19 運命を決めた指輪《最終話》
その投了の一言は、私にしたら私自身に向けてのことなのか、ミカが負けを認めたからなのか、一瞬判断に迷うものだった。
「まさか花嫁の影武者まで引き受けるとは」
ミカは意識のない自身の妹に向けて、半ば呆れるような、それでいて感心するような口調で言った。
思わず身構える私に、ミカはそっと右手を上げて、宥めるような声でそれを制止した。
「私の負けです」
首を傾げる私に、彼は淡々と話し始めた。
「これはあなたに使った毒と同じもので、決して死にはしませんが、一定量摂取すれば延々と眠りに落ちる毒です。解毒剤は確かにありましたが、もうあなたに以前使ってしまったので……」
「解毒剤を持ってないの?」
「ええ、今は手元にはありませんが、新たに精製するには少々時間が掛かります」
ミカは少し哀しげに笑った。その微笑みは、何もかも諦めたような、そんな笑い方でもあった。
「私が連れて帰ります。どうぞ妹のことはご心配なく」
ミカは意識のないアデルをそっと優しく抱き上げると、そのまま部屋を出て行こうとする。
「待って!!」
背中に向かって投げ掛けた言葉に、彼は振り返らないまま答えた。どうして私はこの時、彼に待つように声を掛けたのか。
「本当はあなたをこんな風に攫って、その苛酷な運命から救い出したかった。私がその役をしたかったのに、残念です」
そうしてミカはアデルを連れて、部屋を出て行ってしまった。
私は黙ってその背中を見送るしかなかった。
一人残された救護室に、呆然と佇む私。
私が戻って来ないのを心配したマシュー王子が様子を見に来るまではそんなに時間はかからなかった。
「アデルは? 彼女は一体どこに?」
「ミカが連れて帰りました。アデルのことは心配は要らないと言っていました」
私は簡単にミカとの事の顛末を説明した。マシュー王子は形の良い眉を吊り上げて厳しい顔をして話を聞いていたけれど、ミカが結局は私を諦めたらしいことが分かると、安堵する表情に変わった。
後に分かったことだけれど、彫金ギルドマスターは何とミカの旧友で、数日前にミカが工房に尋ねて来ていたことが発覚していた。おそらくその際に、指輪をすり替えられたのではとのことだった。
「試作品の一つが、無くなっていたそうだ。おそらくそれを加工して、細工を施したんだろう」
マシュー王子が、新たに作られた指輪を手にしながら呟いた。
シンプルながら、見事な細工のされた指輪。その指輪が奇しくも私の運命を決めたのだった。
「ミカも彫金技術を持ってるらしい。ギルドにこそ所属はしてはいなかったものの、指輪の細工くらいお手の物らしいぞ」
私は部屋の窓から、ふと外を眺める。
秋の気配の深まった庭に、私はふと想いを馳せる。
ミカはアデルを連れて私の元を去った。たぶんもう二度と彼と会うことはないと思う。
結局彼と分り合うことは出来なかった。ただ胸に何かぽっかりと穴が開いたような気がしてならない。
「ジーン、こっちを見ろ」
マシュー王子に言われて、私はふと我に返って彼を振り返った。
「感慨に耽るのはそのくらいにしろ」
やっぱりこの人にはお見通しか。敵わないなぁ。
「おいで」
両手を大きく広げて、彼は私を呼んだ。私が素直にその胸に身を寄せると、ぎゅっと強く抱き締められた。
「ミカことを考えていたのか」
耳元で囁かれて、私は思わず身を硬くした。図星だったからだ。
「何はともあれ、禁書の解読が上手くいって、契約破棄は成された。君はもう役目に縛られることはないんだ」
詳しくは教えて貰えなかったけれど、万事上手くいったらしいことは確かだ。相変わらず、私の中の魔力の強さは感じられるけれど、とりあえずそれで体調が悪くなったりということもない。一番実感したのが、発情というかあの衝動が全く消えたこと。私から、相手に迫るって程ではなかったにしろ、迫られると誰彼構わず拒めないという困った体質はとりあえず治ったようで……。
「こんなに全てが上手くいくなんて、思いもしませんでした」
思えばこの半年、私の人生において怒涛の展開だった気がする。十八年間──正確にいうと十六年だけれど……男として生きてきた私が女の体になって、よりにもよって王子様と結婚することになるだなんて。
ゲームの世界の攻略キャラに過ぎなかった私が、突如ヒロインになり逆に攻略される位置になるだなんて。
自分の身を省みずに、私を庇ったこの人。私のことをいち早く女だと見抜き、それからはただ一途に愛を捧げてきてくれた。
「初めは興味本位で君に近付いた。アレックスが男と結婚だなんて、たとえそれが偽装結婚だとしても私にとっては面白いことだった。あいつが本当は男だと私は知っていたからね。そのあいつが望んで婿を取る。何か特別な理由があるに違いないじゃないか」
「相当しつこかったですもんね……」
私がアレックスの婚約者と知るなり、特権を利用して私を散々連れ回した。当時の王子は私達の間ではかなりの問題児扱いで、その行動にも手を焼いていたくらいで……。
「君の噂は聞いていたからね。士官学校を経ずに、最年少で聖騎士試験を突破した強者だと。ニコラスからも目を掛けられていて、その剣術の腕もさることながら、容姿に関しても抜きん出て美しいと。ああ見えてアレックスはかなりの面食いだからな。たとえ偽装結婚だとしても、相手の男はかなりレベルが高くないと納得がいかなかった。だが実際に目にした君は、想像とは全く違った」
マシュー王子は軽く息を吐いて、私の両頬をその大きな手で包み込むようにして言った。
「性別を超えた美だった。男というにはあまりにも繊細で、かつ女というにはかなり無骨だった。とても曖昧過ぎるんだ。だが、一目で君に心を奪われた。私は男色の気はないので、君に惹かれるということは、君が女だということを意味する」
無骨ってちょっと酷くない?
「アレックスが君を望んだ意味をすぐさま理解した。君が女なら、君との結婚を望んだ意味も全て腑に落ちる」
「でも、厳密にいうと略奪ですよね」
私がボソッとそう呟くと、彼は額に手を当てて困ったような仕草をした。
「アレックスには悪いと思ったよ。だが君が聖乙女なら、話は違ってくるからね。それに君が女だと分かった途端にライバルがこぞって現れた。だから私が君を略奪したというのは、少し違うな」
まぁ、言われてみれば確かにそうだ。
「だが君は私を選んでくれた。まぁ私を選ぶことは最初から分かっていたけどね」
どうしてこの人はこうも自信満々なのかなぁ? でも本当にその通りになってしまったのだから仕方がない。
一番最初に私に積極的にアプローチを掛けてきて、その派手な女性関係も全て断ち切り、ただ私だけに愛を捧げてくれるようになった。
本当は苦手なタイプだったのに、いつのまにか彼のペースに乗せられて。今はこの人と生きていくことしか考えられなくなっていた。
「さあ、そろそろ花嫁は支度の時間だ。また後ほど」
彼に促されて、私は部屋を後にした。これから町外れの教会でささやかながら、やり直しの結婚式を挙げるのだ。
大聖堂での挙式のような派手な式ではないけれど、私にはこれで充分だった。何せ花嫁衣装を着て彼と式を挙げるのは、紛れもなく私本人なのだから。
やっぱり彼の隣に立つのは私でありたい。第二王子ともなれば、かなりの責任を負う立場だ。これから譲位して兄のマクシミリアン王子が即位するけれど、国の情勢が落ち着くまではしばらくかかると兄上も言っていた。
もう本当は神の加護はどこにもない。それでも私は象徴として、国の顔として在り続けることになった。
「お前が無事に嫁に行くなんてな」
腰痛で動けない父上に代わり、エスコート役を務める兄上が半眼でボヤいた。やっぱり私を嫁に出すのは渋々な様子だ。
「ごめんね、兄上。そしてありがとう」
そして私は真っ白なのドレスに身を包み、私はとうとう教会のドアの前にゆっくりと立った。このドアの向こうに彼が待っている。
待ち望んだ輝かしい未来がこの先に待っていると信じて──。
《完》




