08 彼の匂いに包まれて
「全部最初から、私のことバレてただなんて〜」
部屋に戻るなり、私は寝室のベッドに倒れこんだ。
何だか疲れがどっと押し寄せる。
「僕もここで寝よーっと」
ドサっとアレックスが私の隣にダイブしてきた。
「ダメだよ、アレックスは向こうでしょ?」
この部屋は間取りで言ったら、2LDKで広さもかなりある。
アレックスはユーエンの寝室に泊まることになっていた。
「えー、いいじゃん? それにしても良かったね。王女とのこと破談になってさ」
それは本当に良かったけど、何だか私は納得がいかない。
「ユーエンはともかく、何で後から来たアレックスまで。どうして分かったの?」
「ユーエンが君にキスしたって聞いたからさ。いくら王女の頼みでも、ユーエンは普通人前でそんなことはしない」
そうなの? まあ、確かに彼は王子達とは違って、その辺りはちゃんと慎みを持っている人だ。
「じゃあ、ユーエンは王女に私の正体がバレていることに、とっくに気付いてたってこと?」
「ええ、そうですよ」
風呂上がりの彼が現れて、私達は体を起こして揃ってそちらを見やる。
「彼女に二人揃って絵のモデルを頼まれた際に不信に思いました。完全に恋人同士のようなシチュエーションを求められるので、もしやと」
でもそれは殆ど王女の趣味という意味の方が大きいような?
「元々想定内でしたし、少し調べられれば分かることです。マクシミリアン殿下もそう仰っていました。ただ、こちらからあえてオープンにする必要はないと思っていました。あなたはそんなに器用なタイプではないですから。王女に結婚の意思がないのがはっきりしたので、バレても構わないと判断しました」
アレックスはかなり眠いのか、欠伸を噛み殺しながら言う。
「……それで、キスしたんだね?」
「ええ。私も我慢の限界でしたので」
さらっと言う彼は、恥ずかしくないのだろうか?
普段はおくびにも出さないのに、彼はさりげない瞬間に私への好意を口にしたり行動で示したりするから、その度にドキドキさせられてしまう。
私は恥ずかしくなって俯く。
「そんなにデレちゃって、ムカつくなぁ! 僕はまだフラれたショックから立ち直れてないんだからね」
私の照れた様子が、アレックスの癪に障ったようだ。
「さあ、もうアレックスはあちらのベッドに行きなさい」
その口調はまるで子供を寝かしつけるお母さんのようだ。
私はちょっと笑ってしまった。
「おやすみ、ジーン」
アレックスは私の頬に軽くキスすると、名残惜しそうに渋々ベッドを下りた。
「おやすみ」
アレックスが部屋を出て行き、ここでようやく二人きりなった。思えば怒涛の一日だったな。
「あなたも今日は疲れたでしょう? 早く休んで下さい」
「あ、うん」
彼は優しく笑うと、
「では、おやすみなさい」
そう言って、彼も踵を返して部屋を出て行こうとする。
えっ? 行っちゃうの!?
私は思わず彼の腕を掴んでしまっていた。
彼は少し驚いた様子で、私を振り返った。
「ジーン?」
「あ、あのね」
分かってる。ドア一枚隔てた向こうにアレックスもいるし。
「行かないで」
そう口をついて出てしまった。
しばらくの沈黙。引き止めたのはまずかった?
しかし、次の瞬間に彼は私を引き寄せると、そのままキスをした。
「んんっ」
息をいつすればいいのか、忘れてしまうくらいだった。
昼間のキスよりそれはずっともっと濃厚で、そして甘い。
何度も何度も蕩けるようなキスをして、彼は私をベッドに押し倒した。
「やっぱりダメ! アレックスだっているし」
「今さら、やめられると?」
彼は眼鏡を外すと、不敵に笑った。
眼鏡を外すと、彼は人がまるで変わったように性急だった。
彼は手早く私の上着を脱がして、胸にキツく巻いたサラシを外していく。
「声は我慢して」
耳元で囁かれて、私は目を閉じる。
石鹸の香りに混じる、彼から香るいつもの匂い。
声は我慢出来るか分からないけど、アレックスに聞かれる訳にはいかない。
「あ、私まだシャワーを」
「それは後で」
そして私達はとても親密な夜を過ごし、あっと言う間に朝を迎えた。
目覚めた時、隣に彼の姿はなかった。
一瞬また夢かと思ったけれど、一人の時にさすがに裸のまま寝たりはしない。何よりかすかに残る彼の匂いが、何よりの証拠だった。
寝室から出ると、美味しそうな匂いが漂っていた。
テーブルで先に食事を取っていたアレックスが私に気付いて声を掛けてきた。
「おはよう、ジーン! ん? 何だかジーンからお香の匂いがする」
ギクッ!! シャワーを浴びたのにまだ匂いが残ってる?
私は自分の体をクンクンしてみた。言われてみれば匂う気もするし、でもよく分からない。
「はーん、さては……」
「そういえば、ユーエンは?」
少し食い気味に彼の所在を問うと、アレックスはあっさり教えてくれた。
「ユーエンなら、キッチンにいるけどぉ?」
そういえば、この部屋には備え付けのキッチンがあった。
ていうことは、この朝食は彼が作ったの?
アレックスから逃げるようにキッチンに向かうと、彼が料理している真っ最中だった。
「おはよう」
「ああ、おはようございます」
彼は優しく微笑んだ。その笑顔は眩しいくらい綺麗だ。
普段から、もっと笑えばいいのに。
「厨房に行って食材を分けて貰いました。朝食くらいはあなたに作ってあげたくて」
ああ、やっぱり笑わなくていい。
笑うのは私の前だけにして欲しい。
この笑顔は、私だけに向けられたものだから。
何だか胸がきゅんとした。
私は堪らず彼の背中にぎゅっとしがみついて、呟く。
「好き」
相変わらずいい香りのする彼。その匂いを目一杯吸い込んだ。
私はちょっとヘンタイかもしれない。彼の匂いが大好きだ。
彼は少し手を止めて、まるで子供に諭すような優しい口調で言う。
「料理中はダメですよ」
「あーっ、またイチャついてる!!」
アレックスがいつのまにか、キッチンに入ってきていた。
彼の背中にしがみついていた私は慌てて体を離す。
「どうせ昨夜は二人で仲良くしたんでしょ? 分かりやす過ぎ!!」
「アレックス、何ですか?」
「おかわりだよ。これ美味しかった」
アレックスは皿をユーエンに差し出して、出来上がったばかりのホットサンドをおかわりした。
「野菜も食べれたようですね」
「うん、これだとそんなに気にならない」
アレックスは好き嫌いが多い。いつもユーエンが工夫して食べさせている。本当にお母さんみたいだ。
「あなたも食べますか?」
「うん、お腹減った」
私も焼き上がったばかりのホットサンドと、ミネストローネの朝食を頂いた。
「簡単なものしか作れませんでしたが」
「ううん、充分だよ」
食事を済ませて、私達は街に観光に繰り出すことに。
アレックスはすっかりはしゃいで、張り切って衣装を選んでいた。
「ジーンは相変わらず男装なんだよね?」
「う、うん」
王女にバレてしまったとはいえ、私はあくまで護衛の騎士だ。この旅の間は、あくまで男として通さないと。
「どこ行く? やっぱり買い物?」
「一つ、行きたい所があるのですが」
珍しくユーエンがそんなことを言い出したので、私とアレックスは思わず顔を見合わせた。
「どこ?」
「東方人街です」
「東方人街?」
もしかして中華街みたいな感じだろうか?
「在留の東方人が多く住む地区です。我が国にはありませんが、アストリアは異国人も条件を満たせば在留出来ます。東方人街は、そんな在留の東方人が多く働いています。料理店はもちろんのこと、食材や、薬剤、珍品骨董を扱う店などがあります」
「へえ、楽しそう!」
アレックスは特に興味を示したみたいで、すっかり行く気になったみたいだった。
東方は完全に異文化だ。どうも現代の中国を始めとしたアジア地域が色々混ざった感じらしい。
「いいよ、行こう」
行き先は、東方人街になった。
驚いたことに。国賓として滞在している私達には車が用意されていた。それもこれはまさか!!
「もしかしてこれリムジン? さすがアストリアだねぇ」
アレックスは大はしゃぎで、真っ先に乗り込んだ。
私達も後から乗るも、広い車内は何となく落ち着かない。
高級な革張りのシートは、三人で座っても余裕の広さだ。
「ねえ、これっていくらくらいかな?」
食い気味にユーエンが言う。
「買いませんよ? 無駄な出費です」
大公家でも車は所有しているけれど、そもそも車自体がべらぼうに高い。
「ええー、いいじゃん!! じゃあ、今の車を売ってさー」
「買いません。それに今の車、私は気に入ってるんです」
二人のそんなやり取りを聞いているうちに、車は目的地に到着したようだった。




