14 故郷の子守唄
私にあてがわれた部屋も、また豪奢な物だった。
ふと思ったのだけれど、この館はとても亡命貴族が住めるような場所ではないんじゃないのだろうか?
異国のことに詳しくはないけれど、明らかにこの国の中でも力を持った人間が住まう館だ。
「お気に召しましたか?」
ふと背後からミカに声を掛けられて、私は我に返った。
すっと私の隣に当たり前のように並び立って、部屋の中を見回しながら彼が言う。
「本来、ここは王の妃の部屋の一つです。王と言っても、まぁ一地方の領主ですね。父は、この館の主である王と古くから親交があって、亡命するに当たり身を寄せたんです」
なるほど支援者がいたのか。それなら合点がいく。
「父に一日でも早くあなたと式を挙げるようにと、急かされてしまいました。この地まで来ても、まだ踏ん切りがつきませんか?」
「誰があなたなんかと」
「これは手厳しい。かなり嫌われてしまいましたね。それでもあなたは私を選ばざるを得ないんです。まぁ気長に待ちます」
ミカは私の髪を一房掬うと、そこに口付けをした。
私に安易に触れないと約束したのに、簡単に破るし。
てか、この人いちいち所作が優雅で、私から見ると少し嫌味なくらいだ。たぶんきっと王子達のような計算でやってるのと訳が違う。
ニコッと微笑む様はまるで邪気がなく、本当に聖職者だと聞いて納得だし。
顔はどことなく兄上と似ているけれど、兄上とまるでタイプは違う典型的な王子様キャラだ。私の周りにいた誰とも違うタイプの。
「私の顔に何か?」
い、いかん。つい顔をガン見していた!
これでは完全に向こうのペースに嵌ってしまう。
「いいえ。さすが親戚だけあって、うちの兄にどことなく似ているなぁと。うちの兄、ああ見えて結構ヤバイ人なんです。私が攫われたと知ったら、きっと黙ってないでしょうね」
「あなたの兄君のことはよく知っています。実は学院の同級生なんです。私とは専攻する科が違うので直接の面識はなく、いつも遠くから拝見するだけでしたが、彼は確かに一筋縄で行く相手ではありませんね」
兄上と同級生!? そういえば似たような年頃に見える。…ってことはマクシミリアン王子とも?
「彼の学生時代の話を聞きたいですか?」
うう、それはちょっと興味があるかも。
兄上とは歳が離れているから、一緒に学校に通ったのは小学部の一年だけで、それも殆ど接点のない学生生活だったし。
そもそもその頃の兄上は学校を休みがちで、一人で登校してたような?
私がそれでも返事を渋っていると、ミカは少し笑って言った。
「今日はもう休んで下さい。時間はたっぷりあるので、この話はいずれまた」
ミカに気を許してはいけないと思うのに、強引に踏み込みもしないし、引くときは妙にあっさりだし、やっぱり計算なのだろうか……。
私はとりあえず、薄い紗のかけられた低い寝台に横になる。
ふうと一息ついたところで、寝台の横に人がいることに気付いた。てか、ずっとそこにいたの!?
背の低い華奢な浅黒い肌の少女がそこにしゃがみこんでこちらをじっと見つめていた。屋敷の使用人らしき者達は、みな同じ装束を纏っているので、この少女は明らかにそれとは違う。
色鮮やかな薄いピンクの華やかな衣装。身に付けている宝飾類も見事な物だ。
「誰?」
「あなた、ミカの何?」
質問に質問で返されるとは……。私は短く嘆息して、相手の望む答えかどうかは分からないけれど、一応は返す。
「私はジーン。ミカに攫われてここに連れて来られたんだよ」
「じゃあやっぱりあなたがミカの花嫁なのね?」
なぜか膨れっ面のこの少女は、敵意丸出しで私を睨んでくる。
これはひょっとして……?
「むぅー、どんな小娘が来るかと思ったら、全然大きいし。それになかなか美人だし」
少女は私にギリギリ聞こえるくらいの小声でブツブツと呟いた。
「あなたは?」
少女はすっくと立ち上がって、私の顔をマジマジと覗き込んできた。視線が付き刺さるように痛い。
「私はアイシャ。ここの主人の娘なの。この館で大きな顔なんかさせないんだからね!」
ここの主人の娘と名乗ったアイシャは、明らかにミカに好意を寄せているようだった。ミカが連れてきた私の存在が目障りで仕方ないのだろう。
「私はミカとは結婚しない。別に婚約者がいるんだよ」
「えっ、そうなの?」
私はアイシャに事の顛末を話した。するとアイシャの表情は打って変わって私に対して打ち解けたものへと変わった。
「じゃあ、ミカのことは何とも思ってないの?」
「私が好きなのはマシュー殿下だから。彼と結婚することしか考えてないよ」
「へぇ。本当に王子様と結婚したいんだ。じゃあ、ミカとは本当に結婚しないんだね?」
「しないよ」
そこで私の部屋に食事を運んできたらしき使用人が、アイシャを見て咎めるように声を上げた。
「まぁ姫様! いないと思ったら、こんな所にいらしたんですか?」
「あら、見つかっちゃった」
少しふくよかな中年の女性は、私に軽くお辞儀をしてから、アイシャに向き直った。
「お嬢様は長い船旅でお疲れなんですよ。分かったら、自分のお部屋にお戻り下さい」
「うるさいわね。ミカの花嫁だというから、気になって顔を見に来ただけよ。でも彼女、ミカとは結婚しないんですって」
すると使用人の女性は少し驚いた様子で、
「ええっ? でも主人とダニエル様は、明日にでも婚礼の酒宴を開くと仰っておいででしたよ? 私もこれからその準備にまだまだ大忙しなんですけど」
「えっ、じゃあ明日結婚するってこと?」
「ええ、そうです。おめでたいことは、何事も早い方がいいからと。主人も仰せですから」
そんな! 私は何も聞いてはいない。ミカと明日結婚するだなんて。ミカと結婚式を挙げてしまったら、私はもうマシュー王子の元に戻れなくなってしまう。
「私、ミカと結婚なんかしない」
「お嬢様? ミカ様をお好きではないのですか?」
使用人の女性は、少し怪訝そうな顔で私に訊いてきた。
「私には別に婚約者がいるんです。私はあの人に強引に攫われて、ここに連れて来られたんです」
「そうなんですって。ねぇ、それは可哀想じゃない?本当は別に好きな人がいるのに、他の人と結婚だなんて。ねぇ、マーサ、どうにかならないものかしら?」
マーサと呼ばれた女性は、少し眉根を寄せて首を傾げた。
アイシャは私とミカとの結婚をどうにかして阻止したいようだ。
「姫様はご自分がミカ様をお好きだから……。でもミカ様はお嬢様を大変お望みのようでしたよ」
「でもジーンはミカを好きではないんでしょ?」
「えぇ」
まぁ、好きとか嫌いとかの問題ではない。私はマシュー王子以外との結婚は考えられないのだから。
「ねぇ、マーサ! 明日の婚礼どうにかならないものかしら?」
「どうにかって、それは難しいかと……。あ、そうそう明日の酒宴の為に呼ばれた流しの吟遊詩人の一人がそれは大層な美丈夫でしたよ?」
「イケメンな流しの吟遊詩人ねぇ。てかそんなことは今聞いてないわ!」
少し話が脱線し始めたところで、アイシャはうーんと唸りながら、私に告げた。
「ここから逃げたいのなら、手引きするわよ?」
それは私にとって思わぬ提案だった。
「今夜のうちにあなたはここを出てしまうの。酒宴を開くに当たって、きっともう大勢客も呼んでいるだろうし、もし肝心の花嫁が消えたらその場を取り繕う為に、仮の花嫁を立てざるを得ない。うん、きっとそうよ!!」
アイシャの言葉に、マーサはポカンとして完全に呆れ顔だ。
この地の結婚の風習とかよくは知らないけど、何となくアイシャの言うようには上手くいかない気がした。
「それでまんまとご自分がミカ様の花嫁に収まるおつもりですか? そんなに上手く事が運びますかねぇ」
「とにかく、ジーンは今夜のうちにここから逃すわ。マーサも準備を手伝って」
アイシャはすっかりその気のようで、何だかんだでマーサもアイシャには逆らえないらしく、私が逃走するにあたっての準備を手伝ってくれた。土地勘のない私に地図をくれて、当面の路銀や衣装などをすっかり揃えてくれたのだ。
「やだ男装も似合うじゃない。てか、かなり素敵だわ。明日の酒宴の為に旅芸人や吟遊詩人が大勢呼ばれていて出入りしているらしいから、それに紛れて館を出てしまうといいわ」
それは私にとって、とても都合の良いことだった。
私はすっかり旅芸人風の衣装に身を包み、髪はターバンのような布で覆い隠すとあんまり目立たなくなった。この土地で金髪はとても目立つけれど、男の人はターバンを巻いていることが多いので上手く隠せていい感じだった。
私はアイシャの案内で、館に幾つもある出入り口の一つから夜陰に紛れて外に出た。館の周囲に置かれた篝火が、白い館を赤く染め照らし出すのがどこか神秘的で美しかった。
「じゃあ、気を付けてね。絶対に王子様の元に帰るのよ」
馬まで用意してくれた彼女は、私に手綱を手渡すと名残惜しそうに別れの挨拶をした。
「本当にありがとう。この恩は忘れないよ」
「はい、茶番はそこまでですよ」
手綱を受け取ったところで背後から声が掛けられ、私達二人は思わず固まった。振り返ると腕を組んだミカが、出入り口の脇に立つ白い柱にもたれかかってこちらを眺めていた。
「ミカ!?」
目を見開いたアイシャが、慌てて私の背を押してけしかけた。
「早く乗って、行って!!」
私は言われた通り、馬に跨がろうとした瞬間──何かが手首に巻き付き、それを阻害した。
──え、これは鞭!?
ミカの手元から伸びた長い鞭が、私の左手首にしっかりと巻き付いて、私の動きを完全に封じたのだ。
「ミカ!!」
アイシャのミカを咎める声にも、ミカは全く動じる様子もなく鞭を引き寄せると、私はまるで吸い寄せられるかのように簡単にミカの腕の中へ。
「逃がしません」
ニッコリと微笑みながら、その目は笑ってはいなかった。
始終クールで落ち着いた印象の彼の中に、怒りにも似た感情の波を垣間見た気がした。
「ミカ!! ジーンはあなたを好きではないのよ? いい加減諦めなさいよ!!」
「いいえ、私は諦めません。彼女は必ず私を受け入れる筈です」
その自信は一体どこからくるのだろう? しかし、しっかりと私を抱く腕の力は、この優美で儚さそうな外見からは想像出来ないくらい強いものだった。
「さて、悪い子にはお仕置きが必要ですかね」
ミカは私の顔に視線を落とす。うわ、顔が近い!!
まるで陶器のように白い顔は、篝火に照らされてなおその美しさを増したかのように感じる。
イケメンには耐性があるけれど、この距離ではさすがに意識せざるを得ない。
「離して」
それでも私はこのミカを、力ずくでどうにかして逃げる事は頭になかった。さっきの鞭さばきといい、きっと逃げられない確信があったのだと思う。
「うるさい口は塞ぎましょう」
唐突にキスされて、私は面食らった。私に触れないと言っていたのに……頭の中でそんなことを思いつつも、私はそれでも抵抗が出来ずキスを受け入れてしまう。
決して激しいものではないけれど、長い長いキスだった。
体が疼き足の力が抜けて、私は思わずミカに縋り付く他なかった。
ミカは黙って私を横抱きにし、玄関をくぐって館の中に戻った。
「明日、私達の婚礼の酒宴が開かれます。あなたにはこれからその準備をしてもらいます」
ミカが私を連れて戻った部屋は、元いた私の部屋ではなかった。何か香のようなものが焚かれていて、独特の甘い香りが部屋中に漂っている。広い寝台にとりあえず座らされ、ミカは控えていた使用人に私の世話を命じた。
「長旅でお疲れでしょうから、ゆっくり眠れるように安眠の香を焚いています。明日は大勢の客がこの館に招かれて私達の為に酒宴が開かれます。私達の国のような一般的な式とは違いますが、郷に入れば郷に従えですのでご理解下さい」
「私はあなたと結婚なんか……」
そもそも婚礼の準備をしろってさっきこの人は言ったのに、休めだなんて矛盾してないか?
「あなたには私を選ぶしかもう選択肢は残されていないのです。あなたは私を拒否する事は出来ない。そうでしょう?」
確かに私はミカに迫られたら拒めない。それは本能的に無理な話な訳で……。
目の前でこの悠然と微笑みを浮かべるこの人を、私はどこかで受け入れてしまっている。
ミカもたぶんそれが分かっていて、私にこんな仕打ちをしているのだろう。
柔らかな香の匂いが鼻に付く。この香をあまり吸ってはいけないとそう思うのに。
体が何だかフワフワして、まるで何かに酔っ払っているような不思議な感覚に捉われた。手足にあまり力が入らず、頭がぼうっとしてきて、何も考えられなくなる。
それから使用人の手により湯浴みさせられ、夜着に着替えさせられた。ミカにエスコートされるように手を引かれて寝台まで連れて行かれた。
「これを飲んで下さい。よく眠れますから」
ミカから差し出されたホットミルクを私は言われるがまま一口含んだ。少し甘い。
私はゆっくり目を閉じた。
どこからか、リュートの音色が聞こえてくる。
そういえば吟遊詩人がこの館に来ているとか言っていたっけ?
どこか懐かしい響きだ。
「なかなか気が利きますね。故郷の子守唄ですか」
そうだこれは子守唄。幼い頃に兄上がいつも歌ってくれていた……。私の国の人間なら誰でも知っている子守唄。
ダメだ、眠くて眠くてもう何も考えられない。




