05 しつこい王子と毒舌執事
翌日、見慣れない広いベッドで目覚めた僕は、ここが大公家であることに気付く。
そういえば、昨夜は風呂ですっ転んで、頭をぶつけて気絶してしまったんだっけ?
寝間着は着ているが、下着までは着けていなかった。
僕は思い出して、思わず赤面する。
ドアのノックが響いて、返事をするとメイドが入って来た。
「おはようございます。朝食のお時間です」
足の痛みは多少残るが、治療の甲斐もあって杖なしで歩けそうだった。
僕は、身支度を整えて、メイドに案内され階下に降りた。
食堂はものすごく広くて、映画やドラマとかでよく見る細長いテーブルの端にアレックスが一人で座って、お茶を飲んでいた。
「おはよう」
朝から彼はばっちりゴシック調の黒いドレスを着ていた。
昨夜の食事の際にも思ったことだが、こんなに広いテーブルに一人だけの食事、寂しくないのだろうか?
聞けば、彼の両親である大公夫妻は、病気療養の為に、南の地の別荘に行っているという。
ユーエンやメイドを始め、使用人達はたくさんいるのに。
彼らは決して、一緒に食事をとったりはしない。
「で、仕事に行くの? 午後から早退出来る?」
「うん」
昨日も結局午後はサボってしまった。あんまり休むと給料に響く。
「アレックスも来るの?」
「それが、今日は僕、都合が悪いんだよね。病院でリハビリなんだ」
リハビリ!? そうか頑張ってるって話してたもんな。
「代わりにユーエンに付いて行かせるよ」
「えっ?」
僕はちょっと気まずい。昨夜のことは、アレックスは知らないのだろうか? ユーエンの表情を盗み見るが、彼のポーカーフェイスからは何の表情も読み取れなかった。
後で本人に聞いた方が早そうだ。
僕はとりあえず簡単に食事を済ませて、職場である王城へ向かった。
馬車で送るというのを断って、徒歩で向かう。
大公家からは、歩いてもそんなにかからない。
足の具合も確かめたかったので、ちょうど良い距離だった。
騎士団の詰所に着くと、同僚達が前のめりになって、僕に寄ってたかって質問を浴びせた。
「おい、お前に妹がいるんだって?」
「聞いてなかったぞ、紹介しろ!」
皆、言い分はさまざまだが、結局のところ、僕の妹という存在が確かかどうかだった。一体この話はどこから漏れたんだ!?
昨日、マクシミリアン王子と話した時しか覚えがない。
彼が無駄にべらべら喋るとは、到底思えなかった。
「おい、下の殿下が見えたぞ」
「ユージーン、またまた殿下がお呼びだ!」
またか。僕はげんなりする。
こんな朝早くからご苦労なことで。
詰所を出たところで、マシュー殿下がなにやらご機嫌で待っていた。
「おはようございます。朝から暇ですね」
「君に会う為なら、時間などいくらでも作る」
朝からこの歯の浮いたようなセリフを、どこから吐くんだろう?
僕は、王子の顔をまじまじと見つめた。
「まさか、噂の出所はあなたでしょうか?」
「美しい君の妹が、私に会いに来てくれるのなら、嬉しいことこの上ないんだがね」
マクシミリアン王子から、話が漏れたのか。
噂を広げたのはコイツだろうが。
「兄上から、君の妹と一度会ってみると話を聞いた。彼女の気持ち次第では、結婚を認めてくれるかもしれない、と」
うちは王家に嫁ぐには、身分不相応だ。大公家でも本当は釣り合わないのに。そう簡単にはいかないだろう。
「それより、君は大公家に移ったとか? まさかあのアレックスと結婚する気じゃないだろうね?」
「彼とは協力関係です。結婚はまた別の話で」
アレックスにも結婚して欲しいと言われたことは黙ってよう。
「ジーン、私は本気だ。兄上にも、君のことを話した」
マシュー王子はいつになく真剣な表情だ。
「どうしたら、結婚をオーケーしてもらえる?」
「うーん、結婚どうこうより色々無理です」
正直王子がどうこう言うより、僕の方に問題があるのかもしれなかった。いくら前世、女だったとはいえ、この世界で男として生きた十八年という月日。未だに自分が女になってしまったことにもピンと来ない。
それに、全然仲良くなってもいないのに、そんなにグイグイ来たら、相手が不快に思うのは当たり前だ。
彼はキョトンとして、目をしばたたかせた。
「色々無理? どこが、一体ダメなんだ?」
そりゃあ、ガールフレンドがたくさんいる王子様には、きっと僕の気持ちなんか分かるはずがない。
「まあ、せいぜい頑張って下さい」
僕はそのまま踵を返して、詰所へ帰ろうとした。
その僕の腕を、彼は咄嗟に掴んだ。
「!!」
そのまま引き寄せられて、抱き締められた。
ちょっ!? 誰かに見られたら、どうする!?
はたから見たら完全にBLの世界である。
「マシュー殿下!? ちょっと離して下さい!!」
「嫌だと言ったら?」
くそ、完全にからかわれてる。
彼の力が思いのほか強くて、振り切れない。
腰をがっちり引き寄せられて、腕も掴まれているので身動きが取れない。
悔しいけど、力ではやっぱり敵わない。
僕はやっぱり女なんだ。
強引なのが好きな女の子もいるかもしれないが、僕はそんなのに屈したりしない。
目の前の彼の双眸が、何とも切ない色を浮かべて、僕を見つめていた。その表情はヤバイ!
雨の中、捨てられた子犬が震えながら潤んだ瞳で見つめてきたら、僕は速攻で拾って帰るタイプだから。
お願いだから、やめてくれ!!
「ユージーン様!」
突然かけられた声に、束縛が一瞬緩んだ。
僕はチャンスとばかりに体を離した。
振り返ると、でかい弁当箱を抱えたユーエンが立っていた。
「不粋な」
マシュー王子がボソッと呟く。
「大人げありませんよ、殿下」
僕はすかさずユーエンに駆け寄った。彼は僕をさっと背後に庇った。
なんとなくだけど、二人の視線がぶつかり合うイメージを見た。
なんだ? この雰囲気は。
「ユージーン様は、アレックス様の婚約者です。それをお忘れなきよう」
「執事風情が、私に意見するな」
このままだと、一触即発だ。
「行こう、ユーエン。殿下、僕達はこれで失礼します」
僕はユーエンを引っ張って、その場を立ち去った。
人気のないところへ、彼を連れ込み、はっきり言った。
「マシュー殿下に刃向かうなんて、なんてことを」
ユーエンはいたって涼しい顔だ。
「彼は、少々目に余ります。あのままだと、あなたの貞操の危機でした」
そこまで!? はたから見たらそんなだった?
「私はアレックス様より、あなたを守るように仰せつかっております。その命令が何より優先されるのです」
「気持ちは嬉しいけどさ、僕は一応騎士団勤めのしがない公務員なんだよ。王子様方は、上司も上司、絶対に機嫌を損ねてはいけない相手なんだよ」
彼はまっすぐ僕の目を見つめて、はっきり言った。
「そんなことはどうでもよろしい」
ええっ!?
「あなたはゆくゆくは大公になるお方。いっそ、騎士団など辞められたらいかがですか?」
辞めたらって言われるなんて。アレックスでもそこまで言わないのに。
ユーエンてこういうキャラなのか? 意外と毒舌キャラ?
そもそも彼はこの国の出身じゃなさそうだ。
どう見ても東洋人の血が混じってる。いったいどういう経緯で大公家の執事になったのか?
「私は一旦、屋敷へ戻ります。午後にお迎えに参りますので」
「あ、うん、分かった」
彼は持っていた弁当箱を押し付けてきた。
「お昼にでも召し上がって下さい」
そう言うと、彼はさっさと帰ってしまった。
僕はそこでふと思い出す。
朝、アレックスは料理なんかしてる様子は全くなかった。これを作ったのは、誰だ? まさかユーエン本人が?
まあ、どうせアレックスの指示なんだろうけど、まさかユーエンがこんなに料理がうまいだなんて、ものすごく意外だった。