11 船上での後悔
ミカと結婚する!? そんなとんでもない!!
どうしてそんなことに? 私にはマシュー王子という歴とした婚約者がいるのに。
「私の気持ちがあなたに向くことはありません」
「別にあなたの中で一番でなくてもいいのです。ほんの少しでもあなたの気持ちが私に向いてくれさえすれば」
彼はそう言って優しくふんわりと微笑む。兄上やマクシミリアン王子と違って、その笑みはきっと作り笑いなんかじゃない。
ミカ自身はたぶんきっと、いい人なのだろう。
それでも彼のやり方は間違っている。
「船に乗ったことはありますか? これから沖に出れば少し揺れるかもしれません。酔い止めの薬を持ってきましょうか?」
「結構です」
私がきっぱり拒否すると、彼は哀しげに少し笑った。
そんな顔をされると、こっちがまるで悪いような気すらしてくる。
どんなにこの人がいい人で私に優しくても、お金を積んで賊を雇い、私を強引に攫おうとした張本人だ。絆されてはダメだ。
「お願い。話し合えばきっと打開策が見つかると思う。殿下の元に返して下さい」
「それは聞き入れられません。あなたを国から出すのは、あなたに掛けられた呪詛の効果を弱める意味合いもあるんです。完全に取り去ることは叶いませんが、それでも少しはマシです」
やっぱりこの人は、聖乙女についてかなりの知識を持っている。兄上やラファエルがこのことを把握しているのかは分からないけれど。やっぱり、話し合いをして貰いたい。
「あなたがしていることは、一時的に私を救うに過ぎない。しかし、殿下や私達はこの聖乙女の契約自体をどうにかしようと考えてる。あなたが目指すことと、私達が目指すことは同じな筈、どうして聞き入れてくれないの?」
「……ジーン」
まるで私が駄々っ子で、それを宥める大人な絵面だ。
ミカは困ったように優しく微笑むだけで、決してうんとは頷いてくれないのだ。
そしてとうとう船が動き出した。私は青くなるもの、この状況では逃げられる筈がない。
「お願い、船から降ろして」
「申し訳ありません」
ミカは軽く頭を下げると、部屋を出て行ってしまった。ガチャリと外側から鍵が掛けられたのが分かる。
どうせ沖に出てしまっては、この部屋から逃げたとして逃げ場所なんかどこにもないのに。
私は溜め息をついて、自分の浅はかな行動を猛省した。あの場で、絶対にマシュー王子の傍から離れるべきではなかったと。
どんなに心配させているか。王子はきっと自分を責め続けているに違いない。
小さな窓から見えるのはただどこまでも続く暗い波間だけ。完全に船は沖に出てしまったようだ。
そのうち本当に船酔いしたみたいで、私は体を起こしているのも辛くなってしまった。それを見越したようにミカが食事を手に持って現れた。
「気分はどうですか? 食事を持ってきましたが、食べられそうですか? これはアイスミントティーです。少しはスッキリするかと」
差し出されたグラスからはミントのスーッとした香りがした。それでも私は素直になれず首を横に振る。
「なかなか強情な人ですね」
彼は私の手錠をおもむろに外すと、指で手首を指圧し始めた。
これはきっと酔い止めに効果のあるツボを押してるんだろう。
黙々とツボを押す彼は何も言わない。
「もういいから、一人にして」
彼は私の言葉を無視し、丁寧に指圧を続けた。温かな魔力の波動を感じるので回復魔法も交えているのだろう。
「私に触れないって言ったのに」
彼は一瞬固まって、あぁと困ったように少し笑った。
「あれは性的な意味で触れないという意味です。これは治療なので違います」
そんなことは本当は分かっているけれど、この人にこうでもして反抗してないと、いいように流されてしまいそうで。
私はよく優柔不断で人に流されやすいって、いつも兄上に言われているから。
「ですからこれも治療の一環です」
そう言って、ペッドサイドに置いたミントティーのグラスを彼は自ら煽ると、次の瞬間、私に口移しで強引に飲ませたのだ!!
「んっ!!」
鼻に抜ける強い香りの冷たい液体が、彼の口を通して流れ込んでくる。私はあまりのことに呆然として、ついつい反応が遅れる。
反射的に彼の頬をパシンと叩いて、彼は少し笑って私を見つめた。
「そんな元気があるのなら、大丈夫そうですね」
赤くなった頬を押さえて、彼は何でもないことのように乱れた髪をサッと整えた。
サラサラな綺麗な髪だ。私や兄上と殆ど色合いも変わらないのに、髪質がまるで違う。いかんつい見惚れてた。
「私にもう構わないで」
「また来ます」
彼はもう手錠は掛けなかった。沖に出てしまったので、どこにも逃げようがないからか。
体が火照るように熱い。あんな風にキスされて、私の体が反応してしまったのか? 私は自分の体を自分でギュッと抑えた。
私の相手はマシュー王子だけなのに。あぁ、彼がここにいればこの疼きを鎮めて貰えるのに。
くらりと眩暈がした。気分の悪さと、発情してしまった熱で、何だか頭がクラクラした。
それでもミントティーのお陰か、少し気分の悪さは和らいだ気もした。
私はベッドに横になり、目を瞑った。
目覚めると部屋の中はすっかり明るくなっていた。
私は体を起こして、状況を整理する。
船はもう沖に出てしまっている。シーガーデンの港から出航したとして、目的地は海の向こうの南の国だろう。
一年中、薄着で過ごせるらしい南国。言葉は通じるけれど、文化はかなり違うらしい。私が南の国に関して持っている知識は所詮その程度だ。
あと何日くらいで到着するのかも分からない。
私は溜め息をついて膝を抱えた。結局昨日はあれからすぐ眠ってしまったので、ミカが持ってきた食事には手を付けなかった。
その時、ガチャっと鍵の外す音がして、ミカが昨日のように食事の乗ったトレイを手に現れた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「…………」
ベッドサイドにまるまる残された昨夜の食事を下げて、彼は新たに運んできたトレイを置いた。
野菜スープの匂いが鼻につく。不覚にもお腹がぐーっと鳴ってしまった。
「あっ」
恥ずかしくて俯く私に、ミカは少し笑いながら、
「気にしなくても大丈夫ですよ。食べれそうなら食べて下さい」
私は仕方なくスープとパンに手を伸ばした。
寝起きの場合、普段はあんまり食欲がないのだけれど、昨夜はとうとう食事をまともに取らないでいたから、空腹には違いなかった。
スープもパンも淡白な味付けながら、充分美味しかった。
「比較的順調な航行ですが、あと五日はかかりそうです。気分が良ければ、自由に甲板に出ても構いませんよ。もう鍵は掛けませんので」
ミカはそれ以上は何も言わずに、そのまま部屋を出て行ってしまった。
あと五日は船の上。アデルは私がミカに攫われたことを、王子達に報せてくれているだろうか?
アデルはミカの妹──つまり、アデルはミカの手先ということではないのだろうか? そうなれば、王子達は私がどこへ攫われたのか皆目見当もつかないのでは?
それは私にとっては絶望的だ。私にはリミットがある。王子の元にある程度の期間で戻れなければ、私はミカを受け容れざるを得ない。それが出来なければ、私はもう死ぬしかない。
私と王子は、まだ厳密に言うとまだ結ばれてはいないのだ。
意外とマシュー王子が拘って、クロエ様に貰ったブレスレットを信じて挙式まで伸ばすことに決めたのだ。
一緒に眠ったり、何度も寸前まではしているけれど、一線はまだ越えてはいないのだ。
それは王子の理性の強さが為せること。私を真剣に想うからこそ、ギリギリの関係を保っていたのだった。
ミカが私の相手の条件を満たしているのは明白だった。容姿もさることながら、その体に内包しているであろう魔力も。
そして昨日のキスはまずかった。否応無しにミカに惹かれる自分が自分でないようで怖かった。理性がなくなったように、彼を求めてしまいそうで。
私達の相性はきっと最高なんだろう。それは嫌でも感じてしまった。初めて彼の顔を見た時から、どうしようもなく惹かれる自分がいたからだ。
マシュー王子を裏切るなんて、私の中では絶対にあり得ないけれど、きっと強引に迫られでもしたら、私はきっとミカを拒めない。
「殿下、早く助けて」
願わくばアデルが彼に伝えてくれてるといい。もしそうならば、どこに連れ去られようと、絶対に彼は助けに来てくれるだろうに。




