56 兄の心、妹知らず 妹の心、兄知らず
屋外に出たところで、ニコラス様が追いかけてきた。
「ごめん、やっぱり気になって」
「いいえ、一人で話を聞くのもちょっと勇気が要ったので、来てくれて嬉しいです」
兄上と話すのがちょっと怖かった。
王太后様に私の夫候補だという話をせず、縁談話を断りもしてないのは、一体どういうつもりなのか。
まさかヴィヴィと本当に結婚するつもりなのだろうか?
確かに彼女のことを兄上はよく知っている。
全然知らない相手でないから、受け入れるつもりなのか?
でも彼女は、兄上がこの話を受けるとも思えないと言ってもいた。
「縁談のこと、そんなに気になる?」
ニコラス様に聞かれて、さっきからそのことばかり考えていることに気付かされてしまう。
こんなに兄上のことが気になるなんて。
「気にならないといったら、嘘ですね。めちゃくちゃ気になってます」
「それは兄君が君にとって特別だからかな?」
胸に手を当てて考える。
兄上のことは好きだ。たぶん普通の兄妹以上に。
母上が幼い頃に亡くなってしまったから、兄上がもっぱら母上代りだったし。
でも、異性として好きかと言われたら、よく分からなくなる。
ヴィヴィに対してもそうだ。彼女に対する罪悪感が未だに私を苛める。彼女のことを好きだったのは間違いなかったから。
自分の兄と、かつての恋人。その二人が結婚するかもなんてどんな罰ゲームかと。
たまらなくムカムカした。とにかく嫌でたまらなかった。
何なの? この気持ちは?
「特別というならそうかもしれません。ただ相手が相手なので余計に。何だかとてもムカつきます」
そう話しているうちに、貸切専用の露天風呂が見えてきた。
脇に建っているのは脱衣所の小屋だろうか。
その小屋の脇に、兄上が一人で立っていた。
「兄上」
兄上はすぐ私達に気付いて、こちらに駆け寄ってきた。
「どうした? こんなところまで」
「兄上、ヴィヴィとの縁談の話、どうしてすぐ話してくれなかったの?」
兄上は見るからに驚いた顔をして、ばつが悪そうに話し始めた。
「お前に要らない心配をかけたくなかったんだ。王太后様、直々の話だぞ? そう簡単に断れないだろう?」
「よりによって相手がヴィヴィだなんて」
私は兄上に詰め寄る。
「そもそも、どうして王太后様に、私の夫候補の話をしていないの? あと、いつもみたいにべったりしてこないし」
「それはなんか言いそびれてしまって……あと、何となくお前に後ろめたいのもあった。王太后様の手前、お前にあまりべったりするのも気が引けて」
いつもはベタベタしてる自覚があったんだ!
兄上は私の気勢にたじたじとなる。私は思わず溜め息をついた。
「お前の護衛はニコラスだし、今さら僕がしゃしゃり出るのもなんだし。王太后様の手前、お前との距離感がいまいち分からなくてな」
何だ、そんなことだったのか。
色々考えて損した。
「二人でいる時くらい、いつもの調子でいいじゃない?」
「アホか? ただえさえ旅行に来てて、羽目を外しそうなのに、お前と二人で部屋にいたら僕は理性を保つ自信がなくなる。いいのかそれでも?」
そ、それは困る!!
「まあ、誤解だった訳だね。態度に関しては」
ニコラス様が優しく微笑んだ。
私は頷いて、さらに兄上を問いただす。
「婚約の話はどうするの? まさか受けるつもり?」
「何が楽しくてお前の元カノと結婚せなならんのだ? もちろん断るよ。あの娘のことは正直に言うと大嫌いだ」
うわー、とうとうはっきり言った。本当に開き直った兄上は、優しくて穏やかだと思ってた人とは別人なんだな。
だからヴィヴィに小さい頃に嫌がらせしてたんだよね? そういえば、兄上はヴィヴィがいる時は絶対に一緒には遊んではくれなかった。
「あの娘はどうも鋭くてな。昔、面と向かって聞かれたことがある。あなたはジーンのことしか好きじゃないでしょ? と」
それを聞いて、私は思わず吹き出した。
「本当に!? ヴィヴィがそう言ったの?」
確かにそんなようなことを話してはいたけど、まさか本人に直接言ってただなんて!! まあ、彼女なら言いそうだ。
「あら、ジーンにニコラスじゃないの? マヌエルに何か用事だったの?」
王太后様!? 温泉から上がられたのか。
私達三人は深く礼をした。
兄上は、完璧なまでに儀礼的な微笑みを浮かべて、王太后様に尋ねた。
「王太后様、お湯加減はいかがでしたか?」
外面だけは本当にいいんだから。
「最高でした! 本当に来て良かったわ。あなた方も入るといいわ。あら、さすがに三人一緒はマズイかしらね」
王太后様はご機嫌で、上品に笑われた。
はい、さすがにまた混浴する勇気はないですね。もう懲り懲りです。
「私達はもう部屋に戻りますから、マヌエルは自由にして大丈夫よ、ご苦労様」
そう言って、王太后様はメイドを連れ立って帰ろうとなさった。その背中に向かって、兄上が声をかけた。
「恐れながら、縁談のお話はお断りさせて下さい」
王太后様はこちらを振り返り、少しだけ訝しげな面持ちをなされた。
「あら、どうして? とてもいい御縁かと思ったのに」
兄上は王太后様を見据えて、はっきり言った。
「それは、僕がジーンの夫候補の一人だからです」
その言葉に王太后様は大変驚かれたようで、すぐ言葉を発することが出来なさそうだった。
「妹を愛しています。彼女が望めば、すぐにでも結婚したいと思っています」
いやいや、兄上、まず本当は兄妹じゃないことを先に言わないと!!
「あなた達は兄妹じゃないの?」
「僕は両親を事故で亡くし、叔父夫婦に養子として引き取られました。ジーンは本当はいとこに当たります」
王太后様は、ここで何か思い出されたようだった。
「そういえばそうだったわね。エリスはご主人と一緒に事故に遭われて。……ああ、そういうことだったのね。本当にフォーサイス家の方は、似たような顔をしてるから、てっきり本当の兄妹かと」
「そういうことなら、無理強い出来ないわ。気付かずにごめんなさいね。それにしてもジーン、あなたはどうするつもり?」
私に話が振られた!!
ど、どうしよう。
「うちの孫達も、そこのニコラスも、そしてお兄さんまであなたと結婚したいだなんて。秋までもうあまり時間がないわよ? 誰にするかまだ決めかねているの?」
「はあ」
「私で良ければ相談に乗りますよ。いつでも部屋へいらっしゃい」
王太后様に相談? それって、逆にどうなんだろう?
いつもありがとうございます。
久々の更新になってしまいました!
なかなか執筆というか、修正する時間が取れず、更新ペースが遅くて申し訳ないです。
気長にお待ち下されば幸いです。
また次回もよろしくお願いします。




