目を付けられる
「マリナー。背中洗ってー」
テーブルで日記をつけていると、浴場からネールの声が響いた。
会った当初は皆、一緒に入ろうとうるさかったルーンたちだが、俺が絶対に首を縦に振らないことを知ってからは各自自由に入っている。
俺たちが中心となって改修した寮だが、皆快適に過ごせているようだ。
綺麗な浴場と厠もある。まるで高級な宿みたいなんて声も聞こえた。
ネールとマリナも自作浴場が気に入っているらしく、先程から鼻歌が聞こえてくる。
今は、スライムの姿のルーンだけが俺の隣に控えていた。
俺のことは何でも知りたがるルーンだが、日記を覗いたりはしない。そこらへんは弁えているのかもしれないな。
そんなことを思っていると、ルーンが訊ねてきた。
「ルディス様。そういえば、一言ご質問をしても?」
「うん? どうした?」
「ルディス様は皇帝のとき、特に日記を記されませんでしたので。でも最近は、よく書いてらっしゃいます」
「単純に皇帝の時は忙しかった、というのもあるな。俺がやったことの記憶は帝国の書記官やら、従魔の誰かが付けていてくれたし、必要も感じなかった。だが今は、余裕もある」
「それに」と言いかけると、ルーンは何かを思い出したように口を開く。
「なるほど! その言葉で思い出しましたが、リリスはよくルディス様の記憶を記していましたね」
リリスとは俺の従魔のイービルアイだ。
一つ目の魔物で、催眠魔法や石化魔法など、特殊な魔法を得意としていた。
大の本好きであり、あらゆる知識が豊富なだけでなく、自身でも俺の記憶を執筆していたようである。
「リリスか。そういえば、リリスの所在は?」
「いえ……ですが、従魔が分かれる際、彼女は私たちに口酸っぱく人は襲っては駄目だと主張していました。どこか、人里離れた場所でひっそり暮らしているのかもしれませんね」
「そうか……会えれば会いたいが」
「まあ、彼女のことです。どこかで本を書いて過ごしているでしょう。あるいは、書いた本がこの魔法大学の図書館にあったりして。ユリア姫やノールさんの好むルディス様の関連本は、もしかするとリリスが書いたものかもしれませんよ!」
「冗談はよせ……まあそれはともかく、図書館に何かしらの痕跡はあるかもしれないな」
本好きのリリスのことだ。
案外、大陸一の蔵書量を誇るこの魔法大学の図書館を何度か訪れているかもしれない。
そんな時だった。
何やら外から怒声が上がる。
「おい、お前ら! 的のくせして、何してやがる!?」
的、とは俺たちアッピス人以外の生徒のことなのだろう。
恐らく、実習か何かで的の対象にされたりするわけだ。
窓から外を覗くと、そこには俺と同じ寮の生徒数人が寮を背にしていた。アリシアもいる。
彼らは囲まれるようにして、アッピス人の生徒十人ぐらいに絡まれていた。
アリシアは毅然と立ち向かう。
「寮を住みやすくしただけです! それは許されているはずです!」
「だからってこんな綺麗にしていいわけねえだろ!? 的は的らしく、倉庫みたいなのに収まってりゃいいんだ!」
アッピス人たちは、どうやらこの改修した寮が立派になったのが気に入らないらしい。
ルーンは溜息を吐いて言う。
「本当に偏狭なやつらですね! ルディス様、ここは」
「ああ、簡単な魔法で──うん? 待て」
俺はアッピス人の生徒の後ろから、高い魔力の持ち主がやってくることに気が付く。
「あなたたち。何をしているの?」
「ああ、誰だ!? ──あ、あなたは!?」
アッピス人の生徒たちは、振り返ると言葉を失った。
そこにいたのは、緑色の髪の女性──フリシアだ。
昼、俺に言いがかりをつけるイーゴットを注意し、俺の名を訊ねてきた。
ラスナルク家というアッピスでも有数の名家の娘で、持っている魔力も相当なものだ。
フリシアは淡々とアッピス人の生徒たちに言う。
「夜間は、所属する寮以外への立ち入りは禁止よ。校則を見ていない?」
「も、も、もも、申し訳ございません! フリシア様!」
「フリシア先生です。さあ、分かったのなら早く立ち去りなさい」
「は、はい!」
アッピス人の生徒たちは蜘蛛の子を散らすように、この寮から離れていった。
あの焦りよう……昼も思ったが、フリシアはやはりこのアッピスでも一目置かれる存在なのだろう。
そんな中、アリシアがフリシアに頭を下げる。
「あ、ありがとうございます、フリシア先生!」
「いいえ、校則を守らせるのが私の仕事よ、アリシアさん」
「わ、私の名前を憶えていただいてたのですか!?」
「もちろん。全員覚えているけど……あなたは特に優秀だから詳しく覚えているわ。たしか、ルディス、ルーン、マリナ、ネールと同じ、ヴェストブルク王国出身だったわね」
「は、はい! 光栄です!」
「遠くから大変ね。これからも頑張るのよ。ところで、随分と立派な寮になったわね」
「そうなんです! ルディスさんたちが、すごく頑張ってくれて! 魔法で廃材や丸太を、まるで高級木材のようにしてくれたんです! 石も!」
「へえ。試験のときもなかなか優秀な魔法を使っていたけど、相当な加工技術ね」
二人の会話に、俺は少し後悔した。
魔力を抑えたつもりだが、フリシアからしても俺たちの魔法は、相当なものに映っているらしい。
「そもそも、なんでこんな場所にいるんですかね」
ルーンが隣で呟く。色々と察した様子だ。
しかしフリシアのほうは、窓側の俺たちを見ることなく、アリシアたちに「じゃあね」と告げて帰っていった。
「魔力を追える人物なら──目を付けられている可能性が高いな。ともかく、彼女には気を付けよう。明日から、講義が始まるようだからな」
俺の言葉にルーンは力強く頷く。
何やら、最近はきな臭いアッピスだ。利用されないよう気を付けるとしよう。
そうして翌日、俺たちは入学日を迎えるのだった。




