07 ジレンマに陥る私
二人きりになったのを確認して、私はユーエンを振り仰いだ。
「さっきのアレ、さすがにやり過ぎ!!」
「でも、王女様のご期待には添えたようですが?」
私はもごもごと口籠る。あんなキスを人前でするなんて!!
確かにそうだけど、あれでは完全に私達──。
「恋人だと誤解されちゃうんじゃ?」
「誤解ではないでしょう?」
ユーエンは軽く溜め息をついて、バルコニーの手すりに寄りかかった。
「あなたは紛れもなく私の恋人です。それは間違いないでしょう?」
「それはそうだけど、私は今、男としてここに来てるんだよ?」
「私は嬉しかったですよ。堂々とあなたと触れ合えて」
その言葉を聞いて、私は耳まで赤くなるのを感じた。
そんなことをここで言うのはズルい。
「ようやくあなたと恋人同士になれたのに、あなたに触れられないだなんて。たった数日のことですけど、やっぱり我慢なりません」
「むぅぅそりゃ、私だって」
私は何だかもう堪らなくなって、腕を伸ばして彼に抱きついた。
「甘えん坊さんですね」
彼は私の髪を優しく撫でて、額に軽くキスする。
もうバレたらバレたらでいい。
私は彼の婚約者なんだから、後ろめたいことなんて何もない。
私は彼を見上げた。さっきあんなにキスしたばっかりなのに。
この上なく優しい微笑みで、彼が私を見つめている。
彼の頬に手で触れて、そっと自分からキスした。
優しく触れるだけのキスなのに、さっきのキスよりもずっと彼を感じた。
「さっきは本当に恥ずかしくて、死にそうになった」
「やっぱり人前じゃ恥ずかしいですか?」
「そりゃあ、当たり前でしょ? あんなに沢山の人の前で」
でも、あれで王女を満足させられたようだし、彼の縁談は破談になるだろうから、これで私達の結婚の障害はなくなったと考えてもいいよね?
「あなたは全然平気そうだけどね。恥ずかしくないの?」
「ええ」
きっと役者に向いている。
そういえば、彼が慌てふためく様を一度も見たことがない。
いつも落ち着いていて大人だ。年は確か私と二つしか違わない筈なのに。
「下から丸見えですけどね、ここ」
その声にふと下を眺めると、階下に庭園を管理する庭師や巡回中の衛兵達が見えた。彼らが何かのはずみで上を見上げでもしたら、ここは丸見えだ。
「うわあっ!!」
慌てて体を離すと私は思わずバランスを崩し、後ろに倒れかけそうになった。その手を彼がすかさず引いて、引き寄せられた。
「何をやってるんですか? あなたは本当に目が離せない」
溜め息混じりで彼が言う。
結局、また抱き締められる格好になってしまった。
「人に見られちゃう」
「見られたって構いません」
ぎゅぅっとより強く抱き締められる。
王女達の前では、あくまでモデルとしてのポーズだったから、たとえ他の誰かに見られても言い訳がつくけれど、今は違う。私達は一見男同士、こんなところを誰かに見られでもしたら……。
さっきまでバレたらバレたらでいいとも思ったけど、彼に迷惑がかかるのはやっぱりイヤだ。
「あなたは大公になる人でしょ? そんな人に変な噂が立ったらまずいよ」
「しっ、黙って」
再び額にキスされて、 彼が肉食系なのを思い知らされる。
チュッ、チュッとあらゆる場所にキスされる。
額に頬、そして唇に──。
「なんだ、結局イチャついてんじゃん」
突然降って湧いた声に、私は我に返ってそちらに目を向けた。
そこには、黒のゴシックドレスに身を包んだアレックスが立っていた。久々に見るアレックスの女装姿だった。
「えっ、アレックス!?」
「てへ、来ちゃった!」
ぺろりと舌を出したアレックスを、ユーエンはちょっと厳しい声で叱責した。
「何です? その格好は」
「何って、ジーンが男装でしょ? だから僕は女の子で来たの。イチャイチャしようと思って。ていうか、わざと見せつけようとしてたよね? いつ声掛けようか迷ったよ。相変わらずイヤミだなぁ」
え? そうだったの?
「どっから見てたの!? もしかして私からキスしたところ見た?」
「……自分からキスしたって言っちゃったよ、この子。そうだねぇ、ジーンがよろけてユーエンが引っ張ったところくらいかな?」
そこからだったか!! くそぅ、早まったわ……。
私はユーエンの顔を見る。彼は少し意地悪そうな笑みを浮かべていた。
「そんなことより、ジーン会いたかったよぉ!!」
まっすぐ私に駆け寄ろうとするアレックスから、ユーエンは無言ですかさず私を背後に庇った。
「えっ、何それ? ちょっと何やってんの?」
背後に回り込もうとするアレックスに、ユーエンは大人気なくブロックする。
「これはもう私のものです」
「えー、お兄ちゃんのケチ!!」
何やってるんだろう、この二人は?
ああ、丁度いいからアレックスに報告しとかないと。
私はユーエンの背中から、ひょこっと顔を出した。
「そういえば縁談の話、破談になりそうだよ」
「あ、そうなの?」
アレックスの反応が微妙だったので、私が首を傾げると、
「……ごめん、ユーエンが王女と結婚することになって、一人になったジーンを慰めようかとちょっと思いながら来たのに」
「それは絶対にありえませんから」
私達は揃って部屋の中に戻り、アレックスに王女との経緯を詳しく話した。
「え? BL漫画を描いてるの? マジで?」
アレックスの驚きぶりは無理もなかった。大国の王女様が、まさか腐女子だったなんて、思いもよらなかっただろう。
「どんなワガママ娘が出てくるかと思ったら、なかなか面白そうな子じゃない。何だか友達になれそう」
「アレックスと同い年だよ」
「へぇー」
ユーエンがお茶を淹れてくれて、私達は一息ついた。
「で、王女に頼まれて、人前でキスまでしちゃったの? さすがにそれはやりすぎかなぁ?」
意味深な視線を、アレックスはユーエンに送る。
「ねぇ、どうなの?」
ユーエンは無言で涼しい顔でお茶を飲んでいる。
「それで、明日の式典が終わったら帰るの?」
「式典は午後からなので、夜は祝宴を兼ねた晩餐会でしょう。帰るにしても明後日の朝になりますね」
そういえば、王女から観光を勧められたんだっけ?
「じゃあ、午前中は観光でも行く?」
「いいね! 行こう行こう!!」
アレックスが来ちゃったから、二人きりって訳にはいかなくなっちゃったけど、三人でもきっと楽しいだろう。
「あんまり羽目を外さないように」
「はーい」
「ねえ、そういえばご飯てまだ? 僕お腹減ったんだけど」
そういえば、そろそろそんな時間だ。
その時、部屋のノックの音がしてメイドが一人入って来た。
「失礼します。アメリア王女様から、夕食を是非ご一緒したいとのことですがどうされますか?」
「お、噂の王女様からお誘い? 行く行く、食べる〜!」
アレックスは行く気マンマンで、ユーエンはそんなアレックスを窘めながら返事をした。
「アレックス、行儀が悪いですよ? 連れが一名増えても構わないのなら、お伺いします」
「お連れ様が増えたことは、王女様は既にご存知です。是非皆様でおいで下さいとのことです。では、ご案内致しますのでどうぞこちらへ」
私達はメイドに案内され、昼間にお茶をした東屋に案内された。
既にテーブルに着いていた王女が立ち上がって、ぺこーっと深くお辞儀した。
「先程は色々ありがとうございました! お礼も兼ねて夕食にお誘いしたんですが、ひょっとしてそちらはユーエン様の妹君ですか?」
「妹ではなく弟のアレックスです。アレックス、こちらがアメリア王女です」
「どうも初めまして」
挨拶したアレックスを、アメリア王女は例の如くじーっと見つめた。
「か、可愛い!! 銀髪に紅い瞳とは、これまた珍しいです!」
「ありがとう。君も綺麗だよ」
ニッコリ微笑んで、アレックスが言う。
するとアメリア王女は見るからに真っ赤になった。
む? まさかそっち系がお好みなの?
王女を交えた会食は、一見とても和やかに進んだ。
アレックスは王女と話が合うようで、十代に人気の恋愛小説の話で盛り上がっていた。
どうやら王女はBLばかりでなく、普通の恋愛ものもお好きらしい。
私とユーエンは二人の話についていけず、早々に食事を済ませた。
「アレックス様は、恋人はいらっしゃるのでしょうか?」
「ジーンが好きなんだけど、ユーエンに取られちゃったんだ」
ぶっと、お茶を吹き出しかけて、むせて咳き込む私の背を、隣のユーエンが撫でてくれた。
「大丈夫ですか?」
何言ってんの? この子は!!
私の正体をバラしたらダメなんだよ? 分かってるの?
私はアレックスに目でそう訴えるけれど、
「どうしたのジーン? 大丈夫?」
……これはダメそうだ。私は思わず頭を抱えた。
「ええと、ユージーン様をアレックス様もお好きなんですか? それってもしかして恋の三角関係ってことですか?」
王女の目の輝きが増し、キラキラした瞳で私を見つめた。
うわぁ、なんかもうどうしよう? なんか色々面倒くさいよ。
「ユージーン様をご兄弟で争ったのですね? その話、是非詳しく聞かせて下さい!」
「……いや、あの、あのね」
アレックス、私が今は男って設定忘れてない?
「三角関係? そんな生易しいもんじゃないよ。皆がジーンを好きなんだから」
「アレックス!」
ユーエンが低い声でアレックスを咎めた。
アレックスは肩をすくめて、舌をぺろりと出す。
「怒られちゃった」
三角関係も何もない。誰も突っ込まないから逆に怖いんだけど、ここにいる私達三人とも、全員男設定なんだけど?
「ユージーン様はモテモテなんですね」
アメリア王女は、感心したように私をじっと見つめる。
「確かに、皆さんがお好きになる理由が分かる気がします!」
「はぁ」
「でもユーエン様にはご婚約者がいらっしゃるのでしょう?」
その話をされると、私は何も言えなくなってしまう。
その婚約者は実は私なのに、この姿のままでは、そう言いたいのにとても言い出せない。
「ええ」
そう答えるユーエンに、王女はなおも質問を投げかける。
「でも、ユージーン様を愛してらっしゃる?」
「ええ」
「うわああああぁぁぁっ!!」
いやいや、ユーエンまで何言ってるの!?
私は慌てて立ち上がってしまって、完全に挙動不審になってしまう。
「ユーエン、ジーンがさすがにかわいそうだよ」
「もう全部バレてますから、落ち着いて下さい」
「え?」
王女はクスクス笑っていた。
「あなたも人が悪いですね、アメリア王女」
ユーエンは溜め息をついて、王女を一瞥した。
「……ごめんなさい。ユージーン様の反応があまりにも可愛らしくて、つい。実はお目にかかってすぐ気付いちゃいました。大丈夫ですよ? 決して口外しませんから!」
えっ、もしかして最初から全部バレてたの?
だからモデルの時の要求が色々と際どかったんだ。
「私の男装がまずかったのでしょうか?」
「いいえ完璧でしたよ! とってもイケメンで、背も高くていらっしゃるから、女性だなんてとても信じられませんでした」
アメリア王女は、私が本当はユーエンの婚約者だと全て承知の上でモデルを頼んだのだった。
「実はそちらの王太子様から、内々に縁談の打診があった時に、少し調べさせて貰いました。王太子様にもその弟君にも、ずっと意中の女性がいらして、各国からの縁談を軒並み断っておいでだったとか。その意中の女性のお名前が、ユージェニー様、つまりあなただとお聞きました。ユーエン様に、うちの父が縁談を再度申し込んだ際も、婚約者のお名前がやっぱりユージェニー様だとお聞きして、とても興味を持っていたんです」
マクシミリアン王子経由で、名前からバレてたんだ。
うーん、やっぱり色々甘かったのかな?
「ユージーンとはユージェニーの男性名ですし、ユージェニー様は金髪碧眼の長身の美女だと聞いていましたから、ユーエン様があなたをお連れになった時に、ピンときちゃいました!」
王女はまるで、どこかの名探偵が謎を解明する時のように自信満々で話した。
そんなことなら、私はこんなに気を使わなくても良かったのか!
はぁーっと、長い溜め息をついた私にアレックスが明るく言う。
「良かったじゃん。これで心置きなく結婚出来るね!!」
どうやら私の正体がバレていることに気付いていなかったのは、私だけのようだった。
いつもありがとうございます!
今回ちょっと話が長めになってしまいました。
主人公はつまりちょっとアホな子です。
お姫様はライバルでなくいわゆる支援キャラになります。
ユーエン編、もう少し続きます!
次回はもっとイチャイチャ回予定です。




