一話 最初の魔物を従える
俺はゆっくりと目を覚ました。
そこには、見知らぬ若い男女が微笑みながら俺の顔を見ていた。
二人は、聞いたこともないような言葉を口にし、喜んでいる。
「おぎゃあ?!(誰だ?!)」
俺は言葉にならない叫びをあげる。自分の手を見ると、それはとても小さい。
俺はどうやら、転生したようだ。
神官共が説く転生は本当だったらしい。
だが、どうして俺は過去の記憶が有るのだろうか。
そんなことを最初は気にしていたが、俺は赤ちゃん。
二人の親にされるがまま、育てられるのであった。
村人ルディスとしての生活が始まった。
ルディスという名は、偶然にも俺の前の名前でもあった。
名前の由来を後で聞いた所、ありふれており、珍しい名前ではないらしい。
俺が生まれたこの男女の家は、どうやら田舎の農家のようだ。
しかし、このエルク村は田舎も田舎で、宿もなければ商店もないらしい。
周りを見渡せば、どこにも山が見える。
たまに来る行商が、唯一の外客だ。
俺はこの世界の言葉と文字を学ぼうとする。
どちらも【魔法言語化】で意思疎通は出来るのだが、いちいち魔力を消費するのは面倒だ。
言葉は覚えることが出来たが、文字は覚えられない。
両親は文字を読み書きできなかったのだ。村の全ての者も同様に。
なので、誰も文字を教えられない。
そもそも教材である文字の書かれたものが少なすぎた。
世界の情勢や歴史等を知ることは困難だったのである。
この世界が俺の元居た世界なのか、それとも別の世界なのか判断するのも。
しかし、それだけ隔離されている土地だ。
襲撃されることもなく、皆平和に畑を耕して暮らしていた。
こんな人生も悪くはないかもしれない。
でも、できればこの世界をもっと良く知りたい。
十歳になった頃、俺は村長に村の外へは出られないのかと訊ねる。
村長によれば、この世界の農民は、移動の自由が制限されているらしい。
だから、基本は自分の出生地を出ることはできない。
しかし、二つだけ村を出る方法があった。
それは、十五歳を迎えて成人した後、兵士か冒険者になる事であった。
俺は冒険者という言葉を聞いて、目を輝かす。
冒険者といっても、魔物退治の傭兵という側面が強いらしい。
でも、世界を冒険できるのは魅力的だ。
しがらみのない自由な職業。
今度は皇帝などという目立つ仕事ではなく、静かに生きたい……
「俺、冒険者になるよ!」
俺の言葉に両親は最初反対したが、しつこく言うので、ついに認めてくれた。
俺は昼に農作業を手伝う。
そして夜になると、皆に内緒で魔法の訓練をして、来る成人の日に備える。
かつての俺は帝印で従魔を多数従えていたので、膨大な魔力を行使できた。
だが、今は人並み。
それでも俺が覚えた魔法は、魔力量さえ気を付ければ全てを行使できた。
魔力は、これからも伸ばしていくことが出来る。
だから、悲観的にはなる必要はない。
村人達は、俺の魔法を見て驚いた。
皆、文字も読めないので魔法も覚えられない、当然であった。
簡単な魔法なら、すごいねで済む。
しかし、大魔法となると、おかしいと思われる恐れもあった。
だから、低位魔法を中心に訓練を重ねることにする。
そして迎えた成人の日の翌日。今日は、村を出る日だ。
俺は質素なホワイトシャツと茶色のズボンを着て、短剣を腰に提げていた。
数日分の食糧と、村長の印を押した冒険者志願書も袋に入ってる。
「父さん、母さん、行ってきます」
俺は両親に必ず大金を持って帰ると約束し、エルク村を出るのであった。
もちろんで口から出まかせではなく、しっかり稼ぎのいくらかを仕送りする。
俺を生んでくれ、育ててくれた恩があるので、当然だ。
よし! これで、ようやく俺は自由だ!
俺は両手で万歳して、まずは冒険者ギルドが有る地方都市エルペンに向かった。
そこで見事試験に合格すれば、俺は冒険者になれるのだ。
だが、文字も読めないし、この世界の事を俺は良く知らない。
生活費や装備の事も有るし、最初はエルペンを拠点とするのが良さそうだ。
二日後、ようやくエルペンへ到着した。
エルペンは城壁で囲まれた、木組みの家が可愛い大都市だった。
俺の生まれた村とは違い商店が溢れ、人ごみがあり、活気に満ちている。
だが、俺のいた帝国と比べると、いくらか文化の違いがあるようだ。
とすれば、使う魔法も異なっていたりするのだろうか?
俺は人間観察をしながら、冒険者ギルドを探そうと地図の貼られた掲示板を見た。
しかし、文字が読めないので、どこがギルドかは分からない。
仕方ないので、近くにいた物腰の柔らかそうな衛兵に声を掛ける。
「あの、すいません。冒険者ギルドは、どこか教えていただけませんか?」
「お、冒険者志望かい? 最近は人手不足みたいだから、ありがたいね。 ……ああ、ギルドはこの大通りを進んだ、青い屋根の建物だよ」
「ありがとうございます、兵隊さん」
ぺこりとお辞儀して、道を進む。
青い屋根の建物はすぐに見つかった。他よりも大きい石造りの建物、間違いないだろう。
俺は扉を開けて、ギルドに足を踏み入れる。
中に入ってすぐのスペースは、吹き抜けになった大きな空間だった。
長い木製の机がいくつも並べられ、受付のカウンターが見える。
石壁には掲示板が設置されており、冒険者への依頼クエストが貼られていた。
中では冒険者達がまだ昼だと言うのに、酒を煽っている。
戦士だけではなく、法衣を纏った魔法使いも見受けられた。
どうやら、俺のいた帝国と武器は変わらないようだ。
杖を見て、魔法もそんなに変わらないだろうと確認できた。
喧騒の中を進んで、受付に進む。
「こんにちは。冒険者登録の方ですか?」
赤いポニーテールの受付嬢は、俺にそう声を掛けてきた。
もちろんそうだ。俺は受付嬢に、新人らしく元気に答える。
「はい! これ、冒険者志願書です」
「お預かりしますね。では、こちらの紙に名前をお願いします」
筆を渡され、ルディスと書こうとした。
……いや、少し待てよ。
「すいません、俺文字が書けないんです」
「分かりました、ではお名前を教えてください」
文字の分からない農民等珍しくもないのだろう。
「エルク村の、ルディスです」
そうだ、俺はこの世界の文字が分からない。
危うく、あのやたら長い正式名称を、訳の分からないであろう文字で長々と書くところだった。
受付嬢は手慣れているようで、すぐに書類を作成した。
「農民の方ですね、領主様には試験中と届け出を出します。では、ルディスさん。登録にあたって、試験を受けていただきます」
試験の内容は、魔物の体の一部か、装身具、武器を受付に見せるということであった。
何ともザルな試験だ。
市場でそれらを買えば、誰でも冒険者になれるということじゃないか。
つまり冒険者という仕事は、それだけ敷居の低い仕事なのだろう。
移動に制限が有る農民がなれるぐらいだから、まあ当たり前か。
と言っても俺は金は持ち合わせていない。
だから、自力でそれを用意する必要があった。
あまり大物を狩っても仕方がない。
何より、農民上がりの新人が大物を仕留めたとあれば、色々と面倒なことになりそうだ。
もう、しがらみのある世界は御免だ。
俺はエルペンの近くの森に入り、魔物を探すことにした。
敵対的でない者は狩りたくない。だが、普通の魔物は人間を敵視している。
魔物は基本的には人間に敵対的だし、蔑んでいる。
だから、従魔を持つ俺も、数えきれない程魔物を葬ってきた。
しかし、その中でも俺の仲間になってくれる魔物もいたのだ。
俺はそんなことを思いながら、【探知】と【魔法壁】を発動する。
探知は魔力とその動きを察知し、魔法壁は敵の攻撃魔法と物理攻撃を防ぐ。
これはかつて戦場で使っていた基本の魔法だ。
そして敵を見つけた場合、攻撃魔法を使うのだが……
どうやら今の体の魔力量が少なすぎるようだ。
ここから攻撃魔法を使うなら、低位魔法に限られるだろう。
それに、以前の俺なら、この程度の森は【探知】で全てを探ることが出来た。
転生前の従魔を連れてない時よりも、はるかに魔力が低い。
何とか、魔力を増やさなければな。
とはいえ、俺の魔力はこの世界の人間であれば普通の部類だ。
先程、街の人々の魔力を【測定】した時比べてみたので、間違いない。
……しかし、見つからないな。
もう三十分程歩いているというのに、魔物の類は見つからない。
いるのは野鳥や野ウサギばっかり。
これは来る場所を間違えたかも分からない。
そう思った時だった。【探知】で魔力の反応が有った。
その方向に向かうと、小さな魔力の塊が有る事に気が付く。
一つは、それなりに大量の魔力を有しているらしい。
密集具合からして、人間の集団ではなさそうだ。
恐らくは小型の魔物だろう。
これぐらいなら一人で問題ない。
交渉のできる相手なら、道具の一つとこの短剣を交換するとしよう。
俺は短剣を抜いて、魔力の反応のある場所へ向かう。
反応のある場所は、崖に空いた小さな穴だった。
人がどうにか入れそうな広さ。普通であれば、気づかないだろう。
入り口で【灯火】を使い、光球を周囲に浮かせる。
よし、初の洞窟探検といこうか。
警戒しながら洞窟を進む。洞窟はそんなに深くなく、すぐに反応まで数歩というところまできた。
光球に反応を照らさせる。
すると、そこにはプルプルと震えるブルースライム達がいた。
ブルースライムは、俺の従魔にもいた。この世界にも存在していたようだ。
「に、人間!? 何の用だ?!」
スライム達で一番大きな個体だけが、気丈にそう口を開いた。
どうやら人間の言葉を話せるスライムのようだな、丁度良い。
「俺は冒険者だ。物々交換が……」
いや、待て。何かがおかしい。
「外には入り口が見えないように、結界が有ったはずなのに……」
「結界? ああ、俺の【探知】の前には、無意味だ」
目くらましのため結界を張っていたのか。気付かなかった。
それよりも気になることが有る。
「ところでスライム。何故、帝国語を喋れる?」
スライムも俺も、【魔法言語化】で話しているわけではない。
そしてスライムの使っている言語は、帝国の言葉であったのだ。
「魔物が人間の言葉を喋っては、駄目だと言うのか?! 私は、あのルディス・ヴィン・アルクス・トート・リック・ウエスト・サコッシュ・クラッチ陛下の従魔だぞ!」
「そう、警戒しないでくれ。というか、何だ? その馬鹿みたいに長い……」
俺は、思わず耳を疑った。
まさか、こんな長い同姓同名の人間がいるはずない。
「……今なんて?」
「魔物が人間の」
「その後だ」
「え? ルディス・ヴィン・アルクス・トート」
「ルーン?!」
「?! どうしてその名を?!」
俺もルーンも驚く。
異世界に来たと思ったら、昔の従魔に会ったのだから。
「余だ! ルディス・ヴィン・アルクス・トート・リック……」
「ウエスト・サコッシュ・クラッチ様…… つっかえる所が陛下と同じ…… いや、嘘だ! 陛下はもういない!」
「ルーンよ、信じられないと思うが、余は転生したのだ! しばし待て……」
論より証拠だ。
【灯火】以外の魔法を解いて、ルーンに【思念】を掛ける。
俺が死んだこと、エルク村で生まれたことをルーンに伝えた。
この【思念】は帝国でも、俺だけしか使えなかった。
頭にあることを鮮明に、相手に伝える魔法だ。
ルーンは声と体を震わせる。
「ルディス様ぁっ…… わああっ! ルディス様ぁ!!」
ルーンは涙声で、俺の胸元に飛び込むのであった。