二十八話 戦争の基本
吸血鬼の自死から一週間。
エルペンの市井には楽観的な声が溢れていた。
吸血鬼の襲撃はおろか、目撃情報すら一切なくなったのだ。
人々はきっと偶然だったのだとか、酷い話になるとユリアが人気取りのため吸血鬼が出たと嘘を吐いたと噂する者まで現れた。
もちろんユリア以外に吸血鬼を目撃した者や、襲撃を受けた者もいたので、噂は全くのでたらめだ。
しかし、そう信じたくなるのも無理はなく、他の街からやってくる商人は絶えなかった。
商人が言うには、街道はしごく安全であるという。
何はともあれ危機は去ったと喜ぶのは、市民と領主だけではない。
冒険者達もあの深刻な顔はどこへやら、ギルドはいつもの活気を取り戻している。
だが、エルペン市街を歩く俺だけは、この状態を喜べないでいた。
「調子悪いの? ルディス」
俺の隣から心配そうな顔を向けているのは、ノールだ。
俺はノールに連れられ、エルペンの商店街に来ていた。
「いや…… ただ、吸血鬼達は本当に、このエルペン周辺から去ったのかなと思いまして」
吸血鬼十体が自殺したのだ。
ここエルペンを諦め、他の地に移った可能性はないとも言えない。
事実、俺と従魔をもってしても、エルペン周辺に吸血鬼は発見できなかった。
吸血鬼の魔力は人間よりも高いので、判別できるはずなのだ。
本当に、吸血鬼は消えたのだろうか。俺だってそうであって欲しい。
だが、そんな生温い奴らでないことは、従魔として吸血鬼を従えていた俺は良く知っている。
ノールは少し考えて、答えてくれた。
「どうかしらね。奴らの考えることは良く分からない。でも、街の兵士も冒険者も巡回をやめたわけじゃないわ。何かあったら、また警戒するだけよ」
「そうですよね。ちょっと心配し過ぎたみたいです」
「無理もないわ。吸血鬼なんて聞いて、普通でいられる人間はまずいないでしょうし。現にいくつもの人間の都市が滅ぼされてるのだから」
ノールの口調は少し寂しげだ。
故郷がまさにその吸血鬼に焼かれたのだから、当然か。
「でも、吸血鬼達はどうして人間の街を破壊するんでしょうね? 吸血鬼は人間がいなければ、命を維持することも、一族の拡大も出来ないのに」
俺はノールへそう答えた。
純粋な疑問だった。
何故、吸血鬼が人間の街を破壊するのか。
吸血鬼は確かに人間を蔑んでいる。
しかし、吸血鬼も元は人間。人間がいなければ、新たな吸血鬼は生まれない。
そして生きていくために、人間の血が必要。
どうして家畜に等しい人間の街を破壊する必要が有るのだろうか?
人が減ることで困るのは、吸血鬼自身なのだ。
生きるも富むも、影に潜み人を襲うなり、さらえば十分。
それが白昼堂々人を襲い、都市を滅ぼすのは、何故なのか。
俺の時代では考えられなかったことだ。
「血を吸う相手がいなくなるからってこと? 言われてみれば確かにそうかもしれないわね。 ……でも、一族って何?」
「あ、え…… 吸血鬼の集団の事、一族って呼びません? 俺の故郷ではそう言っていた気がして」
口が滑ったようだ。ノールは吸血鬼の社会について、詳しくないらしい。
吸血鬼は、自身で吸血鬼となった真祖を頂点とする一族を形成する。
その真祖が吸血したことで生まれた吸血鬼が、増えていくことで一族は拡大していくのだ。
真祖かどうかの違いはあれど、この一族というのは魔物の社会には多く見られる血縁集団だ。
「家族みたいなものは、奴らにもあるでしょうね。 ……着いたわよ」
ノールは広場近くにある大きな柱廊に囲まれた建物の前で立ち止まる。
「ここがエルペンの図書館よ。さすがに王都よりは小さいけど、大陸の歴史関連本ならある程度揃っているわ」
「ここがそうなんですね。前から、何の建物かとは思ってましたが」
「一見すると神殿のように見えるものね。さ、中に入りましょう」
ノールが図書館へ向かうので、俺はその後を追う。
二階建ての図書館の中は吹き抜けとなっており、壁一面に本棚が並べられている。
かつての帝都の大図書館よりも小さい。魔法の本をまとめた一空間よりも、狭小だろう。
しかし地方の図書館であれば、この規模は普通か。
受付嬢の前で、ノールは口を開く。
「本を閲覧しに来ましたノールと申します。こっちは付添人のルディス」
「本の閲覧ですね。失礼ですが、何か資格はお持ちでしょうか?」
「私は、アッピス魔法大学の修了生です」
受付嬢はノールの見せた魔法大学卒業を示すバッジを見る。
「ご提示ありがとうございます。ご本人様には借り出しと閲覧、付添人の方には閲覧のみが許可されます。どうぞ、お入りください」
ノールと俺は図書館の中央へ向かう。
「ありがとうございます、ノールさん」
「いえ、いいのよ。私も丁度借りたい本が有ったし」
ヴェストブルク王国の図書館は王立だという。
つまり国王の金で運営しているのだ。
だが、誰もが閲覧したり、借りることが出来るわけではない。
貴族や大学等の教育機関の知識人に限られる。
それ以外の者は、戸籍を証明し、大金を払って本を読まなければいけない。
その額十デル。
俺も本来はお金を払って閲覧するはずだった。
だが、図書館へ向かうというのを聞いて、ノールは俺を誘ってくれたのだ。
閲覧者を絞るのは、合理的と言えば合理的だ。本は金になる。
不特定多数の人間に開放して、本を奪われるのは図書館からしても問題だろう。
俺の帝国でもかつて図書館への入館は有料だった。しかし、金銭を要求することは、俺の代でやめた。誰もが本を読めるようにして、有能な人材が生まれる事を期待したのだ。
それが功を為したかどうかは、ここの歴史書から分かるかもしれない。
しかし、今はそれを調べに来たわけではないのだ。
ノールと別れて、目についた本を数冊持ち出す。
そして長いテーブルの上にそれを置いて、席に着いた。
持ち出したのは、吸血鬼関連の本と大陸全土の歴史書。
今回現れた吸血鬼達がロイズを真祖とする一族なら、どうして人を襲うようになったのか。
それが分からないとしても、いつから襲われているのか調べたかったのだ。
そして襲撃の手法も。
すでに西部に吸血鬼の活動が活発になったのは、百年前と分かっている。
一冊、二冊、三冊と俺は目を通していく。
関係する事項だけ、的確に。
数冊読んでいると、俺はある事に気が付く。
それはこの周辺に現れた吸血鬼達、西部で活動する吸血鬼達が、東部の吸血鬼達と違うことだ。
都市へ大規模な攻撃を加えることが有るのは、東部も西部も一緒。
しかし、西部の吸血鬼達と違い、東部の吸血鬼は都市を略奪した後、破壊することはないという。
あくまで生きるのに必要な人間をさらい、吸血し、殺すだけ。
つまり、西部の吸血鬼達は、人間を滅ぼそうとしているようにも見える。
そこから考えられること…… 西部の吸血鬼は人間を軽蔑するのではなく、恨んでいる可能性が在る。
そしてその頂点にロイズがいるとすれば…… 俺を殺した人間を恨んでいてもおかしくない。
だが、分かったことが一つ。
彼らは十体死んだところで、手を引くほど優しい連中ではないだろう。
仮に敵にロイズ、またはその影響を受けた者がいると仮定しよう。
彼らは帝国…… 俺が採っていた戦術を使うはずだ。
……正面から駄目なら、どうするか? 俺は、どうしていたか?
俺は思わず本から、視線を外した。
そこには、同じく本を広げているノールがいた。
ノールは俺を見て、少し笑みを浮かべていた。
大きな胸を机に乗せて…… どうしても目がいってしまうのは、若い男の性なのだろう。
「あ。ノールさん何か?」
「ごめんなさい、でも、本が好きなんだと思って。読むの、すごく速いのね」
「あ、ああ…… まだ完全に文字が読めなくて、読める所だけ読んでるだけですよ、ははは……」
「それでも勉強になるはずよ。読んでいるのは歴史書みたいだけど、魔法を習得するのは、やはり魔導書を読むのが一番だから」
「大学では、魔導書を読まれて勉強されてたんですね。じゃあ、それも……」
俺は恥ずかしそうに、ノールの胸から手元の本へ目を移した。
本のタイトルは……
「『ルディス語録』…… 『ルディスの全て』…… 『ルディス春画…… 集?」
ノールは俺がタイトル読み上げるのを見て、本をがばっと隠した。
顔を真っ赤にして、今までに見たことないぐらい焦っている。
春画…… ああ! あれは良いものだ! ……って、春画?!
俺も顔を真っ赤にする。
「ああ、賢帝を研究されてるのですね! 本当に勉強熱心で、尊敬します!」
「あ、ありがとう……」
しまったという顔をするノール。
この人、いやこの子、やっぱかなりおっちょこちょいだ……
しばらく気まずい空気となりながらも、読書を進めた俺達。
気付けば夕暮れ時、一緒にギルドへ帰ることにする。
ノールは本を借りていくようで、受付で手続きを済ませていた。
その手には、しっかりと『ルディス春画集・中巻』が握られている。
……もはや何も言うまい。中身を想像するだけで、複雑な気分ではある。
だが、こんな綺麗な女性に夜な夜な思われるのは、悪い気もしないが…… 中身はきっと、やたら美化された俺の姿のだろう。
図書館を出る俺達。
中で感じたように、すっかり広場は朱に染まっていた。
「ノールさん、今日はありがとうございました!」
「本当に気にしないで。また来たくなったら、私ならいつでも一緒に行くわ」
「はい、是非お願いします! 本当にありがとうございます!」
「ふふ、どういたしまして」
ノールは俺に微笑んでくれた。
何だかノールは最初会った時と比べて、笑顔を良く見せるようになった気がする。
俺を仲間と認めてくれたのだろうか。
「じゃあ、ギルドに帰りましょうか」
「はい! ……うん?」
俺は夕暮れる広場の中央で、黒装束の者達を目にするのであった。




