二十四話 夢の隠居生活
俺は心地の良い寝覚めを迎えていた。
木漏れ日と澄んだ空気が、人里離れた場所であることを感じさせる。
「お目覚めですか、ルディス様」
「おはよう、アヴェル」
寝起きでアヴェルに挨拶するのは、いつぶりだろうか。
フカフカとした背中も懐かしい。
「もう少しで到着します。今しばらくお待ちください」
アヴェルの声に、俺は周りを見渡す。
深い森の中、道なき道を進んでいる。
確かに、人が寄り付きそうもない場所だ。
眼前に眩しい光が迫る。目前に広がったのは、一面の緑であった。
「……綺麗だな」
思わずそんな言葉が漏れていた。
雲一つない晴天に浮かぶ太陽は、まばらな木と風に揺れる草花、清流を照らす。
絵にかいたような、牧歌的な光景。
こんな場所で晩年を過ごしたかったな……
アヴェルは更に草原を駆けていくと、小さな丘の上で足を止める。
そこには、アヴェルの仲間であろう十数体のヘルハウンドが整列していた。
「ルディス様、こいつらが私の一族です…… 皆、このお方が、あのルディス様だ。そして今日より、我らの主人となられるお方。皆、挨拶を」
アヴェルの声に、ヘルハウンド達が一様に頭を垂れる。
ヘルハウンドは基本従順であるが、人間にはなつかないと言われている。
しかし、アヴェルの言葉で皆、俺に対し最大限の敬意を払ってくれた。
「皆、俺がルディスだ。よろしく頼む」
「畏れながら皇帝陛下、我々が傘下に加わる事、どうかお許しください」
ヘルハウンドの一体が、流暢な帝国語でそう声を発した。
「俺としては願ってもない申し出だ。だが、いいのか?」
「はっ。永遠に陛下のため、忠誠を誓います」
「……分かった。だが、その前に皆の名を聞かせてくれ」
俺はヘルハウンド達の名を覚え、皆を従魔とした。
「十八体も従魔となってくれたか。おかげで、魔力もだいぶ増えたな」
「もっと俺が一族を拡大してれば、お役に立てたのですが……」
馬鹿を言うんじゃない。ヘルハウンドはそもそも群れを為すような魔物ではないのだ。
それが十八体というのは、人間が百人いたって敵わないだろう。この上なく頼もしい限りだ。
「気にするな。むしろ争いを避けてきて、これだけの仲間を増やせたのは賞賛に値する。それよりも、少し見て回ってもいいかな?」
「はっ。お供いたします」
早速、アヴェルを連れて、この平原を視察することにした。
心地よい風が吹く草原。
近くにある山と川が、遠くの空気を運んできているようだ。
簡単な農園を造るのには、苦労しないだろう。
別荘のようなものを建てても良さそうだ。
近くの川は、大河に分類できそうな幅だ。
一応様子を見るとして、氾濫等には気を付けるべきか。
近くには山と森が有るから、石材や木材等には苦労しない。
ゴブリン達が住むにも適した地と言えそうだ。
俺はアヴェルにこう告げた。
「素晴らしい場所だ。年老いたら、ここで過ごしたいぐらいにな」
「気に入って頂けたようで何よりです」
「早速、ロイツ達を呼んでみようと思う……」
右手を掲げると、俺の手からは五芒星の光が発せられる。
これで俺の立っているこの場所の方角が、ロイツには分かるはずだ。
「アヴェル、ゴブリン達を呼び寄せた。皆にも伝えといてくれるか? ロイツ達も帝国語を話せるから、意思疎通は出来るはずだ」
「はっ。すでに、彼らが来てもいいように、魚や木の実を集めさせています。到着したら、すぐに家を建てられるようにしておきます」
「さすが、仕事が早いな。落ち着いたら、俺とルーン達スライムも住めるようにしたいと思う」
「皆にも伝えておきます」
「頼む。では、少し休んで、帰るとするか」
「ははっ。今、魚を焼かせていますので、召し上がってから、出発といたしましょう」
「おお! 腹は減っていたから、ありがたい」
俺はヘルハウンド達が焼いてくれた川魚を食べた。
脂が乗っていて美味しい。大き目なので、腹一杯になる。
皆、火を起こす魔法を覚えているようだ。
とはいえ、ヘルハウンドは食物を要しない魔物なので、食べたのは俺だけだが。
少し休んでから、アヴェルはまた俺を乗せて、エルペンに向かってくれた。
疲れを感じるような魔物ではないが、少し可哀そうな気がした。
しかし、アヴェルは俺を乗せるのが嬉しいようで、頑なに他のヘルハウンドにその役目を譲らなかった。
エルペンへ向かう俺達。
森を抜け、街道が見えるようになると、アヴェルがこう訊ねてきた。
「ルディス様、これからどうなさるので?」
「さっきの場所で皆で住む……のは、この前言ったな。しばらくはこの時代を知るためにも、冒険者を続けようと思っている」
「そうでしたか……」
アヴェルはホッとしたように、そう答えた。
俺が再び、戦争や政治に参加する意思がないことを知って、安心したのだろう。
「……もうお前達を置いていくような真似はしない。約束する」
「俺も、もう陛下から離れませんよ」
アヴェルの声に、俺はうんと頷く。
そこから数時間、拠点をどうするかを話しながら、俺達はエルペンに進んだ。
家とか農園などの施設の事、資材を運ぶ際、スライムとヘルハウンドで協力する事など。
皆で暮らすことに期待を膨らませる俺達。
だが、街道の先で、何かの騒ぎに気が付く。
「アヴェル、様子を見てもいいか?」
「はっ」
アヴェルは、騒ぎの方へ足を進めた。
次第に見えてきたのは、紫のフードを被った二つの人影と、倒れる二人の男女。
そしてその場で、腰を抜かす少女がいた。
倒れている二人は少女の親であろう。うつぶせで倒れ、胸から大量に出血している。
どうにかまだ息は有るようだが、急いだ方が良いだろう。
襲ったのは紫のフードを被った者達で間違いないだろう。
彼らの手の短刀は、体を震わせる小さな女の子に向けられていた。
……山賊か? それにしては身なりが良い。
とにかく止める必要が有る。
俺がアヴェルにそう促した時だった。
紫色のフードを被った一人が俺達に振り向いた。
俺の後ろには、何もない。
また、俺もアヴェルも【透明化】しており、見えないはず。
つまりやつは、何らかの方法で俺達の気配を感じ取ったことになる。
アヴェルは音を立てるような玉じゃない。
ならば、考えられるのは、【探知】のみ。
まさか、【探知】を使うやつがいるとはな。
俺は【思念】で、アヴェルにフードを被った一人を拘束するよう指示を出す。
もう一体は、俺が何とかするとしよう。
アヴェルから降りると、もう一人のフードを被った者もこちらに気付いた。
そいつにはアヴェルが、目にもとまらぬ速さで飛び掛かる。
俺が向かう方の者は、こちらに向け大きな氷柱を放ってきた。
【氷槍】…… 中位魔法だ。この時代では、強力な魔法のはず。
だが、ギラスの守った剣を手にした俺の前では、無力に等しい。
【魔法反射】で【氷槍】を跳ね返す。
突然のことに、フードの者は打つ手もなく、肩に氷の柱が突き刺さる。
だが、続けて魔法で反撃しようとするので、【放電】で体の自由を奪うことにした。
俺はアヴェルの方を振り向く。見事にフードの者を組み伏せている。
女の子の方は何が起きたのか、分からないようだ。
どうやらケガはない、治療の必要はないだろう…… 少なくとも体については。
さて、何故こんなことをしたのか、聞くとしよう。
経済的な理由で、人を襲ったようには見えないからな。
俺は【氷槍】を受けた者に歩みより、フードを無理やり外した。
するとそこには病的なまでに白い顔の男がいた。
赤い瞳に、特徴のある八重歯……
すぐに目を閉じ、太陽から顔を背けようとする。
吸血鬼か…… 身なりが良いのも、納得だ。
俺はフードを戻してやり、こう訊ねた。
「人を襲うのは、吸血の為か?」
透明で見えないが、声は聞こえるはず。
吸血鬼はこう答えた。ヴェスト語でなく、帝国語で。
「な、ならば何だというのだ?!」
「生きていくためにやったのかと、聞いている」
「……生きていく? 馬鹿にするでない、人間など家畜以下。娯楽に過ぎんよ」
典型的な吸血鬼の回答だ。
「そうか…… もう一つ訊ねる。ロイズと言う吸血鬼を知らないか?」
吸血鬼は冷や汗をかいて、こう答えた。
「な、なぜ、ロイズ様の名前を知っている?」
知っていたか。
そして”様”を付けるとなると、ロイズはこの吸血鬼よりも身分が高いということだろう。
「では、知っているのだな。ロイズは今どこだ?」
「何故答える必要が有る!」
無理やり口を開かせるのには、骨が折れそうだ……
今は時間がない。あの少女の親を何とかしなければいけないのだ。
「答えたくないなら、答えなくてよい。だが、ロイズにこう告げよ。ルディスが復活したと。そしてただ快楽のため、無実の人々を殺めることを禁止するようにと」
「だ、だれが伝えるか…… ひっ!」
フードを再び脱がすと、吸血鬼の肌はかさかさとひびが入っていく。
「俺は大局的な観点に立って、今”交渉”している。 ……この意味が分かるな?」
吸血鬼は、無言でうんと頷く。
俺は【魔吸】で、二人の吸血鬼の魔力を完全に奪うと、麻痺を解いてやった。
「行け。そして必ずや、ロイズに俺の言葉を伝えろ」
吸血鬼達は悔しそうにするも、一目散に近くの森へと逃げていった。
俺は少女の方に目を移した。
「お父さん、お母さん!!」
一刻も早く、二人の傷口を癒さなければ。
吸血のため、生かしておいたのだろうから、致命傷ではないはずだ。
少女の両親へ歩みを進めようとする。
だが、その時……
「大丈夫?!」
聞き覚えのある声が響いた。
振り向けば、そこには馬に乗る集団が。
先頭には、見覚えのあるあの女がいた。
ユリア……
ヴェストブルク王国の王女、ユリアだ。
ユリアは馬を降りて、少女の方へ駆け寄る。
そして必死に両親に向かい、回復魔法を掛けた。
剣の効果も有り、回復効果は上々。
両親は、息を吹き返す。
「た、助かった? ……で、殿下?!」
目を丸くする両親。
ユリアは、良かったと声を掛ける。
少女は、涙を流し両親に飛びつくのであった。
ユリアは、俺の見込み通り、人のため魔法を役立てているようだ。
それがたまらなく嬉しくも有り、俺を安心させた。
ユリアは、少女達を街まで護衛すると言っているようだ。
これでもう大丈夫。俺は【思念】でアヴェルにこう伝える。
「……行こうか、アヴェル」
「はっ……」
俺を乗せ、アヴェルは再び街道を進んでいく。そして口を開いた。
「良かったですね。しかし、まさかロイズが……」
「信じたくない…… だが、吸血鬼と言うのは、本来ああなんだ」
ロイズが俺との誓いを破り、罪もない人々を襲うのを許可しているのだろうか。
もう俺の従魔でない今、従う義理もないと言えばないのだが……
帝国の時代と変わらず、人々が苦しんでいるのを見て、俺は複雑な思いを抱くのであった。




