十八話 賢帝の剣求む
「これで混ざらなければ、いいのよね……」
ユリアは手に有った小さな瓶を持っていた。
この瓶には呪いが付与された紫色の水が入っている。
紫色の水は、ユリアによって卓上にある綺麗な水の入った瓶へと注がれた。
すると、注がれた瓶の中身は、下層に綺麗な水、上層に紫色の水で見事に分かれた。
「出来たわ!」
「さすがです、姫殿下!」
俺は手を叩いて、ユリアを褒める。
さすがに呑み込みが早い。
中位魔法の【聖属性付与】を、たった二日で習得するとは。
【聖属性付与】は、その名の通り、対象に聖属性を付与する魔法だ。
聖、雷、火、水、風、土、闇……
属性は色々あるが、聖属性はあらゆる魔法や毒を防げるし、体を回復できる。
加えて、アンデッドなどの闇属性を持つ魔物には、聖属性の魔法が良く効く。
ユリアは今、【聖属性付与】の訓練中だった。
そして見事に、闇属性に冒された水と混じらない、聖属性の水を作成できた。
これは水に含まれる聖属性の魔力が多い事を意味する。
このユリアという子、やはり大したものだ。
「耐久性も素晴らしい。これがあれば、魔物と戦う者の支援も出来ましょう」
「ありがとう、ルディス。あなたの教え方が上手いからよ」
「いえいえ、私などは大したことなど何も。殿下のたゆまぬ努力の賜物です」
ユリアの目の下にはくまが出来ており、その努力の程が窺えた。
「まだまだよ。【浄化】を覚えない限りは…… あ」
机の前でふらつくユリア。
まったくこの子は……
俺はユリアの後ろから、両腕に手を添えた。
「殿下、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ…… ちょっとふらついちゃったみたい」
「努力もし過ぎると、お体に障ります。とにかく、少し休みましょう」
そのままユリアを、近くにあった赤いソファへと促す。
ユリアはドスンと、ソファに腰かけた。
相当消耗しているようだ。
「そこのお茶、温め直しましょうか?」
「……ええ、お願いするわ」
「かしこまりました」
俺は頭を下げた後、部屋の中央に有る給仕用のワゴンに向かう。
ワゴンの上には、質素な菓子や飾り気のない陶磁器が並んでいる。
王女としてはどうなんだろうかと思えるが、やはり領主からは軽んじられているのだろうか。
ユリアの近くまで、そのワゴンを押していく。
そして火魔法でポットの水を温めて、茶葉の入った別の容器にお湯を入れた。
一分も蒸らせば完成だ。
白いティーカップに紅茶を注ぐ。
湯気と共に香りが広がった。
かつて帝国で飲んでいた物とは格段に劣るが、それでも紅茶は紅茶。良い香りだ。
「随分と手際が良いのね」
ユリアはそう褒めてくれた。
どこかで俺も学んだわけではないが、従魔が淹れてくれたのをよく見ていたおかげだろう。
ただ、どう言い訳するか。
商店で見た際、紅茶は贅沢品だった。
確か、一杯分の茶葉で四デル。酒よりも高い。
農民がそんな高価な物の淹れ方が上手なのは、おかしいだろう。
「え、ああ…… 紅茶の代用品のような物が村に有ったので」
「そう。魔法も扱えるし、言動も振る舞いもそこらの貴族よりも貴族然としているわ。農民とは、思えないわ」
「はは…… 光栄です」
俺は笑顔を作りながら、紅茶をユリアに差し出した。
……やっぱり優れた観察眼の持ち主だ。
こんな何気ない行動でも気を付けないと、色々とあらぬ疑いをかけられる。
「……しかも、美味しい」
ユリアは紅茶に何度も口をつける。
どうやら気に入ってくれたようだ。
また、顔色も良くなる。
この紅茶に【聖属性付与】を施したので、多少は回復したのだろう。
「光栄です、殿下」
「そんな堅苦しい挨拶は良いから、あなたもここに座って飲みなさい」
「え? 私がですか?」
「そうよ。色々話したいことも有るし」
色々と話す…… 色々とぼろが出てもおかしくない。
だからといって、今日は予定が有りますのでなどと帰るのは、目上の者に失礼だ。
「し、しかし、俺は農民。殿下のお隣など」
「私は王位継承者の中でも末席、第十七王女よ。だから、気にしないで」
ユリアは苦笑して、そう答えた。
第十七王女か…… 国王の権力がどれほどかは分からないが、軽んじられても仕方がないのか。
しかし、エイリスのような冒険者でも、ユリアを知っていたから知名度はあるのだろう。
「……かしこまりました」
俺は手早く紅茶をカップに淹れる。
それを手に、ユリアと距離を開けてソファに座った。
とりあえず、一口紅茶を口に含む。
……ここは質問される前に、質問攻めにするべきか。
「殿下。失礼でなければ、質問させて頂いてよろしいでしょうか?」
「もちろん。私の魔法の師なのだから、何でも聞いて」
魔法の師…… そんな風に思ってくれてたのか。
「魔法の師などとは…… とんでもございません」
「はあ…… しつこいわね。謙遜は不要よ。で、質問は」
「失礼しました。それでは、お聞かせください。殿下は、何故このエルペンに来られたのですか?」
「それは…… 賢帝の剣を探し当てるためよ。あなたも何か知ってないか、ちょうど今聞きたかったのよ」
「賢帝の剣?」
「そう。賢帝ルディスが帝国に平和をもたらした時に持っていた剣よ」
ユリアは興奮気味にこう続けた。
「その剣で切り倒された人間や魔物は、数百数千…… 帝国最強の剣聖とも謳われたルディスの剣ね」
……俺が剣聖だって?
一応、剣は最低限扱えるし腰に提げていたこともあるが、ただの軍用の鉄剣に魔力を付与したものだ。
「そうなんですね…… でも、賢帝は魔法を主に使っていたのでは?」
「そうね。でも、剣の使い手としても有名なのよ」
いやいや、誰がそんなことを言ったんだ……
ユリアは呆れたように続ける。
「この街の広場にも、ルディスの像が有るでしょ? 知らないの?」
ああ、あれのことか…… だから、あの銅像剣を持っていたんだな。
先輩冒険者ノールと共に見た広場の銅像を思い出す。
剣を高く掲げていた、あの誰とも分からない男らしい銅像を。
「そ、そういえばそうでしたね」
「全く…… 畏くも賢帝と同じ名前を名乗っているのだから、それぐらいしっかり勉強しなさい」
その声に申し訳なさそうに俺は頭を下げる。
いや、それ嘘ですからとは言えない。
美化され過ぎ、というよりは従魔や他の英雄の話がごっちゃになってるのだろう。
剣を得意とする俺の従魔や、帝国の偉人は多かった。
それにしてもこの子…… かつての俺の話をする時は、とても生き生きしているな。
嬉しい…… 嬉しいのだが、何だか恥ずかしい。
自分の事なのに、自分の事じゃないように思える。
事実、多分に偽史も含んでいるから、完全に自分の事ではないのだが。
「それで、その剣を手に入れてどうされるのですか?」
「決まってるでしょ。私は賢帝のようになりたいの。賢帝の剣を手に入れるのは、その第一歩よ」
「なるほど……」
つまりは、権威の象徴が欲しいと。
古代の皇帝の剣…… 確かにそれを手に入れれば、名前を売ることが出来そうだ。
為政者に権威は必要。それは否定しない。
しかし、権威等というものは、善政や善行を心がければ、勝手に付いてくるものだ。
民のためならば、権威なんかよりも大事なことがある。
元皇帝としては、そう聞かせてあげたいが……
だが、ユリアは俺の予想とは裏腹に、こう口にする。
「賢帝の剣は、持つ者に無尽蔵の魔力を供給するわ。それがあれば、私も高位魔法を簡単に使えるようになるかもしれない……」
「それが有れば、より多くの人のためになるということですね」
ユリアは、俺の声に力強く頷いた。
権威などではなく、実用性のある魔力のためだったか。
……いかん、ますます好きになってしまいそうだ。
もちろん、異性としてでなく、その人柄にだ。
しかし、魔力を供給する剣か。
確かに俺が以前持っていた剣は、身に着けるだけで膨大な魔力を手にすることが出来る。
ただ、その剣は従魔に託して……
そうか、ここは従魔が逃れてきた大陸西部。
誰かが、俺の剣をこの近辺のどこかに隠した可能性もある。
「その剣がこのエルペンの近くに有るのですね」
「そう。だから、町の有力者から情報収集してるのだけど……」
「有力な手掛かりが見つからない、と。そもそも、何故エルペン付近に剣が有ると言われているのですか?」
「『賢帝史 ~賢帝亡き後の帝国と大陸~』に、賢帝の従魔が剣をこの近くに隠したとあるのよ。二章の西部世界の前史の項にね。あ、あと『ヴェストブルク建国神話』にも出てきたわ、確か……」
「な、なるほど! それでこの付近に来られたのですね!」
「ま、そういうことよ」
ユリアはちょっと語り足りないと言わんばかりに、残念そうな顔をした。
……どんだけ覚えているんだ。
感心はするが、ちょっと怖い。
ユリアは青い瞳で俺の顔を覗き込む。
「もしかして…… ちょっと興味ある?」
「え? いや、私は……」
「……そうだ! そもそも、文献や口伝だけで見つけるなんて、不可能なのよ。ここは人の手で見つけるしかない」
ユリアは何かを思いついたように、目を輝かせる。
「あなた冒険者なんでしょ? 賢帝ルディスの剣、探してよ!」
「……え?」
「いや、あなただけじゃなく、ギルドに依頼を出せばいいのよ。そうだわ、そうしましょ! ロストン!」
護衛のロストンは、ユリアの呼びかけに部屋へ入ってきた。
ロストンはもう金がないと言うが、姫は何かを売ってもいいからと宣う。
ワガママなお姫様の護衛…… ご苦労な事だ。
従者だけは、やっぱごめんだな。
後日、冒険者ギルドの掲示板には、『賢帝の剣求む!』という依頼が貼り出されるのであった。




