二話 千年後の世界
「なるほど、するとここは中央山脈の西で、余が死んでから既に千年以上経っていると」
しばらくして、俺はルーンから話を聞くことにした。
にわかには信じがたいことだ。
しかし、転生自体が信じられないことだから、今更でもある。
スライムは外的要因がなければ不死だ。だからこそ千年も生きられたのだろう。
とすれば、気になるのは他の従魔だが……
「他の者達はどうした?」
「中央の山脈を抜けてから、それからどうするかを皆で議論しました。ですが、まとまった意見はなく、皆ばらばらになったのです」
「そうだったのか…… それでルーンだけになったと」
「はい。私は、人間から隠れて暮らすことを決めました。そしてこうやって洞窟を転々として、いくらか仲間を増やしたのです」
ルーンの後ろには、八体程の小さなスライムがいた。
「寂しい思いをさせたようだな」
「寂しくなかったと言えば嘘になります。ですが、ルディス様の仰るように山脈から西は人間もおらず、皆平和に暮らせたはずです。 ……つい、五百年前までは」
「五百年前に、人間が来たと。帝国人か?」
「いえ、私は人里を離れて長いので、ここ千年の世界情勢が分からないのです」
「そうか…… 良く分かった、ありがとう」
俺は、どうやら遥か未来に転生していたらしい。
そしてここは帝国の西、大陸の西部というわけだ。
西部は不毛の地であったが、ついに人間が足を踏み入れたというわけか。
千年も有れば、自然環境も世界情勢が変わるのは無理もない。
「あの、ルディス様…… いえ、陛下」
「うん? どうした、ルーン」
「陛下は、今何をされているのです? 私を探しにいらしたわけでもなさそうですし」
「ああ、余は農民に生まれてな……」
俺はルーンに今までの事を、事細かに話した。
「なるほど、世界を冒険するために、冒険者になったと」
「そうだ。それで魔物の持つ何かを求めていたのだ」
「それでしたら、私の体の一部でもお持ちください。すぐに回復できますから」
「おお、助かるぞ。なら、余が回復魔法を掛けよう」
俺は体の一部を分けてくれたルーンに回復魔法を掛けた。
「陛下の回復魔法…… 暖かい…… 何年ぶり何だろう。陛下、ありがとうございます」
「礼を言うのは余の方だ。これで、冒険者になれるのだからな」
俺はスライムゼリーを麻袋に入れ、立ち上がろうとする。
このままギルドへ向かうためだ。
別れの挨拶を伝える前に、ルーンが声を掛けてきた。
「陛下、その……」
「何だ、申してみよ。ルーン」
「その、陛下さえよろしければ…… また私を陛下の従魔にしていただけませんか」
「また余の従僕となると言うのか? 余は皆を捨てたようなものだぞ」
このままルーンと再び分かれるのは、確かに俺も嫌だ。
しかし、俺はかつて従魔達を……
「捨てたなんて、とんでもない! 私を始め、従魔は皆、陛下のお気持ちを理解しておりました! あのお別れも、私達を思えばこそと…… ですので、陛下さえお許しいただければ、私はまた従魔となりたいのです」
「し、しかし…… 余はもう農民。帝印など……」
俺は自分の右手が光っていることに気が付いた。
浮かび上がっているのは、かつて見慣れていた五芒星の帝印だ。
「余の帝印…… 何故?」
俺はかつての知識だけでなく、帝印すらも継承したというのか。
従魔の契約を交わすのには一つ条件が有る。
従魔となる魔物と、主人たる俺、双方の同意が必要なのだ。
一方が従魔契約の申し出をすると、このように帝印は光り始める。
この場合、後は俺が同意するだけなのだ。
「ルーン。本当に良いのか?」
「はい。どうかもう一度、陛下のためこの身を奉げさせてください」
「分かった…… ルーンよ。そなたを余の従僕と認む」
俺がそう唱えると、帝印がルーンの体に浮かび上がる。
これで、ルーンは再び俺の従魔となった。
「陛下、御身のため、ここに再び忠誠を誓います」
「頼んだぞ、ルーンよ。さて」
ルーンが仲間に加わってくれたのは嬉しいが、ここからどうするか。
俺が一緒にここで暮らすのは、少し無理がある。
だとすれば、ルーンに付いてきてもらうわけだが。
金もなければ、住処もない。
それに現在の世界情勢を知るためにも、移動の自由は確保しておきたい。
当初の目的通り、まずはエルペンに戻り、冒険者になるとしよう。
「ルーン。余は、これから冒険者ギルドに戻るつもりだ」
「私も陛下のお傍にいさせてください」
「そうか。だが、人間は魔物を警戒するだろう。街に入る前に、麻袋か何かに隠れてもらう。それで、この者達はどうする?」
ルーンの後ろにいたスライム達を置いていくことになってしまう。
「皆を連れていくとなると、隠しきれないな……」
生物でなければ、【圧縮】を使えるのだが。
いや、それでも今の魔力で使える魔法ではないか。
「陛下、この者達も従魔にはしていただけませんか」
従魔にして連れて行けと言う意味ではない。
従魔になることで、俺だけではなく従魔も持てる魔力を増やせるのだ。
「余は構わない。確かに、その魔力では万が一の時、身を守れないだろう。それがいいかもしれないな。だが、良いのか?」
ブルースライム達は、俺に頷くような仕草をした。
「では、そうするとしよう」
残りのブルースライムを俺は従魔とした。
そしてしばらくの間は、この洞窟に待機するように命じる。
後で住処が出来れば、呼ぶつもりだ。
洞窟をルーンと共に出ると、俺は万が一のため、洞窟に二重の結界を張った。
「では、ルーンよ。行くとするか」
「はい、陛下!」
こうして俺は、ルーンとギルドの有るエルペンに戻るのであった。
森を出た俺とルーンは、エルペンへの街道に入る。
「……そうだ。ルーン、俺の事は陛下ではなく、ルディスと呼んでくれ」
ここからは人の世界。どこで誰が聞いてるかも分からない。
農民が陛下などと呼ばれるのは、変な誤解を生むだろう。
俺も、”余”という自称はやめよう。
ルーンに会って、つい転生前の口調で喋ってしまったが、今の俺はまだ少年のようなものだ。
とはいえ、ルーンは俺が幼少の時から一緒だったので、俺という自称に違和感はない。
「かしこまりました、ルディス様!」
「様付けもなんだかな…… まあ、従者としてならそれでもいいか」
どのみちルーンを人目に付くところで、歩かせるつもりはない。
街の近くに付いたら、ルーンを隠すとしよう。
「しかし、ルディス様が冒険者になられるとは」
「さっき【思念】で見たかもしれないが、冒険者か兵になるしか村を出られなかったんだよ。それに、世界を見て回りたいと、ずっと思っていた。皇帝も皇子時代も、しがらみばかりだったからな」
「なるほど! では、私も陛下の冒険にお供させていただきます!」
「大歓迎だよ。 ……まだ生きている従魔がいれば、また会えるかもしれないしな。許してくれるかは分からないが」
「そんな者がいれば、私が許しません!」
ルーンはそう言ってくれたが、俺にはやっぱり罪悪感が残っている。
そんな時、前方から騒ぎが聞こえてきた。
「うん? 何だ、あれ?」
「馬車のようですね」
俺とルーンは、街道の先で馬車を見つける。
どうやら車輪が外れ…… 何かに襲われているようだった。
馬車の護衛であろう鉄鎧を身に着けた人間達が戦うのは、ゴブリンの集団だ。
護衛が三人に対し、ゴブリンは十体程。このままでは人間達は、負けてしまうだろう。
「戦闘か何かか? いずれにせよ、見てみない振りは出来ないな」
「ルディス様、ゴブリン達を殺しますか?」
「いや…… あくまで止めるのが目的だ。ルーン、後方から、【魔力付与】で援護してくれるか?」
「はい、ルディス様!」
俺はルーンへそう命令して、馬車の方へ向かう。
ゴブリンは槍持ち八体、弓持ち二体か。鎧の類は付けてないようだ。
あまり大げさな魔法を使うわけにはいかない。
目立って、誰かに目を付けられるのはごめんだ。俺は自由に生きたい。
俺は護衛に向かって、【魔法壁】を掛ける。
護衛の一人に振り下ろされる槍は、間一髪のところで防がれた。
次は、弓持ちを黙らせるか。
俺は【雷鞭】を発動する。そしてゴブリン達に向かって、それを振るった。
雷の鞭は弓持ち二名の腕を痺らせて、弓を落とさせた。
ゴブリン達は護衛に攻撃が通じないことに、皆困惑しているようだ。
隊長であろう兜をかぶったゴブリンが俺を見て、こう叫んだ。
「魔法使いカ?! 撤退ダ!」
ゴブリンは確かにそう言って、馬車から逃げていくのであった。
……確かに帝国の言葉を口にして。
護衛はそれを追うのではなく、その場で守りを固める。
やがてゴブリンが見えなくなると、護衛の一人が俺に声を掛けてきた。
「君! 来たまえ!」
俺はゴブリンの使う言葉に頭を悩ませていたが、すぐに命令に従った。
護衛の前で立ち止まり、「大丈夫でしたか?」とさも焦った少年のように声を掛けた。
「他の護衛も幸い軽傷だ。助太刀感謝するぞ」
「良かった…… 俺、まだ新人冒険者で、魔物退治は慣れてなくて」
「いや、君の魔法は大したものだった。一流の魔導士になれるだろう」
護衛が笑みを浮かべて、そう答えた時だった。
少し前に馬車へ入った御者であろう男が、中から声を上げた。
「姫殿下! 姫殿下、お気を確かに!」
「どうした?! 姫殿下に何かあったのか?」
護衛は、すぐに馬車へと戻る。
「これは?! おい、地面に横にして差し上げろ!」
御者と護衛は、馬車からその姫殿下とやらを運び出すようだ。
俺も、他の護衛と一緒にそれを手伝う。
馬車から出てきた女性は、長い銀髪の女の子だった。
といっても、今の俺と同じぐらいの子だ。
青いドレスはフリルと宝石で彩られ、上流階級を思わせる。瞳の色は分からないが、その肌は白く美しい。体のラインももう大人の女性のそれで、細くも出る所は出ている。
綺麗な子だ。俺は内心でそう呟いた。
だが、そんな事を思っている余裕はなさそうだ。
女の子の腕に、ゴブリンの放ったであろう矢が刺さっている。
急所でも何でもないが、女の子の意識はない。
「姫殿下! 我らとしたことが、敵の矢に気づけないとは……」
「すいません、少し彼女を見せてください」
俺は護衛の間をすり抜けて、【状態診断】を掛ける。
これで、この女の子の体力や異常が分かるはずだ。
「これは…… 毒の矢ですね。かなり良質の毒…… 呪毒で、回りが早い」
「呪毒だと?! すぐにエルペンの医者に解毒してもらわなければ」
「いや…… これだと、あと五分もしない内に姫殿下は……」
「死んでしまうと?」
俺は、黙って頷いた。
「御者よ! すぐに馬でエルペンまでお連れしろ!」
「そ、それが馬は先ほど襲撃で、どこかへ走っていきまして……」
「何だと!? これでは姫殿下は……」
そもそも馬を走らせたところで、三分ではエルペンに到着しないだろう。
つまりは、姫殿下を助ける手立てはない。
……俺が高位の回復魔法【浄化】を使わない限りは。
普通の毒なら【解毒】、呪いなら【解呪】を用いればいい。
しかし、呪毒というどちらの要素も持った毒は、【浄化】だけでしか解けない。
この【浄化】は高位魔法だ。
帝国では賢者と呼ばれる者でなければ扱えない魔法だった。
これを使えば、俺は変に目立ってしまうだろう。
だが、回復する手立てが有るのに、見殺しにはできない。
それに、護衛にはどうせ魔法など分からないはずだ。
「……大丈夫です、皆さん。俺が姫殿下を、とりあえず治療いたします」
俺は姫殿下へ手をかざす。
ルーンからの魔力供給は十分。【浄化】を発動する。
俺の手の白い光が、姫殿下の胸へと移った。
「……う、うん?」
「姫殿下! 大丈夫ですか! やった!」
姫殿下は息を取り戻したようだ。護衛達は手を上げて、喜ぶ。
「皆さん、傷の事も有ります。エルペンへすぐにお運びして、ちゃんとした医者に診てもらう方が良いでしょう」
「おう、そうするとしよう。ところで、君の名は? ここまで助けてもらった以上、領主から」
「そ、それは…… まず姫殿下をお運びしてからにしましょう!」
「それもそうだな。まずはそれからにするか」
俺達は簡単な担架を作って、姫殿下をエルペンに運ぶのであった。
ルーンには【思念】で、ばれないように付いてくるよう伝える。
エルペンに着いた俺は、姫殿下を病院へ運んだ際、隙を見て逃げることに成功するのであった。
だが、俺は後ろで青い瞳を向ける姫殿下には、この時気づけなかったのである。