03 悪役令嬢がアレだった話
マシュー王子には、僕が女であることを口外しない代わりに定期的なデートの約束をさせられた。
もう完全に狙われてしまっている。
おかしいなぁ。ヒロインではなくまさか僕にフラグが立つなんて。
詰所で仕事の報告書をまとめながら、僕はぼーっと考える。
「どうした? 昨日は王子にいじめられたか?」
「いいや」
むしろその逆なのだろう。結婚を申し込まれるなんて。
同僚達は、僕の苦労なんて知りもしない。
わりかしいい所の貴族の坊ちゃんばかりだし。
「おい、また弁当が来たぞ!」
同僚の一人が、豪勢な弁当箱を抱えて持ってきた。
アレックス公女特製弁当だ。
これから毎日持ってくるんだろうか? あれだけ作るのは大変だろうに。
弁当箱の包みを開けると、今日は手紙も入っていた。
『同居のお返事を、お待ち申しております』
「同居!? それもう結婚と変わらなくね?」
「大公家だからな、早く後継ぎが欲しいんだろう。公女様は確か今年で十六、お前の二つ下か」
そういえば、アレックス公女は年下だったな。
「つくづく、イケメンは特だよなぁ。お前の家は田舎の貧乏貴族なのに、公女様に見初められるんだもんな」
さらに王子にも結婚迫られてるけどね。
それにしても、弁当のおかずの手が込んでいること。
あの足の不自由な公女様が、朝から早起きして作っている姿を想像すると、何とも健気だ。
公女様の為にも、僕が女であることを早く告白した方が良い気もしてきた。破滅ルートを辿りそうだが。
「おい、殿下がおいでだぞ」
外の見張りが、詰所の中に駆け込んできた。
え、殿下?
「下の殿下だ。おい、ユージーンご指名だ」
周りがまたざわついた。昨日に続いて今日も?
「お前、何かやらかしたのか?」
「うーん」
やらかしたと言われれば、そうなのかもしれなかった。
仕方なく、僕は詰所を出て行く。
外で待っていたマシュー王子が、僕の顔を見るなり破顔した。
「ジーン!!」
これには外での見張りがみんなこちらを一斉に見た。
視線を集めていたたまれない僕は、王子の手を引いて、素早くその場を離れた。
「愛称で呼ばないで下さい。皆に怪しまれます」
「なにも、やましいことなどない。私は君に正式に結婚を申し込んでいるのだから」
あれ、正式だったの?
「でも、表向きは男なんです。妙な噂が立ったら、殿下の方がお困りになるのでは?」
「それはある意味願ったりなのかもしれない。懇意にしていた女性全てに、今後の付き合いを全て断ってきた。私にはもう、君一人だけだ」
一途状態がもう発動しとるやん。早くね?
僕は開いた口が塞がらない。
ヒロインはどこだろう、早く助けてくれ。
「さて、今日はどこへ行こう?」
「どこへって、僕は仕事中なんですが?」
王子はちょっと笑った。
「私の護衛をするのが、君の仕事だ」
それ職権濫用ですよね? しかも、あなた僕より本当は強いでしょ?
「その姿もいいが、やはり女性の姿がいい」
そう言って、王子は僕を庭園にある離れの屋敷まで連れて行った。
「ここは、私の隠れ家みたいな場所」
知ってますよ、ここはヒロインとよく逢い引きしてた場所ですから。一途が発動してからしか、来れない特別な場所。
僕が彼を攻略する気はゼロなんだけど、こうも向こうからグイグイ来られると、無下にも出来ないし。
「着替えを用意してあるから、着替えて来てくれ」
彼に指示されて、別室に用意してあったドレスに着替える。
ご丁寧にカツラまで用意してあった。
僕が部屋に戻ると、王子は大層満足げだった。
「やっぱり、その姿は美しいな。おいで、化粧をしてあげよう」
彼は化粧道具を取り出して、僕の顔に化粧を施し始めた。
基本器用で、何でもこなせるらしい。
化粧まで出来るなんて。
「亡くなった母上に化粧をこうしてよくしてたんだ。病で顔色が悪かったから、少しでも血色良く見せたくて」
そんな設定あったんだ。さすがにそこまでは知らなかった。
口紅を長い指で唇になぞるように付けて、彼は言った。
「好きだ」
そのまま彼の顔がどんどん近付いてきて、キスされてしまった。僕は抵抗も出来ずに固まったまま。
「早く、結婚したい。うんと言ってくれないか?」
「いや、やっぱ、ちょっと待って!!」
僕はいっぱいいっぱいで、とにかくここから逃げ出したかった。確かに一途が発動した彼は、そんなに嫌いではないが、そもそも僕は玉の輿に乗りたい訳でもない。
それに女になってしまったからと言って、男の人を好きになれるかと言われても疑問が残る。なんせ十八年間、ただひたすらに男をやってきたのだ。いくら前世が女でも、恋愛経験がそもそもなかったし。
「少し、考えさせて下さい。一人にさせて」
僕は、追いすがる彼を振り切って、屋敷を後にした。
そのまま庭園を突っ切って走る。
胸がドキドキした。生身の迫力はやっぱりすごい。
やっぱり声がやばいのかなぁ。元々僕は声フェチなのかもしれない。
ヒールのある靴で走っていたので、慣れない僕は思わず転んでしまった。
「痛っ」
どうやら足を捻ってしまったようだ。
ズキンと、鈍い足の痛みで立ち上がれない。
「大丈夫ですか?」
そんな僕に背後から掛けられた声。聞き覚えのある声に、僕は思わず振り返る。
それは公女様の執事、ユーエンだった。
弁当を届けてくれてたのは、この人だったんた。ここにいるってことはたぶん、その帰りなのだろう。
動けない返事も出来ない僕に、彼は近寄ってきて足の具合を見た。
「これでは、歩けそうにありませんね」
そのまま僕を抱き上げた。お姫様抱っこだ。
「わっ!!」
思わず出てしまった声に、彼は少し怪訝そうにした。
「家まで送ります」
そう言って彼は僕を抱いたまま城内から出て、用意してあった馬車に乗り込んだ。大公家の紋の入った豪華な馬車だ。
僕は一言も声を発してはいないのだけれど、この姿の僕がどこの誰か分かりもしないのに、家なんか分かるのだろうか?
だが、それは愚問だと気付いた。
到着したのは、大公家の屋敷だったから。
彼は馬車を先に降りて、僕をそのまま再びお姫様だっこする形で屋敷の中へと向かった。
メイド達がずらりと並び、僕達が通ると皆頭を下げた。
彼は僕を抱いたままなんの迷いもなく、二階の一室まで運び込んだ。
「ただいま戻りました」
部屋の中央の長椅子に寝そべる美少女は、公女アレックスだ。
彼女は僕の姿を認めると、長椅子から飛び起きた。
「ジーン!?」
ば、バレてる!? なんで?
ユーエンは、僕をアレックスの隣に座らせた。
「足を痛めたようで」
「すぐ、治療の用意を」
すぐさまユーエンが部屋を出て行き、アレックスと二人になった。
「来てくれて嬉しい。ずっと待ってたんだ」
いや、連れてこられただけなんだけど?
僕はここで、妙な違和感が拭えない。
「君は、今日からここで僕と暮らすんだ」
「は?」
僕? 僕? 僕って今、言った?
「そんな姿で来られたら、たまらない。完全に度肝を抜かれたよ」
そのままアレックスは、僕の頬にチュッと軽く口づけした。僕はただ意味も分からず、ポカーンとされるがまま。
「アレックス公女?」
「公女じゃないよ、僕は男だ」
な、なんですって!?
僕は天地がひっくり返るのは、まさにこのことだと、痛いほど理解した。
「全て話すよ」
アレックス、彼は僕と同じように、生まれた時は確かに女の子だった。ある日、不幸にも馬車に乗っているときに事故が起き、その時に大怪我をして、生死を彷徨ったそうな。
その時に、一気に前世を思い出し、この世界が乙女ゲームの世界で自分が悪役令嬢になってしまっていることに気付いたらしい。その途端、前世の性別に変わってしまっていたという、まさに僕と全く同じ状態だったのだ。前世は姉のゲームをたまに借りて楽しむ、健全な男子高校生だったらしい。
「でも、どうして僕が女だと気付いたの?」
「君が、列車事故に巻き込まれた時、たまたま近くに居合わせたんだ。僕が、君を瓦礫の下にいるのを見つけたんだ」
見知らぬ人の助けで、命が助かったと聞いたけど、まさかアレックスのお陰だったなんて。
「実際、助け出したのはユーエンだけどね。その時に、君が女性だと気付いた。応急処置の一環でね」
「僕のことを知ってたの?」
「だって、僕もこのゲームのプレイヤーだったから。君が攻略対象キャラのユージーンだとすぐ分かったよ」
そりゃそうだ。基本ゲームの登場人物は皆、顔が同じだから。
プレイヤーなら、一目瞭然だ。たとえ性別が変わっていても。
「ジーン、お互いの事情は複雑だ。僕達は協力出来ないかな?」
「僕は、大公の一人娘として生まれた。それが突然性別が逆になってしまったなんて、とんだ醜聞もいいところだ。だが、同じ条件の君なら、表向き結婚しても、実際の夫婦にもなれるし、うってつけの相手にならないか?」
確かに。
「屋敷内では、女性の姿でも、男性の姿でも構わないよ。ここのメイド達は皆、口が固い。僕と結婚して、大公になってくれないか?」
破滅エンドは思わず回避出来たけど、これもまた、難しい話だ。
「実は、マシュー王子に女だとバレてしまって、結婚を申し込まれてる」
「なんだって?」
アレックスは下唇を噛み締めた。
「マシューは、僕が男だと知ってるんだ。だから、結婚相手に君を選んだのを、不審に思われたんだな」
「なぜ、マシュー王子に、男だとバレたの?」
「マシューは目ざといんだ。僕達はいとこ同士だから、子供の頃からよく遊んだのだけど、事故の前後で僕が変わったのを、彼は見逃さなかった。すぐ男だとバレてしまったよ」
そうだったんだ。
「でも、ヒロインでなくて、君に結婚を申し込むだなんて。よほど君が気に入ってしまったんだね」
「そういえば、ヒロインを未だに見ないのだけど、どうなってるのか知ってる?」
アレックスは、これにはやや間を置いて答えた。
「ひょっとしたらだけど、存在しないのかも」
存在しない?
「ゲームだと、僕達が婚約したと同時くらいにヒロインが君に横恋慕して、親密度が上がる度に発生するイベントで、僕がさまざまな嫌がらせをヒロインにしていく訳だけど」
これ、ヒロインも結構酷いことしてるよね。
だって完全に略奪だし。
「僕も注意深く、ヒロインらしき存在を探してはみたものの、現時点で確認出来てない。ゲームでは、ヒロインの名前はデフォルトで設定がなくて、人それぞれだから付けてしまうから、アテに出来ない」
アレックスは身を乗り出して、僕にはっきり告げた。
「マシューが君に惚れた段階で確信した。おそらくこのゲームのヒロインは存在せず、その役割がそのまま君に重なってるんじゃないかって」
「僕がヒロインなの? 攻略対象キャラでなくて?」
アレックスは頷いた。
そこでユーエンが戻ってきて、僕達はなんとなくお互い黙り込んだ。
僕の痛めた足を、彼は黙々と手当してくれる。
「応急処置は済ませました」
「ありがとう、下がっていいよ」
ユーエンはお辞儀して部屋を出て行き、僕達は再び二人きりになった。
「ところで、君はこのゲームをどのバージョンまでプレイした?」
「バージョン?」
首を傾げた僕に、アレックスは淡々と説明を重ねた。
「最初が無印でしょ? リメイク版にさらに追加要素の付いた特別版」
なにそれ、僕はそんなの分からない。
僕は首を横に振った。
「最初の無印しかやってないと思う。その後で死んでしまったから」
「ふーむ」
彼は目閉じて、少し考え込んだ。
「じゃあ、攻略対象キャラが増えてるのも知らないんだね?」
「増えてるの?」
誰だろう? 僕が知ってる攻略対象は、僕ことユージーンと、マシュー王子、そしてその兄のマクシミリアン王子、僕の直属の上司にあたる、聖騎士団長ニコラスと、図書館の司書ラファエル、ヒロインが通う学校の生徒会長のスターリングくらい?
「追加ディスク版で隠しキャラが増えてる」
「それは誰?」
アレックスは周囲をちょっと窺って、小声で呟いた。
「ユーエンだよ」
「!!」
ユーエンて攻略対象キャラだったの? 知らなかった。確かにすごいイケメンだもんな。
「まさか、ユーエンのこと、ちょっといいなって思ってない?」
僕は首を横に振った。
「まさか、そんなに彼のこと知らないし」
「ユーエンの他にもう一人追加キャラがいるけど、さすがにそっちは平気だろう。気にしなくていいや」
気にしなくていいって、一体誰なんだ?
「これは僕の憶測なんだけど、ひょっとすると、攻略対象キャラは今後、全員君に絡んでくるかもしれない。しかも、みんな君に好意を非常に持ちやすい」
これには、僕は乾いた笑いを浮かべる。
「ははは、まさか」
だが、このアレックスの憶測が、全て事実に変わるなんて、この時の僕は思ってもみなかった。