04 兄上と買い物へ
「お前、何考えてるんだ?」
帰るのを渋るジュリアンを何とか送り出して、私は兄上の対面に腰を下ろした。
「……なんかちょっと可哀想で」
はぁ、と兄上が再び溜め息をつく。
「お前、自分の首を自分で絞めたいのか? あいつに協力するということは、お前が身を引くってことなんだぞ?」
「そんなこと」
出来る筈がない。兄上がこんなんでも、私はもう兄上を選んでしまっている。もう兄上以外の人と結婚するなんて、到底考えられないし……。
「お前の反応も面白かったから黙って見てたが、お前が相手だとバラしたって僕は構わないんだぞ?」
「そ、それは……」
あの期待に満ち、輝いた目をしたジュリアンの顔を思い出す。今さら真実を、うーん……。
「お前も酷だなぁ。まさか僕の相手がお前だなんて、あいつにどう説明して弁解するのかなぁ?」
ニヤニヤしながら私を見る兄上は、本当にタチが悪い。
絶対この状況を面白がってるでしょ?
「ま、式の日取りも決めないといけないし、やることは山積みだ。とりあえず、子作りが先だがな」
ブッと飲んでいたお茶を吐いて、私は大きくむせて咳き込んだ。こ、子作りだなんて、そんな露骨な!!
「ちょっと、何言ってるの!?」
「お前はバカか? お前の体は普通の体じゃない。早いとこ子供を作ってその体内にある魔力をそちらに分けないと早々に死ぬんだぞ? 何の為にお前は、何人もの夫候補を抱えてたんだよ……」
私はどうにも反論出来ず、黙り込むしかなかった。
確かに兄上の言う通りだ。
「まあ、お前は妊娠しやすい体らしいし、やることやってればすぐに出来るだろう? とりあえず、早速励むか?」
「励まない!!」
頭では分かっていても、だからと言ってこんな真昼間からするなんて恥ずかし過ぎる。昨夜は部屋も薄暗かったし、私は思い切りテンパっていて、なんかよく分からないうちに全部終わっていたけれど。
「まあ、時間はある。とりあえず、マックス殿下からは静養も兼ねて収穫祭までこちらでゆっくりしててもいいと言われた。まぁ、僕も副業があるから、さすがにずっとこちらにいる訳にもいかないが」
「副業?」
「商会を立ち上げたと言ってなかったか? 今王都で一番勢いのある商会なんだが?」
「そんなの初耳なんだけど?」
兄上はそうだっけ? と首を傾げた。最近、妙に羽振りが良過ぎると思っていたけど、なるほどそういうことか。
てか、商会の仕事の方が副業なんだ……。そういや、兄上は聖騎士団長のままなんだろうか?
「聖騎士の仕事は? 辞めるの?」
私が諦めざるを得なかった聖騎士にいとも簡単になってしまった兄上の答えが気になった。
「僕はお前と違って別に聖騎士の仕事に未練なんかないさ。ただマックス殿下の反応からして、別の面倒ごとを押し付けられそうな気がしてやまない」
別の面倒ごとって何だろう?
「まあ、そのうち嫌でも連絡が来て王都に呼び戻される。あの殿下のことだ。結局は僕に丸投げするに決まってる」
うーん、よく分からないけど、私の預かり知らぬところで何か問題が起きてるみたいだ。その問題の解決に、結局は兄上が必要ということなのかな?
「一息ついたら、村まで行って食材の買い出しだ。しばらくここで生活するし」
それで私達は村へ出向いて、買い物をすることに。アトリエから十分も歩けば、割と大きな村に辿り着いた。
ここは金鉱脈の近くだけあって、大通りには鉱夫達の姿が多く見受けられ、村というより町に近い活気があった。
通り沿いには店も多く見られる。
「兄上、私達なんか浮いてない?」
以前この村に来た頃は、まだ開発前でここまで活気もなかった。でも今は私達が通りを歩くだけで皆が振り返る。
「まあ、僕達は見目麗しいからな。人目を引くのは仕方がない」
「それ自分で言う?」
兄上はふふっと笑って、私の手を握った。
えっ、ちょっと!!
さすがにこの人目のある中で、手を繋いで歩くのはまずいんじゃ……。
それでも兄上は私の手をがっちり引き、恋人繋ぎに握り直した。
通りを擦れ違う人には、私達はどんな関係に見えているのか。
「兄上!!」
「何だ? 僕と手を繋ぐのは嫌なのか?」
いや、別にそういう訳じゃ……ってかこれでは私達が恋人だと宣言しているようなものなの?
ふと通りかかった店のガラス張りに映る私達の姿を見て、私はふと思った。
私達はあまりにも似ている。
顔立ちもさることながら髪の色に目の色に至るまでお揃いだ。
それこそまるで双子のように……。
これではとても恋人には見えない。
それは少し私的には残念でもあった。
「どうした? 腹でも減ったのか?」
「別に、そんなんじゃない」
浮かない顔をしているのがバレてしまったのか。
「じゃあ、何だ?」
これは言うべきなのだろうか、少し迷いながらも私は口にした。
「私達、やっぱり似過ぎてて、恋人同士には見えないよ」
そう私が発するが否や、引き寄せられて唇を掠め取られる。
呆気に取られる私をよそに、時間にして数秒、唇が軽く触れるだけのキス。
「……っ!!」
「兄妹ならキスなんかしないだろ?」
確かにそうだけど!! 私は思わず真っ赤になって俯く。
完全に兄上のペースだ。完全に兄上に振り回されている。
それでも、やっぱりドキドキする。兄上にしてやられてるのに、全然嫌じゃなかったりする。
無邪気に笑う兄上は、まるで子供のようだ。
ずっと私より大人だと思ってきた。歳が五つも離れてるから。
それでも、今私の目の前にいる彼は、いつもスカした態度で他人を欺き通してきた兄上とは別人だった。
「おい、大丈夫か?」
私が一瞬惚けてたいたからか、兄上が心配そうに顔を覗き込んできた。
私の頭を撫でて、いつものように様子を窺う。
この仕草は子供の頃から変わってない。私が泣いたり、愚図ったりすると、いつもこうして私に訊く。
「もしかして、体が辛いのか?」
「ん?」
「手加減はしたが、お前は初めてだから辛かったのかと」
「──っ!!!!!」
大真面目な顔をしてそんなことを言ってきたので、私は否応なしに昨夜のことを思い出してしまった。
「もう、こんなところで何言い出すの?」
「辛いなら素直にそう言え」
確かにちょっと下半身が筋肉痛だけれど、って、別に大したことないし!!
鍛錬を最近サボり気味だったからだろうか……。
「別にそんなんじゃない」
「なら、加減しなくて平気か?」
「………そういうことじゃなくない?」
道の往来で何て会話をしてるんだ?
私は辺りを見回して、人の目を気にした。
多少、視線は感じるものの、さすがに会話までは聞かれてはいないようだ。
「もう行こ、兄上」
「はいはい」
再び歩き始めた兄上は、ちゃっかり私の手を取った。
……ふむ。やっぱり手を繋ぐのはやめないんだ。
握った手はヒンヤリとして冷たい。こんな風に手を繋いで歩くのなんて、いつぶりだろう?
子供の頃、よくこうして手を繋いで歩いた。
でもその時と今とでは、随分と変わった関係になってしまった。私と兄上の関係は思えば歪なものなのかもしれない。
生まれた時から一緒に育って、そして今は恋人から夫婦になろうとしている……。
「そういえば昼食がまだだったな。だかもうとうに昼を過ぎて、微妙な時間だな。まぁ少し早いが食材を買って、すぐに夕食にするしかないか」
そこで私の中に浮かぶ一つの疑念。その料理は誰が作るんだろう? 自慢ではないが、私は料理スキルなど持ち合わせてはいない。
私は隣を歩く兄上を一瞥する。兄上だって、腐っても伯爵家の若君なのだから、料理なんてしたことはない筈だ。
「ねぇ、その料理って誰が作るの?」
「ん? そんなのお前に決まってるだろう?」
ですよねー? 兄上のことだから、そう言うと思った…。
こんなことならユーエンにもっと料理を習っておけば良かった。果たして私に作れるだろうか? もう不安でしかない。
まぁ、私が料理が出来ないことはとりあえず置いといて、兄上と私はとうとう市場に到着した。
屋台が通り沿いにずらっと並び、なかなかの活気で溢れている。結構な山奥だというのに、新鮮な野菜や肉、なんと魚まで並んでいる。魚? 一体なぜ?
「あれらはみんな淡水魚だ。村にある生簀で養殖してるのさ」
「へぇ」
兄上は、適当に食材を買い求めていく。とりあえず今晩の夕食の材料を買い込み、お酒や米など重い物はアトリエまで配送を頼んだ。
兄上は終始にこやかで、店のさまざまな年齢層の女性らの黄色い声を独り占めしていた。本当に外面だけは良いんだよな……。
そして、最後に買い求めた果物屋で、ふくよかなおばさんが兄上に向かってこう言った。
「お兄さんイケメンだから、オマケしとくよ」
「そちらは妹さん? お兄さんによく似て美人だねぇ」
そう声を掛けられた瞬間、兄上の形の良い眉がピクリと動いた。
「これは妻だ」
「妻!? よく似てるから、あたしはてっきり……」
「だが、妻なんだ」
ニッコリ微笑む兄上。でも目がもう笑ってないよ? その顔怖い!!
おばさんは兄上に圧倒されて、渋々納得したみたいだった。
「……あぁ、そうなんだね。じゃあ、可愛い奥さんに申し訳ないから、もう少しオマケしとくね」
おばさんは紙袋にオレンジをたんまり詰めて渡してくれた。
兄上はもう両手が塞がっているので、私がそれを受け取る。
「さあ、帰るか」
私達は顔を見合わすと、そこでようやく帰路に着いた。二人で買い物をして、並んで歩く。何の変哲もないようなことが、凄く特別に思える。そういえば幼い頃、兄上と一緒によくお菓子をこっそり買いに行ったっけ?
「小さい頃、屋敷を抜け出して、よくお菓子を買いに行ったよね?」
「あぁ。庶民の子供は皆、駄菓子屋でよく買い物をするのに、僕達は、品位が落ちるからダメだと父上に止められていたからな。だがどうにもそれが羨ましくてな」
朧げな記憶、その記憶の中の兄上が、私に何か言ったような?
父上に内緒だから、そんなにお菓子を買えなくて、屋敷に戻るまでに全て食べる必要があった。私は小さくてまだそんなに食べられなくて、夕食が食べられなくなるとまずいから、そんなに食べさせて貰えなくて……。
「いつか好きなだけ買ってくれるって言わなかった?」
「あぁ、言った」
兄上は私の目をまっすぐに見つめて、うっとりするぐらい優しく微笑みながら言った。
「お前が僕のお嫁さんになるなら、いくらでも買ってやると言った」
「そうそうそれ。でも私はその時言ったんだよね。男同士では無理みたいなことを」
(おとこどうしでは、けっこんなんかできないんだよ)
(いいや、本当のお前は……。覚えておいで。僕はお前としか結婚する気はないんだよ)
兄上は変なことを言うなぁ、何の冗談何だろうとその時強く思ったものだけれど。現にこうして、私は兄上と結婚しようとしている。
「兄上はもちろん知ってたんだね。私が本当は女で、しかも実の妹でないことを」
「当たり前だ。僕が父上に引き取られた時は、もう五つだった。物心も付いていたし、本当の両親が亡くなって、憔悴していたところでお前が生まれたんだ。母上は、僕の実の叔母でもあったから、その母上の生んだお前は僕にとてもよく似ていた。僕にそっくりだと、周りの誰もがそう口にした。赤ん坊のお前はとてもよく泣いていたけど、僕が触ると決まって泣き止むんだ。その小さな指で僕の指を握り、そしていつも笑うんだ。その時漠然と思った。この子は僕の魂の半身なのだと」
何気なくその話を聞き流していたけれど、聞き捨てならないくだりがあって、私は兄上に聞き返す。
「母上が実の叔母?」
「……そうだ」
ええっ、ちょっと待って。兄上は本当は父上の兄夫婦の忘れ形見の一人息子。だから、血縁上は父方の従兄の筈なんだけど、兄上の今の話が本当なら、兄上の母上も私の母上の姉妹ということになる……それはつまり。
「僕達はいわゆる二重いとこだ」
「!!」
それって、かなりヤバイというか、もう殆ど兄妹同然なのでは!?
全身の血の気が引いていく。すっと手足が冷たくなって、目の前が暗くなる気すらした。
「だから何だ? 法律上、いとこ結婚は許されているし、元々うちの一族では血族結婚が常だ。まぁ、はっきり言ってしまえば、たとえお前が実の妹だろうが、僕にはあまり問題ではない。実の妹だろうが、お前が男だろうが、僕は一向に気になどしない」
確かに以前、愛の告白をされた時にそんなようなことを言われた記憶がある。でも、こう面と向かって断言した兄上はその時とは違い、大真面目な顔をしていて怖いくらいだ。
──兄上は病んでる。そう実感した瞬間でもあった。
溢れ出る私への愛の形はあまりにも歪で、幼馴染で私の初恋の相手でもあったヴィヴィは陰でずっと嫌がらせやイビリに遭っていたそうだし、夫候補になって、オープンな関係になってからは、その立場を利用して私に何度も迫ったし、誰も選べない場合は自分を選べと強要すらした。
そしてそれだけではない。兄上はずっと無能を演じながら、山のように来ている縁談話を蹴り続けたのだ。
全ては私と結婚する為に。
それでも私はもう、この目の前の男をどうしようもなく愛してしまっているのだ。もう後戻りなど出来ない程に。
「本当にしてやられた」
「そうだな。だが僕はもうお前を手放す気など毛頭ないぞ」
掛かった獲物を絶対に逃す筈がない。そんな肉食獣な目を彼はしていた。
なら私はその獣にあえて身を委ねよう。たとえこの愛が神に背く行為だとしても。




