06 月夜の中での一戦?
何となく気付かれたくなくて、私は建物の物陰に隠れて様子を窺った。月明かりの下、兄上は羽織っていた上着をおもむろに脱ぐと、手に持っていた剣を振り始めた。
剣の刃に月の明かりが反射して、白く輝く。兄上の一振りがまるで軌跡のように見える。
流れるような動作、それはまるで踊るかの如く。
んん? これはまさか兄上は剣術の鍛錬をしているの?
それは意外な一面だった。でもある意味納得もいった。
兄上のあの見事な剣さばきは、何の苦労もなしに身に付いたものでは決してなかったのだ。
きっと陰で鍛錬は行なっていたんだ。私の預かり知らぬところで…。
「隠れてないで出て来いよ」
動きを一瞬止めた兄上がこちらを振り返らずに言う。
あ、やっぱりバレてた?
私は仕方なく、兄上の前におずおずとその身を晒した。
「鍛錬ですか、お兄様」
「お前、さすがに夜は冷えるのに。そんな夜着のままで……僕を誘っているのか?」
「お前がチョイスしたんだろーよ!!」
兄上のとぼけっぷりに少々呆れつつも、私はツッコミを忘れない。
季節は夏といえど、ここは高地なのでかなり夜は涼しい。
確かに今着ているような薄いネグリジェでは少し肌寒いかもしれない。
「お前はもう少し自分の体を自重しろ」
兄上は自分の脱ぎ捨てた上着を拾うと、軽く土を払いながら、ずかずかとこちらに歩み寄って私に羽織らせた。
「これから僕の子供を産む大事な体なんだ」
肩に手を置かれて、真顔ではっきりそう言われた。
そのセリフが妙に生々しくて、私は思わず顔を顰める。
「何だその顔は?」
「……そりゃあ、いずれはそう思うけど」
でもまだ気が早いでしょーよ。兄上も大概だなぁ。
そう思ってると、兄上はさも当たり前のように私を引き寄せ、額にチュッとキスをした。何かもうスキンシップがいちいち激しい……。
「ねえ、兄上。人前ではそれ、やめてよね?」
「知らん。つい無意識でやってしまう」
無意識なんかよ!! タチが悪いだろ、それ。
「なぁ、もう一回する?」
「何回すんだよ!!」
見た目だけなら、優男の典型のような顔してる癖に。何てことを言い出すんだ? まぁ、私も似たような顔してるけど。
「まぁ、僕はまだ稽古があるから、お前は部屋に戻って寝てろ」
チュッと軽く攫うように唇を掠め取られ、私を回れ右させた。もう、また!!
「いや、私も目が冴えて寝れないんだって」
再びくるりと体の向きを変えた私に兄上はちょっと驚いた様子で、
「……まさか、僕が一緒でないと眠れないのか!?」
「違うわ、ボケ」
兄上はそこでいつものように意地悪な笑みを浮かべた。やっぱり私をからかう気なんだな。
「ではお前と一戦交えるか、ここで」
あっ、そうくるんだ。
「なら、私も剣を取ってこなくちゃ……」
そう思って踵を返した途端、ぐいっと引き寄せられてキスされた。
「んん?」
一瞬意味が分からなかったものの、すぐ一戦の意味を履き違えていたことを知る。
つまりは、そっちかーい!!
いや、ここ屋外!! 外でやるのはさすがにちょっと!!
「ぷはぁっ!! ちょっと、兄上落ち着いて!!」
「僕はいつだって冷静だ」
再びキスされて、あっという間に唇を舌で割られる。
口の中で兄上の舌が私の舌を絡みとり、そして強く吸い上げる。
ううっ、また好きなように……。
「んっ、ふっ」
キスしながら、兄上の右手が私の胸に──。
このままここで、本当にする気なの!? それはマズイ!!
私は兄上の胸板を精一杯の抵抗で押しやった。
「兄上、ダメだよ。こんなところじゃ嫌だ」
「……ふむ」
それでも一度火のついた兄上を完全に諌めることは出来なかった。兄上は私の膝裏に素早く腕を入れると、あっという間に横抱きに抱え上げた。
「お前を寝かしつけてから、もう一度稽古だ」
兄上は軽々と私をアトリエに運び込んで、そのまま二階の寝室へ。乱れたシーツの上に再び私を放り投げた。
「えっ、ちょっと待って兄上、本当にするの?」
「する」
いや、どんだけだよ……。
私の上に再びのし掛かった兄上は、全く容赦がなかった。
私はただ兄上に黙って身を任せるしかなかった。
「……言葉では言い表せない」
兄上の熱を一身に受けて、その想いの深さを嫌と言う程思い知らされた。ようやく解放されて、再び眠りについたのは空が白み始める頃だった。
目が覚めた時に真っ先に鼻についたのは、コーヒーの香りだった。このアトリエは一階はリビング兼キッチン、二階は元作業場兼寝室でドアや敷居のない作りになっている。
私はおもむろに体を起こし、クローゼットの中から適当な服に着替えて一階へ降りた。
「おはよう」
「もう昼だぞ」
コーヒーのカップを片手にテーブルで何やら書類の束に目を通す兄上は、何と眼鏡を掛けていて、いつもの兄上とは雰囲気が違う。
「えっ、何その書類」
「主に殿下からの書簡だ。新しい法に関してのものが殆どだ。上層部の入れ替えで、かなり国の法自体も見直すことになったんだ。僕は書類に目を通して、採用する案をいくつか提出しなければならない」
つまり仕事か。
ていうか、ここまで来て仕事!?
怪訝そうな顔をする私に、兄上はそれでも仕方なさそうに、
「まだ王都に戻れと言われないだけマシだ。これでもかなり配慮されている方だ」
私達は結婚しても、一緒に暮らせるという訳ではない。
このまま聖乙女の契約が破棄出来なければ、春には私は聖殿に篭って幽閉同然の身となる。
たとえ夫婦になっても、一緒に過ごせる時間はごく僅か。その為に許された貴重な時間なのだ。
「でも、兄上は特権でいつでも面会が許されるんだよね?」
「確かにそうだが、それでも一緒に暮らせるという訳ではない」
「……………」
「お前、何か食うか?」
私はぶんぶんと首を横に振る。さすがに寝起きでそんなに食べれる気がしない。
「そういえば荷物届いてるんだね」
玄関先に昨日買い求めた重たい食材やらが積まれていた。
「裏の倉庫に運んだ方がいい?」
「お前はもう女なんだから。重たい荷物を持つことはない」
でも兄上は忙しそうだ。このくらい私が運ぶのもどうってことないのにな。確かに男の時より筋力は落ちたけれど、体の敏捷性とかは大して変わりない気もするし。
かといって、兄上が力仕事とかしているのは見たことがないし、想像もつかない。
それでも兄上の裸は、均整が取れていて鍛えられた体をしていた。一見細いのにあんなに逞しいなんて……つい思い出して赤面してしまう。
「お前、何赤くなってんだ?」
ケゲッ、見られてた?
……言えない。兄上の裸を思い出していたなんて、絶対に言えない。
怪訝そうに首を傾げて、こちらを眼鏡越しにじっと見つめる青い双眸に私は思わず捉われた。何だか目を逸らせない。
「昨日の夜のことでも思い出したのか?」
ニヤッと笑う兄上は、完全にいたずらっ子の悪い男の顔だ。
私達、顔はとても似ているけれど、私にはあんな笑い方出来ないな……。でもそんな顔すら好きだなぁって思ってしまう。
一見優しげで、儚い印象さえ受けるのに、その実は何か腹で悪巧みをしてそうな裏を感じてしまう。
以前の兄上は、思えば誰にでも優しかったけれど、どこか壁を作っていて人を寄せ付けようとしない雰囲気はあった。つまりは何を考えてるのか分からない感じ。
今でもその名残は残っているけれど……少なくとも本性を現した兄上は、私に気持ちをストレートにぶつけてくれるだけいいのかもしれない。
昨夜も何度も耳元で愛を囁かれた。それは胸が甘い疼きでくすぐったくなる程に。
普通あんなに言われたら、嘘くさく思えてもいいのに、兄上にそう言われるのは、間違いなく嘘じゃないって分かる。
「お前、エロいなぁ」
「どっちが!? 兄上があんなに激しくするから、起きられなかったんだよ!!」
「──それは悪かったな」
やっぱり私達、どっちもどっちなのかもしれない。




