25 媚薬はとても甘い
「間に合ったか!?」
ワンピースの開いた胸元を見て、兄上は一瞬顔色を変えた。
「お、お兄さん!?」
兄上に気付き、真っ青になったスターリングはすかさず、私のはだけた胸元をさっと直した。
兄上は部屋に入るなり、スターリングを一瞥したものの、何も言わないで私を抱き起こした。
「無事か? 何かされたか?」
私は思わず首を横に振る。
兄上は、構わず私を横抱きに抱え上げた。
「……兄上?」
「何も言うな。このまま帰るぞ」
兄上はそのまま私を外まで運び、繋いであった馬に乗せた。
懐に私をしっかり抱え込んで、そのまま馬を走らせた。
風が火照った体に気持ち良く、私は兄上の胸にただ体を預けていた。
王城の自室に連れ帰られると、兄上はそのまま私をバスルームへと連れて行き、服のまま頭から冷水のシャワーを浴びせた。
「ひゃあああああああっ!!!! 」
あまりの冷たさに、私は大声を張り上げた。
「いきなり何すんの!?」
「でも、体の火照りは多少治まっただろう?」
そういえば、あれだけ熱くて仕方がなかったのに。
火照り? なぜ兄上が知っている?
「薬を盛られたんだ。あの手作りケーキにな」
「ええっ!?」
そういえば、兄上もアレックスに食べさせられたんだっけ?
「一口しか食わなかったから、効果が出るのが遅かった。おそらく、ちょっとした媚薬だな」
「ちょっと待って、兄上、一体どういうことですか?」
兄上は私の着替えを持って来てくれた。
「とにかく、そのまま風呂に入って頭を冷やせ。話は後だ」
そう言ってバスルームを出て行ってしまった。
一人残されて、改めてシャワーを浴びながら、状況を簡単に整理した。
手作りケーキには媚薬が入ってた。
どう考えてもクラリッサの仕業だ。大量の子供のおもちゃや、ぬいぐるみを送り付け、孤児院へと誘導し、スターリングと再会させた。そして密室に二人で閉じ込められた。そこで私に媚薬の効果が遅ればせながら現れて、その後は──。
どう考えても、出来過ぎだ。
私は着替えを済ませて、部屋に戻った。
兄上が、ソファに腰を下ろして私を待っていた。
「落ち着いたか?」
「兄上、これはひょっとして全部仕組まれたことだったの?」
「全部とまでは言い切れないが、仕組まれたことには間違いないな」
兄上は組んだ両手を顔の前で合わせるようにして、溜め息と共に吐き出すように言った。
「とにかく、お前が無事で良かった」
その兄上の言葉は、本当に私を心配しているのが痛いほど分かった。
「ごめんなさい。勝手なことをして」
授業をすっぽかして、孤児院なんて行ったから。
「本当に、何もされてないんだな?」
兄上は、私をまっすぐに見据えて、もう一度確認してきた。
うーん、本当はキスだけはされたんだよな。
これは言うべきなんたろうか?
「正直に言え」
私の答えるべきか悩む表情で、兄上に勘付かれてしまった。
「キスだけ」
兄上の長い溜め息。
このままだと、私は兄上の溜め息恐怖症になりそうだ。
「こっちへ来い」
私は兄上の前におずおずと進み出た。
「いいか? お前はあいつを無害な奴だと思っていたようだが、それは違う」
兄上は、抜けるような青い双眸で私を見つめながら、
「男はみんな狼だ。状況や場合によるが、そう思っておけ」
うーん、そうなのかな?
「兄上も?」
兄上はまさか自分に振られるとは思ってなかったみたいだ。
一瞬、言葉に詰まる。でも、目を伏せて答えた。
「……そうだ」
兄上も、狼になるなんて。まるで想像が付かないなぁ。
「お前はとにかく無防備過ぎる。隙があるから、付け入れられるんだ。もっと女として自覚を持て。僕は心労で早死にしそうだ」
「私を置いて、死んじゃダメだよ」
兄上は顔を上げて、私を切なそうに見つめた。
「僕が死んだら、ショックか?」
「当たり前だ! 兄上が死んだら、私もショックで死んじゃうかも」
その途端、兄上は私の手を引いて、自分の膝の上に座らせた。
ちょっ、もう子供じゃないんだけど?
こんな風に兄上の膝に乗るのは、子供の時以来だな。
よくこんな風に膝に乗せて、本を読んでくれたっけ?
「兄上?」
兄上の金色の髪はまだ少し湿っている。私と同じように冷水のシャワーを浴びたせいだろう。
「ちゃんと乾かさないと、風邪をひいたら大変だ」
「一体何人にキスされたんだ?」
兄上の長い指が、私の唇をなぞった。
何だか背筋がゾクゾクした。
「僕にもしてくれ」
私を見つめる目が、いつになく真剣だ。
いつもの綺麗な青い目が、熱を帯びて少し潤んでいる。
兄上が、兄上でないような、何だか不思議な気分。
ひょっとすると、まだ媚薬の効果が抜けてないのかもしれない。
子供の頃に何度もキスなんかしたことはある。
母上が幼い頃に亡くなってしまったので、兄上が母上の代わりにいつもおやすみのキスをしてくれていた。
でも、あれはおでこにだしな。
「一回だけだからね」
私は兄上の額に軽くチュッとキスした。
「そこじゃない」
ムッとした兄上は、口を尖らせた。
やっぱり、ちゃんとしないとダメか。
今さらどうだと言うのだろう? 兄上とは子供の頃にふざけあって何度もキスしてるじゃないか。
「目、瞑って」
私は意を決して、兄上の唇に軽くキスをした。
「軽すぎる」
ダメ出しされてしまったので、もう一度した。
今度は少し長く。
「ダメダメ」
うーん、どうしたら兄上は納得するの?
私はもう意地になって、兄上の頬を引き寄せて何度もキスをした。
「下手くそ」
兄上は意地悪そうな笑みを浮かべた。
ぐっと腰を引き寄せられて、キスされた。
唇をずらしながら、軽く吸うように。
甘くて優しいキスってこんな感じなのかな?
兄上は唇を外すと、頬にキスして、瞼にキスして、最後に額にキスをした。
「今日はここまで勘弁してやる」
兄上はちょっと笑って、私に膝から降りるようにポンポンと叩いて指示した。
「兄上?」
「これ以上は理性が吹っ飛びそうだ。もう一度シャワーに行ってくる」
兄上は逃げるようにバスルームへ向かった。
体がほんのりとまだ熱を持つ。
あれ? 私は今、兄上とキスしてたんだよな?
やたらと実感して赤面する。なんだか胸がドキドキした。
あれは家族のキスの範疇を超えている。恋人で交わすキスだ。キスがあんなに甘いなんて思わなかった。
兄上を異性として意識するなんて、私の中ではあり得ないことだ。
そうだ、これはきっと媚薬のせいなんだ!!
──そういうことにしておこう。
そういえば、あのまま孤児院を出てきてしまったけれど、大丈夫だったのだろうか?
アレックス達も置いてきてしまったし。
あ! あの子もケーキを口にしたのでは!?
しばらくしてバスルームから出てきた兄上に、私は詰め寄った。
「兄上! アレックスもあのケーキを食べてた! どうしよう!!」
兄上は、何でもないような顔をして、
「落ち着け。アレックスなら大丈夫だ」
「えっ!?」
兄上はソファに再び腰を下ろして、一息ついた。
「今頃は病院で、対処されてるはずだ」
「病院!?」
兄上は頷いて、コップに水を注いで一口飲んだ。
「お前達が出掛けた後、すぐ僕の体に異変が起きた。症状からして媚薬の類だと思ったから、すぐ孤児院に連絡を入れたんだ」
「手作りケーキのせいだと?」
「それしかないからな。そうしたら、お前とスターリングがいなくなったと、ちょっとした騒ぎになってた。とりあえず、アレックスの体調が心配だったから、すぐユーエンに病院に連れて行くように言ったんだ。お前を放って行くのは、忍びないと奴は渋っていたがな」
そうだったんだ。それで、兄上自ら探しに来た訳だったんだ。
「お前達を閉じ込めた子供達が嘘をついて、みんなそれに振り回されていたんだ。なんのことはない、お前達は頼まれた言いつけ通り、食料庫に閉じ込められてただけなんだがな」
「さすが兄上!」
「ことはそう簡単じゃないぞ? これを仕組んだのは、クラリッサだからな」
そうだった!
「ケーキに媚薬を仕込んで、大量の子供のおもちゃとぬいぐるみを送りつけ、孤児院に誘導し、スターリングと会わせるまでは、あの娘の筋書き通りなんだろう。だが、どうもことがうまく行き過ぎな気がして」
兄上は眉根を寄せて、少し考え込んだ。
「おそらく、院長もグルだ。そして子供達も」
「ええっ!?」
そんなことって、まさか? あんな優しそうな先生が?
「大方、侯爵家から、寄付の話でもされたんだろう? あそこは一応王家の管轄だが、度重なる税制の圧迫の影響で、年々予算が減らされていると聞く」
「あの小娘が、いかにも使いそうな手段だな。スターリング本人はどうだった?」
「いや、彼は何も知らなそうだった」
兄上はふうんと頷いた。
「どっちにしろ、あの小娘はそう簡単には諦めないだろう。自分の兄貴とお前をくっつける為に、今後も何か仕掛けてくるに違いない。お前、本当に厄介な相手に惚れられたな」
兄上には、まだスターリング自身にも好意を持たれてることを言ってない。いや、とても言えそうになかった。
いつもありがとうございます。
ようやくお兄ちゃんのターンです。立場的に一番難しい人なので、本編ではあれくらいが限界です。
地道に書き続けて載せていきますので、これからもよろしくお願いします。




