十六話 執念
一日の仕事を終え、俺とルーンはギルドの一階にいた。
いつもは騒がしいこの食堂部分も、今日は静まり返っている。
黒い影討伐のために、冒険者の大半が向かっているからだ。
「皆さん、上手くやってるでしょうか?」
「だといいが」
俺は向かい側に座るルーンへそう返した。
今はパンを食べ終えて少し休憩しているところだ。
ルーンはというと、エールが気に入ったのか、まだちびちびと飲んでいる。
そして一口飲み終えると、こう続けた。
「姿は見えなかったそうですが、目だけは見えたというのは…… 【透明化】でなく、周囲の風景に溶け込む【擬装】でしょうか?」
「恐らくはその通りだろうな。しかし、【擬装】は中位魔法……」
やはり凄腕の盗賊なのだろうか。
【擬装】以外の中位魔法を知っていたら、冒険者達には少しきつい相手かもしれない。
しかし、数で圧倒すれば勝てなくもないはずだ。
「それにしても、何で皆無傷だったんでしょうね? それに、何も奪われていないとか」
「何か目的が有るんだろう。エルペンの人達を怖がらせるのが目的かもしれないし」
俺はルーンへそう答えるも、その可能性は低いと考えた。
怖がらせるなら、もっと遠慮なくやるだろう。
「周囲を回って、攻撃してくる…… 一見狼のような攻撃方法だよな」
「そうですね。もしかしたら、それに近い魔物かもしれません」
「ダイアウルフかコボルトか。だが、彼らは常に集団で狩りをする。しかも、目的もなしに何かを襲うだろうか?」
考えれば考えるほど、正体が分からない。
誰かが倒せば、正体は分かるが……
そんな時、ルーンがこう言った。
「ルディス様、ここは私達も調査に行きませんか?」
「俺もこの時代の中位魔法の使い手がどんな奴かは気になる。しかし、依頼はゴールドランク以上だからな」
俺達はブロンズランクの冒険者。行って倒したとしても、依頼報酬は得られない。
「報酬は金だけじゃありません。経験だって立派な成果だと、ルディス様は皇帝の時仰ってたじゃないですか」
「……そうだったな。では、俺たちも行くとしよう。マリナ達に供をお願いできるか」
「かしこまりました! 呼んできますね!」
金だけじゃ駄目だ。この世界の情報も集めなければ。
俺は、ルーン達スライムを黒いローブに【擬態】させる。
以前、ベイツに会いに行った時のように、【透明化】を使用するためだ。
見つかって先輩冒険者達に帰れと言われても、面倒だ。
だから、身を潜めて行くことにした。
まずはどこから向かうか。
黒い影は、エルペンの東西南北の街道に現れるらしい。
複数の疑いもあるが、同時や近い時間で襲われたという報告はないようだ。
どこからでもいいが、北方から探すとしよう。
それで時計回りに東南西を探せばいい。
俺は人気のないエルペン市街から北門を出ると、【探知】を使いながら走っていく。
今回【隠密】を使わなかったのは、この【探知】を使うためだ。
これなら暗くても、魔力の反応から黒い影を見つけられるだろう。
「見つかりませんね」
「ああ、そうだな。うん?」
俺は前方の灯りに気が付く。
灯りの正体は冒険者のたいまつであった。薄暗くて顔は分からないが、三人いるようだ。
「もう! 全然、見つからないじゃない! これでエルペンの周囲を一周したわよ」
「運が悪いのだろう。次は西から回ってみるか」
「反対にってことね。いいわ! 朝まで探すわよ」
エイリスとカッセルの声だ。すると、もう一人はノールか。
エイリス達はすでに一周してきたようだ。
捜索に出ている冒険者は五十人以上。もう見つかってもおかしくはないはずだが。
俺は更に北を目指して、街道を進むことにした。
すでに周囲は真っ暗で、冒険者の松明も見当たらない。
そう思った時だった。
どこからともなく、声が聞こえてくる。
「この魔力量…… ルーン?! 貴様なのか?!」
「え? ルディス様?」
「いや、俺じゃないぞ」
俺はルーンへそう答えた。俺はこんな低い声じゃない。
もちろん他のスライム達でもないだろう。
いや、それよりもこの威厳の有る声は……
「……アヴェル?」
「誰だっ?! 貴様、何故その名を?!」
その声が聞こえると、夜陰に赤い光が二つ浮かぶ。
そして陰からは、闇よりも暗い色をした獣が出てきた。
犬と言うよりは、狼のように大きく、立派な体毛を生やしている。
口から微かに漏れるのは、火の粉だ。
この魔物は、ヘルハウンドであった。
しかも、俺のよく知る”男”でもある。
「アヴェル?!」
ルーンはそう言って、俺のローブから分離した。
俺もそれに合わせて【透明化】を解く。
「ルーン?! やはり貴様の匂いだったか。近場を通りかかったら、貴様の匂いがしてな」
「そうだったのですか。もう九百年以上、会ってませんでしたね。 ……それよりもアヴェル、聞いてください! ルディス様が復活されたのです」
「……ルディス様だと。ついに気でも狂ったか、ルーンよ」
何だか、何百年ぶりの再会とは思えない会話だ。
互いに年を取る生き物でないから、俺とは感覚が違うのだろう。
「この方が、ルディス様なのです! ルディス様は、転生されたのですよ!」
「転生…… だと?」
アヴェルは、その赤く鋭い目をこちらに向ける。
「アヴェル、久々だな。俺が…… 余がルディスだ」
「……ふざけるな。人間が、ルディス様の名を騙るとは」
怒りを露にするアヴェル。口からは、多量の火の粉が漏れる。
見た目も声も違うのだ。信じるはずがない。
「貴様らが我が主を殺したのだぞ!」
「待ってください、アヴェル!」
ルーンはアヴェルに訴えるも、その声は届かない。
それを見て、すぐさま俺にこう促した。
「ルディス様、【思念】を!」
「分かっている……」
すでに俺はアヴェルに【思念】で転生した記憶を送っている。
しかし、アヴェルが警戒を解くことはなかった。
そればかりか、ルーンへこう訊ねた。
「ルーンよ、何故そんな奴に付き従っている?」
「アヴェル! ルディス様をそんな奴とは、何という無礼を!」
「違う!! ルディス様はもういない! いないんだ!」
アヴェルはそう言うなり、俺に飛び掛かってくる。
これには久々に驚いた。
【魔法壁】を間一髪で発動し、アヴェルを跳ね返す。
もう少しで、喉笛を噛み千切られていたところだった。
この感じ…… アヴェルと最初に会った時を思い出す。
お前と会ったときは、敵同士だったな。
「さすがの跳躍だな…… 千年経っても衰えていないようだ」
「ぬかせ! こんなものではないぞ!」
アヴェルはそう答えると、夜陰に紛れる。
俺の周囲では、赤い光がぐるぐると回り始める。
「ルディス様! かくなる上は、私がアヴェルを!」
「いや、ルーン。手出しは無用だ」
「し、しかし!」
「ここは任せておけ」
アヴェルは分かっている。
だから、ここは奴の気が済むまで付き合ってやらなければいけない。
俺はアヴェルにこう告げた。
「中位魔法を使えるようになったのだな、アヴェルよ」
「これで驚いているようでは甘いぞ、人間!」
アヴェルの声が聞こえた瞬間、後方からぼうっと火の音が聞こえる。
この音、【火炎息吹】…… いや、【火竜息吹】か!
アヴェルは、【火炎息吹】しか使えなかったはず。
しかし、この千年でより強力な【火竜息吹】を習得したのだろう。
振り返ると、そこには極大の火炎が迫っていた。
【魔法壁】で防げる威力の魔法ではない。
ならば、【魔法反射】が妥当なところだ。
だが、そうすればアヴェルは……
俺は火炎に向かって、手をかざす。
手からは炎に向かって、渦を巻いた膨大な水流が放たれる。
【海竜竜巻】…… 【火竜息吹】に対抗できるのはこれしかない。
水と炎が、衝突する。
しばらくは拮抗するように、せめぎ合うが……
【火竜息吹】は【海竜竜巻】に押され始めた。
火属性の魔法を打ち消すには、水魔法しかないのだ。
俺は炎が消えるのを見ると、手を降ろす。
魔法を中断するためだ。
すると、アヴェルはこう声を荒げる。
「何故だ! 何故、今になって再び現れた!」
「……すまん、アヴェルよ」
「すまんだと?! この俺を捨てたくせに! 何故、最後まで一緒にいさせてくれなかった?!」
アヴェルの怒りはもっともだ。
俺はアヴェルを裏切った。他の従魔もだ。
「許してくれとは言わない…… だが、お前達には幸せになってもらいたかったんだ」
「幸せ?! そんなものは誰もいらなかった! 分かるだろう、ルディスよ!」
「……これ以上は何も言わん。だが、許してくれるなら、もう一度、余と……」
「許せるわけがない! 許せるわけがないだろ!!!」
「ならば、好きにすればいい!」
そう答えて、俺は両手を広げる。抵抗等するものか。
ルーンは間に入って、仲裁しようとする。
「アヴェル、やめろ!!」
「うおおおおお!」
アヴェルは怒りの咆哮を上げた。
次の瞬間、俺の目前にアヴェルが飛び掛かってくるのであった。
俺を地面に押し倒すアヴェル。
しかし、それ以上は何もせず、ただ涙を流す。
「貴様を殺せるわけがないだろう……」
「アヴェル、本当にすまない……」
俺は声を震わせるアヴェルを、両腕で抱き寄せた。




