08 思いも寄らない再会と、最悪な出会い
授業が終わると、僕は瞬く間に女子生徒に囲まれて、質問責めにあった。ほとんど男の僕のことに関してだけど。
なんとか理由を付けて逃げ出すと、彼女達はいつまでも僕の噂をしていた。
さすがは、ゲーム中の攻略対象キャラといったところか。
自分が女生徒に人気があった設定のキャラなのを、つくづく痛感する。
僕は在学中、よく一人きりになれる場所を確保していた。
女子生徒からの突撃を避けて、一人で落ち着ける場所だ。
それは体育館横の備品倉庫室だった。
ここは実はあまり使われていない上、鍵が壊れていて、僕はよくここに隠れて、女子生徒の追撃をかわしていた。
もちろん中に入ったら、別の鍵をかけられるので、誰かに入って来られる心配もなかった。まさに理想的な隠れ場所。
まだ鍵は壊れたままだろうか。
ドアノブに手を掛けると、いとも簡単に開いた。
ほっとして部屋の中に入り、内鍵を閉めた。
今日はとりあえず、部屋の確認に訪れただけだったのだが。
しかし次の瞬間、僕はあまりの光景に動きが固まってしまう。
眼前の戸棚にもたれて眠る、女子生徒の姿に息を飲む。
肩先まで伸ばした、さらさらのオレンジがかった赤い髪、白い肌。
「ヴィヴィアン!?」
幼馴染であり、そして僕が唯一、まだ男だった時に付き合った相手。些細な喧嘩が原因で別れてしまったが。
まさかここに、彼女がいるなんて。
僕の気配に、彼女が目を覚ます。
変わらない水色の双眸に、僕は思わず身構えた。
気付かれてしまう? どうすればいい?
「うーん、誰かいるの?」
寝ぼけ眼で、彼女は僕の姿を確認した。
そして、僕の顔を凝視した。
「え、ジーン? ユージーンなの?」
「そうだよ、ヴィヴィ」
僕は思いも寄らない形で、元カノと再会してしまった。
「その姿は!? 一体どういうことなの?」
彼女は僕が生死を彷徨う事故に遭ったことは知っているが、さすがに性別が変わってしまったことまでは知らない。
彼女は僕の姿に驚愕を隠せないようだった。
「……女装趣味があったの?」
「違う!」
僕はすぐさま否定する。
「事故のあと、なぜか性別が変わってしまったんだよ」
「何ですって!?」
彼女が状況を理解するのに、かなり時間がかかった。
そして、僕を上から下まで舐め回すように眺めると、
「触ってみてもいいかしら?」
彼女は迷わず僕の股間を、ちょ、ちょっと!!
僕はさすがに彼女の手首を抑えて言った。
「べ、別にわざわざそこを触らなくてもいいだろ!?」
「そういえば、そうよね」
彼女は改めて、僕の胸を触った。
非常に微妙な顔をされた。
「ほら、やっぱりないじゃない!」
「………」
そりゃ、ないよ! どうせ貧乳ですよ。男の時と大差ないよ。
「でも、声が変わったわ。あなたの声、好きだったのに」
それはどうしようもなかった。声は元の声には似ているけど、やはり男の声と女の声は違うものだ。
「なぜここに?」
「何って、お昼休みになったから、少しここで仮眠してただけ」
昼休みはとっくに終わっていた。
僕は昼休みはニコラス様と一緒だったので、さすがに女子生徒の追撃を逃れられたが、今の時間は次の授業までのわずかな休み時間である。ただ、僕はこの場所を今後も使えるか確認に訪れただけだった。
まさかヴィヴィがいるとは思わなかったけど。
彼女は僕の在学中、もっぱら女子生徒からイジメを受けていた。本人はあまり気にしてはいなかったが、そのイジメの原因が僕なので、申し訳なく思っていた。
結局、別れた理由の一番の原因はそれだった。僕が彼女から逃げたのだ。
卑怯だと罵られて、彼女を傷付けた。
彼女は僕の追っかけから、随分な言われようだった。精神的なイジメ以外もあったようで、彼女がここで隠れて泣いていたのを知っている。
守ってあげられなかった。僕が情けなかったばっかりに。
彼女一人守れなくて、何が聖騎士だ。
だが、僕が原因で彼女をこれ以上泣かせたくなかった。
あの時は、それしか頭になかったのだ。
彼女を僕から解放することしか。
「ねえ、まさか編入してきた聖乙女って、あなたのことなの?」
「そうだ」
ヴィヴィは声を立てて笑った。
「聖騎士になったと思ったら、今度は女になって聖乙女? 私を捨てたバチが当たったのよ!」
「ヴィヴィ……」
「ねえ、ジーン、私は全然平気だったの。どんなにイジメられようが、あなたが隣にいてくれただけで頑張れたの」
今なら分かる。僕はあの時の選択を間違えたのだ。
男として、彼女の隣にいて守るべきだったのだ。
今のこの姿は、彼女を傷付けた罰なのかもしれない。
「すまない」
ヴィヴィは立ち上がって、僕の隣を無言ですり抜けた。
そのまま、ドアを開けて部屋を出て行く。
部屋に一人取り残され、僕は自分の罪を全身で感じていた。
僕が部屋を出たところで、思わぬ人物に出くわす。
「ニコラス様!?」
「姿が見えないと思っていたら、こんなところに隠れていたのか?」
ニコラス様は、僕を探し回っていたのか。
「申し訳ありません」
「あまり心配させないでくれ。君に何かあったら、私の首が飛んでしまう」
笑顔でそう言う彼は、僕を責める調子などまるでない。
「さあ、そろそろ授業が始まる。教室へ戻りなさい」
ニコラス様に教室まで送られて、僕は残りの授業を受けた。
ヴィヴィのことを考えると、何も頭に入らなかった。
彼女は僕がユージーン本人だと、すかさず見破ったが、さすがに周りに吹聴したりしないことは分かっていた。彼女はそんな人間ではない。
ただ、女になってしまった僕が、これから否応なしに、夫となる男性を選ばなければならない。それが彼女の目にどう映るのか。
女になってしまった以上、ヴィヴィとどうこうすることはもう無理なのは分かっている。
僕は思ったより、彼女を引きずっているみたいだ。
「ユージェニー様」
いつのまにか終わりの鐘が響き、授業が終わったことを知る。
声を掛けられて、僕は顔を上げた。
そこに立っていたのは、青みがかった長い黒髪をハーフアップで結い上げた青い目の黒縁の眼鏡をかけた美少女だった。
なんとなくどこかで見たような?
「私はこのクラスの委員長のクラリッサ・アトウッドです。これから校内を案内致しますので、私に付いてきて下さい」
ニコリともしない仏頂面で、僕を見下ろしている。
彼女が不本意ながらも僕に声を掛けたのが丸わかりだった。
校内は知り尽くしているが、さすがにユージェニー・フォーサイスとしてはおとなしく従う他ないだろう。
他の女子生徒達は、遠巻きに僕達を眺めている。
「その、あなたはユージーン様とはいとこ? とても彼に似ているわ」
二人で廊下に移動しながら、彼女が話しかけてきた。
マクシミリアン王子の提案で、父方のはとことされた。
本当に親戚の家の娘として戸籍が用意されたから驚かされる。
「はとこです」
この答えに、クラリッサは何やら僕には聞こえない声で呟いた。
彼女は学校内を淡々と巡り、主要な施設や教室などを僕に案内して回った。最後に寄ったのは生徒会室だ。
「あなたは聖乙女ですので、一応生徒会長とも面識を持つべきかと」
この学院に籍を置く以上、知らない者はいない。
中等部入学時から、ずっと生徒会長を続けている特待生中の特待生。
生徒会室にいたのは、たった一人。
青みがかった柔らかそうな黒髪に、吸い込まれそうな深い青い双眸。
僕達に気付いて、彼は席を立つ。
「この学院の生徒会長、スターリング・アトウッドだ。君が聖乙女のユージェニーだね?」
柔らかな笑みを浮かべて、挨拶してきた。
アトウッド? スターリングの苗字までは失念していた。僕は隣の委員長を一瞥する。
「双子の兄です」
なるほど! そういえばスターリングには妹がいる設定だった。
でも、顔は似ているのに、雰囲気がまるで違う。
「ユージェニー・フォーサイスです」
スターリングとは学院在学中、もちろん面識があった。特に親しくはなかったが、お互い有名人だったので。
「本当に似てるな、ユージーンに。本人かと見間違うくらいだ」
「よく言われます」
スターリングは侯爵家の嫡男で、没落貴族のうちと違い、きちんとした名家の跡継ぎだ。穏やかで誰に対しても優しく、まさに聖人君子を地でいく彼は、この学院の顔であり、そして──ゲーム中のヒロインの攻略対象でもある。
「早速だけど、本題に入ろう。君の夫候補に僕が立候補しても構わないか?」
僕は思わず溜め息をついた。やっぱりそうきたか。
隣の委員長がぎょっとして僕を睨みつける。
「あなた、スターリングに求婚されたのよ? お分かり?」
「もちろん、分かっています。申し訳ありませんが、聖乙女という立場にまだ戸惑い、夫を選べと言われてもそう簡単にはいきません。気持ちも追いつかないのです。成り行きで、何人か候補を抱えてしまいましたが、これ以上はちょっと」
そうやんわり断ったのだけど、
「あくまで候補の一人で構わない。君の立場はよく理解しているつもりだ。本音を言うとね、僕にも意に染まない縁談が持ち上がってて、君には申し訳ないのだが、是非隠れ蓑にさせて欲しいんだ」
スターリングにも縁談話?
「君にも全く関係ない話ではないんだよ。相手はユージーンの元婚約者、アレックス公女だ」
「なんだって!?」
思わず前のめりになった僕に、スターリングは苦笑いで続けた。
「彼女に不満がある訳ではないんだが、僕の家は侯爵家だ。長男である僕は本来は跡継ぎなのだが、相手が大公家の一人娘となれば話は別だ。婿に入らなければならない」
「スターリングが婿に行くなら、私がしかるべき婿をとって侯爵家を継がなければなりませんの」
はあ、なんだかこの兄妹がいわんとしていることがだんだん分かってきた。
「私は心に決めた殿方がいます。彼以外との結婚は絶対に嫌なのです」
「その相手に婿に入ってもらえば良いのでは?」
クラリッサの表情が一瞬、曇った。
「ではあなた取り持ってくれるのですか?」
彼女は僕の目を食い入るように見つめた。
まさか、その相手とは。
「あなたのご親戚、ユージーン・フォーサイス。公女アレックス様と婚約破棄されたばかりの彼です」
やっぱりそうなのか。
「ユージーン様とアレックス公女の婚約破棄は、本人同士の話し合いとかではなく、王太子の一存で決められたとか。噂ではアレックス様に愛人がいたとか、足がお悪いからだとか、色々言われていますが真相は分かりません」
「スターリングを、そんな良くない噂のある公女と結婚させるのも嫌ですし、私だってどこかの名家の次男、三男を婿にもらうとなれば、どうせなら好いた方がいいに決まってます」
「クラリー、それは公女に失礼だ。僕が実家を継げれば、お前が婿を取る必要もない話なんだ」
要するに、兄は相手に不満はないが、わざわざ婿には行きたくない。妹は自分の婿取りなら僕がいいと。
「ユージーン様は、お家こそ貧、失礼、没落されてますが、元々フォーサイス家は前王朝に連なる家柄。家格だけなら決して低くはありません。そして彼は最年少の聖騎士です。だからこそ、公女の相手に選ばれたのでは? うちも侯爵家ですが、相手がユージーン様なら、父もきっと認めて下さいます」
僕は目眩がした。
「あなたもフォーサイス家の人間でしょう? 聖乙女まで輩出したとなれば、誰にも文句は言われません」
「クラリーは、ユージーンが好き過ぎて、少々暴走してしまっているが、概ね僕らの意図は伝わったと思う。君の夫候補にさえしてもらえば、アレックス公女との縁談もこれ以上は進まない筈なんだ。どうか頼む」
彼はそう言って、頭を下げた。
スターリングの夫候補の件はともかく、ユージーンとクラリッサの婚約は、さすがに後押し出来ないな。
僕との婚約を破棄されたアレックス。彼は男の筈なのに、相手がスターリングとは、何かが引っかかる。
大公はアレックスが男になってしまったのを、そもそも知っている筈なのに、なぜ相手にスターリングを?
アレックスの件も含めて、今ここでスターリングのことは無下には出来ない。
「分かりました。スターリング、あなたを私の夫候補に加えます。ただ──」
僕はクラリッサを見つめて、キッパリ言った。
「私があなたとユージーンとの仲を取り持つことは出来ません。申し訳ありません」
読んで下さっている方、いつもありがとうございます!
新たな人物が増えましたが、まだ全員出揃っていません。この先、色々な展開を用意してますので、気長に待って頂ければ嬉しいです。
明日も出来れば、お昼頃更新したいと思います。