十話 かつての従魔の面影
城壁から視認できる場所で、エルペンの兵とゴブリン達が衝突した。
エルペン軍はだいたい六百人程で、騎乗した重装の騎士が四十人程いる。
ゴブリンの方は、少なくとも千体はいるだろう。
「始まりましたね、ルディス様。しかし、何だか人間の方は陣形が」
戦闘を眺める城壁の上の俺に、ルーンが声を掛けてきた。
「ああ。まだゴブリンの方が、上手く陣形を組めてるな」
人間が騎士を中央に突撃を始めるのに対し、ゴブリンは密集陣形でそれを迎え撃つようだ。
エルペン軍はすでに兵の足並みが乱れている。
これは、正面からでも勝てるという自信の表れだろう。
だが、俺はゴブリンの四角い密集陣形に見覚えがあった。
「ルーン…… あの陣形、見覚えないか?」
「え? 言われてみれば、帝国軍の密集陣形に似ていますね」
ルーンの言うように、あれはかつての帝国軍の陣形であった。
少しお粗末であるが、間違いないだろう
「まずいな……」
「なーにが、まずいなよ?」
「え、エイリスさん!?」
俺の肩を叩いたのは、先輩冒険者エイリスだった。
エイリスは俺が不安に思っていると感じたのか、こう続けてくれた。
「そんな心配しなくたって大丈夫よ。ちょっと多くて気持ち悪いけど、敵じゃないわ」
「そ、そうですよね。俺、心配性で」
口ではそう答えたが、この戦い、大方負けてしまうだろう。
一対一であれば、圧倒的に体が大きい人間の方が強いかもしれない。
しかし、一度乱戦になれば、小回りの利くゴブリンが四方から攻撃してくることになる。
密集陣形を組まれているなら、尚更だ。
そして俺と同じような不安を口にする者がいた。
「何故、野戦に打って出たのですか?!」
俺はその声の方に振り向く。
そこには、長い銀髪が眩しい青いドレスの俺と同じぐらいの美しい女の子が。
間違いない。以前俺が助けた、姫殿下と呼ばれていた子だ。
その周りには、俺も見覚えのある護衛や兵士が囲んでいた。
「姫殿下! まだ怪我も治ってないのです! それにここは、もしもの時危険です。お戻りくだされ!」
周りの護衛がそう諫めるも、姫殿下は聞く耳を持たない。
「あれはかの帝国の陣形だわ! このままでは、我らは負けてしまいます!」
この姫殿下、この陣形を知っているのか。
「すぐに、兵達を引かせなければ! 領主はどこ?!」
姫殿下は、兵の一人にそう訊ねた。
「し、娼館です……」
「兵が命を懸けて戦っているのに、何ということ! 今すぐ、向かいます!」
「ひ、姫殿下! お待ちください!」
顔に似合わず、中々、気の強そうな姫殿下だ。
姫殿下と呼ばれるぐらいだから、ヴェストブルク王国の姫だったりするのだろうか。
姫殿下は、視線を向ける俺に気づいたのか、青い瞳を向ける。
護衛もこちらを向きそうになった。
俺はとっさに頭を下げる。
「そこの冒険者達。ここの守り、くれぐれもお願いいたします」
「はっ! ははぁっ!」
俺は頭を下げて、そう答えた。
ルーンやエイリス、他の冒険者も同様にする。
「行きましょう。すぐに騎士達を引き揚げさせるよう、命令させなければ」
姫殿下はそう言い残して、護衛達と一緒に城壁の階段を下りて行った。
「噂には聞いていたけど、あれがユリア姫ね。美しい方だわ」
エイリスは、そう呟いた。
どうやら姫殿下は、ユリアという名前のようだ。
「ま、ちょっと心配し過ぎのようだけど。こういうのは、専門家に任せとけばいいのに」
戦争を知らないお姫様。エイリスはそう思ってるようだ。
しかし、エイリスや他の者達の予想は、どうやら外れたらしい。
エルペン軍は、ゴブリンの連携に旗色が悪くなる。
「ま、まずくないか」
「な、何よ、カッセル。びびってるわけ?」
大剣士のカッセルにそう答えるエイリスだが、口調からはいつもの自信がうかがえない。
周りを見渡すと、冒険者達は皆、固唾を呑んで戦場を見守っていた。
だが、しばらくすると冒険者達を沸かせる一幕が。
「騎士団だ! 騎士団がゴブリンを突破したぞ!」
冒険者の一人が、そう声を上げた。
十数名の騎士が、ゴブリンの戦列を突破したのだ。
エイリスもカッセルも、先程の不安そうな顔はどこへやら、手を叩き合って喜ぶ。
全身を鎧で固めた騎士達の突撃は、やはり凄まじかった。
戦死や負傷、落伍して既に十数名の騎士だけとなっているが、敵の本隊であろう集団に突っ込んでいく。
これで本隊を崩すのは難しくないか? うん?
俺はゴブリンの本隊から小さな光が発せられたのを見逃さなかった。
魔法? ……これは?!
突風が騎士達に向かって吹くのを感じた。これは、大きな魔法がくる。
俺がそう確信した時だった。
槍を構える騎士達が、一瞬で炎に包まれた。
こちらまで響く轟音と、騎士達の悲鳴。
炎柱は天高く舞い上がり、その場で竜巻のように回転し始めた。
「な、なんだ、あれは!?」
先ほど一番に喜びの声を上げた冒険者が、そう叫んだ。
彼だけじゃない。他の冒険者、戦場の兵士達もその炎にくぎ付けになる。
炎に巻き込まれた騎士達は火だるまになるも、外にどうにか出てくる。。
しかし、すぐにまた【火炎嵐】に巻き込まれるのであった。
【火炎嵐】…… 高位魔法の中ではもっともランクの低い魔法だが、こんな場所で見ることになるとは。
あの炎の渦に入った者は、出てもすぐに渦に引き戻されてしまう。
全身金属の鎧の騎士だ…… その痛みは言葉では言い表せられないだろう。
この【火炎嵐】を使えたのは、帝国人でも数百人だった。
それを何故、魔力の低いゴブリンが……
俺は初日のゴブリン討伐時に聞いた、ベイツという名前を思い出す。
ベイツはゴブリンウィザードで、俺の従魔だった。
魔法の才能に恵まれ、俺やルーンと同様、魔法の修練に傾倒していた。
だが、ベイツは中位魔法しか使えなかったはず。
しかし、今はあれから千年経っているのだ。
ベイツが不老不死の術を得て、高位魔法を使えるようになっていても、何もおかしくない。
それだけ、ベイツは魔法に情熱を注いでいたのだから。
かつての俺なら【探知】や【遠眼】で、ここから確認できたが……
今は、【火炎嵐】の術者をここから調べるのは難しい。
俺は近くにいたルーンに、帝国語でこう告げた。
「……ルーン。ベイツがいるかもしれない。早速だが、マリナ達の力を借りたい……」
そして俺はいくらか指示を出した。
「はっ、かしこまりました。仰せのままに」
ルーンは、すぐに城壁を早足で下っていくのであった。
ベイツ…… お前なのか。
会いに行ったらどんな顔をするだろうか。許してくれるだろうか、それとも……
だが、今の俺はどの道ベイツを止めなければいけない。
そのためには、会いに行く必要が有る。
俺が【火炎嵐】を見ていると、後ろから震え声が聞こえてきた。
「【火炎嵐】…… 伝説の高位魔法…… どうして……」
振り向くと、そこには足をがたがたと震わせるノールがいた。
顔はすっかり青ざめて、目を丸くしている。
エイリスがただ事じゃないと声を掛けた。
「ちょっとノール! 大丈夫?!」
「大丈夫ですって? 大丈夫なわけないじゃない! あれは…… あれは、高位魔法なのよ! この世で数人も使えない、あの高位魔法! もう駄目よ! 私達は、おしまいだわ!」
「の、ノール、落ち着いて!」
ノールはエイリスの声も聞かず、そう喚いた。
他の冒険者達も、魔法大学出身のノールが取り乱すのを見て、集まってくる。
だが、確かに高位魔法は強力なのだ。
帝国でこれを使える者は、百の兵を相手にできると言われていた。
いや、フォローが有れば百はおろか、千は相手にできるかもしれない。
そしてあの冷静なノールがここまで狼狽えるのは、やはり高位魔法は珍しいということだろう。
それも、かつての帝国以上に。
とりあえず、俺は自分のやるべきことをやらねばいけない。
俺はまず【鎮静】という催眠魔法を【透明化】させてノールに掛ける。
ノールは糸が切れたかのように、エイリスの胸にバタンと倒れ込んだ。
「ノール?! 大丈夫?!」
ただ眠っているだけだ。今の俺の魔力なら…… 十分は寝らせられるだろう。
冒険者達をこれ以上不安にさせたくない。
それ以上に、いつもは冷静なノールが喚く様を皆に見せたくなかった。
俺は混乱に乗じ、城壁の階段を降りる。
何とかしなければ、皆の命が危ない。
ベイツは、人間を恨んでいる可能性が有る。
すると、どこからともなく帝国語が聞こえてきた。
「ルディス様、お待たせしました」
「ルーンか、大儀であった」
姿なき声に答えると、目の前に漆黒のローブが現れた。
かつて、俺が密事を為すとき、幾度となく着ていた意匠そのもの。
さすがはルーンだ。芸が細かい。
俺はそれを着て、フードを目深く被る、
「では、行くとするか」
俺の姿は、他人からは見えなくなるのであった。
 




