしれない。だがな、死んでしまえば、そんな可能性だってなくなるんだぞ」
「そんなこと……絶対に無理に決まってるっす…… そもそも、俺は弱いんだ……旦那達やユニコーンみたいに、魔法を上手く使えない。あいつらがまた襲ってきたら……」
その言葉を待っていた……というのが俺の本音だ。
「フィスト、お前は決して弱くなどない。足も速く、持っている魔力も少なくない……単に魔法を覚えていないだけだ。 ……俺の従魔で良ければ、魔法を教えられるだろう。それに持てる魔力も増やせるぞ」
俺の言葉に少し考えているのか、沈黙するフィスト。
どうやら検討の余地ありといったところだ。
更に俺は畳みかける。
「それに俺の従魔になれば、仲間も出来る。何かあれば俺はもちろん、他の魔物達の助けを得ることも出来るだろう。当然、自分にもそれは求められるが……」
この言葉に、ルーンが補足するように伝えた。
「あなた一人では、ユニコーンがまた襲ってきたら逃げられないでしょうね。身の安全のためにも、ルディス様にお仕えした方が利口だと思いますよ」
「フィスト…… 単刀直入に言おう。俺はお前の足の速さを買っている。それに見合うだけの対価をお前に与えられるとも、自負している。 ……どうか俺の従魔になってはくれないだろうか?」
俺の声に腹を決めたのか、フィストは閉じていた瞳を開く。
「……お願いするっす! 俺強くなって、いつかアイシャちゃんを振り向かせてやりたいっす!」
「その意気だ、フィスト!」
俺とマリナは新たな仲間が増えることが嬉しいが、ルーンは微妙な顔をしている。
強くなったところでアイシャを振り向かせられるわけがない、相手は聖獣なのだから。
……そんなことを思っているのだろうが、これ以上余計な口を挟まないのは、俺の意向を汲んでの事だろう。
フィストには人間を襲わないことなどを納得してもらい、俺の従魔となってもらった。
こうして、村に帰るだけとなったわけだが……
「ルーン、マリナ、頼みがあるんだが、良いか?」
「はい、何でしょう!」
二人は俺の言葉に応じる。
「お前達の体が欲しいんだ、分けてくれ」
「ちょ、ちょっ! 何言ってるんです、旦那!」
鼻息を荒くし恥ずかしそうにするフィストに、ルーンが呆れた口調で答えた。
「一体何考えているんですか、この発情した馬は…… ルディス様、はい」
ルーンは体の一部からスライムゼリーを分離して、手のひらに集める。
マリナも同様にした。
「え? 何やってるんすか、皆さん?」
「先ほど、俺はユニコーン達に【記憶消去】を掛けた。だが、ユニコーン自体の魔法耐性が高い上に、数も多かったので、どこまで消去できたかは分からない。顔ぐらいは忘れさせることが出来たはずだが、アイシャの記憶の中では、お前の存在ははっきりと覚えられているだろう」
俺はフィストに答えながら、ルーンとマリナからスライムゼリーを受け取る。
そしてそれに、【透明化】の魔法を掛けた。
「それに人間の前に出る以上、出来れば目立ってほしくない。人間社会では、お前はただの馬、ということで通すつもりだ」
喋りながら、俺はフィストの角にスライムゼリーを塗った。
「これでどこからどう見ても、ただの馬だな。あとは、くれぐれも喋るときは、人に聞こえないようにしてくれよ」
「へい! それで、俺はこれからどうすれば」
「まずは、一緒に東への旅に付き合ってもらうとしよう。そこで他の従魔にも紹介したい。それからは色々と輸送を頼むことになるだろう。そして魔法だが、お前には主にアヴェルに魔法を教えさせるとしよう」
「アヴェル……っすね。魔物なんすか?」
「ああ、ヘルハウンドでお前にも負けないぐらい俊足の男だ。きっと気が合う……」
「俊足っすか、そりゃ楽しみだ! でも、俺は負けませんぜ!」
闘志に火が付いたのだろうか、フィストは後ろ脚で地面を踏み鳴らす。
フィストに馬車を牽かせるとして、その護衛にはアヴェル達ヘルハウンドがふさわしい。
今後は組ませることも多くなるだろう。
「そうかそうか、どっちが速いかは見物だな。ただ、魔法については、真摯に学んでくれよ。俊足であるが故に、一緒に仕事をしてもらうことも増えるだろうから」
「了解っす! 他にも、お仲間……従魔はいるので?」
「ああ、たくさんいるが……それは向かう途中で紹介していくとしよう。今はとりあえず村に帰るぞ」
「へい!」
俺達はそのまま村に帰ることにした。
マリナは早速、フィストを撫でたり、自己紹介している。
人間には慣れてきたようだが、自分以外の魔物はやはりまだもの珍しいのだろう。
それを俺が微笑ましく思っていると、ルーンが横から声を掛けてきた。
「ルディス様…… もう、あのような真似は」
心配そうな顔で俺の手を握る。
ルーンの言いたいことは、恐らく俺がユニコーン達を前に、フィストを守ろうとしたことだろう。
「すまん、ルーン。もう俺は、人間だの聖獣だのの争いに首を突っ込む気はない。だが、どうしてもああいう物言いには、黙っていられなくてな」
「それは、承知していますが……」
「大丈夫だ。記憶の消去で、俺達の特定は難しいだろう。しかも、聖獣が人の街に現れることはまずない。これからは手袋もして、察知されないようにするさ」
そう答えても、ルーンはまだ心配そうにしている。
これはいつものように大丈夫、大丈夫と言っても、晴れないだろう。
俺は少し冗談を言ってみる。
「それにルーン、お前が俺を守ってくれるだろう?」
この言葉にルーンは、はっとした顔をした。
ルーンにとって、俺から頼られる事は何よりも嬉しい事なのだ。
「もちろんです! 私がいれば、どんな敵でも怖くは有りません!」
「そうだろう。俺も安心だよ」
俺が笑みを浮かべて返すと、ルーンもいつもの調子に戻る。
「もう……ルディス様は本当にずるいのですから! でも、フィストを従えさせたのはお見事でした。交渉においてはまず利益を説き、力を使うことは控える…… 昔とちっとも変っていないですね」
「おいおい、まだ俺が本物じゃないと疑っていたのか?」
「そういうわけではありませんが……何しろ、嬉しいんです!」
すっかり機嫌を取り戻せたようだ。
俺達は村へと帰り、村人にユニコーンについて説明するのであった。




