10 招かれざる客
翌朝、兄上手製の朝食を食べた後、早速クラウスに連絡してみた。受話器を握る手が緊張で強張り、声が震える。
「もしもし、私はユージェニー・フォーサイスですけど?」
『あぁ、君か。意外と早かったね』
「昨日の話なんだけど、あなたの提案を受けようかと」
しばらく真を置いて、返事があった。
『俺と結婚すると?』
「それで禁書の複製をこちらに渡して貰える?」
『いやに素直だね。お兄さんの入れ知恵かな?』
「何とでも。それでどうすればいい?」
近くで兄上が息を潜めてクラウスとのやり取りを見守っている。これ以上心強いことはない。
『そうだね。今日の午後にでもそちらへ挨拶に伺うよ』
「分かった」
ガチャンと受話器を置いて、私は一息ついた。
心配そうに見つめる兄上に告げる。
「今日の午後にここに来るって」
「そうか」
兄上はしばらく中空を見つめると、すぐに私に向き直った。
そういえば、兄上はよくこうしてどこを見ているのか分からない時がある。
「とにかく一度そいつに会ってみないことには何とも」
クラウスはこのアトリエの住所を聞いてはこなかったので、おそらく知っているんだろう。私が聖乙女だということも、もちろん知っていたし……。
一体どこまで私達のことを……?
「それと今朝早くに殿下に禁書の件を確かめたが、やはり代々の国王のみしか基本閲覧は許されていないそうだ。ワイルダー家がどうやってその複製を得たかは謎だが、つまり現状は原本の入手は困難。複製があるのなら、そちらの入手を目指すべきだ」
まぁ、兄上には何か考えがあるんだろう。まさか私をみすみす他の人と結婚させる気なんかないだろうし。
午前中は兄上の仕事の帳簿の整理を手伝ってみたが、私にはチンプンカンプンだった。兄上は仕事を始めたら、基本真面目だ。
「兄上、お腹空いたんだけど?」
正午を過ぎたところで、私はお腹の虫が鳴き始めた。
相変わらず書類に追われている兄上に催促する。
「あぁ、もうそんな時間か」
兄上は眼鏡を外して立ち上がると、ごく当たり前のようにエプロンをしてキッチンに立った。もう食事は兄上が担当なんだよな……。
「簡単に作るよ」
兄上がそう言って作ったのはトマトソースのパスタだった。
サラダと野菜スープを添えて、本当にちゃちゃっと作ってしまった。
「兄上って本当に何者?」
同じようにして育ったのに、私は兄上のようにはいかない。私は子供の頃から聖騎士を目指していたから、剣術の稽古ばかりで。
「まぁ、さっさと食えよ。モタモタしてるうちに、奴が来てしまうぞ?」
そう言う兄上は食べ方も綺麗だ。行動全てがやっぱり何だかんだで洗練されている。口調こそぞんざいだけれど。
本当に兄上の悪いところって性格だけだよなぁ。
「何だ? 人の顔じっと見て」
「兄上、性格悪いのがもったいないなって」
「……………」
兄上は意味ありげにニヤッと笑う。
「この顔で性格まで良かったら、きっと僕は早死にするぞ?」
つまり、美人薄命とか何とやらか。それは私的には困る。
なら兄上にはせいぜいふてぶてしくしてもらい、長生きしてもらわないと。
食事の後片付けを済ませて、食後のお茶を嗜んでいるところで玄関のドアがノックされた。──ついに来た!?
私は恐る恐る玄関のドアを開けると、そこには羽根付きの黒い帽子を被ったクラウスが立っていた。
黒い装束に拘っているのか、デザインこそ違うものの、今日も黒い衣装だった。
「お招き預かり光栄至極」
「別に好きで呼んだ訳じゃない」
「これは手厳しい」
そして優雅な仕草で私の手を取り、そこにキスを落とそうとしたので、私は慌てて手を引っ込めた。
「………」
仕方なく室内へ招き入れると、兄上が厳しい視線をクラウスに向けていた。
「お前がワイルダー家の末裔か」
「……これはこれは。あなたが噂のマヌエル卿。フォーサイス家の次期伯爵にして、王都で今一番勢いのある商会の主」
王都で一番勢いのあるって……そんなことになってたの?
「一体どんな奴が、僕の大切なものを掠め取ろうとしているのか興味はあったが。……ふぅん」
兄上、完全に小舅の立ち位置になってない?
「ジーンと結婚して僕をどうにかすれば、うちの財産も手に出来るとも?」
「……まぁ、言うなればそうだ。回りくどいのも面倒だし、話が早くて助かる」
クラウスはすぐさま砕けた口調に転じ、ダイニングチェアの一脚に腰を下ろすと、挑戦的な目付きで兄上を見据えながら言う。
「お前を見て気が変わった。なぁ、俺と勝負をしないか?」
「勝負?」
「期間はそうだな、一週間。その一週間で彼女の心を奪えたら、俺の勝ち。彼女と結婚し、ゆくゆくはおたくの財産もそっくり貰い受ける」
私の心を? てか結局うちの財産目当てなのか……。それも何だかちょっと違う気がして、私は首を傾げた。
「ジーンの心を奪うのか。人の心はそんなに簡単に変わるもんじゃないぞ?」
「我がワイルダー家の家訓は、狙った獲物は絶対に逃すな、なんだ。それが人でも物でもね」
「では、期限内にお前がジーンの心を奪えなければ、お前が持っている禁書の複製は無条件でこちらに渡して貰えるのか?」
これにクラウスは、余裕のある笑みを浮かべて答える。
「それはもちろん」
この自信は何? たった一週間で、私が心変わりするとでも?
私の兄上への気持ちは絶対に揺るがない。
「必ず自分から俺と結婚すると言わせてみせる」
クラウスは私の目をじっと見つながら、はっきりとそう口にした。
私や兄上とは違う風合いの青い瞳。よく見ると、少し緑がかっている。その目が一瞬妖しく煌めいて、私は妙な胸騒ぎを覚えた。
「お前がどんな手を使うのか、ある意味楽しみでもある」
「ちょっ、兄上っ」
またそんな挑発するようなことを言うなんて。
クラウスも相当自信があるようだけれど、兄上だって負けてない。私の心がそう簡単に兄上から他に移る訳がないけど。
「それで一週間どうするんだ? まさか同居でもするのか?」
「ええっ!?」
さすがにここじゃ無理だよね? そもそも寝室は一つだけだし。
クラウスは部屋の中をぐるりと見回すと、私達に向き直って提案してきた。
「俺は別にここでも構わないが、まぁ少し三人での同居生活はいささか現実的ではないなぁ。……仕方ない俺の隠れ家に招待しよう」
「ほう、大泥棒の隠れ家とな。これはまた面白そうだなぁ」
そんなの敵の懐に飛び込むようなものじゃんか!!
表情を曇らせた私に兄上がそっと耳元で小さく囁いた。
「……大丈夫だから。何があっても僕を信じろ」
いつもありがとうございます!
なかなか執筆可能な状態でなく、かなり間が空いてしまいました。本当に申し訳ないです。
しかも久々に更新したつもりが反映されていませんでした。
こそっと更新しときます。
ぼちぼち書き始めたので、更新頻度は上がるかと思います。次回もよろしくお願い致します。




